四月の出来事・①
「お〜っ。早速だが週末の合宿ホームルームに向けて、班分けを行なってもらうぞ」
一年三組の教壇で、この春に大学から新卒採用されて張り切っている、担任教諭の小池敬子が大声を上げていた。
春色のVネックセーターが似合う小柄な女性だが、威勢だけは良かった。
しかし数日前に入学式をすませたばかりの高等部新一年三組の教室で席についている生徒は、誰も耳を傾けていなかった。
「あ〜っ芳子、新しいピアスして来た」
「うっぜー。まじ、このパターンかよ」
「どこで買ったの? それ」
「俺の原チャにさ」
「じゃーんけんどんがらった、じゃすとんぴーなつカレーライス!」
教室は新生活への期待からか私語が飛び交い、席を立ち上がって歩きまわっている生徒もいる。まるで学級崩壊直前の小学生たちのようだ。
(こいつら、何しに進学して来たんだ?)
とりあえず出席名簿順に座ることになった窓際の席で、銀縁眼鏡をかけた優等生然とした権藤正美はそう考えていた。
彼は中等部での成績から、無試験でここに座る権利を得た。もちろんただの成績では同じ学園でも無試験とはいかない。清隆学園のレベルでそれを達成するには並々ならぬ努力が必要であった。もちろん彼自身が生来持つ優秀な頭脳に加え、品行方正を心がけてきた素行の良さのおかげである。
「班は中等部から上がって来た『進学組』と、他の中学から入学して来た『受験組』がてきとうに混じるよう組んでもらう。そこ! え〜と藤井! 寝るな!」
「先生。俺、寝てないけど」
机に突っ伏している男子の前の席から言い返されて、小池先生は教壇に張り付けた席順表を確認した。
「不破! 不破空楽!」
教室の中の視線が一人に集中した。
喧噪の種類が変化するほど教室中から注目されているというのに、髪に寝癖をつけた彼は、机に突っ伏したままであった。
夜遅くまで予習復習をしていたのであろうか、それとも高校受験から解放されたことで夜遊びでも憶えてしまったのだろうか。まったく起きる気配はなかった。
小池先生は黒板に素早く振り返ると、チョーク箱へ手を突っ込んだ。そして振り向きざまに、おそらく彼女の人生始めてのチョーク投げを敢行した。
「む」
その殺気を感じた取ったのか、上体を起こした空楽は飛んで来たチョークを、なんと空中で左手の人差し指と中指で挟みとめた。
「私の投げたチョークを受け止めるとは、なかなかやるな」
「すっげ〜、マンガみて〜」
「不破くんすご〜い」
空楽は席を立ち上がり、クラス中の大喚声に答えるように手をあげた。
身長はクラス平均よりは高めで、肩幅はすでにがっしりとしており、制服のブレザーに隠された肉体は、適度に鍛えられているであろう事を想像させた。
顔の方もなかなかの男前であった。男らしい眉に切れ長の眼を持ち、綺麗に通った鼻筋など、知らない者が見たらどこかの芸能事務所に所属している男性モデルと勘違いするかもしれなかった。
ただ体中から眠たげなオーラのような物が発散されていて、全体的な印象をまとめると「寝ぼけた美少年」といったところだろうか。
せっかくの鋭いはずであろう眼も少し充血しており、表情も今ひとつはっきりとしていない。
真面目な顔をしてシャッキリしていれば、彼に対するクラスの女子人気は高いものを維持できるだろう。
「ふっ」
ちょっとかっこづけた彼は、それがさも当たり前のように言った。
「石見直系第二〇代忍術使いの実力思い知ったか」
「調子に乗らない」
いつの間にか歩み寄っていた小池先生に、バシッと出席簿ではたかれてしまう。
「先生の話し聴いていたの?」
「班を作るとか」
居眠りをしていたと思っていたが、どうやらちゃんと聴いていたらしい。
だがそれにはカラクリがあった。
驚きの顔になる小池先生の背後で、実は別の男子が席から立ち上がって、妖しいブロックサインを空楽に送っていたのだ。
「じゃあ、ちゃんと聴いていたらしい不破くんに、今度は先生が訊きましょう。班分けの何か妙案はないかしら」
再び妖しげなブロックサインが出され、空楽の視線がそちらに移った。
「クジびきで…」
彼の目の動きを見ていた小池先生は、背後の気配に振り返った。
ブロックサインを出していた男子は、それを予測していたのか、席にちゃんと戻っていた。そればかりか首だけで振り返っていて「オレ、見てただけだもんね」という顔までしていた。
小池先生は空楽の意見を聞こうと振り返り、その勢いを殺さずに反時計回りで体を一回転させて後ろへ向き直った。
再びブロックサインを出そう席を立ち上がりかけていた男子は、まさか担任がそんなことまでするとは考えていなかったのか、中腰の状態で凍り付いた。
「郷見弘志くん、なにをやっているの」
「やだなあセンセ。同じ姿勢で座っているとエコノミークラス症候群になるんですよ。その予防にはストレッチが効果的なんです」
名前を呼ばれたその生徒は「あはは」とばかりに笑顔でごまかした。その顔に罪悪感のかけらもない。
茶色がちな髪の毛は中途半端にシャギーをかけた少女のような短い髪型で、アーモンド型の綺麗な瞳や、まるでつついてもらいたいと主張しているかのような柔らかそうな頬などが相俟って、男子用制服を着ていなければ女子に間違えそうだ。
「先生。俺はクジ引きで決めたら良いかと思うんですが」
空楽は少し大きめの声を上げて小池先生の気を引いた。
「そうね。クジにしましょう」
彼女に睨まれていた弘志は助かったよとばかりに空楽へウインクした。
(あいつらとは同級生とはいえ関わりたくないな)
その様子を一部始終見ていた正美は正直にそう思った。
生徒の自主性を重んじる教育方針というより、細かく考えることがめんどくさくなっていたのか、班分けは本当にクジ引きでおこなわれることになった。
そのクジ引きにおいて、まさかその二人と同じ班になるとは、人生とは判らないものであった。
「えっ、じゃあ全く知らなかったの?」
一つの班は男女別に三人ずつで組まれることになっていた。これは宿泊予定の山梨県にあるという清隆学園の合宿所の、一部屋あたりの収容人数が関係していた。
そのクジで決められた三人組の中で、それぞれ代表として班長を今日中に決めるようにという小池先生のお達しにより、教室の中には机を突きあわせて出来た島が、いくつも出来ていた。
「全然」
反対側に座る弘志は、屈託のない笑顔を机越しに正美へ向けた。
「あのブロックサインは見事だった」
正美の横の席で空楽は腕組みなんかしてうなずいていた。
クラスメイトとはいえ、まだ顔をあわせて日が浅い間柄なので改めて確認したところ、二人はまったく別の中学校からの受験組ということが判明したのだ。その割には、まるで旧知の親友のような連携のとれたブロックサインであった。
「てっきり同じ中学だったのかと思った」
「せっかく同じクラスになった縁だし」
机に両肘をつき、手の平に頬を包み込むように乗せて微笑む弘志と話していると、彼の声が少年にしては高音ということもあり、まるで女の子と話しているような錯覚を憶えた。
「いちおう、もう一回自己紹介しておくね」
正美は前置きをしてから、新学期が始まってすぐの学活において自らが行った自己紹介を繰り返すことにした。
「僕は権藤正美。清隆学園中等部からの進学組だよ。ええと特に趣味と言えるのは、鉄道模型をちょっとと、読書と映画かな」
「どくしょ?」
制服を崩さずにキチンと身につけ、顔には銀縁眼鏡の彼が真面目な顔でそういうと、なぜか純文学とか「お堅い」ものを読んでいるような気がした。
「オレは郷見弘志」
それで終わりとばかりに弘志は口をつぐんだ。自己紹介にしては短すぎだ。一人称が「オレ」なのは、女顔にコンプレックスがあるためと正美は推理した。
「それだけ?」
いちおう確認してみた。
「オレも本読むの好きだよ。特にトーマス・ミジリーが偉業として当時の人に認められた数々の発明品が引き起こした色々な顛末を記した本なんて好みに合うね」
「とーます?」
「みじりー? 誰それ?」
二人のもっともな質問に、まるで好きな男子に告白を決意した少女のような微笑みを浮かべた弘志は、もし彼が異性ならば惚れてしまったであろうウインクを二人に飛ばした。
「アメリカの化学者。さっき言った本は、図書館の十進分類法で五一九のあたりで探して」
「そんなの、どのあたりか判らないよ」
どちらかというと九一三の、しかも文庫の棚にしか行かない正美には理解できない説明だった。
「ほほう」
誰だってそんな説明では理解できないであろうと思っていたら、隣で腕組みを解かない空楽には判ったようだ。
どうでもいい話であるが、読書好きの銀縁眼鏡である正美は、普通の高校生男子と比べたら見劣りする体格しかしていない。その隣でスポーツマン体型の空楽に腕を組まれると、彼の身体からオーラのような迫力を感じ取ってしまう。もちろんそれは正美の心情的な物で、実際はそのようなことはないはずであるが。
「ちなみに俺も本は好きだぞ」
空楽は微動だにせずに言った。
「とくに最近のラノベなんかは大好きだ」
「なんだ」
正美は、空楽が「十進分類法を憶えていた」という驚きよりも「その体格でライトノベル好きをカミングアウト」という驚きで、ずり落ちた眼鏡を人差し指で戻して安心した。
「僕もそうだよ」
空楽は首だけを正美に向けた。
「まさか、お前も『ただの人間には興味が無い』とか言い出す口か?」
「あれはいいアニメだったね。でも僕は原作派だな」
「なにそれ?」
キョトンとして聞きかえしてくる弘志に、二人は椅子ごと仰け反った。
「まさか…」
「アレを知らない人間がいるとは…」
「は?」
弘志はわざわざ手を外して、少女が自分の我が儘を通すときによくやるように両方の頬を膨らませてみせた。
「世の中で全知全能は神さまだけらしいよ。だから、オレが知らないことがあってもいいの」
「でも、けっこう映画化されたりして、ラノベ文化の代表みたいな扱いだったりしたからさ…」
正美は、一瞬相手が同性ということを忘れてドギマギしてしまった。そのくらい弘志の拗ねた表情は女の子っぽかった。
「う〜ん」
どう説明しようか悩むような顔をして腕を組んだ弘志は、それがまるで恋の告白のような歯切れの悪さで言葉を紡いだ。
「中学の時は長期入院とかして、世間との関わりが少なかったんだよね。だから新聞に載った大事件なんかは何とか判るんだけど、そういった話題はあまり得意じゃないんだ」
「どこか身体悪いの?」
相手の体が心配になって正美は訊いた。
弘志はいっけん健康そうな艶をしている肌ではあるが、その白さはまるで少女のようであった。その理由が何かしらの病気によるものかもしれない。ただ病的な白さというより色素が少ないという感じではあるのだが。
班長としてだけでなくこれから一年間同じ教室で過ごす仲としては知っておかなければならなかった。
「いまはもう治って健康そのものだよ。ちゃんと朝には立派に起立するもの」
…。
いっけん清純派ヒロインのような美少女顔で言ってほしくない種類の言葉であった。
眩暈さえ感じて正美は眼鏡を押さえた。
「うむ。起立は大事だな」
なぜか腕組みをしたまま何度もうなずいて同意する空楽。そして不安そうに正美を振り返った。
「まさか、しないのか?」
「いや、するけどさあ」
正美の肯定を聞いて、弘志が小さく握った拳を口元に当てて少女っぽく微笑んだ。この口から先程のセリフが出たなんて、ちょっと消し去りたい記憶の一つになりそうだった。
「正美はさぁ」
気軽に下の名前で話しかけながら弘志はニッコリと再び微笑んだ。
「鉄道模型って言ってたけど、N? HO? まさか一番ゲージとか言わないでしょ」
「NだよN。日本の普通の家庭で走る一番ゲージってなんだよ」
「いや、もしかして豪邸住まいかもしれないと思って」
「普通の家だよ!」
「うーんとそれで走る一番ゲージなら…。デハ七○形とか? しかもピューゲルで」
「一八メートル車じゃないか」
「それは一畑電鉄でしょ。在京のマニアなら世田谷線じゃないの?」
勝ち誇った顔をされてしまった。鉄道マニアとして勝負をしていたわけではないが、正美がショボンとしてしまうと、元気づけるように弘志は微笑みを強めて言葉を変えた。
「オレも鉄道模型好きだよ。ただ鉱山軌道とかのナローがメインだけど」
「そっか。いつかゲージを統一して遊びたいね」
「でもNとナローじゃ…」
「そっかぁ…」
部外者には判らないだろうが、Nとナローの間には海よりも深い川が流れているのだ。そういうものだと理解していただきたい。
二人は期せずして腕を組んで天井を見上げて考え込んだ。しばらくして弘志が妥協点を見いだして人差し指を立てた。
「…。Bトレとか?」
「をを」
正美が感動して手を差し出すと、迷うことなく握手を交わした。弘志の手はその容姿に似て柔らかく、同じ高校生男子とは思えないほどのきめ細かな肌の触りごこちはよかった。ただ、正美には見慣れない変色や白い傷跡があちこちに多くついているのが不思議なことであった。
「そういえばさ」
思いついて正美。
「往復運転なら普通の家でも一番ゲージ可能かも」
「その手があった」
ポンと手をうつ弘志。その明るくなった表情が、ちょっと変化してクスクスと笑い出した。
「寝ちゃったみたいだよ」
横へ振り返ると、空楽は腕を組んで背筋を伸ばして話しを聞く体勢のまま、その双眸を閉じていた。どうやら二人の鉄道模型談義について来られなかったらしい。
「不破くん」
正美が揺すっても起きやしなかった。
「しかたがないなあ」
とても口調は残念そうに、でも態度は嬉々として、弘志は自分のペンケースから油性マジックを取りだした。
「イタズラ書きをしようとするなら、怒るぞ」
インクの臭いで気配を感じ取ったのか、先程から微動だに崩さないポーズのまま、目だけを開いて空楽が言った。
「あ、ちぇ」
ちっとも残念そうな様子を隠そうともしない弘志もいい性格している。凄みの出た鋭い視線で睨まれても、弘志はドコ吹く風といった態度であった。
「キャップを開けただけで察するなんて、伊賀忍者直系というのは本当みたいだね」
「は?」
正美は再びずれた眼鏡を直した。
「不破くんは伊賀忍者なの?」
「そう言ってたじゃない」
空楽が答える前に、まるで馬鹿にするような口調で弘志が言った。
「さっき先生のチョークを指で受け止めたときにさ」
正美の記憶では『石見直系第二〇代忍術使い』だったはずである。
「忍者で石見っていう単語が出てくるのは、だいたい石見守のことでしょ?」
正美には教えるように、同時に空楽には確認するように、弘志が言葉を紡いだ。
「石見守って代々の服部半蔵の官名だよね。服部半蔵は伊賀流だけど、本当の直系の人は『不破』とは名乗っていなかったと思うけど?」
「うむ。ただうちの親父が酔って語ったところによるとだな。我が家系は代々江戸城西門を守護する旗本として暮らし、維新では慶喜について寛永寺から水戸へ移り住んだらしい」
「あれ?」
ひょこっと首を捻った弘志が、その美しい眉を寄せた。
「服部半蔵家って、維新の遙か前に浪人して、いまの三重県に移ったんじゃなかったっけ?」
「不破くんのお父さん自体は何の職業をしているの?」
それが答えになるとばかりに正美が訊いた。
「世を忍ぶ仮の姿であるところのサラリーマンだが」
…。
「まさか年齢が十万四十路に入ったとか言わないだろうね」
弘志のツッコミに、少々驚いた顔になった空楽は答えた。
「なんで知っているんだ?」
「いや、なんとなく」
どうやら空楽の父親は、酔うと大きな事を言う人物らしい。それに乗せられて石見直系を自称してしまう空楽も、純粋と言うか、単純というか、馬鹿と言うか。まあ、そんな少年らしい。
「で? 合宿ホームルームとはなんぞや?」
今更ながらの空楽の質問に、正美はのけぞって絶句した。その隣で弘志が楽しげなクスクス笑いをしてみせる。
「その様子だと、寝ていて説明を聞いていなかったね、空楽」
全くその通りだと言わんばかりにうなずく空楽に、正美は説明してあげることにした。
「清隆学園ではねえ中等部から毎年一回、山梨県にある、合宿所に学年ごとに一泊するんだ」
「なんだ。修学旅行みたいなものか」
「いやいや」
残念そうに正美は首を横に振った。彼は中等部からの進学組なので昨年までの経験があった。
「泊まりがけでやることと言っても、一日中ホームルームを開いて、学級委員を決めたり、酷いときなんか遅れている授業の補習が行われたりもするんだ」
「げえ」
わざわざ舌を出してみせる弘志。苦い物を口に入れた様なその表情は、容姿に似合わないことに程がない。
「もちろん学校行事だからゲーム類の持ち込みも禁止」
「ゲームというと、ゲーム▽ォッチやネオジオ○ケット、ワンダー▼ワンとかか?」
「ヴァーチャル●ーイも?」
二人の会話に、正美は人差し指をおでこに当てて訊いた。
「なぜメジャーな名前が出ないの?」
その時、三人へ均等に出席簿チョップが落とされた。
「いつつ」
「あたた」
「ててて」
仲良く脳天を押さえてチョップが飛んできた方向を振り返ると、呆れた顔の小池先生が、肩の高さに差し上げた出席簿を横に振っていた。
「お三人方。仲が好いのはよろしいんですが、他の班はもう班長決まっちゃって、あとは君たちしか残っていないんだけど」
そう指摘されて教室内を見まわしてみれば、他のクラスメイトの姿はすでに無かった。
「あや」
弘志がいま気がついたとばかりに後ろ頭を掻いた。
「では、公平に決めよう」
空楽は腕を解くと、その筋肉質な右腕を突き出した。そのしっかりとした腕でアームレスリングでも挑んできそうな雰囲気である。
それに怯えたように正美は口を開いた。
「ええと、体力勝負じゃ僕が不利だし…」
「なにを言っておる。ジャンケンだ」
それで結局、腕力勝負と同じ結果が出たりする。




