四月の出来事・②
翌日は、高等部の授業は午前中で終了した。午後は各部活動の合同説明会が開かれることになっていたのだ。
新入生は講堂に集められ、生徒会に認可されている団体へ短い時間が割り当てられて、次々と部活動の説明が行われる予定だ。
「中学の時はなんかやってたの?」
基本的にクラス名簿順に並べられて、そのまま講堂の木の床に座らされた一年生たちだった。しかし座った後は列を崩しても怒られるようなことはなく、正美の横に弘志が這い寄ってきていた。
「いちおう内申を気にして美術部に」
正美は弘志の質問へ正直に答えた。弱小部が揃っている文化会系の部活では、中等部に在籍している間に、高等部の先輩が交流という名目で訪れており顔見知りになっていた。だいたいの進学組はそういった「青田買い」で入部が決定される。
正美もこの青田買いで勧誘されており、特に断る理由もないのでそのまま高等部でも美術部へ入る予定だ。
演台の上では司会進行役の生徒会役員らしい女先輩が式次第の説明を開始していた。
「郷見くんは何か部活をやっていたの?」
もう美術部入部を決めている正美にとって暇を味わう行事である。暇ついでにニコニコとした顔を崩さない隣の少年に訊いてみた。
「とくには」
あっけらかんと弘志は答えた。そういえば彼は長期入院などしていたと言っていたことを思い出し、正美は鼻を掻いて思い直した。
(入院とかしていたから部活動は無理か)
「じゃあ美術部なんてどう?」
正美の度胸からして清水の舞台から飛びおりるつもりで誘ってみる。するとニコニコした顔がこちらを振り返った。
「鉄研(鉄道研究部)には興味はあるけど。正美こそ鉄研、いっしょにどう?」
「兼部はしたくないなあ。じゃあ不破くんはどう? 美術部」
弘志と同じように正美のところまで這ってきたはずの空楽に話しを振ってみる。
「…」
空楽は床にドカリと胡座をかくと、たくましい腕を組んで瞼をおろしていた。
しばし二人して返答を待ってみた。
「また寝ているようだよ」
口元に軽く握った拳をあてて弘志がコロコロと笑った。そんな一つ一つの所作までも少年というより少女の物だった。
「きっと『ひるけん』とかあったら、迷わず入部しているんじゃない?」
「ひるけん?」
どのような漢字をあてるのか想像できなくて正美は小首を傾げた。
「昼寝研究会」
「そんな部活ないようだけど」
教室を出るときに渡された部活紹介の小冊子をざっと眺める真似だけして、正美はずり落ちてきた銀縁眼鏡を押し上げた。
「そんな部活に入るか」
とても低い声で反応があった。どうやら耳だけは起きていたらしい。のっそりと首を巡らせた空楽は、睡眠を妨げられたせいか不機嫌そうに二人を睨み付けた。
「入るなら『あるけん』だな」
「「あるけん?」」
正美は弘志と顔を見合わせた。
「日本全国歩いて行こうの会?」
これは正美。
「アルギン酸ナトリウム愛好会?」
これは弘志。
「いや。『アルコールをこよなく愛する会』だ」
「未成年が?」
ジト眼で見てくる二人の前で咳払いをして誤魔化そうと試みてみる。
「それにしても、ウチには色んな部活があるな」
正美が握っている小冊子を覗き込む仕草だけしてきた。
「公認されてるだけでもこんなにあるけど、未公認の同好会を入れたら天文学的な数字になるよ」
どこから情報を仕入れてきたのか、横の弘志が物知り顔で答えた。
「たとえば体育会系では『カバディ同好会』がレア」
「なんだよ、そのレアって」
正美が呆れた声を出す。
「他にも『インディアカ同好会』とか」
「おまえ、適当に言ってないか?」
インディアカという競技自体を知らない二人が信用していない目線を送る。
「手でやるバトミントンみたいなやつだよ」
「ほんと〜?」
二人の上体が反らされた。
「競技がレアという他にも、期間限定でレアなものもあるよ」
「期間限定?」
「『フィギュアスキー同好会』なんか冬季限定」
「フィギュアスケートじゃなくて?!」
「たしかにそんな競技があるなら、夏に出来るのは基礎体力をあげるとかしかないだろうが…。」
二人は訝しげに弘志の顔を見た。相変わらず薄っぺらい笑顔が張り付けてあって、いまいち信用ができない。
「もっとレアなのは『オリンピック応援団』」
「は?」
二人の目が点になった。
「いまでこそ夏季と冬季と二年ごと開催だから、入団した全員が部活動に参加できるけど、前は開催年が同じだったから四年に一度しか活動できなかったという…」
「貴様、ホラを吹くのもいいかげんにしろよ」
「ほ、ホントだって!」
空楽に胸倉をつかまれて、弘志は慌てた声になった。
「信じられん」
「そのぐらいで驚いてちゃいけないぜ」
胸倉を掴まれたままチッチッチッと舌打ちをして立てた人差し指を左右に振る弘志。
「文化会系の『ハレー彗星鑑賞同好会』なんか…」
「あ、はじまるみたいだよ」
弘志のセリフを喰い気味で正美が口を挟むと正面にむき直した。
演台の上で小冊子に掲載された順に部活紹介が始められた。
判りやすいのは運動会系の部活である。野球部やサッカー部などは試合に出場するユニフォーム姿で登壇し、部長職の者が真ん中で「グラウンドで待っているぞ。一緒に甲子園(または花園など有名な競技場)へ行こう!」と怒鳴れば判ってしまう。難しいのは文化会系の部活だ。
ブラスバンド部などは短い曲をパッと演奏してくれて、長い説明会で脳が疲れてどんな説明を聞いても同じに聞こえる状態になっていた新入生に、楽器の音色は新鮮に感じられるし、合唱部などもアカペラで巷の流行曲を歌えばそれだけで勧誘になる。
そんな華やかな売りがない弱小部は、生徒会の書記らしい女先輩が演壇脇で、まるで入荷待ちの倉庫係のような事務的な口調で、この説明会に参加はしていないが化学部や生物部なども存在することを、リストを読み上げる程度で説明しただけだ。
大変だったのはそれからだ。
一通りの説明が終わると、一年生は教室へ戻るように素っ気ないアナウンスがあった、クラスごとにB棟へ戻ろうとする廊下を塞ぐように、各部活からの勧誘係が待ち受けていたのだ。
「野球部! 君も野球に青春をかけよう!」
「ラグビー部! 男ならラグビー!」
「青春といえば卓球だろう!」
「夏コミ受かりました! 参加したい人はマン研まで!」
「入り口はコチラ!」
まるで鰯の群れを襲う鮫のごとくの勢いで勧誘係の先輩たちは、新入生たちの列へ突入した。
「間に合ってます!」
「いいからいいから」
「えっと、オレは部活に入る気はありません」
「もう、別の部活に…」
「ウチは兼部可だから」
一年生たちが狭い廊下で先輩たちに、引っ張られたり押されたりの大騒ぎである。
「やはり、部活が多いと勧誘も激しくなるものだな」
そんな喧噪のまっただ中で空楽は感心したように腕を組んだ。
「なんか、今年は部員の集まらない部活や同好会を廃止するっていう噂だから」
またもや訳知り顔で弘志がこたえた。
「それでこの騒ぎなのか」
「いや、これ自体は毎年恒例のようだけど」
そういう三人には勧誘の声が一切かからない。空楽といい弘志といい、人との距離の取り方が巧妙で、こんな揉みくちゃの中でも平静を保てるポジションに位置していた。二人と着かず離れずにいる正美も、その恩恵に与っていた。
「あれも勧誘かな?」
見れば廊下の隅で天然パーマの先輩が後輩に声をかけていた。
「三ヶ月! いや奥さん二週間でいいからさ、我が新聞部に入部してよ! 今なら洗剤つけるからさ」
しばし沈黙した後、ふうと弘志は溜息をついた。
「でも、これじゃあいつまでたっても教室に辿り着けないな」
「どうする?」
正美がもう一人の顔を窺うようにして見た。空楽は用意していた考えを披露した。
「いったん講堂の方へ戻るか。外の非常階段なら楽に戻れるだろう」
「でも普段は使用禁止のはずだよ」
優等生らしい正美の答えに、イタズラを考えついた少女のような笑みで弘志が答えた。
「こんな人波、非常時じゃないわけないでしょ。これで将棋倒しとか起きたら、骨を折る人とかが出るかもしれないし」
たしかに弘志の言っていることにも一理あるような気がした。それに長い間すし詰めになっていて、正美自身が気持ち悪くなってきていたこともあり、首を縦に振ることにした。
三人は人波に逆らって講堂への渡り廊下に戻った。外は廊下と違って人気がなく、静かなほどだ。
「おやあ」
渡り廊下に明るい女性の声が響いた。意外にも大きな声だったので、三人とも首をすくめて振り返った。
見ると、彼らの担任である小池先生が、不審そうにこちらを見ていた。講堂の方向から歩いてきたところを見ると、説明会の片付けを手伝い終えて職員室に、一人戻るところのようだ。
「なんか講堂に忘れ物?」
「いやあ、忘れ物というわけではないんですが」
弘志がニコニコと人好きのする顔で小池先生に適当な言い訳を開始した。
「ほら、権藤くんがですね。あまりの人いきれで気分を害しまして…」
たしかに正美が気持ち悪くなったことは認めるが、それを弘志に告げてはいなかったので、ここは彼の口先三寸であろう。
「ほら」
「う。うをええ」
さっと艶気のあるウインクにうながされて、正美は上体を屈めると、自分の胸を掻きむしる演技をした。弘志がその三文芝居に付き合うように、正美の背中をさすってやった。
「ふーん」
あからさまに目を細めて値踏みするように、身長差で下からのはずが見下ろされている気分になってきた。
小池先生はじぃっと正美を観察し、空楽へ視線を移し、それから最初よりは興味を持ったような目で弘志を見た。
「あー」
さらに弘志が何か言いかけたその時、三人が抜け出してきた廊下の方からとんでもない大きさの怒鳴り声が響いてきた。
「ゴラア! 道を空けろって言ってンのが聞こえないのかぁ!」
そのドスの効いた声に小池先生は目を白黒させると、まだ学生気分が抜けていない微笑みを取り戻して口を開きなおした。
「ま、他の先生に見つからないようにね」
そのまま、もう三人には興味が無くなったとばかりに、渡り廊下を行こうとした。
「バレてーら」
「正美の演技力に期待だったんだけどなあ」
「ムリムリ。美術部だって言ってるじゃないか」
正美には演劇の経験など、小学校三年生の学芸会で演った「西遊記」ぐらいしか記憶にない。その時の役は、主役の孫悟空…、が金閣と戦うために放った分身の一人だった。
「そうそう」
行き過ぎようとしたところで先生の足が止まった。
「三人とも部活は決めたの?」
担任の質問に顔を見合わせる。
「僕は、もう、美術部に、入って、いますから」
いちおう息も絶え絶えという演技を続けながら正美は答えた。
「郷見くんと不破くんは?」
「まあ、そのうちに…」
空楽の曖昧なセリフに腰へ手を当てた小池先生が叱咤激励するように言った。
「不破くんは体を動かすのが得意そうだから、どこか運動部に入りなさい。なんだったら先生が紹介してあげるから」
「えー」
空楽は消極的に反抗の声を漏らした。
「どちらかというとインドア派なんですが、俺」
「どの口が言うのよ。筋肉ムキムキじゃない」
遠慮無く近づいてきて彼の上腕あたりを掴んだ。厚手の布地を通して目で判るほどのいい体格をしている彼である。たしかに「どの口が言う」といった感じだ。
「それとも体育館でやる競技がいいのかな? ウチだってバスケ部あるのよ」
先程の部活紹介にもバスケ部だけでなくバレー部だって登壇していた。
「いえ。心安らかにポール・ベルレーヌの詩集を愛でる、そんな部活が…」
「ヴェルレーヌ研究会ならあるわよ」
「うっ」と口ごもる空楽に小池先生は「でもヴェルレーヌでしょ。たぶん女の子だらけじゃないかしら」と小首を傾げた。
「よかったね空楽。ハーレムだって」
横から口を挟んだ弘志に、今度は小池先生は向き直った。
「で? 郷見くんは?」
「えーとですね…」
青い空を見上げながら弘志は一瞬も迷わず口を開いた。
「この晴れ渡る空の上より卑しい地上を見守られるるルルカンバ様が申されますには…」
「せっかくの青春時代なんだから、なにか部活に入らなきゃダメよ」
立て板に水の如くデタラメを並べ始めた弘志の言葉を聞いていたのか、それともいなかったのか、小池先生は命令口調で言った。
「で、なんでだ?」
「?」
突然の質問を発した空楽に二人が目を点にする。
「もう美術部に入っている正美はいいとして、俺とコイツが部活に入らなければならない理由がわからん」
「はぁ」
やっぱりという大袈裟な溜息を弘志がついた。
「午前の学活で先生が言ってたでしょ。生徒は特別な理由がない限り部活動に所属しなくちゃいけないって」
「そうだったか?」
「どーせ居眠りしていたんでしょ」
眉を顰めた小池先生に詰め寄られてタジタジと後退る空楽。
「ま、まあ先生」
間を取り持つように新しい微笑みを顔に張り付けて弘志が口を開いた。
「校則に明文化されているわけでもありませんし、強制されて部活を始めても長続きしなさそうですし」
「そう言われるとね」
小さく困った顔を見せた先生は、弘志を見てから数歩離れた。
「でも部活はやった方がいいからね。絶対よ」
そう捨て台詞を残すと、自身のこれからの予定を思いだしたのか、渡り廊下を行ってしまった。
「ふう」
気持ちを落ち着けるために正美は溜息をついた。
「基本的にはいい先生なんじゃないかな。ちょっと高圧的だったけど」
「そうかな」
捻くれた物言いは弘志だ。
「他の先生に、クラスの何人かが帰宅部だと指摘されるのが嫌なだけとも思えるけど」
「まあ、それもあるかもな」
詰められて背中に冷や汗を掻いたらしい空楽も素直になれないようだ。
「大学五年生気分なんじゃないか?」
たしかにまるで後輩に説教する先輩のようであった。
「それに変だよね」
正美が小首を傾げた。
「不破くんよりも、郷見くんの方をより見ていたような気がするけど」
「まあ」
弘志は両頬に手を当てると、ハートマークが散らばっているような声で言った。
「オレって美人さんだから、もてちゃうのね? 困っちゃう」
そのまま全身をクネクネと揺らしてシナのようなものを作る。
「やめんか」
その顔面に空楽の裏拳がツッコミとして炸裂した。
「まあ、近所じゃ奇人変人が集まることで有名な清隆学園だもの。先生に変人がいても不思議じゃないんじゃない?」
裏拳が命中した鼻先を押さえながら弘志が言った。
「おまえが言うんじゃない」
つい空楽と異口同音になってしまった正美なのであった。




