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清隆学園の一学期  作者: 池田 和美
10/29

五月の出来事・②

 調布飛行場から一機のビジネスジェットが飛び立った。

 その小型飛行機の名目上の所有者は、由美子の父の傘下にある法人であった。だが事実上は藤原家のプライベート用の飛行機である。

「へえ、思ったより早いのね」

 小さな窓から外を眺めていた恵美子が声をあげた。彼女は七分丈のデニムパンツに男物のカッターシャツといったアクティブな装いに変わっており、機内とは思えないほどの豪華な革製の二人掛けソファで由美子の隣に座っていた。

「どのくらいで着くのかしら?」

 向かい合わせのソファの花子は、こちらも学校で見せた和装から、レース地のロングワンピースというものに変わっていた。

「ふむ」

 その横で由美子の前に座る空楽は腕組みをして面白くなさそうだ。服装は柿色の長袖シャツにブラックデニムである。

「どのくらい?」

 花子とは背中合わせの位置の正美が、一人で最後尾のソファを占領する弘志に訊いた。

「オレに訊くなよ」

 話しかけられた弘志は足元の彼自身が持ち込んだ荷物からソロバンを取り出すと、パチパチと玉を弾いて口を開いた。

「約二時間くらいかな? 他の飛行機と滑走路と航路を取り合いになるけど、そこら辺は何とかするんでしょ?」

 長袖で青と白のボーダーシャツにブルーデニムの弘志は全員の頭越しに由美子へ声をかけた。

 足下の『四次元ポケット』と仲間内に名付けられた、彼愛用の青色のディパックへソロバンをしまい込んだ。

 エッグイエローの半袖シャツに白のロングパンツという服装の由美子はつまらなそうに答える。彼女の座席脇には、書類ケースごと渡された委任状があった。

「いくらなンだって、そんな他の飛行機を押しのけて行けるわけないじゃない。向こうの空港じゃあ順番待ちになるわよ」

「慣れてるねえ」

 感心した声を正美が上げる。彼は緑色のTシャツにナム戦パターンの迷彩服というなにやらコンバットな服装だ。

 服装にあわせたのか荷物もアリスパックに詰め替えて持ってきていた。

 先月のちょっとした事件で、弘志が「こんなこともあろうかと」用意していた色々な道具が役に立ったことに、感化されたらしかった。

 学校の応接室で話しを訊いた一行は、まず私服に着替えるために帰宅することにした。由美子は図書委員会の仕事を常連共に押しつけると、そのまま成田とリムジンで新宿の自宅へ向かった。

 集合場所は調布飛行場の待合室とし、それぞれ動きやすい服で来ることを申し合わせていた。もちろん何事か起きてもいいようにだ。

 飛行機は、ゴールデンウィーク直後の土曜日だったことも幸いし、午後早くに大空に飛び立つことができた。

「で? いつまでに戻らなきゃいけないの?」

「明日の十時」

「え?」

 全員が彼女の顔を見た。

 機内は沈黙に包まれた。彼女はすまなそうに、しかし逃げることなく少し顎を引いた。

「株主総会が七月頭だから、株式の確認はその二ヶ月前なのよ。その期限が明日の十時ってわけ」

「それじゃあ妨害する立場のほうが、圧倒的に有利じゃないか」

 正美が座っている位置の関係で、身を捻りながら声を固くした。

「まあまあ、そのためにオレたちがいるんだろ」

 気安く弘志が言う。その口調の端々から、なにか事件が起こってほしいことがありありとわかった。彼は騒動屋なのだ。

 空楽はつまらなそうなまま鼻息を一つ吹いた。

 また弘志の騒動屋としての血が騒いでいることが気に入らないようだ。

「まず優先されることは?」

 弘志は由美子に訊いた。優先順位の確認を全員で行っておくことは重要だった。それによってこの先に取る選択肢も変わってくるというものだ。

「あたしたちの安全でいいわ」

 面白くなさそうに由美子は言った。

「さすがにパパも、アタシらの命と委任状を天秤にかけろとは言わないわよ」

「本当?」

 疑わしそうに弘志。由美子は両目を閉じた。

「じゃあ、男どもの命は委任状より優先順位は下でいいわね」

「え〜」

 正美が声を上げた。

「まさか、乙女にまで命をかけろと?」

「誰が乙女?」

 正美の言葉に、目を開いた由美子はニッコリと笑って、座席脇のボタンを押し込んだ。

「機長。現在の高度は?」

「現在、当機は上昇中です。二一〇〇を超えたところです。まだ揺れる可能性がございますので、シートベルトはご着用のままでいて下さい」

「そう、ありがとう」

 操縦室との通話器のスイッチを一見優雅に見える仕草で切って、浮かんだ微笑みを少しも崩さずに、由美子はソファから身を乗り出して言った。

「パラシュート無しでは降りるのは、ちょっと難しいわよ」


 

 福岡空港にはまだ陽のあるうちに着陸することができた。

 小型機駐機スポットに搭乗してきたビジネスジェットを止め、六人は空港カウンターで簡単な手続きを済ませ、空港前のタクシー乗り場に出た。

 六人は二台のタクシーに分乗して、由美子の大叔父宅に向かうことにした。

 男女で別れたタクシーの車内で、愛用のディパックを座席の足下に置いた弘志は、そこから取りだしたタブレット形端末を操作していた。

「なにやってんの?」

 正美が不思議そうに訊いた。彼も弘志を真似てザックを足下に置いていた。

 反対側の窓際に座った空楽も、端末が時々発する電子音が耳に触って煩くて居眠りが邪魔されて、機嫌を悪くしながら彼を良くない目つきで見ていた。

「まあ、色々と打てる手は全部やっておこうと思って」

「???」

 タクシーは福岡市郊外に向かった。

 陽が暮れてからしばらく行くと、まるで公園のような場所を走り始める。不安になった正美が誰とはなしに口を開いた。

「なんか、人気がないところに来たね」

「さっき、門柱があったぞ」

「え?」

 正美が空楽を振り返った。シートの中央で弘志はまだ端末をいじっていた。

「門柱だ」

 正美にもだんだんその意味が判ってきた。門柱は私有地の入り口によく立っている。つまりここはすでに誰かの所有地なのだ。

「まるでゴルフ場だね」

 横目で敷地を確認した弘志は言った。

「なんちゃ学生さんがた。おきなんちゃ知らんと?」

 先行する女子三人が乗ったタクシーを追うだけの運転に飽きたのか、三人が乗るタクシーの運転手が地元の言葉で訊いてきた。

「翁?」

「ここいらで翁んちゃ呼ばるるんは、藤原んばの弘幸さんだけとよ」

「お金持ちかなって思っていたけど…」

 正美はそこまで言って絶句する。空楽は腕を組んで窓の外に向いた。相変わらず公園のような風景が広がっていた。しかも自然に任せるままなどでなく、草木にはちゃんと手入れがされていた。その労力に支払われる対価一つを考えても莫大な財力であろうことが簡単に想像ついた。

「ここいらん石ころ一つ取っても、全部翁のものたいね」

「へー」

 調子のいい弘志だけが答えた。

 それからもう十分間も走ってから、二台のタクシーは古めかしい日本家屋の前に停車した。

 弘志が運転手に待っていてもらうよう言い、三人はタクシーから降りた。

 前のタクシーからはすでに女の子たちは降りていた。

 玄関の外に杖をついた人物が立っていた。すっかり暗くなったが、家の明かりを遮る影の形で背格好がはっきりとわかった。

「大叔父様」

 由美子は影に駆け寄った。男三人は周囲を確認するために辺りへ視線をやった。

 よく整備された公園のようなようすに変わりはない。これならばどこかに不審者が潜もうとしても、目立つこと間違いなかった。

「おお。ユー坊、よく来たね」

 姿よりも遙かに若い声で藤原弘幸が一行を出迎えた。

 玄関前の外灯でどんな人物か見て取れた。頭はまるで卵のようにつるつるで、顎には仙人のような長く白い髭を生やしていた。

 さすがに顔のそこかしこに歳による皺や染みが目立つが、学校で話しを聞いて、予想していた怖そうなイメージを拭うような、柔らかな表情の好々爺であった。

 ただ、由美子の切れ長の瞳によく似た目元の輝きだけは、そこらへんで散歩と日向ぼっこをしている普通の年寄りとは全然違かった。

 由美子は大叔父に、自分の連れの五人を紹介した。弘幸は男が混じっていることに少し複雑な顔を見せたが、すぐにその表情を消して、六人を迎え入れた。



 そのころ福岡空港の小型機スポットは、ナトリウム灯のオレンジ色の光に包まれていた。

 と、その隅の光の届かない影が、まるで水彩画の絵の具が滲んだかのように揺れた。影はすぐに人の形となった。

 目撃者が極力居ないように注意しながら立つその人影は、空港内を歩いていても不思議ではない航空会社のツナギ姿をしていた。

 だが、どことなく顔つきや目つきが普通の者とは違い、独特な空気のような物をまとわりつかせていた。

 それも一人ではない。滲みが広がっていくように、二人、三人と数が増えていった。

 無言のままうなずきあった彼らは、空港内の防犯カメラの死角を伝って、由美子たち六人が搭乗してきたビジネスジェットに近づいた。



 由美子と彼女の大叔父との話し合いはスムーズにいった。話しを温泉宿の宴会場のような広さの応接室で聞いて、即断即決の二つ返事で了承した。やはり事前に由美子の父親か、もしくは成田から連絡が入っていたようだ。

 その場にいる全員を証人にするようかのように、使用人に筆と硯を持ってこさせ、その場で達筆な楷書体を委任状にサインした。

 その横には真っ赤な実印が捺された。

「とりあえずオレが運ぶよ」

 足に少し障害がある由美子を気遣ってか、弘幸が蓋を閉めた書類ケースの取っ手を、弘志が取った。

 時間は無駄に出来ない、全員はそのままに玄関に戻った。

「大叔父様、ありがとう」

「ゆっくりはできないのか」

「はい。明日までですから。夏には必ず来ます」

 別れを惜しむように二人はしばらく見つめ合った。

「さあ、急ごう」

 放っておくと時間がかかりそうなので、空楽が急がせた。少々気分を害されながらもタイムリミットのことを思いだした由美子はうなずきかえした。それを合図に他の女子二人が頭を下げ、男子三人も続いた。

 振り返れば車寄せに乗ってきたタクシーが待っていた。

「さて、ここで提案だが」

 タクシーに歩きだそうとした他の五人に向かって、弘志が口を開いた。

「帰りは人数が少ない方が良いと思うが」

「はあ?」

 由美子が眼を丸くした。

「何言ってンのよ」

「だってさ」

 弘志が抵抗するように口を尖らせた。

「小型機なんだから少しでも運ぶ重量が少ない方がスピード出るだろ。それに帰りは調布じゃなくて羽田に着陸するって言うし。さすがに妨害行為があっても、羽田から都内なんてすぐじゃないか。人数を減らして行動しやすくした方が、かえって安全じゃない?」

 弘志の提案に由美子は他の友人の顔を見た。

 空楽はいつものつまらなそうな顔のままである。正美は渋い顔で眼鏡を外して服の裾で拭っている。花子は黙って小さく立ちすくんでいた。その横でなぜかうれしそうな顔になった恵美子が、パチンと手を一回叩いた。

「やっぱり、郷見くんは王子と二人きりがいいのね」

「あ、あのねえ」

 由美子が戸惑ったような声を上げる。横の弘志はこれまた心外だという目で由美子をチラ見した。

 恵美子はなぜだか判らないが、由美子と弘志が恋仲になるべきだと誤解している節があった。先月の事件から事あるごとにこうして既成事実を作ろうとしていた。

 さらに口を開いて弁解しようとする由美子を制して他のみんなを振り返った。

「分かれるのに賛成。じゃあ私たちはこっちで一泊する?」

「いや」

 空楽が腕組みをほどかずに首を振った。

「別の手段で東京に向かおう。もし妨害する勢力がいたとしても、どちらを狙うか迷うかもしれない」

「どうする?」

 正美は花子に訊いた。花子は困ったように微笑んだ。

「正美、おまえ『マル鉄』の血が騒がないのか?」

 弘志が人差し指を立てた。『マル鉄』とは鉄道マニアたちが自分たちを呼ぶときに使う符丁のようなものだ。

「騒ぐって?」

「サンライズエクスプレス」

「あ」

 弘志の口にした単語に、正美が鋭く反応した。だが他の全員は判らずに顔を見合わせることになった。

「不破くんは知ってる?」

 同じ男の子ということで恵美子が空楽に質問してみた。空楽は当然とばかりに大きくうなずくと、腕組みのまま言った。

「あれだ『銀の翼に希望のぞみを乗せて、灯せ平和の青信号! 定刻通りに只今到着!』って奴だ」

「それは同じサンライズな特急でも、勇者特急!」

 弘志と正美が両側からツッコミを入れた。

「オレが言ってるのは『サンライズ出雲』と『サンライズ瀬戸』のことだよ」

 JRが運行しているサンライズエクスプレスとは、寝台列車を廃れてしまった現在、わずかに残った寝台特急である。九州を一周するような豪勢な客車列車とは違い、ファミリー層でも気軽に使えるような電車寝台特急である。大阪を新幹線より遅く出て、始発より一時間以上早く東京に着けるのが売りだ。

 豪華な車両は、もちろん人気がある。が、そういう渋い列車の方が鉄道マニアは好む傾向があった。

「サンライズエクスプレスならば新幹線で岡山まで行って、そこで乗り換えれば東京まで寝てる間につくよ」

「へえ」

 恵美子が感心したような声をあげた。

「おもしろそうじゃない。それ賛成」

「じゃあ二人は飛行機で先に帰ってなよ。僕らはそれで帰るよ」

「いちおう襲撃の可能性があるのを忘れずにね」

 釘を刺す弘志の言葉はもう上の空で聞かれていた。

「あ、正美」

 弘志は正美のアリスパックを指差した。丁度タクシーを乗り換えようとそれを手にしたところであった。

「正美のザックの中に、トイレットペーパーある?」

「あるけど?」

「一巻き頂戴」

 言うなり弘志は正美のアリスパックをかすめ取り、中からそれを一つ取りだした。

「なんにつかうのさ」

「いやあ、もし突然腹痛に襲われたら困るかなって思って」

「はあ」

 正美は眼を点にした。

 その言葉が本気かどうか判らない、にこやかな表情で弘志は正美にアリスパックを返した。

「じゃあ、女の子たちのことよろしくね」

「郷見くんもね。王子のこと、しっかり守るのよ」

 二人の横から顔を出した恵美子が、口元に自慢の八重歯を覗かせて微笑んだ。弘志はとっても複雑な顔をしてみせた。

 もちろん向こうの由美子もうんざりしたような顔になっていた。


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