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清隆学園の一学期  作者: 池田 和美
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五月の出来事・⑥

 弘志と由美子の二人は、列車の一番前に向かって走っていた。

 確認するまでもないが、列車というのは、どこかの駅に到着するまでは巨大な密室である。

 おとなしく隠れている方が安全だが、すでに二人は襲撃者に発見されてしまっていた。

 ここは逆に列車の端まで駆け抜けて、襲撃者を一端に集めた方が得策だと弘志が判断した。

「それで百人ぐらい出てきたらどうすんだよ」

 由美子は冷静に訊いた。

「相手が一人でも百人でも、二百人でも同じさ。この狭い通路で闘うなら、前後で挟まれない限り一度に全員で襲いかかることはできない」

 弘志は一番先頭の車両への自動ドアを作動させた。

 先程の男を由美子の必殺の一撃で倒してから、二人は襲撃者に出会っていなかった。

 少し気を緩ませて狭い通路を駆け抜け、出入口デッキを抜けて今度は階段を上に行き、両側に客室の並ぶ二階を進んだ。

 利用されていない客室は扉が開かれたままとなるが、左右どちらの部屋も塞がっている部屋はなかった。

 まさかとは思うが、この特急の全席が相手側によって押さえられているのかもしれなかった。そうだとしたら相手がどれだけ用意周到の罠を張っていたのか末恐ろしくなった。

 向こう側の階段を下って車端部へ。ここにも自動ドアが設けられ、その向こうは乗務員室である。

 他の編成と連結したときなどは通路として利用されるが、普段は乗務のために施錠されているはずだった。

「どお?」

 少し息を切らせた弘志。由美子は息が整わず、書類ケースを抱いたまま答えることができなかった。走り詰めであるのが原因だが、いつ襲われるか判らないという緊張が疲労を上乗せしていた。

 弘志は背負ったままのディパックからペットボトルを取りだした。

 空港から駅まで自転車で移動する途中で、自販機にて買い求めたスポーツドリンクである。

 福岡空港を離陸してからそれまで二人は何も口にしていなかった。

 その時に由美子は自分の分を一息で飲み干してしまっていたが、弘志は半分飲んで残して自分のディパックに放りこんでいたのだ。

 一瞬の間だけ、彼女の頭を「間接キス」という言葉がよぎったが、渇いた喉が誘惑に負けた。

「ありがと」

 あえぐように礼を言い、ペットボトルに残った半分を喉に流し込んだ。

 空になったペットボトルを弘志は受け取り、ディパックに戻した。

 ゴミはゴミ箱に、リサイクル出来る物はリサイクルに。科学者でもある彼は地球に優しい行動を常としていた。もしかしたら何かの化学薬品の入れ物に使用するつもりなのかもしれないが…

 と、それを待っていたかのように脇の客室の扉が音らしい音を立てずに開いていった。

 弘志が顔をそちらに向けると、季節的にはもう遅いトレンチコートを着た男が人好きしそうな笑顔で立っていた。由美子も薄い気配を察して振り返ると、黒い革の手袋をした両手を二人に開いて見せて、つばが広めの帽子の下で微笑みを強くしてみせた。

「もう終わりにしませんか」

 丁寧な言葉で二人に語りかけてきた。物腰は柔らかいものだったが、纏っている雰囲気は襲撃者の男たちと同じ物だった。

「おわりって?」

 弘志はさりげなく由美子の前に立って訊いた。口調の端に話しが判りませんというニュアンスをこめてみた。

 もちろん演技だ。

「私はそのケースの中身が欲しい。それさえ頂ければ君たちにこれ以上危害が加えられることは無いでしょう」

「保証は?」

 一瞬で演技をあきらめた弘志が男に訊いた。わざと先程奪ったスタンガンを胸の前に構え、スイッチを入れてバチバチと電気火花の音を立てて威嚇してみた。

 それを見て男はキザに肩をすくめて難しそうな顔をした。

「ないですね。ではこれでどうでしょうか?」

 ゆっくりと男が懐から銀色に輝く物を取りだした。

「これから君たちに撃ち込まれる弾丸を無しにしてあげます」

「コルトポケットのステンレススチール三八口径。人殺しには充分威力があるし、こういう狭い場所でも使いやすい」

 男は自分の拳銃を分析した弘志に感心したような顔をみせた。

「よく勉強しているようですね。私としましても穏便に事を処理したいのですが」

「飛行機に細工しておいて、穏便?」

 由美子が弘志の後ろから尖った声をあげた。男は銃口を少しも揺らさずに肩をすくめてみせた。

「あれで君たちが素直に掴まって下さいましたら、ひとつも傷をつけずに市内の病院に搬送させて頂く予定でした。不時着のショックで気絶なされたという名目でね。それがまさか燃料漏れの機体の横で、あんなカンシャク玉を鳴らすとは思ってもみませんでした」

「いちおう安全距離は確認したつもりだけどね」

 弘志はぬけぬけと言った。後ろからの由美子の視線が痛かった。

「どうです? 私も君たちもやっかいな仕事から解放される。双方にとって良い提案だと思いますが?」

「やってみないと判らないと思うけど」

 弘志はニヤリと嗤ってみせた。



 熱い塊は空楽の胸に弾けた。

 それが石つぶて程度だったように受け止めた彼は、拳銃を発射した男に向かって、大上段から木刀で撲ちかかった。

 狙いは違わずに、木刀は男が手にした拳銃を叩き落とし、振りきった状態から切り返して、切っ先を男の喉へ突き込んだ。

 命中の直前に数ミリだけそらして、気道と血管の間を突く。まともに命中させたら相手の命へ危険が及ぶ可能性があるからだ。

 その一撃だけで白い泡を噴いて仰向けに倒れた男へ被さるように、撃たれた空楽もうつぶせに倒れた。

「不破くん!」

 真っ青になって硬直した正美の横から、恵美子が飛び出した。

 恵美子が空楽の身体をひっくりかえす。柿色のシャツの左胸には焦げた穴が確かに開いていた。

「ふわくん!」

 花子が次に我を取り戻し、通路に立ちすくんでいて邪魔な正美を突き飛ばし、恵美子の反対側から彼へ駆け寄って座り、あわてて空楽のシャツのボタンを外しはじめる。

(傷の具合はどうだろうか? もし重傷ならば…)

 最悪の想像で頭をいっぱいにしながら花子の手が第三ボタンにかかった。

 その白い手首を空楽は左手で握った。

「大丈夫だ」

 意外にしっかりとした声の空楽。呆然とする三人に、上体を起こしてから自分の右手をシャツの内側に差し入れた。

 そこから一本のナイフが出てくる。忍者が使う『苦無クナイ』というやつだ。柳葉状の刃に長めの握り。柄は輪になっており工具としても使えるように工夫されていた。

 その輪の根本に、いまは赤銅色の円盤みたいな金属片が食い込んでいた。

 それは拳銃弾が着弾の衝撃で変形したものだった。

 男の放った銃弾が、空楽が左胸に忍ばせていたクナイに命中していたのだ。

 拳銃弾は鉛や銅といった柔らかい金属でできていることが多いので、クナイの柄のような固い物に当たると、そこでストップして変形して止まる事が多いのだ。

「うつら、おまえさ…」

 通路に立ちすくむ正美が言った。

「『荒野の一ドル銀貨』じゃないんだからさ。もしそこに当たらなかったらどうしたわけ?」

「当たったんじゃない」

 かぶりを振って空楽。

「ここに当てたんだ。銃口が向いている先を予想して、体を動かしたんだ」

「よかった」

 座った状態からさらにヘナヘナと腰から砕ける恵美子。花子は半べそで空楽の首根っこに抱きついた。

 予想外の反応に空楽は照れて正美を見上げた。

「で、『荒野の一ドル銀貨』って何?」

 ハインラインは知っていてもジュリアノ・ジェンマを知らない空楽であった。

「まあ、そういう西部劇があったんだよ」

「西部劇ねぇ」

 自分の胸元で泣き始めてしまった花子を、おっかなびっくり恵美子に預け、空楽は立ち上がった。

「まあ、空楽のことだから、胸に酒瓶でも仕込んであるかと思ったけど。実際にやられるとビックリするよ」

 正美は自分のザックから、泡を噴いて気絶している男を縛るためにロープを一巻き取りだした。

「そんなもったいない事をするか」

 言い返して空楽は撃たれた方とは逆の右の胸ポケットからウイスキーフラスコを取りだして、キャップを片手で開いて一口中身を含んだ。



 弘志は手にしたスタンガンを予備動作なしで、手首のスナップをきかせて男の顔に投げつけた。

 手を離れると安全装置が働いて電気ショックが発生しないようになっている。だが目つぶしには充分のはずだ。

 しかし男は予想していたのか、左手で顔面を庇いつつ、二回引き金を絞った。

 テレビドラマで響くより間抜けな乾いた音が二回、狭い通路に響いた。

 その射撃がなされる前に、弘志は由美子のウエストに再び腕をまわすと、後ろの乗務員室扉に手を当てた。

 幸か不幸か扉のセンサーが反応し、扉は自動で開いた。開けた向こうの空間へ由美子ごと倒れ込んだ。

 弾丸は乗務員室扉のガラスに命中し、ソレは完全に砕けた。その破片のシャワーから由美子を守るために、弘志は上に被さった。

「無駄なことを」

 男は嘲るような調子を声にこめて照準を調整した。

 銃口を向けると、弘志の右手にも何物か握られて、男に向けられていた。

 男は訓練された動きで室内へ戻り、弘志の握る物の射線から逃れた。

 由美子に被さったまま弘志の右腕だけが男を追った。

 乾いた発射音がした。二人を狙うために差し出された男の拳銃を握る右手の指先に痛みを感じ、握力が抜けてそれを通路に取り落としてしまった。

 床に拳銃と、直径六ミリの白い球が転がる。弘志が握っていたのは、スミス&ウェットソン社のコンバットマグナムを模したエアーソフトガンだったのだ。

 オモチャとはいえ眼球に当たれば失明の可能性だってあった。

 弘志は男に拳銃を拾われないように、男のいる部屋にめがけて引き金を絞り続けた。白い弾は壁だけでなく床や天井に跳弾して男を襲った。

 男は左腕全体で顔を庇い、部屋からのばした右手の先で自分の拳銃を探した。弘志はガラスの散らばる床から跳ね起きて、男の拳銃を蹴り飛ばした。

 なれない武器を拾っても使い切れないかもしれないし、また暴発して自分が怪我をしてもつまらないと判断したのだ。

 男は弘志が近づいたのを半ば勘で感じ取り、その場で部屋から出てきしなに足払いを放った。

 拳銃に意識がいっていた弘志はその動きに対応できなかった。男の伸ばした足に自分の両足を払われる格好となり、背中から床に転ぶ形になった。

 ゴチンと後頭部を通路の床へ派手にぶつけた音が響いた。

「郷見!」

 車端部で乗務用デッキから由美子が呼びかけたが、弘志はうめき声すらあげなかった。

 男は揺れる特急の通路に立ちふさがった。弘志が気絶の演技をしているかもしれないと、気をつけながら跨ぎ越してきた。

「その書類ケースをよこしなさい」

「いやよ」

 由美子も車体の揺れに体をあわせて立ち上がった。男の手が伸びてきて書類ケースを掴まれた。

 二人は一つの書類ケースをつかみ合って、もみ合いとなった。

 力で勝る男は、まず書類ケースごと由美子を壁に叩きつけた。勢いで彼女の足が両方とも床から浮いたほどだ。

 衝撃で息が詰まった。

 しかし決死の形相の由美子は書類ケースを離さずに、そのまま男を睨み返した。

 男はその反抗する瞳に表情を悪くし、今度は書類ケースを両手で引っ張った。由美子は体から離さないように喰らいついたままだ。

 男のコートの裾が、壁のなにかに引っかかった。腕力だけでそれを振り払った。

 その行動が思わぬ事態を引き起こした。二人の横に突然大きな空間が発生したのだ。

 男のコートが引っかかっていた物は、乗務用扉のドアレバーだったのだ。

 編成全部が自動ドアの電車とはいえ、車掌が駅での扉開閉や安全確認のため使用する乗務用扉だけは手動開閉である。普段ならば乗務員が走行中に閉鎖を確認し、必要ならば施錠もされた。

 しかしこの列車の乗務員は男の一味に襲われ、いまは制服を奪われて縛られて別の乗務員室に転がされていた。

 外から直接聞こえるようになったため、急に大きくなった走行音に二人はギョっとしたが、男の方が早く我を取り戻した。

 由美子を再度壁に叩きつけた。由美子はやはり書類ケースを離さなかった。

「痛いじゃないの!」

 由美子は顔をしかめて感情を爆発させた。

 飛行機の不時着からずっと彼女は防戦する一方だった。

 そんな態度は本来、彼女の得意とするものではなかった。

 なんで慌てて逃げなければならない?

 なんで武器で脅されなければならない?

 なんで黙って痛めつけられなければならない?

「いいかげんにしろよぉ!」

 ちょっと女の子にしては柄の悪い言葉を吐きながら、彼女は全身を使って書類ケースごと男に体当たりをかました。

 まさか彼女から反撃がくることを予想していなかった男は、バランスを崩した。

 男には運が悪いことに、そこは開いた乗務員扉のそばだった。

「うわあ」

 意外に情けない悲鳴をあげて、男の体が電車の外に転げ落ちた。

 しかし男の両手はしっかりと、由美子が抱える書類ケースを両側から掴んでいた。

 男の体重がかかって、由美子も一緒に列車の外に引っ張られた。夜の暗さの中で流れる線路の枕木が目に飛び込んできた。悪魔の誘惑のように反動と重力がそこへ彼女を誘った。

 もちろん走行中の特急から落下したら、ただでは済まないはずだ。よくて入院、悪くすれば死だ。

 その体を、誰かが後ろから抱きとめた。

 いつの間にかに気絶から目を覚ました弘志である。

 いまや男の体は車体の外にあった。両手で掴む書類ケースだけが彼を転落から防いでいた。

 由美子は男の体重に両手が伸び、かろうじて書類ケースの取っ手を掴んでいた。男の体重と、特急の速度で発生する風の力を支えるのは、彼女と彼女の後ろから抱きついた弘志である。

 全員が決死の顔になっていた。

 男のコートの向こうは恐ろしい勢いで流れていく線路だけである。

 その時、特急の前方から鋭いホーンの音が鳴り響いた。

 夜の暗さに慣れた目が悲鳴を上げる。突然、三人を謎の光源が照らし出したのだ。

 対向する線路を別の列車がやってきたのだ。あと数秒で三人とも二つの列車に挟まれてしまうのが容易に想像できた。もちろん三人が無事で済むような空間は残されない。すれ違う列車で紅葉おろしにされてしまうのは間違いなかった。

「姐さん…」

 迷いもなく弘志は、回収していた男の拳銃を、由美子の体を支える右手とは反対の手で構えた。

「目を閉じて」

「ばかあ!」

 弘志をののしりつつ由美子は両目を閉じた。顔の近くで火薬の破裂する音がし、それと同時に瞼を閉じていても閃光が瞳に飛び込んできた。途端に悲鳴を上げていた腕が軽くなった。

 引っ張られていた反動で、二人は折り重なって乗務員室に転がった。

 由美子はおそるおそる眼を開いた。

 目の前で開いたままの扉の外を、貨物列車が高速で音を立てて通り過ぎて行くところだった。

 貨物列車は意外なほど短い時間ですれ違った。

 開いたままの扉を恐る恐る覗くと、変わらない勢いで流れる線路だけがあった。

 ふと手元を見おろせば、彼女が両手で掴んでいた書類ケースは、取っ手だけになっていた。


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