天体観測の夜。その6。
その頃。
長曽禰家では、またしても虎徹さんがうなっている。
「なあ、宗近。ここにあった吟醸酒さ……」
「ぼくは呑んでないぞ」
「いや、そうじゃなくてさ。楽しみにしてたんだけどなあ。やっぱ、もうこの世に存在しないんだろなあ……」
虎徹さん、涙声である。
そして地学教室。
「あらいやだ」
いくら待っても戻って来ない生徒とアンドロイドを待つのに飽きて、ゴソゴソ教室を物色していた西織先生。
なにかを見つけてしまったらしい。
「どうしてこんなものが学校に。どうしてこんなものが私の手に。いやだわ、いやだわ」
ちっとも嫌がっていない口調で西織先生が言った。
座敷わらし高梨春美さんにとって、小学校と中学校は灰色の日々だった。
あの人がいない。
いるのは馬鹿とガキとへのへのもへじ。
そしてこの春。
待ち焦がれたおにいちゃんがいる高校。
座敷わらし高梨さんの世界はふたたび華やかに色付いた。
「ずっと待っていたんだ、ハルちゃん。お願いです。天文部に入ってください」
あの人は言った。
たぶん言ってないと思うが。
高梨さんは大人の笑顔で応えてあげた。
「私が作ってくるお弁当を、毎日食べてくれるならね」
私の手作りお弁当を美味しそうに食べる彼に、それを見下げ果てた目で見る小姑。そして私。
地学教室と白衣と私(わかりにくい)。
その幸せを壊したのは、きんにくやろう。
すかしたやろう。
そして、ちびやろう。
千両くんは体育座りして、高梨さんが望遠鏡を覗かせてくれるのをさっきから待っている。
なにがしたいのだろう。
自由に使える望遠鏡は他にもあるんだから、そっちに行ってしまえばいいのに。
いくら待っても、私が望遠鏡を覗かせてあげるはずないのに。
……バカみたい。
……ほんと。
……男の子って、みんな、バカ。
そして、それは唐突にやって来たのだ。
まさか、このちびやろうは私に恋している!?
「千両くんっ!」
すごい勢いで高梨さんは振り返った。
「あ、やっとこっち向いてくれた」
千両くんがにっこりと笑った。
ずっきゅーんときてしまった。
かわいかった。
千両くんの笑顔がかわいいと、ちょっとだけ、いや実はものすごく。なんてこったいってくらいかわいいと思ってしまった。
「千両くんっ! わわ、私に恋しても無駄なんだからねっ!」
「そうなの?」
小首をかしげる千両くんだ。
ああああ、このちびやろう!
なんてあざといんだ、このやろう!
「だだ、だって、私はもうお兄ちゃんのものだし、売却済みだし、なに、千両くん、好きなの、私のことが好きなのっ!?」
「うん!」
最高の笑顔で千両くんが言った。
「ぼく、高梨さんのこと、だーいすきっ!」
高梨さん、このときの記憶が今でも数秒ぶんないのだという。
みなが幸福感に満たされていた。
幼い少女と少年の、はじめての恋と呼ぶのさえためらわれる純粋で淡すぎる物語。きらきらと輝いてシャボン玉のように飛んでいく。
だめよ。
触らないで。
きっと壊れてしまうから……。
「あれ~。みんな、こんなところでなにやってんの~」
全員がべとべとに甘ったるくなっている中、ご機嫌でやってきたのは西織先生だ。
「トランプの最中に私をおいていって、ひどいなあ~。まぜて。まぜて。先生もまぜてよぉぉ~」
うわっ、酒くさい!
とんでもなく酒くさい!
ぴきっと反応したのは二号機さんと神無さんだ。
『西織先生、まさか!』
『常夜鍋のために用意した吟醸を!?』
ケラケラと笑う西織先生だ。
「ああ、あれそうだったんだあ。でもちょっともらっただけよー。だいたい、高校生に常夜鍋なんて食べさせちゃだめっしょー? だから処理しちゃったのよう。がはははは」
処理ってことは、おい、どんだけ呑んだんだよ、てめえ……。
ひどすぎる、これが学校でいちばんの美女とよばれる女か……。
これが、教師……。
こんな三〇女に負けそうなの、私……。
「おい、西織……」
ブリザードのような声がした。
ご機嫌だった西織先生が、ざっと直立不動になった。
ドームの出入り口から、長澤先生がゆっくりと歩いて来る。怒りのオーラを身に纏って。
「おまえ、酒臭くないか、西織……」
「気のせいでありますっ!」
「気のせいなのか、この充満した匂いが」
「ほんのちょっと、ほんのちょっとだけでありますっ! 舐める程度に頂きましたっ! 吟醸酒が目の前にあるのに呑んじゃダメだってのは、あまりに非人道的な拷問ではありませんでしょうかっ!」
「おまえ、ほんとに教師としての自覚ないだろ……」
「ノーサー! いえ、イエッサー! ごめんなさぃぃ、ごめんなさぃぃ。でもすごく美味しかった、すっごく美味しかったのぉぉ」
ダメだ……。
おそろしいまでにダメな大人だ……。
こんな三〇女に負けそうなの、私……。
『この高校は、逸材だらけですね、人間無骨さん』
「身が持ちませんな、一号機さん」
となりのビルの屋上コンビは、悟ったような表情を浮かべている。
そっ、そりゃ、私は背がちょっと足りないだけでかわいい方だって思ってるけど!
高梨さんは恐慌状態にあった。
なんでいつも怒ってるのって目つきしたロホちゃんより、まちがいなくかわいいと思ってるけけど!
小学生の頃、知らない大学生から詩なのかラブレターなのかよくわからない手紙を貰った事があるくらい早熟な女の子でもあったけど!
高梨さん、最後のはたぶん認識を間違えていると思います。
だけど、いきなり愛の告白!?
しかし、一瞬の記憶喪失と恐慌状態を通り抜け、高梨さんは少しおちついた。
千両くんはニコニコとしている。
ちょっとだけ冷静になった高梨さんの目に映る千両くんの笑顔は無邪気なのだった。かわいいけど、それは無邪気なのだった。
――ああ……。
少女は一瞬で舞い上がってしまうが、覚めてしまうのも早いのだ。
――ああ、そうか。そうなんだ……。
「千両くん」
「はい」
「それは、友達として?」
千両くんが目を輝かせた。
「うんっ! 高梨さん、友達になってくれる!?」
私はお兄ちゃんのもの。
もう決まっているの。
でも、いま、私の胸に吹くこの冷たい風はなに?
がんばれ!
昇降口の人々は全員が知らず拳を握り締めていた。
がんばれ、座敷わらし!
負けるな、座敷わらし!
落ち着いた高梨さんはあらためて千両くんへと向き直り、正座してため息をついた。
「私、女の子なんですけど」
「ああー、長澤さんと同じ事を言う!」
「千両くん、私のことを女の子として見てないでしょ。だからそんなこと言えるんだよ」
「見てるよ、女の子だって!」
「だったら――」
「だって、ぼく、高梨さんのことをオカズにしたことあるもん!」
静かだった。
それはほんのわずかな時間だったが、誰一人、なにも言わなかった。動かなかった。だれもがこの発言に凍り付いていた。
そして時は流れ出す。
「えええーー!」
「アホかああああーー!」
昇降口が狂乱状態になっている。
おどろいた千両くんが立ち上がった。
「な、なんだよ、みんな。聞いてたのかよ!」
「聞いてたよ、アホ! ぶっちゃけすぎだろ、バカか、おまえ!」
「なに考えてんだ、この愛玩動物! そうか、うさぎか。おまえ、見た目も性欲もうさぎか、うさぎなんだな!」
「だって、みんなそうだろ! ぼく、長澤さんもオカズにしたことあるよ!」
「ぎゃあああああ!」
長澤露穂子さんが髪をかきむしって悲鳴を上げた。
「やめろ、あほう!」
「一緒にすんな、あほう!」
視線を感じて歌仙くんが振り返ると、チーム井原の三人が自分をにらんでいる。
「さいてー」
目を逸らし、井原先輩がほんとうにいやそうに言った。
えっ!
ちょっと待て、おれじゃない、おれじゃないだろ!?
そう叫びたい歌仙くんだったが、清廉潔白、身に覚えがないとは言い切れない歌仙くんでもあるのだった。
高梨さんは幽体離脱をおこしている。
「どうしたもんでしょーなー、この高校は……」
『どうしたものでしょうねえ、この高校は……』
一号機さんと人間無骨さん、もう浮かべる表情がない。
■主人公編。
鳴神 陸。(なるかみ りく)
えっち星人。宙兵隊二等兵。艦長付。
三人組の一応のリーダー。ケンカ自慢。突っ走るアホ。
歌仙 海。(かせん うみ)
えっち星人。宙兵隊二等兵。副長付。
美形で芸術肌な、ミニ清麿さん。美術部。
千両 空。(せんりょう そら)
えっち星人。宙兵隊二等兵。機関長付。
小柄で空気を読まない毒舌の天然少年。
■学校編。
長澤 露穂子。(ながさわ ろほこ)
地球人。高校一年生。天文部。通称ロボ子。
クラスメイト。ちょっと目つきがきついメガネっ娘。クラス委員なのだが、案外アホの子でもある。どうやら腐った方であるらしい。
高梨 春美。(たかなし はるみ)
地球人。高校一年生。天文部。ハルちゃん。
小柄でボブでちょんまげ付きなので、座敷わらしと言われてしまう。長澤先生が好き。
広田 智。(ひろた さとる)
地球人。高校一年生。美術部。サトル。
歌仙くんの友達。普通っぽいアホ。
井原 優子。(いはら ゆうこ)
地球人。高校三年生。美術部部長。
板額先生と双璧の美女だが、歌仙くんらぶ。
松田 詩織。
中沢 弓子。
井川さんの親友ふたり。
長澤 圭一郎。(ながさわ けいいちろう)
地球人。地学教師で天文部顧問。露穂子さんの兄。三〇歳。
飄々とした人。
西織 高子。(にしおり たかこ)
地球人。英語教師。板額先生。
あの板額さんに似ているから板額先生。凄い美人だが、変人。三〇歳。
山本 瑞希。(やまもと みずき)
地球人。美術教師で、美術部顧問。旧姓、武藤。
長澤先生、板額先生と同じ大学の同期。ひとりだけ既婚者。三〇歳。
山本 一博。(やまもと かずひろ)
山本先生の夫。長澤先生の友人。この人も別の高校の物理教師。
■同田貫組周辺編。
人間無骨。(にんげんむこつ)
えっち星人。宙兵隊副長・代貸。中尉。
いつも眠っているような目をしているが、切れ者。陰険。代貸だが、代貸と呼ばれても返事をしない。
同田貫 正国。(どうたぬき まさくに)
えっち星人。宙兵隊隊長。大尉。同田貫組組長。
一号機さんのマスター。補陀落渡海を降りた後、任侠団体同田貫組を立ち上げ組長に座る。2Mを軽く越える巨体だが、一号機さんに罵られるのが大好き。
■アンドロイド編。
長曽禰 ロボ子。(ながそね ろぼこ)
雪月改二号機。マスターは長曽禰虎徹。
本編の主人公だが、番外編では性格が変わる。よりひどくなると表現してもいいかもしれない。番外編では、露穂子さんがいるため「二号機さん」で統一。
一号機さん。
雪月改一号機。マスターは同田貫正国。マスターからは弥生さんと呼ばれる。
目と耳を勝手に超強力に改造して、一日中縁側で村を監視している。村の中で内緒話はできない。和服が似合う。通称因業ババア。
神無。(かむな)
雪月改のさらに上位モデルとして開発された神無試作一号機。
二号機さんを「先輩」と呼び、二号機さんからは「後輩」と呼ばれる。雪月改三姉妹の、特に性格面の欠点を徹底的に潰した理想のアンドロイド。のはずだった。しかし現実は厳しく、三姉妹に輪をかけた問題児になりつつある。
板額。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。護衛としてえっち星に渡ったので世界的な有名人。




