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清隆学園の一学期  作者: 池田 和美
12/29

五月の出来事・④

 名古屋空港は官民共同使用の空港である。民間では中部国際空港ができたため国内線の発着数は減ったが県営名古屋空港と呼ばれ、官では航空自衛隊小牧基地と呼ばれていた。

 その夜の闇に沈んでいた滑走路が騒がしくなった。

 赤い回転灯を光らせた緊急車両が、待機していたそれぞれの建物からサイレンのうなり声を上げて走り始めた。

 救急車や化学消防車が滑走路の端を目指して最短距離を疾走した。

 燃料系にトラブルをおこした小型機が緊急着陸を連絡してきたのだ。

 普段の名古屋空港ならば、一ヶ月前から予約していないと小型機の着陸は拒否されるが、事故ならば仕方なかった。

 赤い回転灯が集まった反対側に、滑走路からの誘導灯の明かりに照らされて小型機が現れたのは一分も経っていなかった。きれいに機首を持ち上げてファイナルアプローチに入る。ただしいつも聞こえてくるはずのエンジン音はまったくしなかった。

 燃料が漏れてしまってガス欠によりエンジンが全て止まってしまったのだ。そのためグライダーのように滑空してきているのだ。エンジン停止のためジェネレーターも発電できないために、着陸灯や衝突防止灯などの明かりも消えていた。

 静かにビジネスジェットの主脚がタッチダウンした。

 まもなく首脚も丁寧に下ろされる。普通ならば約時速二○○キロで脚を滑走路につけた機体は、エンジンの逆噴射とタイヤへのブレーキによって制動がかけられるが、エンジンが動かない今回は、タイヤの油圧ブレーキだけが頼りだ。それも急激にかけるとブレーキから高熱が出て発火の危険があるため、ゆっくりと何回にも分けてかけられた。

 まるで大型機のように、滑走路一杯に距離を使って小型機は減速を成し遂げた。

 惰性のまま緊急車両が待つ場所にやってきた。

 無事に停止する直前、待っていた緊急車両は最後の距離を改めてサイレンを鳴らして詰め、包囲すると同時に消火管を延ばすため防火服を着た男たちが降車した。

 燃料漏れに対して化学消化剤でできた泡を周囲に敷き詰めて二次災害を防がなければならないのだ。

 完全停止した途端、ビジネスジェットのハッチが手動で開かれ、残った油圧でタラップが地面に着いた。

 機内からまず弘志が三段あるタラップに足もつけずに飛び降りた。背中にはいつものディパックを背負っていた。

 続いて書類ケースを抱えた由美子も飛び降りてきた。

 周囲をざっと見回した弘志は落ちてきた由美子の身体をなんとか受け止めた。

「こちらに!」

 声をかけられたので振り返ると、近くに止まった救急車の横に青みがかった白衣を着た救急隊員が立っており、手招きをしていた。

 爆発火災の危険が全く無いわけではないので、二人はそちらに駆け寄った。

 その背後でやっと操縦室の二人が降りてきた。

 救急車は後部ハッチがすでに開けられていた。車内照明が暗い滑走路へ降りた二人には眩しかった。

「もう安全ですよ」

 マスクで顔の半分を隠した隊員は、目元を緩ませた様子で二人を出迎えた。

 彼が由美子に近づいた瞬間に、弘志は違和感を感じ取った。その隊員の右手には黒い棒状の物が握られていたのだ。

「姐さん!」

 由美子の左手をひっぱり、彼女めがけて振り下ろされたそれをかわした。

 耳障りの悪い、電気がショートするような音がした。

 その男が握っているのは棍棒状のスタンガンだった。その電気ショックは瞬間的にン万ボルトまで高まり、触れた者はそのショックで身体の自由を奪われてしまう非致死性の武器である。

 空振りした男は、その姿勢から今度は下から二人に向かってスタンガンを振り上げた。

 由美子を背後にかばった弘志は、ディパックごしに背中で彼女を押しつつ下がってその攻撃もかわした。

「眼を閉じろ!」

 警告の声をあげながら、弘志はデニムのポケットから乾電池のようなものを取りだした。

 外側は乾電池だが、中身をくりぬいて黒色火薬と、酸化鉄とアルミニュウムの粉末とが詰めてあった。放課後の化学部で弘志が内職して作りためている危ないオモチャである。

 弘志の手から上空に離れた途端、それは大きな音とカメラのフラッシュの何倍もあるような光を発した。

「うがあ」

 とつぜん顔の前で爆発を起こされ、その男は顔面を押さえたままうめいた。弘志はすかさずその足へ回し蹴りを放ち、コンクリート製の滑走路に転倒させた。

 滑走路に打ち付けられる頭蓋骨が立てる硬い音を無視し、弘志は由美子のウエストに腕を回して、開いているその救急車の後部ハッチへ彼女を放り込んだ。

「あいた」

 抗議の声にかまわず、運転席の方にまわる。爆発音にビックリした運転手がドアを開けた瞬間だった。

 もしかしたら襲ってきた男とは関係がないかもしれないが、弘志は運転手の胸ぐらを掴み、そのまま引きずり下ろした。

 突然の出来事に運転手は反応が鈍かった。

 そのまま滑走路へ投げ捨て、弘志は運転席に乗った。

 助手席に座っていた別の白衣を着た男が、乗り込んできた弘志にギョッとしていた。

 その右手に先程と同じスタンガンを見た弘志は、ハンドルを掴んで乗り込んだ勢いのまま、そいつに両足を繰り出した。

 そのドロップキックの狙いは外れずに、弘志のバッシュが男の鼻面に食い込んだ。

 助手席のドアを開けかけていたのか、男は助手席から転げ落ちていった。

「つかまってろ!」

 後ろに放り込んだ由美子に向かって叫んで、弘志はギアをドライブへ入れ、アクセルを床まで踏み込んだ。

「まて!」

 開けっ放しのドアの向こうからそう声がかけられた。弘志はフロントパネルの速度メーターを確認してから、運転席側のドアを閉めた。そのまま片手運転で自分にシートベルトをかけていった。

「なンなのよ」

 どこかでぶつけたのか、左手で頭を押さえた由美子が座席の間から運転席に顔を出した。

「こんなに派手な待ち伏せは考えてなかったなあ」

 ルームミラーで彼女の様子を確認して弘志。ハンドルを両手で握り直した。

「姐さん、ドア閉めて」

「わかったわ」

 やっと自分たちが襲撃を受けたことを理解し始めた由美子が、手をのばして助手席側のドアを閉めた。

 その途端に、そこについていたドアミラーが砕けた。

「え?」

「派手だな〜。拳銃で撃ってきたぜ」

 弘志は冷静な声で言いながら自分側のドアミラーで後方を確認していた。

「ちょっ、ちょっと」

「後ろは閉められる?」

「できるわけないでしょ! ボケェ」

 由美子はそのまま書類ケースを抱えて助手席に滑り込んできた。あわててシートベルトで体をシートに固定した。

「どこ行くのよ?」

「決まってるじゃないか」

 弘志は真面目な顔で言った。

「東京だ」

「そうじゃなくて!」

 由美子が金切り声を上げても、弘志は前方を向いたままだ。ただ彼の眼だけは盛んに動いてミラー越しに後方を確認していた。

「追ってきたぜ」

「ええっ」

 由美子は助手席側のミラーで確認しようとし、それがすでに無いのに改めて気づくと、車内を振り返った。

 開けっ放しの後部ハッチ越しに、車のヘッドライトが一台分、ハイビームで意外と近くに灯っているのが見て取れた。

 ヘッドライトの斜め上あたりに真っ赤で小さな瞬間的な炎があがった。

 熱いなにか物体が由美子と弘志の間を通り過ぎ、フロントウィンドウに穴が開いた。穴が開くと同時に蜘蛛の巣のような模様がそこに現れた。

「きゃ」

 これには流石に首をすくめて女の子らしい短い悲鳴をあげてしまった。

「つかまってて」

 弘志はハンドルを大きく左右に切り始めた。

「なによお」

 体を大きく揺さぶられて、由美子は慌てて助手席で両足を踏ん張った。右手は書類ケースを掴み、左手はドアの上の取っ手を掴んだ。

「まっすぐ走ってたら狙われちゃうでしょ」

 しきりにルームミラーで後方を確認しながら弘志は言い返した。

 そのルームミラーが今度は砕けた。

 舌打ちを一回してから弘志は視線を運転席側のドアミラーに移す。その中で一対のヘッドライトは大きくなっていた。

 程なく追跡車は弘志の操る救急車の右に並んだ。車種は黒いクラウンである。

 そのクラウンの助手席から手が出された。そこに黒い物体が握られているのが夜の暗さの中でも判った。

 その筒先が自分に向けられる前に、弘志は情け容赦なくハンドルを切って、救急車をクラウンに体当たりさせた。

 ほぼ最高速度で走る風切り音の中でも、はっきりと肉が潰れ骨が砕ける音が聞き取れた。

 ぶつかった反動で二台の車が離れると、ボディ同士に挟まれたはずの腕が、クラウンの車体に沿うように張り付いていた。

 上腕の内側が完全に表を向いているという、普段ではありえない角度だ。

 しかし悲鳴のひとつも聞こえなかったことに弘志は背筋のあたりに冷たい物を感じていた。その道のプロは無用な声を発しないように訓練されているはずだ。

 今度はクラウンの後部座席にあたるウィンドウが下げられた。そこから今度は長い筒先だけがニョキっと顔を出した。

「まじぃ」

 弘志がハンドルを切る前に、そこから連続して炎と音と、そして銃弾が吐き出された。

 その連射は救急車の前輪のあたりを薙いでいった。大きな音を立てて運転席の下のタイヤが破裂した。

 ハンドルが生命を与えられたように暴れ始めて、救急車のコントロールが取れなくなっていった。

 弘志はブレーキペダルを床まで踏み、ついでにサイドブレーキを力一杯に引いた。

 夜の滑走路にすさまじい悲鳴のような音が響いた。もしかしたら乗っている人間のそれも混じっていたかもしれなかった。

 無茶なブレーキでバランスを崩し、さらに右前輪が無い状態なので、車体はクルクルとコマのように回転した。

 救急車は、疲れた人間ががっくりと膝をつくように、滑走路脇のセフティゾーンに突っ込んで止まった。

 コマのように回った救急車を避けて離れたクラウンは、スピードを殺せずに行きすぎてしまった。

「つつつ」

 ブレーキの衝撃でふたたび同じ所をぶつけたのか、由美子はまた左手で頭を押さえて顔を起こした。

 周囲を見回すと、ちゃんと締めていたシートベルトのおかげか、怪我の一つもないようだ。滑走路とセフティゾーンの高低差で傾いだ車内で、書類ケースを握ったまま助手席の上にまだ自分の体があった。

「あいてー」

 弘志は高い位置となった運転席でまだハンドルを握りしめていた。頭を一振りして由美子に訊いた。

「大丈夫?」

「だいじょうぶくないかも」

「歩ける?」

「コブができたわ」

 弘志はチラリと由美子が自分で押さえている頭に視線をやった。

「そのぐらいだったら平気でしょ。逃げるよ」

 シートベルトを外して車内を後ろに移動し、走行中開けっ放しにしておいた後部ドアから外に出た。

 滑走路をハイビームにしたヘッドライトが帰ってきた。

「どうすンのよ」

 由美子は隠れる場所があるか辺りを再確認した。右手にはサッカー場ほどの空間の先にカマボコのような飛行機の格納庫があった。

「走れる?」

 弘志が訊いた。

「なんとか」

 足に軽い障害がある由美子は少し自信なさげに答えた。弘志はその微妙な響きを無視して、彼女の手を取ると格納庫に向けて走り出した。

 速度を落としていたクラウンが二人にヘッドライトを向けて一直線に向かってきた。

 その途端、夜の闇を切り裂くようにホイッスルが激しく吹き鳴らされた。

 遠くから赤い赤色灯をつけたパトカーらしきものがやってきた。

 続いてサイレンのけたたましい音と一緒にスピーカから声が流れてきた。

「こちらは小牧地方警務隊です。そこの車、停車しなさい」

 クラウンはライトを消し、進行方向を変えた。

「こちらは自衛隊小牧基地所属の小牧地方警務隊です。すみやかに停車しなさい」

「ラッキー」

 弘志は少し由美子を引く速度をゆるめた。

「な、なによあれ」

「聞いてなかった? 警務隊って自衛隊のお巡りさんみたいなもんだよ。きっとここは小牧基地の敷地なんだ」

「名古屋空港じゃないの?」

「名古屋空港はあっち」

 弘志は逃げてきた方向を振り返った。

「ここらへんは航空自衛隊の小牧基地。滑走路は共同使用なんだ。そんなことは常識かと」

「ンなわけあるか」

 疲れたのか由美子の声に力は入っていなかった。弘志の常識が日本の常識と合致することはまれだ。

 警務隊のパトカーがクラウンを追って行ってしまったので、暗くなった駐機場らしきコンクリートを、二人は早足で駆け抜けた。

 その前方には扉が開かれたままの格納庫があり、そこには黄色く塗られたヘリコプターと、似た配色の小型機が格納されていた。航空自衛隊小牧基地所属の救難教育隊で使用しているUH−六○Jと、U−一二五である。

「どうすンのよ」

「まあ、まさか飛行機に隠れて休んでいるとは思わないでしょ」

 弘志は迷わずに小型ジェット機であるU−一二五に近づいた。

 不思議なことに周辺には人の気配が無かった。もしかして二人が乗ってきたビジネスジェットが不時着したので、そちらのほうに人手が回されているのかもしれない。それに、もうけっこうな時間でもあった。

 二人は開きっぱなしのハッチから機内に転がり込んだ。

 いちおう周囲と機内に人気がないか見回し、由美子の手を取って操縦室に転がり込んだ。

「あー疲れた」

 天井を見上げながら息を整え、弘志は左側の機長席に座った。

 由美子はぐったりと隣の副操縦席だ。

「なんとか逃げれたみたいだね」

 ウインドシールド越しに周りを見回した。

「ほンと?」

 由美子は書類ケースを両手で胸に抱きしめるようにしている。疲れているのか周囲の確認は弘志にまかせきりだ。

「いちおう、もう一度確認してくるね」

 弘志は背負っていたディパックを席に残し、再び機外に出て行った。

 由美子はもう外を見る気力が完全に無くなっていた。堅めのヘッドレストに頭をあずけて弘志が帰ってくるのを待った。

 一、二分してから弘志は戻ってきた。

「どう、疲れた?」

「まだまだいけるわよ」

 台詞は強気だったが、語気は弱っていた。

「あ、いまごろ点検してるぜ」

 ウインドシールドから見れば、二人が暴走させた救急車に先程のパトカーが近づくところだった。

 追跡車だった黒いクラウンはどうしたのかわからなかった。

(おそらく逃げられたんだろうな)

 弘志はそう冷静に分析していた。

「提案」

 由美子が小さく手を挙げた。

「あのパトカーに事情を説明して東京まで送ってもらうってのは、どお?」

「うーん」

 弘志は眉をひそめて腕を組み、天井を見上げた。

「警務隊って自衛隊の基地の中では警察権だけでなく、司法権も持っているんだ。だから、たぶん二人とも逮捕されるよ。で、姐さんがいくら声をあげようが、担当の人が明日の朝に来るまで牢屋で待たされる。それから弁護士なり保護者なり呼んで、解放されるのはきっと明日の午後だね」

「間に合わないじゃない」

「そう。だから普通のお巡りさんに助けを求めても同じだと思うよ。やっぱりここは自力で脱出して、なんとか東京に向かわないと」

「どうやってよ」

 由美子の問いに弘志は言葉では答えなかった。代わりに二人の間にあるパネルのスイッチを入れ始めた。

 由美子はすごく嫌な予感がした。

「アンタ…」

「コンタークト」

 一人でそう指さし確認をしつつ、小さなつまみを指先で左に倒した。

 機体の後部で金属音がし始めた。それが段階的に高くなってきた。

「ちょっと待てい! アンタ、できンの?」

 高まった金属音にあわせたかのように、ウインドシールドの外の風景がゆっくりと動き始めた。

「できるって、なにが?」

「操縦だよ操縦! アンタ、ヒコーキを飛ばすことなンかできるの?」

 爆発音のような音が連続して二回響いた。おそらく機体後部に搭載されたジェットエンジンが本格的に始動した音である。

 救急車を点検していた自衛隊員が何事かとこちらを見ていた。

「ヒコーキを飛ばす?」

 片眉をあげて由美子をバカにしたように弘志は断言した。

「できるわけないじゃないか」

「だったらすぐ停めろぉ」

「残念。もう動き出しちゃった。じつはさっき車止め外してきたの」

 てへっと女の子がやるように弘志は小さく舌を出した。

「ばかぁ!」

「あていしょんぷりーず。当機は小牧基地発地獄行きであります。痛いおもいをしたくありませんでしたら、顎を引いて手足を突っ張っていて下さい」

 弘志はフットペダルで舵を切って言った。

「アンタなんか最低よぉ」

 由美子の罵倒は止まらなかった。

「最低! ばか! ボケナス!」

「喋ってると舌噛むよ」

 冷静に弘志は言い返した。


 その夜、県営名古屋空港では一機の小型機が緊急着陸し、航空自衛隊小牧基地では一機の小型機が暴走し、フェンスを破って基地の外に飛び出す事故が起きた。

 暴走の原因は不明とされた。

 また、駐機場脇に置いておいた隊員のママチャリが二台も盗難に遭ったことが後日判明した。



 空楽は正美と交代して不寝番で起きていなければならないはずだった。

 しかし、まさか通路で立っているわけもいかず、自分のスペースに横になって、聞こえてくる音に神経を尖らせているつもりだった。

 妙に暖かくてかえって目が覚めた。

(いかん、寝ていたのがばれたら、正美はともかく女の子たちに何を言われるか)

 意識をはっきりさせようと寝返りをうってみた。

 胸元に人肌な温度のやわらかなものがある。これが妙な暖かさの原因だ。

「ああん。空楽ったら積極的なんだからぁ」

「貴様は…、弘志!」

「でも、空楽だったらサトミの大事なものあげてもイイヨ」

「ふざけるな」

 弘志の顔面に空楽の拳がめりこんだ。

 勢いよく上体を起こし、被っていた毛布を蹴飛ばした。

 サンライズエクスプレスの一角を占めている、図書室常連組がそれぞれの顔を毛布から覗かせた。

「あれぇ、郷見くん、王子。どうしちゃったの?」

 壁際から恵美子が訊いた。由美子は所在なさげに書類ケースを両手で抱きしめて通路に立っていた。

 恵美子の質問に弘志は軽い口調で答えた。

「飛行機がね、事故でね。羽田まで行けずに名古屋空港のフェンスを破ったのよ」

「はあ?」

 眠いためか頭が回っていない声の恵美子。首を倒して考えるふりをした。

「嘘は言ってないよね」

 いちおう弘志は由美子に確認した。頭のうえから砂埃をあびた風体の由美子は、もう何も言う気力がなかった。

「それで、どうやってここに居るの?」

「空港からチャリンコを使ったんだ」

 エヘンと胸を張る弘志。正美が毛布の中から注意した。

「シィ! もう何時だと思ってるんだよ。他のお客さんに迷惑だよ」

 鋭い囁き声に全員が口に手を当てた。

「実はね…」

 静かな声で弘志は他の四人に、空港で起きたことを話した。時々由美子に「間違ってないよね」と確認するが、彼女は疲れているのか、呆れているのか、ろくに返事をしなかった。

「じゃあ、空港からどうやって逃げ出したの?」

 恵美子が訊いた。待ってましたとばかりに弘志が言葉を続けた。

「小型ジェットのエンジンを始動させてから飛びおりて、見つけておいたママチャリをパチったんだ。タクシーを拾ってもよかったんだけどさ、それが襲ってきた一味の仲間だったら嫌だろ。それから名古屋高速沿いの国道をずっと二人で走ってきた。サンライズエクスプレスが名古屋駅に運転停車することは知ってたから、それに間に合うように必死だったよ」

「ちなみにどのくらいの距離?」

「たった二時間ぐらい」

「はあ」

 恵美子は由美子が消耗している理由を理解した。

「運転停車なのにどうして乗れたんだよ。それにキップは?」

「キップの予約したのは誰だと思ってるんだよ。こんなこともあろうかと、ちゃんと隣をキープしてあるよ」

 弘志はVサインを出して見せた。

「それに停車さえしてくれれば、いくらでも潜り込む方法なんてあるだろ。ドアコックとか、使わない乗務員扉とか」

 ちなみに今回は乗務員扉の方だった。

「とりあえず、王子が疲れているみたいだから、横になったら?」

 恵美子が提案した。

「ん? 一人が怖かったら、あたしのところ来る?」

「いや」

 由美子は疲れた顔のまま毛布を翼のように開いて招いてくれた恵美子を見上げた。

「ん?」

 恵美子は不思議そうな顔をして、すぐに自慢の八重歯を口元に覗かせて微笑んだ。

「やっぱり郷見くんと同じ布団がいいのね」

 由美子の首が、がっくりと落ちた。


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