六月の出来事・④
遠くで誰かが泣いていた。
それで思考を放棄していたキモオタは我に返ることができた。
「い、いてえ」
突然バスが無茶苦茶に走り出したと思ったら、窓の外が火花で一杯になっていた。
どうやらガードレールに接触したらしいと認識する間もなく、キモオタの体は上下左右に揺さぶられ、ついでに誰かの肘が顎に食いこんだ。
お前が座ったのはバスの座席ではなくドラム式洗濯機の中だったんだ、とばかりに周囲が回転し、最後にドサリと投げ出された。
気がつくと全身をボコボコに殴られたような痛みに包まれていた。だが気絶することはできなかった。それを許さないとばかりに、彼の全身へ水がかけられていた。
「いてて」
最初は消防車による放水かと思ったが、窓の外が土砂降りだったことを思い出した。
まだお昼ご飯を食べる前だというのに真っ暗になった中で、キモオタは身を丸めて横たわっていた。あまりの衝撃に防衛本能がとった防御姿勢のようだ。
ただ右腕だけは伸ばされて、枕の代わりとなっていた。
暗闇に目が慣れてくると、横倒しになったバスの椅子が認識できた。
どうやらバスは右側を下に横転して止まったようだ。キモオタの体は座席から放り出され、正常時には窓になる車体右側の壁に横たわっているようだ。
「おーいて」
すぐ近くで人の気配が動いた。
首を回して上方を見ると、座席の手すりに引っかかるように肉の塊があった。あの太り具合と声質からして、先程まで横に座っていたはずのデブV3と判った。
「なにがおきたんだ?」
遠くからヒロの声もする。同じ班の仲間の声を聞いて、意外にこの事故は被害が少ないのではないかと思えた。
「みんなダイジョウブか?」
「う、うん」
デブV3が答えていた。
「ここにキモオタもいるよ。立てる?」
最後の一節はいつまでも横になっているキモオタに向けられた言葉だった。
「ひ、ひっぱってくれ」
全身の痛みもあったし、さらに腰や足、そして伸びた右腕に圧迫感がある。ちょうど横倒しになった座席と座席の間に、はまってしまったようなのだ。
「どうした?」
意外に近くからヒロの声がした。座席の厚み部分を踏んで渡って歩いてきたらしい。デブV3と一緒に覗き込んでくる。彼も特に怪我をした様子ではなかった。ただ朝にあった巨人軍のキャップは落としたのか被っていなかった。
「はまっちゃった、たすけて」
「しょうがねえなあ」
ヒロが左腕を掴んでくれた。ぐいっと乱暴者らしい唐突さで上体が引かれた。
「いたいいたいいたいいたい!」
「な、なんだ?」
キモオタの上げた悲鳴に驚いてヒロは手を緩めた。
反対側の窓を通過して降りかかる雨が弱まった。二人してキモオタの様子を観察しているようだ。
「右手が挟まってるよ、ココ」
デブV3が指摘するように、キモオタの右腕は割れた窓ガラスから車外へ出ており、枠であるピラーの下敷きになっていた。下生えの生えた地面との間はほとんど無い。
「ひっぱってぬけないか?」
キモオタを踏まないように注意して降りてきたヒロが、腕の前後方向へ引っ張って抜こうと試みた。
「いたいいたいいたい! むりだよ! いたい!」
座席間の狭さもありうまい具合に抜くことはできそうもなかった。これではキモオタをここから助け出すためには、ピラーを切断するか、車体ごと持ち上げないと無理ということになる。もう一つの可能性であるキモオタの腕自体の切断ということは思いつきもしなかった。
「なんか棒でこじったら曲がるんじゃね?」
ヒロがピラーを観察して言った。軽量化のため薄い鋼板を塑性加工してつくられるバスの車体ならば、テコの原理が使えれば可能かと思われた。
座席の間に挟まれたキモオタには判らなかったが、バスは森の中で横転しており、枝などを折ってくれば適当な棒の入手は比較的簡単と思われた。
「そうだね」
デブV3もヒロの思いつきに同意した。
その時だった。
ボンという大きな音がしたと思ったら、周囲がふいに明るくなった。
「?」
三人が訝しんでいると、どこか遠くから声がした。
「火事よ! みんな逃げて!」
その声の主には心当たりがあった。レミ先生だ。
「かじ?」
最初は意味が判らずぼんやりと辺りを二人は見まわした。その目が車体後部で止まった。
横倒しになった車内に、素人目でも危険を感じられる大きさの火が上がっていた。車体最後部に存在するエンジンルームからの出火であった。
普通の火災ならいま降り注いでいる豪雨に消されたのかもしれない。だが燃えているのは水では消火困難な燃料油火災であった。
横転したまま今だ踏まれたアクセルペダルの命ずるままに全力運転を続けていたディーゼルエンジンの潤滑油に火が点いたのだ。その火は潤滑油とエンジンのあちこちに使用されているゴム製品などの可燃物を燃やした。
いまの小規模の爆発は、エンジンへ軽油を送り込む燃料ポンプへその火が回ったために起きたのだ。
爆発した燃料ポンプは周囲に軽油と火をまき散らした。それらが重力の命ずるままに放物線を描いて落下し、一部が車内に侵入したのだ。
もちろん日本の基準で作られた内装は防炎用品で占められていたが、高熱を与えられれば燃えないわけではない。
そして車内には他にも燃える物があった。
「ぎゃあああ」
ヒロとデブV3の視界で、顔を血だらけにした女子生徒の服が燃えていた。
小学生が作った出来の悪い外輪船のような勢いで両手を振り回しているが逃げだそうとしない。どうやら見えないどこかに、転落の衝撃で重傷を負っているようだ。
「ひいいい」
デブV3が男とは思えないような裏返った悲鳴をあげる。その間に女子生徒の髪の毛へ火は燃え移り、人体の肉に含まれる燐分の反応だろうか緑色をした炎の中に人影が消えていった。
だが黒いマネキンのように中心部は炎の中で見え続けており、相変わらず両腕はプロペラのように回し続けているのだった。
「ヤバいぞ」
赤い炎の中へ緑色の炎が沈むのを見届けてからヒロが我に返った。
気がつけば周囲が赤くなっていた。濡れている立木は燃えにくい物だが、軽油をかけられた上に高熱で炙られればその限りではなかった。
「はやくしろ!」
キモオタの腕へもう一度手をかけたヒロが、まるで抜けないのが彼の意思であるかのように怒鳴りつけた。
「いたいいたい」
キモオタの視界にも火が映ったのだろう、泣きながらも痛がる声は小さくなっていた。
「わわわ」
腰の抜けた声を出していたデブV3は、せまる炎を見て鈍重な体を翻した。
「あ! てめ!」
咄嗟にその尻に左手をかけてヒロがとめた。
「見捨てるのか?」
頬肉をタプタプと醜く揺らしてデブV3が振り返った。いつもとは違う目で睨んでいるヒロと目があった。
「あつくなってきた!」
足元でキモオタが泣き声を上げた。
二人で見下ろすと、狭い空間に押し込まれたような姿勢のままキモオタが見上げてきて、三人の視線が絡まった。
「ご、ごめん!」
両手を振り回してデブV3はヒロの左手を振り解くと、座席をよじ登っていった。普段の気弱で鈍重な姿からは想像できないような敏捷さであった。
「うらぎりもの!」
その背中に怒鳴っておいて、ヒロはキモオタに向き直った。
「てがちぎれても、もんくいいっこなしだぜ」
そう言いしなヒロはキモオタの右肩を、背中方向へ蹴った。
「ぎゃっ」
もう言葉で苦痛への抗議が出るレベルではなかった。ヒロはキモオタの様子には構わず蹴りを何度も続けた。
回数が十回に届くかというときに蹴るのを止め、キモオタの挟まっているあたりを観察してみた。
下敷きになっているピラーから少し肘が見えるようになっていた。強引な方法であるが、どうやら効果は少しずつあるようだ。
「よし」
成果が見えてヒロがやる気のある声をあげた。
二次爆発が起きたのは、もう一度蹴りの体勢を取ろうとして体を起こした時だった。
燃料管を伝って伸びていた火炎が、とうとう燃料タンクへ到達したのだ。
爆風と爆炎に煽られて、ヒロの体は周囲の座席へ何度も打ちつけられた。同時に雨でびしょ濡れだった背中に火が点いていた。
「があああ」
爆発のショックで意識を失いかけたが、背中の火傷の痛みがそれを許さなかった。
何とか消そうと、今度は自分から周囲へ体当たりをし、バンバンと体を叩きまくった。幸い火はすぐに消えてくれた。
「ぎぎぎぎ」
そうやって自分のことにかまけていると、まるで歯ぎしりのような音が足元から聞こえてきた。
「?」
音に気がついて見下ろすと、丸まった姿勢のままキモオタの服に火が点いていた。
「キモオタ」
恐る恐る呼びかけると、焼けて肌を血の色にした顔がこちらを向いた。
「キミハ、ボクヲ、ミステナイヨネ」
それは同じ人間と思えない声だった。
「…」
ヒロは絶句し、もう一度周囲を見た。
車内も、森も、座席も、キモオタも、みんな燃えていた。
火が風に煽られてヒロの頬をなぶった。
「…」
「ミステナイデ」
一瞬見せた逃げ腰に、焼けて肌のアチコチが捲り上がり始めている腕をのばしてきた。
その必死にすがる顔は、すでに人間の物というより、別の何かのようだった。
「わああ」
意外に情けない悲鳴が出た。
「ミステ…、ナイデ」
ジーンズの裾を掴まれ、半ばパニックを起こしてそれを振り払おうとした。が、普段から想像もつかないほどの握力で握られているらしく、裾を掴まれた方の足は満足に動かすことができなかった。
「や、やめろ!」
彼の体に点いた火が自分にも燃え移ってくる気がして、反対の足でキモオタの手を蹴った。しかしそれでも彼の手は離れなかった。
いまにも自分のジーンズが燃え出す気がしたヒロは、相手の腰にある物に気がついた。
その凶悪な物体は、いまもソコに鞘へ収まっていた。
ヒロは手を伸ばしてソレを取り上げると、ソレで彼の手の甲を叩いた。
「ギャ」
小さな鮮血が上がり、鳥のような悲鳴を上げてキモオタが手を引っ込めた。
自由を得たヒロは一動作で座席と座席の間から体を抜いた。そこで強い熱を感じてバス後部を振り返った。
焚き火の中で枯れ木が燃えているように、黒い節ばった棒状の物が揺らめいていた。その棒は決まって先端が五本に枝分かれしていた。
それが一本や二本ではなかった。
緑や碧の燐光をまとったそれらは間違いなく木の枝ではなかった。
それらはまだ空中にある何かを掴み取ろうとしているかのように、五本に分かれた先を歪めていた。
「オイテ、イカナイデクレヨウ」
すぐ近くで誰かの声がした。
その情景はまるで地獄の業火で焼かれる罪人が、天界に赦しを請うているかのようだった。
(あれにつかまったら、オレもつれていかれる)
彼のことを追いかけてくるわけではないのだが、それらが迫ってくる白昼夢にも似た感覚を持ったヒロは、体のもてる限りの瞬発力をつかって、バスの車内をよじ登った。
二、三度ほど炎に炙られて髪の毛は焦げ、熱くなった鉄材に掌も火傷を負ったが、なんとか横倒しになった車体から体を抜いた。
あとは地面に降りて距離を取れば安全である。そう思われた時にまた小爆発があって、濃い煙で視界が遮られた。
車内は完全に火の海である。破けた窓からも炎が獣の舌のように顔を覗かせていた。
焼けた車体で靴底が嫌な音を立てて溶け始めたのが判った。
煙を吸わないように自分の肩口で顔を庇ったが、熱いのと不快な臭いとで息が詰まってきた。
視界が悪いせいで地面の様子が判らないが、怪我を覚悟して飛びおりなければ、彼自身もここで焼け死ぬ可能性が出てきた。
「てい!」
そこは無鉄砲な少年らしく、身を丸めながら即実行にうつした。
さいわい彼が飛びおりたところには岩も尖った木の枝など怪我の原因になりそうなものは一切転がっておらず、少々脚の関節に衝撃を感じさせた程度で着地できた。
「やれやれだぜ」
まだ窮地を脱したわけではないが、火炎地獄から抜け出たことに安堵し、顔を上げた。
振り返るとすぐそこで炎が見上げるように噴き上がっていた。
「?」
ヒロは自分の右手が掴んでいる物体にいま気がついた。
それは朝にキモオタが自慢していた戦闘用ナイフであった。
「キモオタ…」
ぐっと指に力を込めてナイフの刃を見た。
銀色に輝くそこは、まるで鏡のように今脱出してきた火炎を映していた。
「…」
確かにそこに消えた友人に何事か呟くと、ヒロは他に生存者がいないか顔を上げて探し始めた。
バスが燃えているせいで周囲の様子がよく判った。
落ちてきた方向にはコンクリートで覆われたノリ面が、まるで城塞のように存在感を発していた。他の三方は見通しがきかない程度に密集した森であるようだ。
落下の途中で数本の木が巻き込まれて折れていたり燃えていたりするが、まるでベールのように被さっている蔓植物のせいで、空の様子はまったく判らなかった。
生えている木も大木といえるほどの太さはなく、いいところ家で間柱に使われる程度の細い物でしかなかった。
下生えは結構深くて体格の良いヒロの膝ほどまであったが、地面自体は比較的平らであった。
そこに木立以外の影が見えた。
ポッコリとした丸さで顔を見なくても誰だかすぐにわかった。先にキモオタを見捨てて逃げ出したデブV3だ。
「やろう」
一言、いやたくさん文句を言って、さらに三発ぐらい殴ってやろうと足を踏み出した。
二人の間を塞ぐように丸太が転がっていた。邪魔なそれに登って怒鳴りつけてやろうとした。
とたんに滑って尻餅をついてしまった。
丸太と思ったのは誰かの焼死体だった。まるで倒木のように焼けた肌は肉から剥がれて浮いており、その下にある脂肪が彼の足を滑らせたのだ。
ズルリと皮の剥けた背中にはサーモンピンクの肉が顔を出し、そこに走る緑色をした毛細血管が枝別れして走っている様子までもが見て取れた。
「おえっ」
奥歯で喉の奥から上がってきたモノを噛みつぶし、もうその誰かを視界に入れないようにして跨ぎ越した。
事件後、車体の下にあったため焼け残ったキモオタの右腕だけ、家族の元に帰ることが出来た。
森の少し離れた場所に、わずかながら広場があった。
申し合わせたわけではないのだが、事故の生存者たちはそこに集まり始めていた。
動ける者は自分の足やってきて、そうでない者は誰かに運ばれてきた。
「サトミさんも大丈夫?」
疲れた様子で腰をおろした委員長に、レミ先生が声をかけた。
先程までの豪雨ならば火事を消す役割を果たせるが、皮肉にも小振りになってきた雨の中で、彼女は奮闘していた。
一人一人と集まってくる生徒たちに無傷な者などいなかった。なんとか広場まで辿り着くと、そこで倒れてしまう者ばかりだ。みんなバスが燃え上がった事による火傷がほとんどだ。
レミ先生は、バスが道から飛び出した段階で窓から遠心力で放り出されたので、火傷はしていなかった。ただ谷底に生えていた木々に体をしたたか打ちつけていたので、あちこちに打撲傷ができているぐらいだ。
生徒たちの様子を見て、手当を試みようとした。だが医薬品の全くない状態では出来ることなどほとんど無かった。
みんな重傷者であり、下生えを踏みつけてなんとか作ったスペースに寝かせることしかできなかった。
「はあ」
いつも気丈な態度の委員長という仮面は剥がれて、年相応の不安げな顔で彼女を見上げた。
彼女はバスが燃え上がる直前に脱出していたので、少々コゲただけのようであった。
「レミ先生、血が…」
恐る恐る委員長がレミ先生の額に手をのばした。そこにはバス転落時に負った裂傷があった。出血はすでに止まっているが、さすがに触れられたら痛いので上体を反らして避けてしまった。
「あ…」
それが拒絶されたように感じられて、彼女の顔が絶望に染まった。
「だ、だいじょうぶよ」
無理に笑顔をつくって取りなす。裂傷だけでなく転落の途中で木の枝か何かで撲った腹や頭も内部で悲鳴のような痛みを訴えていたが、指導者として弱みをみせるわけにはいかなかった。
ただ額の裂傷のせいか右瞼がオモリを乗せたように重く感じられ、開くことはかなわなかった。
「ヒロくん?」
藪が揺れたと思ったら、服のアチコチを焦がしたヒロが現れた。少し屈んでぎこちない動きなのは誰かを背負っているからだ。
「サトミもぶじだったか」
幼なじみの顔を見て、委員長の顔に少しだけ光のようなものが浮かんだ。その顔がすぐにぎこちなく硬直した。
「ひとり、ひろってきた」
乱暴者の彼らしくなく、背負った者への気遣いを感じさせる動作でしゃがみ込んだ。
「あ、ありがと…」
ヒロの背中から下生えに下ろされたのはヒッキーであった。気弱な彼女らしく見下ろしてくるレミ先生や同級生などの視線から逃れるように背中を丸めてみせた。
彼女は比較的無傷のように見えたが、下ろされた場所で横座りしたまま足首をしきりに撫でていた。どうやらそこいら辺を痛めて歩けないようだ。
「ほかは?」
「見ての通り」
地面に寝かされている重傷者は委員長の取り巻きのトモエと、その仲間であるらしかった。
髪の長い娘や、お洒落な服を着ていた娘など、出発時にはみんな年相応の姿をしていたはずだが、いまは誰もが焼けこげ擦り切れ、血を滲ませて呻き声を上げていた。
まるで咆哮を上げる地を這う別の生き物のようになった彼女らの間を、まだ歩けるレミ先生と、気を取りなおした委員長が行ったり来たりしていた。
委員長は自分の水筒を持ち出すことに成功しており、そこから火傷の酷い重傷者たちに飲み物を分けていた。
「デブV3は?」
いつもクラスで見せる才媛といった様子を取り戻し、気丈に手当を続ける委員長にたずねた。
「…」
毛先がいくらか焦げた頭を横に振って答えが返ってきた。
森の中でとっちめようとして見失い、かわりに足をケガして動けないヒッキーを拾うことになったのだ。
あのままバスに戻っていなければ、五体満足でこの森をさまよっているはずである。
そう思っていると、ヒロがやってきた方向とは反対の藪が動いて、丸い影が現れた。
「おめぇ」
その見慣れた丸みはやはりデブV3であった。
「うらぎりものめっ!」
地面に横たわる数人を跨ぎ越して、ヒロはデブV3に詰め寄った。逃げようときびすを返しかけた胸倉を掴むとギリギリと締め上げて顔を覗き込んだ。
「キモオタをみすてやがって!」
鼻息荒く怒鳴りつけた。本人も同じ負い目を感じているのか、なるべく彼の顔から逃れるようにそっぽを向いた。
「やめなさい!」
レミ先生が教育者として止めに入ろうとした。
「うっせ」
ドンと平手で担任を突き飛ばし、そのまま殴ろうとその腕を振り上げた。
「やめてっ!」
委員長が声を上げた。普段から考えられないようなヒステリー声にヒロの動きが止まった。
「まま! まま!」
突然、寝かされていたトモエが叫び始めた。一同がギョッとして時を止めた中、委員長が水筒を持って近寄った。
トモエは小雨になった空へ両腕をのばした。
「まま! まま!」
そこに母親がいて、幼子がしがみつくように指がねじ曲げられた。
「トモエ」
そっと差し出された水筒には見向きもしないで、トモエは叫び続けた。
「ワタシ、ヨイコニシテイルカラネ! ワタシ、ヨイコデショ! まま! まま!」
そのままパタリと両腕が落とされた。レミ先生が駆けつけて空を見開いた目のままで睨み付ける彼女の喉元に指を当てた。
雨粒が降り注いでいるのに瞬きをやめた瞼をそっと閉じてやった。
「きみも」
みんながトモエに気を取られている間に、広場へ集められた怪我人を見て取ったらしいデブV3が震える声で言った。
「きみも見捨てたんだろ」
「ぐ」
「きみもキモオタを見捨てたんだろ!」
いつものいじめられっ子とは思えない力強い怒鳴り声に、ヒロが少々たじろいだ。
「おんなじじゃないか! キモオタを見捨てたから逃げて来れたんだろ!」
「こんの」
ヒロはデブV3を黙らせようと拳を振り回した。遠慮無しに相手の頬や鼻柱へ食いこませた。
「やめて!」
委員長と、普段は喋ることすらしないヒッキーが悲鳴のような声をあげた。
その非難する声の中、亀のように地面に丸まってしまったデブV3を足蹴にしてやっと心のバランスがとれたのか、ヒロの暴力が止んだ。
デブV3はその体勢のまま、声を押し殺して泣いていた。ヒロから加えられた暴力に抗議するというより、後悔の泣き声だった。
「もういいから」
レミ先生がトモエだった物に両手を合わせてから二人を振り返った。
「キモオタくんが助けられなかったとしても、それはあなたたちの責任じゃないんだから」
その言葉を聞いた途端にデブV3は、声を上げて泣き始めた。




