ロボ子さん、やって来る。
『こんばんまして』
思えば私は緊張していたのかも知れません。
アンドロイドの私が緊張というのもおかしなものです。まだ感情を持たなくても、その機能を与えられていなくても、最初のお仕事というものは滑らかにはいかないものなのでしょう。
そして私は言い間違えてしまいました。
もちろん、すぐに訂正しました。
それで終わるはずでした。
「いやっほおおお!」
しかし、彼は歓喜したのでした。
「すげえ、噛んだよ! アンドロイドが噛んだよ! そんな萌え機能までつけていてくれたのかよ、雪月改! 最高だぜ、雪月改!」
嬉しいのですか。
ただの言い間違いが嬉しいのですか。わかりません。
「よく来たね、ロボ子さん。疲れただろう。さあ、おはいり」
ありがとうございます。
でも私はアンドロイドなのです。疲れません。
アンドロイドが生活に定着した時代。
町工場から始まったウエスギ製作所が、モデル如月で世界的な大ヒットを飛ばした。今までのアンドロイドよりむしろ軽快で優雅な動きを実現させながら、高級車二台分といわれた家事補助アンドロイドの値段を一気に軽の値段まで下げたのだ。
如月さんは売れた。
売れまくり、標準機とまでいわれた。
調子に乗った上杉製作所は自律感情プログラムを実装した第四世代アンドロイド雪月を発表。
見事に売れなかった。
スペックと美しさは高く評価された。同スペックの戦闘用アンドロイドに比べれば圧倒的コストパフォーマンスと擁護もされた。しかし、家庭用としては無駄に高いスペックであり、理解できない値段だったのだ。
しかしウエスギ製作所は懲りなかった。
雪月さんを更にブラッシュアップしたフラッグシップモデル雪月改を発表。
「ムラムラして作った。今は後悔していない」
ウエスギ社長は語った。
売れるわけがなかった。
発売されて二年。
この日、新幹線とバスを乗り継いで、二号機さんが自走で納入された。
「自走でってのは想像してなかったなあ。迷わなかったかい、ロボ子さん」
『雪月改は最新鋭機です。東京の交通機関でも迷いません。新宿駅でもめったに迷いません』
「迷うんだ」
『迷いません。実証試験でも数回だけです』
「迷ってんじゃん」
『それでなのですが』
「話そらそうとしてるじゃん」
『そらしていません。迷いません。それで――』
「まあ、とりあえず座って。薄っぺらい座布団だけどさ、さあ、さあ」
『お気づきでないのかもしれませんが、私はアンドロイドです。私は噛みませんし、迷いませんし、話を逸らすこともありません』
「全部したじゃん」
『少なくとも本日は迷ってません。まっすぐにここに辿り着きました。話が進みません』
「ごめんなさい」
『ありがとうございます。私は雪月改。最新鋭アンドロイドです。私は噛みませんし、迷いませんし、話を逸らすこともありません。そして私は座る必要はありません』
「かたいこと言いなさんな。座りなさい」
『はい、承知いたしました。それで、そろそろ確認させてください』
「なんでしょう」
『あなたが私のマスターなのでしょうか』
「そうだ」
そのチャラい顔をした彼は、お茶をひとくち飲んでにやりと笑ったのでした。
「おれが君のマスター、長曽禰虎徹だ。よろしくな、ロボ子さん」
そこはとてつもなくさみしい村でした。
どうしてこんな小さな町に新幹線が停まるのだろうと心配になるような小さな駅を降り、しかもそこから二時間に一本だけのバスに乗って終点まで。その間、バスのお客さんは私だけのようでした。
山の中なのになぜか開けていて――申し訳ございません、他の意味にも読み取れる表現でした。山奥なのにずいぶん平地が広いところです。盆地とでも言うのでしょうか。サングラスをしたおじさんが「断層ですね!」と楽しそうに散歩していそうなところです。
北の山には鎮守さま。
マスターの家はまるで江戸時代に建てられたような(実際に江戸時代に建てられた家なのだそうです)藁葺き屋根の古い民家です。その分とても大きく、柱は太く、天井は高く、座敷わらしがどこかから覗いていてもおかしくないような、そんな家です。
「ここ、ロボ子さんの部屋に使って」
そう案内されたのは、一階東がわの八畳間。
『マスターはご存じないのかも知れませんが、私は眠りません。従って充電できる場所があればそれで充分です』
「そうもいかないでしょ」
『そうでしょうか』
「そうですよ。ほら、入って、入って。おれがいろいろ見繕ってきたんだぜ。気に入ってくれると嬉しいなあ」
正直に言いますと、ちょっと素敵だなと思いました。
アンドロイドがこんな事を言い出すのはおかしな事です。でも、畳の上にラグが敷かれ、私のためのベッドに机。見せかけではない、ほんとうの時間を積み重ねた古い家であるのも相まって、なんだか胸がきゅんとなるような和洋折衷のお部屋だったのです。このマスター、チャラい顔してるくせにやるじゃないかと思いました。
身長は一七八センチ。体重は推定で六八キロ。年齢は推定で三二歳。赤みがかったざんばらの髪に、おしゃれなのかただの不精なのか判別のつきにくい無精ヒゲ。
そうですね。
一個のハンサムであると言えなくもありません。
「疲れたでしょ。おやすみ、ロボ子さん」
『私は疲れません。私は眠りません』
「ねえ、ロボ子さん。今日君は、ひとりでこんな田舎まで旅してきたんだ。とりあえず緊張をほぐし、明日に備えなさい。おつかれさま」
『はい、マスター。ありがとうございます。何かございましたらいつでもお呼びください』
疲れているのでしょうか。
よくわかりません。
私はアンドロイドです。第4.5世代――自律的な判断力、そして感情を持つ第4世代を更に進化させた最新鋭機雪月改です。
でも、私は生まれたばかりです。
まだなにもわかりません。
窓を開けると、夜なのに山の中腹に鎮守さまが見えました。
そうでした。私はアンドロイドでした。センサーで検知し画像処理エンジンで補正できる範囲であれば夜でも関係なく見えるのです。
手を合わせてみました。
これからお願いしますと祈ってみました。
明日からどんな生活が私に待っているのでしょう。
あのチャラくてしつこくて、平気でセクハラしてきそうなオヤジとうまくやっていけるでしょうか。他に家族はいないのでしょうか。
私は知りませんでした。
それどころじゃない疾風怒濤の毎日がこれから始まることを。
とりあえず、今日はおやすみなさい。
秋葉原クリエイティ部さんが、この回をボイスドラマにしてくださいました!
【声小説】ロボ子さんといっしょ。#1 『ロボ子さん、やって来る。』
https://www.youtube.com/watch?v=KIUl9cy5KOk
※現在のロボ子さんといっしょ!は改稿版で、こちらのシナリオとは展開が異なります。