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清隆学園の一学期  作者: 池田 和美
13/29

五月の出来事・⑤

 特急は線路の繋ぎ目を通過するカタンカタンというリズムの良い音を響かせていた。その他に力行する時の力強いモーター音に、元空気溜めの空気圧を保つために作動するコンプレッサー、金属同士がこすれる連結器の音。車内だけではない、たまに窓を赤く染める踏切の警報機音がドップラー効果の尾を引き、回送電車らしき物が、まれにすれ違ったりもした。

 だがそれらも慣れてしまえば睡眠の障害になるほどではなかった。

 先程まで何事か騒いでいた若い客たちも、いまは寝たのか車内は静けさに包まれた。

 そんな車内を男が一人で歩いていた。

 身につけている制服から、この特急の乗務員だろう。おそらく防犯のための巡回だ。

 深夜ということもあるのか通路には誰も人影が無かった。

 見回りも終了なのだろうか、最後尾から無人の通路を通って乗務員室のある車両に至る。この特急では普通の電車と同じように最後尾にある車掌室にも人員が乗務しているが、各編成の中間にあたる五号車と一二号車にもサービス向上のため乗務員室が設けられていた。

 と、その扉を行き過ぎて、のびのび座席と名付けられた二段重ねのカーペット床の方へ足を向けた。

 なにか異常を発見したのだろうか? いや、そうではない。ゆっくりと制服の下から黒い長めの棒を取り出したではないか。

 それは由美子たちを名古屋空港で襲った男たちが使っていたものと同じ、棍棒状のスタンガンであった。

 乗務員は、いや乗務員に化けた襲撃者は、まず向かって右側上のカーペットで丸くなっている毛布を確認するために、数段ある階段に足をかけて、スタンガンを持っていない左手をのばした。

「?」

 男の動作が凍り付いた。

 その態勢のまま自分の左足を見おろす。

 いつの間にか下段のカーペット床の方から腕がのびて、彼の足を掴んでいた。

 ゆっくりとそのまま腕の持ち主が現れた。

「やめておけ」

 本気の貌になった空楽が男を睨み上げる。しかし男は不適にもニヤリと嗤ってこたえた。

 言葉を発せずに、男は手にしたスタンガンを空楽に向けて振り下ろした。

 空楽はカーペットから通路へ転がり落ちてそれをかわしつつ、手にしていた男の左足を引っ張った。床で一回転しながら男を離すと、立ち上がって間合いを取るために飛びすさった。

 片足だけ引っ張られた形の男は、それでもバランスを崩すことなく通路へ飛びおりた。

「しぃっ」

 気迫を込めた静かな声でスタンガンを空楽に向けて振るう。逆に空楽は前に出て、スタンガンを握る男の右手首を下から掴んだ。

 その状態のまま二人は力比べになった。空楽の体格は高校生としては普通よりがっしりしたタイプだったが、相手は成人男性である。しかも格闘技か何かで鍛えているらしく空楽を凌力で上回り、空楽を通路側の窓に押しつけた。

 開いている左肘で顔面を狙ってきた攻撃を、空楽は右の平手で受け止めた。

 両腕で力比べになったまま、体を入れ替えるようにして、通路を列車の最後尾方向へ、空楽は男を押し出した。

「不破くん!」

 残りの毛布から五人が顔を出した。正美と弘志、花子と由美子は同じ毛布にくるまっていたのだ。

「ここはまかせろ」

 男の腹に蹴りを入れてお互いの体を離して間合いを取りなおしてから、空楽はシャツの背中から一振りの木刀を抜きはなった。

 一瞬、相手がその武器に目を移したのを確認しつつ、上段のカーペットから降りてきた恵美子へ放った。恵美子はひとつうなずくと、赤樫でできたソレを空中でキャッチした。

 視線の移動を敵の隙と見た空楽は男に組み付いた。

 再び組み合った二人をそのままにして、恵美子は四人を振り返った。

「いまのうちよ」

 自分の毛布の中にへたりこんでしまった花子以外の三人は、すぐに反応をして、恵美子を先頭にして通路を列車の進行方向に向かって走り出した。

 この特急は車両同士の連結面に自動ドアが設けられている。センサーに手をかざすと同時に二枚のドアが互い違いに開く仕組みだ。

 車両を渡った箇所にはトイレと洗面台のコーナーが設置されている。いまそこに人影が立っていた。

 スーツ姿のサラリーマン風の男だが、その手にも棍棒状のスタンガンが握られていた。先程の襲撃者と同じ物だ。

 恵美子は青眼に、空楽から渡された木刀を構えた。

 その隙のない構えに、相手の男も慎重にスタンガンを構えた。

 恵美子の後ろにいた正美は、自分のザックから小さなコテのような三角形をした金属製の物を取りだした。

 油絵で使用するペインティングナイフである。大きさがちょうど手裏剣ぐらいだったので、こんなこともあろうかと持ってきていたのだ。

 正美は相手が避けることを見越して、男の顔面に向かってそれを投げつけた。

 目の前に迫る凶器に対して男は、首を傾げながらスタンガンでそれを空中から叩き落とした。

 その隙を見逃す恵美子ではなかった。

「きぃえええぃ」

 まるで怪鳥のような声をあげつつ手にした木刀で、スタンガンを握る相手の掌を狙った。

 骨がつぶれるグシャという音がし、握力がなくなった男の手からスタンガンが通路の床へカランと落ちた。

 男はスタンガンを拾おうとはせずに、手刀の形にした両手を胸の前に構えた。

 どうやら何かの拳法のようだ。

 男が拾おうとしたら、その隙に木刀を撲ち込もうとした恵美子の思惑は外れてしまった。

 恵美子は男の眉間に木刀の切っ先を向けた。

 肉体の戦いというものは、拳法の習熟度や武器の有利不利のそれではない。基本的には精神的に優位に立った者が勝利を得る。恵美子は自分が剣道都大会クラスの自分の技量を信じていたし、守らなければいけない友人が後ろにいた。

 守らなければいけない物がある女は、精神的に強くなるものだ。

 恵美子は狭い列車の通路内での戦闘を、頭でなく体で理解していた。木刀でリーチが有利でも、それを自由に振り回すスペースは無い。大人が真正面を向いて立つだけで塞がるような狭小空間なのだ。大振りで胴を撲つなんかはもってのほかである。一撃で狙えるのはただ一点のはずだ。

「いえいっ!」

 恵美子は平青眼の構えから、男の喉元に向かって突きを繰り出した。

 しかし、それを予想していた男の右手がその切っ先を横に払い、逆にあいた左手で、恵美子へ目つぶしを狙った平手突きを繰り出した。

 その反撃に、両手で木刀を握っていた恵美子はその攻撃に対応ができなかった。

「らあっ!」

 ちょっと気合いの入らない叫び声をあげて、後ろから正美が体当たりをしてきた。恵美子と相手の男と三人が絡まって通路に転倒した。

「姐さん!」

 その隙をついて弘志は、まだ隣の車両空間にいた由美子の書類ケースを持つ手を引いて走り出した。もつれあう三人を飛び越えて、向こうの車両へ。ついでに男が再び手にしないように、足先で引っかけるようにしてスタンガンを後ろに蹴り飛ばした。

 弘志がそれを狙ったかどうか判らないが、スタンガンは自動で閉まり始めたドアの向こうに消えた。

 これで恵美子の戦いも大分有利になったはずだ。

 出入口のデッキを越えると通路は上下二方向の階段に行き会う。サンライズエクスプレスは十四両編成中の十両が二階建て車両なのだ。

 階段の手前で、由美子の手を引いて走っていた弘志の動きが止まった。

 ちょっと背伸びをすれば二階の床の高さに視線が走り、車両の反対側まで見通すことができる。その限られた視界に前方からこちらに向かってくる人影を確認したのだ。

 もしかしたら一般の乗客かもしれない。だが、いまは最悪の事態を想定して行動すべきだった。

 弘志は、遅れて足を運んでいたため自分の背中にぶつかってきた由美子のウエストに腕を巻き付けると、細い腕からは考えられないような力で彼女を抱え上げ、階段を下ってすぐの空いていた客室のベッドに飛び込んだ。

 飛び込みながら伸ばした足先で通路とベッドを仕切る扉を閉め、なにか言いかける由美子の口を右手の掌で塞いだ。

 静かな足音が近づいてきた。

 列車の走行音の中でもはっきりとそれが聞き取れた。

 二人は緊張してそれが行き過ぎるのを待った。

 足音は扉の前で止まった。

 二人の体が静かに強ばった。



 空楽は最初の襲撃者と、ふたたび力比べになっていた。

 彼の右手は相手の左拳を掴んでいたし、左手は再びスタンガンを握る相手の右手首を掴んでいた。

 時間とともに持久力の差が出てくる。そこは高校生と成人男性の違いとして仕方がないところであった。

 空楽の右手側には動きはまったくないが、左手がゆっくりと押し下げられてきた。

 相手のスタンガンの先が、ジリジリと空楽の顔面に近づいていた。

 それを握る男はこの格闘での勝利を確信したのか、歯を剥き出しにして嗤った。

 その表情を見て空楽の頭に血がのぼりカッとなった。

 いつもは本と居眠り、そしてアルコールを愛する物静かな少年だが、いまは体内のアルコールも切れていたし、不寝番のせいで寝不足だった。

「ごらあっ!」

 自分でもよくわからない叫び声を上げて、空楽は上半身を捻ってスタンガンの先端をかわすと、その歯を剥きだした相手の顔面に頭突きを繰り出した。

 突然の反撃に男は怯んだ。その隙に前蹴りを相手の腹にし、その反動で突き放して再び間合いを開く。鼻血を噴いた男は、自分の出血にはかまわずにスタンガンを握りなおした。

 棍棒状のそれを改めて見て、空楽は背中に手を伸ばした。いつもならばそこに木刀を隠し持っている。手が空振りしてから、それを恵美子に貸したことを思い出した。

 勝利を確信した貌を改めて取り戻した男は、あいている左手で鼻血を拭ってから、一歩踏み出して右手に握った武器を振り回した。

 電流火花が皮膚を焦がす嫌な臭いと、電気衝撃が全身の神経をバラバラにしていくような放電音が車内に響き渡った。目の前で白目を剥いて床に倒れていく襲撃者を、空楽は不思議そうに見送った。

 敵はまったく受け身を取らずにそこへ伸びてしまった。

「?」

 空楽の疑問はすぐに解決した。

 何者かによる来襲を予見して空楽自身が先程までひそんでいた下段カーペット床への入り口から、襲撃者が持っていた物と同じスタンガンが差し出されていた。

「ハナちゃん…」

「わ、わたし…」

 男を昏倒させてしまったことに驚いた花子は、それが何かの汚物であったかのように、両手に握っていたそれを床に投げ捨てた。

 引きつった顔のまま、両手を自分の口元に引き寄せた彼女に、空楽は訊いた。

「どうしたんだ」

「あ、あっちから転がってきたから」

 列車の進行方向を震える指で示す。二人は知らなかったが、そのスタンガンは恵美子と闘う男が床に落とし、弘志が拾われないように蹴り飛ばした物だった。

 音を立てて転がってきたソレを確認した花子は、二人が格闘している隙に場所を移動し、チャンスがあったら空楽に加勢できるように息を殺して待っていたのだ。

「わ、わたし…」

 ガクガクと全身を震わせる花子。いつもの白磁のような肌が、いまは精神的過負荷を迎えてか青い色になっていた。

 思うのと実行するのでは大きな違いがあった。

 その場に気絶しそうな彼女を、倒れる寸前に空楽は抱きとめた。

「ありがとう」

 足腰が立たなくなった彼女の耳元に、そっと感謝の言葉を囁いた。



 前方から迫ってきた足音は、ベッドに隠れた弘志と由美子の近くでしなくなった。

 つまりそこに立ち止まっているということである。

 実際に止まった時間は一秒ほどだったが、二人にはそれが十分にも二十分にも感じた。

 足音はふたたび列車後部に向けて歩き出した。

 二人は「ほおっ」と同時にため息をついて、お互いの顔を見た。

 二人の顔はベットの上で鼻が触れる程の距離で向き合っていた。

 改めて互いの態勢を確認すれば、ベッドに由美子が弘志に押し倒されているような形で重なっていた。

 由美子の両手は、書類ケースを掲げたようにして頭の向こうに行っており、弘志の右手は先程のまま由美子の口を覆っていた

「ん?」

 弘志の左手が由美子が着ているパイル地のラガーマンシャツ越しに、テンピュールマクラよりも明らかに弾力と張りのある、ひとつのふくらみを包み込むように握っていた。

 それが何か自覚しないまま二、三度指を開け閉めしてしまう。

 シャツの生地の下にある物のレースの刺繍まで、指先の触感でわかった。

 暴れて彼を振り払おうにも弘志の右膝が彼女の両股を割って入っており、完全に由美子に密着していた。

 二人の時間が強制的に停止した。

 つき合わしている由美子の顔が段々と真っ赤に染まってきた。

「…ぁ…」

 弘志がなにか言おうとした。

「もがあ!」

 口を塞がれたままで由美子は悲鳴を上げ、両手を弘志の頭に振り下ろした。


 ゴイ〜ン。


 書類ケースが差し上げられていたのは幸か不幸か…

「あいてぇ」

 弘志は頭を抱えてベッドから転げ落ちた。痛さにたまらず頭を抱えたまま床に尻をついたまま上体を起こした。

 その視界に二本の棒状の物が入った。一瞬なんだか理解できなかったが、すぐに何者かの脚であることに気がついた。

 見上げるといつの間にか通路と室内を仕切る扉が開いており、スタンガンをかまえスーツを着込んだ男が立って見おろしていた。

 弘志が気がついたときには、それが勢いよく振り下ろされた。

「危ない!」

 その電気火花を散らす棍棒を、床を転がってかわした弘志に、由美子の声が届いた。

 第二撃を覚悟しつつベッドに掴まって立ち上がると、男の首が変な風に捻れていた。

 硬い音を立てて由美子が手にしていたはずの書類ケースが床に落ちた。

 その音を聞いて、由美子がそれを襲撃者に向けて問答無用に投げつけたことが判った。

 男に不運だったのは、書類ケースの硬い角がこめかみに命中していたことだ。

 弘志は慎重に立ち上がり、相手を観察してみた。

 完全に白目をむいている。ためしに男を人差し指で突っついてみた。

 グラリと体がゆれ、直立した形のまま床に倒れていった。

 弘志は男の右手を踏みつぶし、そこからスタンガンをもぎ取った。



 恵美子は背後に正美をかばって闘っていた。

 情けない話しだが、男とはいえどちらかといえば頭脳労働向きの正美には、この場合に出番はなさそうだった。

 恵美子は清隆学園剣道部エースの意地で、空楽から借りた木刀を使い襲撃者と対峙していた。

 男は武器を取り落としてから、素手で恵美子の剣術に対抗していた。

 いくら恵美子が鋭い太刀筋で撲ちかかっても、まるでそこには痛みを感じる神経が通っていないかのように、平然と交差させた下腕部で受けてみせた。

 それどころか手刀で突きを繰り出して反撃してくるのだから始末におえなかった。

 一回など恵美子を狙って外れた男の一撃が、通路に設置されているアルミニュウム製の手すりにあたりグニャリと曲げたほどだった。素手のはずなのに恐ろしい破壊力である。

(このままでは負けてしまう)

 恵美子は背中に嫌な汗をかき始めていた。

「コジロー!」

 背後から女の子の声がした。コジローとは恵美子の呼び名だ。彼女は振り返られないが、正美が確認してくれた。

「空楽! ハナちゃん!」

 最初の襲撃者を片づけた二人が加勢にやってきてくれたのだ。

 男は敵が増えたことにあきらめたのか、背中を丸めた拳法の構えを解き、ゆっくりと背筋をのばした。

 その隙に空楽は恵美子から木刀を取り戻し、四人の最前列に立った。

「ここはまかせろ」

 三人を下がらせて空楽。列車の通路という空間の制約がなければ四対一で圧倒的有利な状況だが、ここの幅は人間がすれ違うことがやっとという場所である。

 空楽は木刀の切っ先をずいっと後ろに差し出した。八双の構えというやつだ。

 男は冷静に懐へ左手を入れ、そこから黒い塊を取りだした。

 銃器に詳しい弘志ならばそれがレミントン社のダブルデリンジャーという拳銃であることが一目で判ったであろう。二発しか入らないが携帯性に優れた火器である。

 勝ち誇った顔になった男は、ゆっくりとハンマーを親指でコッキングした。

 そのまま男は無言で銃口を微かに横へ振った。おとなしく武器を捨てろという意味だろう。

 しかし空楽は逆に不敵に笑った。

「撃ちたければ間違いなく俺の心臓を撃ち抜け。でないと死ぬのは貴様だ」

 後ろの三人ははっきりと息を呑んだ。空楽が三人を守るため、本気で言っていることが判ったからだ。

 しかし男のほうは、空楽のその台詞を聞いても、そんな勇気がこの若者には無いと判断した。

 空楽をさらに脅すように非情な微笑みを返した。

 しかし、空楽は迷わなかった。

「じぇいっ!」

 気迫の声とともに木刀が空楽の後ろから頭の上を通して、最大限の威力で振り切られた。

 男は瞬時もためらわずに引き金を絞った。


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