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清隆学園の一学期  作者: 池田 和美
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四月の出来事・④

 真っ暗な中に一条の光が射した。

 誰かがマグライトを点けて、ごちゃごちゃになった車内を身軽に、バスの先頭へ駆け抜けて行った。

「あたた」

 天地が判らないぐらいひっくり返った正美は、頬骨の痛さで我を取り戻した。この痛みは眼鏡がずれてしまったものだ。正美は自分の眼鏡を正しい位置に戻したが、何も目に入らなかった。

「な、なんだ? どうした?」

「いやあ」

「きゃあ」

 正美の一言がきっかけとなり、女子生徒たちが悲鳴を上げ始める。

「うおー」

「ママ〜」

 男子生徒まで騒ぎ始めた。

「落盤だ! トンネルが崩れた、騒ぐともっと崩れるぞ」

 前方から力強い男の声が響き、車内は再び静かになった。

「小池先生、大丈夫か? 無事なら生徒の誘導を」

「ゆ、ゆうどう?」

「このロープを生徒に握らせて、トンネルをもどれ。先頭はバスガイド、最後尾は小池先生あなただ」

「あ、あなたは?」

「私は運転手を救出する」

「うんてんしゅさん?」

「足を挟まれているらしい」

 やっとマグライトだけの暗さに目が慣れて来た。

「郷見くんじゃないの」

 小池先生は自分がほうけたように思考が停止していたことを恥じて声を大きくした。マグライトの限られた光の中に、自分のディパックを背負った弘志の姿が見える。

 そこでやっと現状が認識できた。あんな快調に走っていたバスはいつの間にか停止しており、全ての窓には暗幕がかけられたような闇しか見えなかった。

 暗闇の中で弘志の手が運転席のコンソールをまさぐって、一つのスイッチを弾いた。

 車内灯が点灯し、開いた瞳孔が収縮する痛みが感じられた。だが、そのおかげで車内の様子が見られるようになった。

 最近では事故防止のために乗客にもシートベルト着用を促す会社も多いが、元気があまってヤンチャな高校生がそれを守っているわけもなく、あちこちでシートの上でひっくり返っているクラスメイトがいた。正美もそんな一人であった。

 席に座り直して首を巡らせると、空楽と目があった。

 どちらともなくうなずき合った。

「先生、誘導をお願いします」

 芝居がかった男臭い声をやめた弘志はディパックから出したロープを手渡した。

「でも…」

「はやく。二次災害が起きる前に」

 小池先生が渋るのとは対照的に、我を取り戻したバスガイドは自席近くに備えられた非常用の懐中電灯を手にすると、前部自動ドアの緊急解放コックが収められている点検口を開き、取っ手を掴む勢いよく引いた。

 圧搾空気が漏れる音がした。これで手動にて開閉ができるようになったはずだ。

 バスガイドは取っ手に取りつくと扉を開こうとした。しかしガタガタと音がするばかりで開く気配はなかった。

「開きません」

 バスはトンネルの天井を破って落下してきた大岩にぶつかって止まっていた。そのため車体前部が歪んでドアが開かなくなったらしい。

「後ろの非常口から脱出するんだ」

「先生、俺たちも残るよ」

 事の成り行きを不気味なほどの静けさで見守る中を、空楽と正美がやってきた。

「同じ班だし」

 正美が少し照れて頬をかいた。

「よし、小池先生。外へ避難したら点呼をとって救助を待っててくれ」

 バスガイドはロープの端を持って後部非常口に行った。反対側を持っていた小池先生との間に一直線にそれが張られた。

 シートの隙間から首を出していたクラスメイトたちが不安そうに通路に張られたそれにつかまる。

「それでは出発しまあす」

 クイッとロープを引っ張って全員へ合図すると、バスガイドが後部非常口を開けたようで、車内に泥臭い外の臭いが侵入してきた。

 一列になって非常口から整然と脱出していく同級生を見送り、最後に振り返る小池先生に三人は軽く手を振った。

「さてと現状は」

 弘志はすでに圧力が抜けて萎んだエアバッグを掻き分けて、運転手の足元をライトで照らして確認した。彼の右足は座席調整用のレールと、ハンドル軸に挟まれていた。

「ふむ。工具が必要だな」

「置いて逃げるんだ」

 早くも諦めた声で運転手が告げる。痛むのか早くも彼の額には脂汗が浮き始めていた。

「ここが本当に危なくなったらね。正美、運転手さんについていてやれ」

「そんなこと言ったって、こんな『デイラ〇ツ』な状況でどうすれば」

「デイ〇イツ?」

 二人は顔を見合わせた。

「なんだそれは」

 これは空楽。

「確か歳をとったラ○ボーが海底トンネルに閉じ込められ、汗くさい肉体をこれでもかと見せる映画だよな」

 観たことがあるのか、弘志が眉を顰めた。

「ふむ。では、なんでもいいから話しかけ続けるんだ」

「話すって言っても、落語ぐらいしか」

 再び二人は顔を見合わせた。

「それで良いじゃないか」

「うむ」

 二人の薦めで正美はその場に正座をした。

「それでは毎度バカバカしい話しを一席…」



 非常口から暗いトンネル内に降りると、車外では同じ制服を着た生徒が右往左往していた。

「逃げろって言ったのに」

「いや、他のクラスらしい」

 弘志のつぶやきに空楽が反応した。

「そうか」

 事故現場の状況は、まず三組のバスが片側一車線のトンネルを塞ぐように落ちてきた大岩に、正面からぶつかっていた。

 その大岩から先は、トンネルがどの程度崩れているか判らなかった。

 大岩の横は反対車線側に一メートル弱の隙間が空いていて、そこから次々に同じ制服を着た人間が逃げ出してきていた。

 おそらく他のクラスのバスはこの岩の向こうで停車しているのだろう。こちらへ逃げてくるということは、反対側の出口は完全に崩れて塞がっているのだろう。

 二人は逃げてくる人波を壁際に避けて、トンネル内をさらに見回した。

 トンネル内の照明は崩落で回路が断線でもしたのか、まったく灯っていなかった。だが外からの明かりが差し込んでいて、避難者が出口に向かう分には問題がなかった。

 その出口の近く。トンネル本体に続く形で設置された落石覆いのあたりに、一台のワンボックスが壁にぶつかって停まっていた。

 ポンと弘志は空楽の肩を叩いた。

「あれだ」

 ワンボックスに近づくと、運転席でこの車を運転していたらしいオバサンが座りながら気絶しているようだった。どうやら対向車だった清隆学園の大型バスが行った急ブレーキに驚いてハンドル操作を誤り、そのまま壁へ衝突したようだ。

 窓から覗くと何も入っていない円筒形の容器が何個も荷台へ載せてある。同じ物を町の花屋で見たことがあったので、二人はこの車は花屋で配達に使われているのだろうと想像がついた。

 その衝撃を感知したエアバックは設計どおりに作動し、膨張用の火薬に点火してハンドルから飛び出していた。オバサンはそのエアバッグが膨らんだ勢いで顔面を叩かれたのが原因で気絶しているようだ。自分の役目を終えたエアバックは設計どうりにガスが抜けて萎んでいた。

 オバサンを窓越しに観察すれば、花屋の屋号のようなロゴの入った大きいエプロンをしたままであった。

「鍵が」

 ドアに手をかけた弘志がくやしそうに言った。

「まかせろ」

 空楽は背中へ左手をまわすと、襟首の内側から一振りの木刀を抜いた。

「質問して良いか」

 突然の得物の登場に、弘志が目を点にした。

「ん?」

「いつもそんな物騒な物を隠し持っているのか?」

 先程までバスの座席に座っていて、こんな物を荷物から取り出す暇など無かったはずである。

 空楽は人差し指を立てた。

「誰にだってひとつやふたつ『秘密』というものがある」

 弘志は呆れた顔になったが、深く突っ込まないことにしたらしい。一つうなずくと、後部スライドドアのガラスを指差した。

「破るんだったら、ここだ」

「よし、離れていろ」

 木刀を青眼に構えた空楽が言った。いつもの眠そうな雰囲気をどこにやったのか、親の仇を睨むような鋭い視線で目標を見定める。

「ちぇい!」

 空楽の木刀が一閃したようだった。あまりの早い突きに目がその技を捉えきることができないほどだった。しかし確実にその一閃は窓に当たったようで、弘志の指定した窓に細かなヒビが入った。すぐに弘志は、続けて木刀を繰り出そうとする空楽を制した。

 何をするのだろうと見ていると、弘志はズボンの後ろポケットから軍手を取りだして、一見華奢に見える手にはめた。そしておもむろに空楽の木刀で拳大の穴の開いたガラス上部に手を差し込んでガシッと掴んだ。細かなヒビさえ入ってしまえば事故時に飛散しないようになっている構造なので、濡れたダンボールをちぎる程度の力で引きはがすことができる。程なく枠を残して窓は出入りが可能なまでのスペースを開けた。そのまま弘志は右腕を肩まで挿し入れて後部スライドドアの鍵を解除した。

「ひとついいか弘志」

「なに?」

「これは『器物損壊』になるんじゃないか?」

 良心からの質問にしては遅すぎた。

「それなら大丈夫、法律上は『緊急避難』というやつだ」

 スライドドアを開きながら弘志は言い切った。

「空楽はオバサンを頼む、オレは車載工具を漁るから。あ、それから…」

 弘志の指がオバサン越しに運転装置へ向けられた。

「キーを切らないと。万が一暴走したら人死にが出る」

「了解」

 空楽は深くうなずいた。

「で、切るってどうやるんだ?」

「キーを反時計回しに回るところまで回せばいいんだ。ただキーは差したままで、取っちゃダメだよ」

「おう」

 弘志は反対側のスライドドアの床あたりを探り始め、空楽は運転席と助手席の間に体をねじ込んで、なんとか前へ移った。

 オバサンはエアバックに叩かれた以外に怪我などはしていないようだ。いちおう首筋に指をあてて脈を取ってからシートベルトを外し、内側から運転席のドアの鍵を開けた。

 空楽は今までと逆の手順で一旦外に出て、ゴソゴソと手探りで床の辺りをまさぐっている弘志に確認した。

「どうだ」

「ばっちり」

 弘志が表情を明るくすると、床から車載工具が入ったビニール製の工具袋をズルズルと引きずり出した。

「これで、なんとかできそうだ」

「そうか」

 空楽は運転席のドアを開くと、まず弘志に言われていたとおりエンジンを止めてから、オバサンの頬を軽く叩いた。

「んー」

 四〇代らしいオバサンの瞼は開かれなかった。唸るところを見ると本当に気絶だけのようだ。

「ピヨってるな」

 工具袋を肩にかけた弘志は、空楽の肩を後ろから叩いた。

「空楽はこのオバサンを助けて先に外に行け、オレは正美と一緒に運転手さんを助けるから」

「しかし…」

「まあ、犠牲者は一人でも少ない方が良いだろ」

 弘志はウインクしてバスの方へ走って戻って行った。

「かっこつけやがって」

 背中を見送る空楽は忌々しそうに舌打ちをした。それだけで気持ちを切り替えると、トンネル内を見まわした。

 ちょうど通りかかった女子生徒の一団が目に入り、その中の一人の肩を掴んだ。

「きゃ」

 突然掴まれた女子が小さく悲鳴を上げた。

「君、名前は」

「わ、わたし?」

 その女子は日本人形のような顔を上げて空楽の顔を見た。

 こんな崩落事故のせいか、頬の高さで切りそろえられた黒髪にまで白い土埃が積もっていた。

「名前だ」

「岡です。岡花子おかはなこ

「岡さん、手伝ってくれ」

 空楽は親指で背後のワンボックスの運転席を示した。

「このままだとオバサンだけ逃げ遅れちまう」

 運転席でのびているオバサンを確認した途端、気丈にも花子と名乗ったその女子生徒は疲れた表情を消した。

 彼女と同行していた他の女子たちも足を止めて、空楽が示したワンボックスと、その運転席のオバサンを確認した。

「なにを手伝えば良いんです」

「とりあえず、ひっぱり出すのに手を貸してくれ」

 空楽はオバサンの肩を掴んだ。花子もそれに習うように手を出し、肩とぐらつく首を支えた。

 他の女子たちも集まってきた。

「せーので引きずり出すぞ。せーの」



「…風が吹いた程度で死んじゃつまらないからなぁ、はーっくしょん!」

 正美は手に持っていたマグライトを吹き消す仕種をして身体を前のめりに倒した。

「この状況で、その演目はどうかと思うぞ」

 担いできた工具袋でガチャガチャと音をさせながら弘志が戻って来た。

「でも『寿限無』はやっちゃたんだ」

「…まあ、いいや」

 弘志は工具袋を床に放り出し、そこからタイヤ交換用のジャッキを取り出した。それを運転手の右足を挟んでいる床とハンドル軸との間にネジこんだ。

 ジャッキハンドルを引っ掛けて、回し始める。

「隙間が出来次第、力まかせに抜くんだ」

「了解」

 車内に金属が歪む音が響き始める。

「よし、緩んできた」

 正美は両手で運転手の右ももを引っ張る。痛みがあるのだろうが運転手自身も腕をハンドルに突っ張って力をこめた。

 ズボンの裾がビリビリと破れながら彼の右足は抜けた。

「抜けた」

 正美はほっとした声をあげた。

「まだだ。二次崩落の危険がある。外に出るまで気を抜くな」

 運転手の両脇から腕を差し込んで、座席から引き出すようにしながら弘志は怒った声をあげた。

「わかったよ」

 正美がしょぼんとした声を出している間に、弘志は背負っていたディパックからビニール袋を取り出すと、縦に細長くなるように捻ってひも状にし、それで軽く出血している運転手の右足を縛り止血とした。

 あらためて荷物を背負い直し、運転手を支えるようにして立ち上がる。反対側から正美も運転手に肩を貸した。

 三人で並んで非常口まで行くと、外で空楽が腰に手を当てて待っていた。

 ハイデッカーなので地面の高さまで結構高度差がある。上から見おろして弘志は少々不機嫌そうな声で訊ねた。

「空楽、あのオバサンは?」

「岡っていう女子にまかせた。他にも二、三人手伝ってくれたから、今頃は外だろ」

「よし。じゃあオレたちもはやく逃げないと、ここも崩れそうだ」

 弘志はトンネル内部を見回した。先程確認したときはそうでもなかったが、天井からは切れ目無く砂や小石が降り始めている。

「よし。避難だ」

 もう一度車内を振り返ってから弘志は外に出た。



 三人でビッコを引く運転手を囲むように支え、トンネルの外を目指した。途中でワンボックスでのびていたオバサンを運ぶ女子の集団に追いついてしまった。こちらは怪我人に意識があるし、また男手でもあるから当然といえば当然だった。

「これで外に出たら日本が滅亡してたり」

 ふと正美が口にした言葉に、全員が反応した。オバサンを運んでいる女子たちは顔を見合わせたほどだ。

「なんじゃそりゃ」

 弘志が戯けた様子で大袈裟に聞き返した。

「いやあ、最近デジタル・バーサタイル・ディスクで見たばかりだからさ『ドラゴン〇ッド』」

「デジタル…、なんだって?」

 空楽が不思議そうに振り返ったので、弘志が苦笑しながら口を開いた。

「正美もDVDって、簡単に言えばいいじゃん」

「DVDってデジタル・ビデオ・ディスクじゃないのか?」

「違うよ。映像だけじゃなくて他の用途にも使えるから。で『ドラ□ンヘッド』って、あの松田聖子の娘がダイエットして出演したやつか?」

「おまえな」

 脱力して空楽が正美に言った。

「ここでそれを出すのは、いささか問題があるぞ」

 一同の冷たい視線が正美に集まった。

「ねえ!」

 その時、鋭い女の声が響いた。

「アンタらが最後?」

「だと思うけど」

 長めの髪を乱した女子生徒が二つの集団の前に仁王立ちしていた。外の光で逆光になり表情は見えない。一歩前に出てやっと顔が判った。切れ長の瞳を持ち、ソバカスを鼻のあたりに散らしたそこそこの美人である。服装からみんなと同じ清隆学園の生徒だとわかった。

 彼女は自分の言葉に答えた正美を睨みつけると、少し鼻にかかった声で早口に言った。

「あたし一組なンだけど、同じ班の子がいないのよ」

 三人は顔を見合わせた。代表して空楽が聞き返した。

「逃げ遅れていると?」

「たぶン、そうじゃないかな」

 弘志は諦めたような溜息をついた。

「一組のバスの位置は判るか」

「弘志」

 驚いた声で正美は彼の顔を再度見た。

「プロが来るまで待てないかもしれない」

 絶えずパラパラと小石の降るトンネルを振り返った。

「君の名前は」

「藤原由美子よ。探して欲しいのは佐々木恵美子ささきえみこっていう髪の長い子」

「ああ」その子ならば知っていると正美「学園(裏)投票で『学園のマドンナ』に選ばれた子だろ」

「なによ、その裏投票って」

 清隆学園高等部生徒会が非公然活動として行っている『学園のマドンナ』投票。非公然にはもちろん意味があった。誰が当選するかトトカルチョが行われるのだ。その胴元はもちろん生徒会中枢の人間である。道義的どころか賭け事に関する法律に抵触する物なんていう可愛い物ではない。莫大な闇金を生み出しているという噂まであるのだ。

 もちろん新入生が高等部に慣れてくるに従って参加する者は加速度的に増えるが、由美子のように真面目な女子生徒たちが一番最後にそういった事情を知るというのが毎年のことだった。正美は真面目とはいえ高等部男子なので、もちろん投票に参加していた。

「生徒会の非公式活動の一つ」

 なんと説明していいか判らず、取り敢えず正美は簡単に答えた。

「なんでもいいや。運転手さんと藤原さんを頼むね」

 その横で弘志は散歩に行くような口調で告げた。その言葉に空楽と正美が顔を見合わせた。

「冗談きついよ」

「一人でいいかっこうはさせない」

「あたしも探すわよ」

 弘志は呆れたように振り返った。彼が口を開いてなにか言おうとした時に「そんなことはダメだ!」と運転手が荒い声を上げた。

「後から来る救助隊にまかせるんだ」

 その当たり前の言い分に、男子三人は顔を見合わせた。

 溜息のような物をつくと、弘志は空楽を見た。空楽は黙って弘志とうなずきあうと、瞬間的に動いた。

「うげ」

 運転手の目が、これ以上ないほど見開かれ、ゆっくりと白目を剥いて、ガックリと首が落ちた。理由は極簡単で、空楽の拳が彼の鳩尾にめり込んだためだ。武道で言う当て身という奴であろう。

「さすが自称とはいえ石見氏直系」

 と弘志が変な褒め方をした。

「簡単な技ではないんだがな」

 簡単にやっておいて空楽が言った。

「すまないが…」

 横でオバサンたちを支えている女子たちに振り返った。

「こちらもお願いする」

「は、はい」

 気を呑まれた様子で、先程空楽からオバサンを頼まれた花子が受け取った。一人で支えきれないところを、他の女子たちが手を貸した。

 由美子を除いた女子たちが避難を再開したのを確認して、弘志は他の三人に振り返った。

「行こう」



 三組のバスが衝突した大岩の脇を抜けると、すぐに二組が乗っていたバスの右側に出た。

 すでに、あたりには人の気配はなかった。本当に一人逃げ遅れているのか不安になるほどだ。

 四人で固まったまま二組が乗っていたバスの先頭へ移動した。

 二組のバスはギリギリのところで、前を走っていた一組のバスとの追突を回避していた。まるで追突しているような距離で二台のバスは停車していた。

「藤原さんは一組だったね。じゃあ空楽と正美は二組のバスをチェックして。他にも逃げ遅れている生徒がいるかもしれない」

 弘志はもう一つ別のマグライトを背負ったディパックから取り出した。三人は無言でうなずき、それぞれのバスの入口に向かった。取りだしたマグライトを空楽に手渡した。

「まずいな」

 弘志の照らすバスの前部はすでに土砂へ埋もれていた。

「入り口が」

 由美子の顔が青ざめる。

「まだ非常口がある」

 二人はバスの右後部へ移動した。

 手のやっと届く高さに透明プラスチックでできた窓があり、その中に赤いレバーがある。それが後部の非常口を外側から開く装置である。

「いまいちだな」

 長身の弘志でも、プラスチックを破る動作には高すぎた。

「ウマになるから、これで壊して中のレバーを下げるんだ」

 弘志はマグライトを由美子に渡すと、背中の荷物を下ろして、すすんでその場に四つ足になった。

 由美子は一瞬、躊躇した。

「のぞくなよ」

「暗くて見たくても見えないよ」

「む」

 由美子はわざと弘志の頭をふんずけてから、その背中に立った。



 一組の乗ってきたバスは、まるで十年も放置されてきた廃墟のような雰囲気が出ていた。室内灯が点けられていないため暗く、手に持ったマグライトの円い明かりだけが頼りである。視覚と違って聴覚はそうでもなく、外版を落ちてきた小石や砂が叩くのか、まるで小川のせせらぎのような淡い音に満たされていた。

「佐々木さン、いる?」

 暗い車内に由美子は恐々と闇を見通すように囁いた。

「どお」

 床に手をかけて弘志も車内によじ登って来る。

 マグライトの光が左右に振ると、まだ埋まっていない真ん中あたりの窓際の席に人影があるのが見えた。

 ほっとして二人は近づこうとした。

「こないで。きちゃだめ」

 涙声で弱々しい拒否の反応があった。

 弘志と由美子は顔を見合わせた。

「どうしたの? 佐々木さン。あたしよ。同じ班の藤原由美子よ」

 円い光の中で恵美子は振り返った。頬は涙と土砂の挨でぐしゃぐしゃに汚れている。

「いやあ…」

「どうやらパニック状態だな」

「ここまで来て置いていけないでしょ。待ってなさいよ」

 弘志をその場に残して、由美子は遠慮なく彼女に近づいて行った。

 手に持ったマグライトの光で、恵美子は頭を横に振って子供のように拒否している様子がわかるが、なぜそんなに拒否する態度なのか判らなかった。。

 しばらく近づいて、由美子はバスの床に広がる液体と、臭いで恵美子の異変に気がついた。

「大丈夫よ佐々木さン。助けに来たのよ」

「こんな姿で出ていくのは、いやあ…」

 恵美子は消え入りそうな声を出した。

「判った。ちょっと待ってて」

 由美子は弘志のところに戻った。

「どう?」

「怪我はしていないけど…」

 どう説明しようと言葉を濁らせた時。非常口の外にもう一つのマグライトの明かりが来た。

「後ろのバスは無人だったよ」

「こっちにいるか?」

 男子二人を見おろして由美子は、さらに困った顔になった。

「いたよ」

 あっさり認める弘志を由美子は睨んだ。その顔を一瞬だけ意外そうな表情で受け止めた弘志は、すぐにいつもの掴み所のない微笑みを取り戻した。

「でも制服が破れちゃったんだってさ。オレの体育ジャージでいい?」

 弘志は自分の荷物からきれいに畳んだ学園指定の体育用ジャージーの上下とタオル、そしてビニール袋を取りだして、なんの迷いもなく由美子に渡した。

「制服を脱いだらこのタオルで体を拭うといいよ。汚れた物はビニールに入れて座席の下にでも置いてきていいから」

「アンタ…」

 なにか言おうとした由美子に弘志はウインクを飛ばして合図した。



 三人はバスの外で待たされた。

「『学園のマドンナ』の着替えを覗いて見たい気もする」

「やめておけ」

 弘志の軽口に、空楽は面白くなさそうに反応した。

「学園中の男から命を狙われるぞ」

 空楽の言葉に弘志は首をすくめた。

「そんなものかね? たかが女子高生の着替えだぞ」

「『学園のマドンナ』だぞ。神聖視している人間が何人いるか」

「それもそうか」

「あ、出てきたよ」

 会話に参加していなかった正美が最初に気が付いた。

 由美子に支えられるようにして長髪の少女が非常口に現れた。さすがに入学式直後に『学園のマドンナ』へいきなり選出されただけあって、なかなかの美貌の持ち主だ。照明が落ちたトンネル内で手元の明かりしかない状態でも、その整った容姿が見て取れた。

 これが自然光の下ならば衆目を集めること間違いなしだ。

 いまは弘志の体育用ジャージーという、あまり格好の良い服装ではなかったが、これでお洒落などしていたら道行く男どもは片端から振り返るであろう。

 また体のラインも本業のモデルのようにスラリとしていて、出るところは出ていて引っ込むところはちゃんとしているという、何を食べたらその体型が維持できるのか聞きたいほどだ。

「降りられないじゃないの」

「はいはい」

 見とれて男子三人がボーッとしていると、由美子の怒った声がとんだ。慌てて弘志は再び四つ足になって台となる。

「よいしょ」

 まずは由美子が降りた。

「さあ」

 恵美子に優しく振り返る。恵美子は恐る恐る足を弘志の背中に乗せた。

 固いバスの床と違って人間の柔らかい踏みごたえに、バランスを崩して落ちそうになった。

 あわてて正美が前から抱きとめた。フワリと『学園のマドンナ』の香りが正美の鼻腔を包んだ。体育用のジャージー越しに柔らかい曲線を全身で感じ取ってしまう。

 彼女の体重に少々の重力加速度を加えたエネルギーだけでなしに、正美は暗いトンネルの中でよろめいた。

「ありがとう」

 泣き疲れた表情の恵美子は初めて笑顔を見せた。

 その女神の微笑みを至近距離で見ることになった正美は、ただ顔を赤くするばかりだった。

「よし、もう用事は無いね」

 弘志はズボンの裾を払いながら立ち上がった。下ろしていたディパックを拾い上げて肩にかけた。

「今度こそ避難しよう」

 確認するように由美子を見る。そこで弘志の表情が曇った。

「どこか怪我したの? 藤原さん」

「怪我?」

 由美子は自分の身体を見おろした。その場でクルリと回って背中の方にも視線をやる。

「どこもしてないわよ」

「でも、足を庇っているじゃないか」

「ああ、これね」

 由美子は明るい顔になった。

「あたし、もとから足が悪いのよ。だから疲れるとビッコひいちゃうのよね」

「そうか、元からか」

 納得した弘志の声を待っていたかのように、トンネル内に地下鉄が走ってくるような音が響いてきた。グラグラとバスの車体が揺れるほどの地鳴りだった。

「まずい、二次崩落だ!」

「逃げろ!」

 弘志の声に空楽の声が重なった。それに急かされたように五人は出口に向けて走り出した。すぐ後ろで次々と空間が土砂に埋められていく。上から降り注ぐ土砂との競争となった。

 すぐに三組が乗っていたバスと衝突した大岩まで辿り着く。まずジャージー姿で走りやすい恵美子が走り抜け、次に空楽が続いた。その背中に続いたのは運動神経に自信がまったくない正美であった。

 あとは壁に衝突しているワンボックス以外障害物のない空間を、出口の明かりの見える方へ。

 しかし、ビッコをひいている由美子が遅れ気味になってしまう。

「藤原さん、走って!」

「走ってるわよ」

 その怒鳴り声と同時に頭の上でコンクリートが破れ、本格的に土砂が降り注いだ。

 外に駆け出すのがなんとか間に合った正美が振り返ると、土砂の中に諦めたように立ち止まる由美子の姿が見え、そして見えなくなった。




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