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 君は知っているかい?われらのエスペラント王国を。もし知らないのなら社会の教科書をひらいてみよう。小さい国だけれども必ず書いてあるはずだから。なんだって、エスペラント王国が社会の教科書に書いていないって?それなら世界地図を見てごらん。今度はかならずのっているはずだから。なんだって、世界地図にものっていない?そんなはずはない。おかしいなあ。


ふむふむ、待ってくれ、考えさせてくれ。それはいかん。それはいけないことだ。いいかい、君。だまされてはいけないよ。地図をつくる人は自分が知らない国や知っていてものせたくない国を絶対に地図にはのせないのさ。そして国の形や島の形がわからなかったり、あいまいだったりしたらすぐに消しゴムで消してしまう。教科書も同じさ。教科書を書く人は自分に具合の悪いことは決して書かない。だから地図や教科書なんかにエスペラント王国がのっていないのも、君がエスペラント王国を知らないのも無理はないね。ようするに、君の国の大人はエスペラント王国なんて国がこの地球上にあるのを認めたくないのさ。だから君にエスペラント王国について教えたがらない。というわけで地図にも教科書にもエスペラント王国はのらずじまいってわけ。なぜそんなことをするかって?そんなことは知らないさ。君のいちばん近くにいる大人に聞いてみるといい。ちなみにぼくは知らないよ。


 ならば、いいかい。一度しか言わないからよく聞くんだ。われらがエスペラント王国の場所を君に教えてあげよう。エスペラント王国はね、ロシアの…うわっ、やめろ!何をする!いたい!はなせ!うごご、うぐぐぐ。もうだめだ。エスペラント王国バンザイ!


 はじめまして。ぼくの名前はノロロ。今まで君におしゃべりしていたポロロの弟です。ポロロ、私の勇敢な兄ポロロは何者かによって連れ去られてしまいました。正しいことを言おうとする人はいつもこうなってしまうのです。だから私は本当のことを言いません。兄の二の舞はごめんこうむりたいですからね。われらのエスペラント王国は、海の上にあって空の下にある。風の流れる先にあって波の行きつく先にある。どこかにあって、どこにもない。どうですか、これで十分ではないですか?


 さて、そのエスペラント王国には五百年も前にある変な王様がいまして、こういう法律を勝手につくってしまったのです。


 王様は即位する時に好きな言語を一つ選んで王国の共通語にすることができる。期限は王様が退位する時まで。学校でも家でもお店でも全てこの共通語を話さないといけない。違う言語を話したものは一年間、牢屋でその言語の勉強をする刑を受ける


ひどい法律ですよね。この法律のためにエスペラント王国は言語を話したり読めたりする人はもちろんたくさんいますけれど文字を書ける人は本当に訓練を受けた少しの人しかいません。だって王様が死んでしまえば今までおぼえて書いてきた文字が全て無駄になってしまいますからね。本当にひどい法律です。しかし、このノロロが君に日本語でおしゃべりできるのはこの法律のおかげなのです。なぜなら前の王様がとても日本が好きで、好きでたまらなくてお相撲を見に東京まで行ってしまうような王様だったので、七十年前に即位した時に日本語を共通語にしてしまったのです。だからエスペラント王国の人は、八十才より若ければほとんど日本語が話せます。


けれども、残念なことに、その王様はなくなってしまいました。大往生でした。王国をあげてのお葬式があって、たくさんの国民が王様のお墓に花をそなえました。丸い石でできた、王様にしては小さなお墓でしたけれど、白い花に黄色い花、赤い花に青い花、色とりどりの花がそえられていきました。それだけみんなに好かれる愛らしい王様だったのです。あんまり花をそなえすぎてお墓が見えなくなってしまったので、「これは大変。」と大臣たちが山盛りの花をかきわけると、花の下にあるはずのお墓はきれいさっぱり、あとかたもなく、消えて無くなってしまいました。そうです。お墓が消えてしまったのです。ふしぎなことがあるものだと、首をかしげる大臣たちの後ろで王様のひとり息子、太っちょのウポポ王子はにたにたと笑って、お菓子を食べていました。


王様が死んでしまったのでもちろんウポポ王子が王様になります。けれどウポポ王子は産まれたときからのひねくれ者。父親の王様が人気者だったから、それをねたんでいるのか、あるいはさびしいだけなのか。それはそれはたいそうなひねくれ者でした。でも、本当は国民のために何でもしたいと思うやさしい王子様なんですけどね。


でも、ウポポ王子はちょっとトンチンカンでした。王様がいなくなっても泣くのではなくただお菓子を食べているだけです。もう四十歳にもなるのにねえ。ともかくウポポ王子は新しい王様になるとさっそく一週間、宮殿にある自分の部屋にひきこもってしまいました。大臣たちはこれにたいへん困ってしまいました。なにしろ王様がいなくては政治ができません。

「ウポポさまはもう四十歳になるのに、自分のお部屋で何をしておいでなのだろう。」

と大臣たちは困り果ててウポポ王の部屋の前で一週間眠りながら、王様が出てくるのを待ちました。五日目にもなるともう大臣たちは待ちくたびれて、涙をこぼして泣き出してしまいました。大臣たちが目からこぼした大粒の涙は固まって透明な宝石になって宮殿の中を転がっていきました。涙というのは、本当は丸いものなのです。たいていの宝石は宮殿の王女や女官たちが拾ってしまいましたけれど、拾われなかった涙の宝石は転がり続けて宮殿を出て、都の通りを転がっていきました。その水色の宝石が転がっていくのを見たロゼットじいさんは濃くて甘いチョコレートを飲みながら

「ああ、今度の王様は大臣さまを困らせてばかりのようじゃのう。」

とつぶやきました。ロゼットじいさんは学校には通ったことはないけれど何でも知っておいでなのです。転がり続けた涙の宝石、その最後の一滴は都を出て田舎道をずっと進み、歩いていた少年オトの靴にあたってとまりました。この少年オトはまだまだ小学生です。さあさ、物語のはじまりです。



 オトは靴にあたった宝石を拾うとポケットにしまいました。そしてなにごとも無かったかのようにてくてくと道を歩いて、一軒のおんぼろの小さな家のとびらの鍵をあけて、とびらを開き、中に入りました。その家ときたら屋根の瓦ははげ落ちて、壁もところどころ穴があいていて、しかも一面にすすけています。


 うすぐらい家の中には小さな女の子が机の前にすわっていて、木の机に炭の棒でなにかを書いて遊んでいました。

「ただいま。ミコは今日も日本語を勉強しているのかな?」

「お兄ちゃん、お帰りなさい。うん、今日も日本語のお勉強。えらいでしょ?今日も学校は早く終わったの?」

オトは鞄の中から紙を数枚と鉛筆を取り出すと、鞄を机の下に置いて、あいているもう一つの椅子に腰かけました。ミコのまん前にオトは座ったのです。

「そうなんだ。王様がなくなったからね。ここ一週間は、学校はずっと早く終わるんだ。」

「へえ。だったら、ずっと王様がなくなれば、ミコはずっと長くお兄ちゃんと話せるのにね。」

「こらこら、そんなことを言うもんじゃないよ。人がなくなるなんて。それにそんなことになったらぼくは手紙を書くために言語が覚えるのが大変になる。仕事ができなくなって、ぼくたちは食べていけなくなるんだよ。」

「そうでした。ごめんなさい。」

としゅんとなってミコはあやまりました。


少年オトにはお父さんもお母さんもいません。たったひとりの妹であるミコと自分を養うために、小学校が終わると手紙の代筆をして生計をたてています。なにしろ文字を書ける人は少ないですからね。前に言ったとおり、作文の訓練をみっちりやらないと手紙すら書けないのです。オトが書く文章はとてもきれいな日本語で読む人をうっとりさせて、人の心を動かすような力がありました。だから彼に手紙を書いてくれるように頼む人は多く、仕事はどっさりありました。けれど一回でもらうお金はそんなに多くはないので二人の兄妹の生活はいつもぎりぎりでした。しかし、それが逆にいいのかもしれません。なぜなら余計なものがまわりにあふれていると、人は目の前の大切な人を見失ってしまうものですから。


というわけで、オトは日本語を習うために小学校に通っていますけれど、家のことをいろいろとしなければならないミコは小学校に行かせることができず、そのためにオトがミコに日本語を教えていたのでした。オトはミコにとって、とても親切な先生でした。


「まあ、きれいな紙。」

ミコはオトが鞄から出した紙の一枚をとりあげて窓からさしこむ光にすかしてみました。そのうすい桃色と水色のまだらの紙は光をとおして、馬車や騎士などの模様を鮮やかに浮かび上がらせました。それだけでその紙がとても技術のある職人によって作られた高級な紙であることがわかります。その紙の影がミコの白い顔に映り、まるで馬車や騎士がゆかいに踊っているように見えて、オトは思わずハッとなりました。

「今日の仕事は将軍さまの奥さんから。北の方にいる将軍さまへの手紙だって。それから、ほらミコにおみやげ。」

と言ってオトはポケットからさっき拾った涙の宝石をミコの前に置きました。そうして、かわりにミコから紙をかえしてもらいました。

「お兄ちゃん、どうしたの、これ?」

「これが道を転がっていて、ぼくの靴にあたったから拾ったんだ。ぼくはいらないからあげるよ。」

「ありがとう。お兄ちゃん。」

ミコちゃんはうれしそうにその涙の宝石も光にすかしてみました。

「こんなにきれいな宝石なら、持っているだけで魔法が使えちゃうかもね。」

とミコがふざけて言うと、オトはけげんそうに言いました。

「魔法だって?ミコはそんなものが使いたいのかい?」

「うん。だって魔法を使えれば好きなものを食べられるし、好きなお洋服だって着られるじゃない。」

とにこやかに笑いながらミコは言いました。

「ふーん。そうかもね。ほんとうに魔法が使えたら、いいのかもね。」

そう言うとオトはすこしさびしそうな顔をしながら紙に文字を書きはじめたのです。そしてオトはぽつりと言いました。

「あ、ミコ。今日は晩ごはん、ないんだ。」


さて、その涙の宝石の原因となった新しい王様は、今はどうしているのでしょうか。


 一週間たって、やっとウポポ王は部屋からでてきました。その目は充血し、顔はぶるぶると蒼ざめています。そして右手には分厚い手あかまみれの一冊の本が抱えられていました。大臣の一人が

「王様おはようございます。いかがなされたのですか?」

とたずねるとウポポ王はそれに答えず、まだ眠っている大臣をふみこえながら広間の方へと歩いていきました。ふまれて起こされた大臣たちと前から起きていた大臣とはあわてて王様をおいかけて広間へと向かいました。


ウポポ王は広間の一番高いところにある自分の玉座に腰かけました。ガラス細工を組み合わせてできた玉座です。大臣があわてて左右に分かれて列を作りました。王様も大臣たちもよれよれの服を着ていました。みんな一週間も着がえてもおらず体を洗ってもいないのでしかたがありません。ぷーん、とおしっこと汗のにおいが広間にたちこめました。王様は言いました。

「私は宣言する。この私が国王でいる間はこの私がつくりあげたウポポ語が共通語である。今日から二ヶ月間はお試し期間だ。だから二ヶ月間は通りや店で他の言語を話しても注意するだけにする。しかし二ヶ月を過ぎてもなおウポポ語以外の言語を話したり書いたりする奴は一年間、ウポポ語を牢屋で勉強する刑に処する。以上だ。」

それだけ言うとウポポ王は分厚い本を玉座の前に置いて、本物のトンボがびっくりするくらいのトンボ返りで自分の部屋に戻り、そのままのかっこうでベッドに入って寝てしまったのです。よほど疲れていたのでしょう。


 びっくりしたのは広間にとりのこされた大臣たちです。一週間も王様が出てくるのを待ったのに無視されてしまったのです。これでは政治がすすみません。しかし共通語を決めるのは王様の権利というのが法律ですからしかたがありません。これも大事な政治なのです。はやくこのウポポ王がつくった新しい言語を国民に広めなければなりません。そして自分たちも覚えなければなりません。大臣たちは必死で王様が広間に残していったその分厚い本の字を解読して、手分けして違う紙に写していきました。なにしろウポポ王は字が下手だったので、全部を解読するのに二日もかかりました。そしてそこに書いてあるウポポ語の使い方や言葉、話し方、あいさつのやり方などを本にして国民全員にくばりました。全ての仕事が終わって、王様もしばらくは起きてきそうにないので大臣たちはとぼとぼと家に帰りました。そのとき、一人の大臣が天を見上げ、ぽかりと青くすみきった空にむかってつぶやきました。

「王様が自分で共通語をつくってしまうなんて、はじめてのことだぞ。うまくいくかどうか。それにあの言語には何だか変なことがおこる気がするんじゃ。」

白い雲がたった一つ、青空にぷかぷかと浮いています。あっという間に風に吹かれて雲は散ってしまいました。


 朝、オトとミコの家のとびらを誰かがとんとんとたたきます。その音で起きたミコがベッドからやって来てとびらの前に立ち、とびらをたたく人に聞きました。

「どちらさまですか?」

すると、とびらの向こう側から野太い声がかえってきました。

「郵便配達のおじさんだよ。開けてくれないかな。」

ミコが開けるとそこには大きな袋をせおった郵便配達のおじさんが立っていました。おじさんの背中の方に、のぼり始めた太陽があるので顔が陰になってぼんやりとした顔の形しかわかりません。もしかしたらこのおじさんには顔が無いのかもしれない、ミコはそう思いました。

「今日はなんのごようですか?」

すると、のっぺらぼうのおじさんは一冊の本をミコに手わたしました。

「ごようはこれだよ。『ウポポ語の手引き』、この王国の新しい共通語さ。一つの家に一冊だからお嬢さんの家はこれだけだ。しっかり覚えるんだよ。次におじさんがくるときはウポポ語で話そうね。お嬢さんはとってもおいしそうだから。」

おじさんはそう言って立ち去りました。ミコは鍵をしめました。ミコは眠かったのでそのままもらった本を机の上においておくと自分のふとんに戻っていきました。ああ、これも夢のつづきなのかなあ、などと思いながら、さあ二度寝の始まり、始まり。ぐーすかぴー。


「なんじゃこりゃー!」

というオトの大声でミコはびっくり、ハッとして目を覚ましました。なにごとがあったのかしらんと急いで机のある部屋に出てみると兄のオトが机に腰かけてなにやら本を開きながらぶつぶつつぶやいています。

「こんなの覚えられるかよ。まったく、まったく。」

「おはよう、お兄ちゃん。」

そのミコの声でオトは正気に返ったかのように、ほうけた顔をしてミコの方を見ました。いったいお兄ちゃんに何があったのでしょう。

「おはよう。ミコか、この本を取ってくれたのは?郵便配達のおじさんが来たのだろう?」

ミコはどぎまぎして答えました。

「え、わからない、夢で、わたし。えーと。」

どうやらあれは夢ではなく現実だったようです。

「まあいいさ。いいかい、ミコ。一人の時は絶対に鍵をあけちゃだめだよ。また来てもらうように言うんだ。それにしても、それにしても。今度新しく決められた共通語は難しいんだ。ウポポ語というのだけれど。」

ミコは机に腰かけて、オトにたずねました。

「ウポポ語が共通語になるってことは、これから日本語は話しちゃいけなくなるんでしょ?」

「そうだ。書いてもいけない。まず二ヶ月は大丈夫なようだけれど。それをすぎて日本語を使うと一年間は牢屋でウポポ語を勉強するハメになる。それにぼくは手紙を書かないといけないから早くウポポ語を覚えないといけないし、ミコもウポポ語になれないと買い物もできなくなる。でもこのウポポ語。めちゃくちゃ難しいんだ。」

「どんなふうに難しいの?」

「まずリンゴはなんて言うと思う?」

ミコは首をかしげました。見当もつきません。

「わからない。」

「リンゴはね、ウッチョレビントカと言うんだ。」

ミコはそれを聞いてびっくりしました。なぜなら兄がその単語を口にしたとたん目の前にポンとリンゴが一個あらわれて机の上に落ちたからです。

「え、なにそれ?なんでリンゴがでてきたの?」

「わ、わからないよ。」

とオトもそのリンゴを見てびっくりしていました。しかし、オトは勇気を出してそのリンゴにかぶりつきました。それは蜜がたっぷり入った甘くておいしいリンゴでした。オトのくちびるからおいしそうな果汁がしぼり出されて机にこぼれ落ちました。それを見たミコはひらめいて自分でもオトが言ったのと同じ言葉を言ってみました

「ウッチョレナントカ!」

しかし何も起きません。リンゴにかじりついていたオトはおっちょこちょいの妹に注意しました。

「まちがえ。ウッチョレナントカじゃなくてウッチョレビントカね。な、一つの単語が長くてややこしいかウポポ語は難しいんだよ。」

オトがウッチョレビントカと言ったとたんに、またポンと一個のリンゴがあらわれて机の上に落ちました。ミコはわーいと叫んでリンゴにかじりつきました。いやいや、それはリンゴじゃなくてウッチョレビントカなのでしょうか。

「すごーい。ウポポ語を話せれば食べる物に困ることはないね。今日は朝ごはん食べられたし。」

そう言ってよろこんでリンゴにかじりついているミコを横目で見てオトは思いました。

(こんな長ったらしい言葉、覚えるのがめんどうくさいし、言ったら変なことがおこるし、どうにもうさんくさい言語だな。魔法の力でもこめられているんだろうか?)


学校に行くまでの間にオトが調べたところでは、どうやらウポポ語は書いただけでは効果がないようです。ウポポ語は口に出して言うことで不思議な力があらわれるようなのです。

ためしにオトがウポポ語で

「ゴットチュペペントーネルウヒワックワット。」

と言うと机の下にいたネズミが気絶してあおむけに転がって腹を見せてしまいました。オトが言ったウポポ語の意味は「そこのネズミ、気絶しろ。」でした。オトが恐くなって

「ゴットチュペペントーネルウヒマッパマップ」

と言ってネズミをもとに戻すとネズミはチューチュー鳴きながらどっかに行ってしまいました。オトはぶるぶると震えながらその『ウポポ語の手引き』を戸棚の上にかくしてしまいました。オトはウポポ語がとても恐ろしい言語だと気づいたからです。確かに好きな食べ物は食べることができます。しかし、誰かがとんでもない悪さをしないとは限りません。そしてそれを今やこの王国中の人間が使うことができるのです。


「いってらっしゃい。」

とミコに見送られてオトは不安ながらも学校へと向かいました。正直いって、学校に行くのは恐かったけれど、せっかくの学校をズル休みするわけにはいきません。学校に行くまでの通学路でオトはボンボおばあさんにすれ違って挨拶をしました。そのとき、ボンボおばあさんは

「オトくん久しぶりだねぇ。大きくなったねぇ。」

と言っていました。それから五分歩いたところでまたオトはボンボおばあさんとすれ違いました。そしてボンボおばあさんはまたオトにこう言ったのです。

「オトくん久しぶりだねぇ。大きくなったねぇ。」

それを聞いたオトはびっくりしてボンボおばさんにたずねました。

「さっきぼくと会いませんでしたか?っそして同じことをいいませんでしたか?」

するとボンボおばあさんは答えました。

「そんなことはないよ。今日ははじめてオト君とあったよ。」

オトはわかってしまいました。いたずらか何かで、誰かがボンボおばあさんを二人に増やしてしまったんだ、ということに。なぜなら背後からもうひとりのボンボおばあさんがやってきたからです。二人が出会うところにいあわせたくなくて、オトは走って学校に向かいました。学校に向かって走っている途中でがりがりにやせて骨と皮だけになってしまった女性と、ぶくぶくに太ってしまった女性が口げんかをしていました。たぶんウポポ語を使ったんでしょうけれど、いったい何を言ったんでしょうかねぇ?


 学校に行ってもオトは不安で、不安でしかたがありませんでした。クラスのみんなはまだウポポ語の秘密に気づいていないようでした。しかし先生はもう気づいているかもしれません。もしかしたらそのことに気づいた他の誰かが自分にウポポ語で何か悪さをしているのかもしれません。自分が知らない間にミコが大変なことになっているのかもしれません。オトはミコのことを考えると、いてもたってもいられなくなりました。授業に集中できず、先生に何度も怒られました。

「どうしたの、今日のオト君は落ち着きがないなあ。大好きな日本語がなくなっちゃたからかな?」

先生がそう言うとみんなはどっと笑いました。恥ずかしそうにオトはうつむきました。


実際、オトの大好きな「日本語」の授業は「ウポポ語」の授業に変わってしまいました。それにはがっかりしました。だってそれだけがたった一つのオトが満点をとれる科目だったからです。「ウポポ語」のはじめての授業は挨拶や発音のしかたの授業でした。どうやらこの言語は新しいウポポ王が一週間部屋にこもりっきりで作った言語らしいのです。ウポポ王子はもとから変な王子といううわさがあったから、みんなはまた変なことをしでかしたのだろうというくらいにしか思っていなかったようでした。先生もまだウポポ語についてよくわかっていなかったようで、たいしたことは言いませんでした。だから何も変わったことは起こりませんでした。そして授業の最後に先生は言いました。

「明日から分かっていても分からなくても、授業は全部ウポポ語でおこないます。理科も社会も算数もです。図や表を使ってなるべくわかりやすく説明しますから、明日からがんばってくださいね。じゃあ日本語で最後の、さようなら。」

オトは全部の授業がウポポ語で行われたら、どんな大変なことがおこるのだろうか、そんな学校には行きたくないな、と思いました。

「さようなら。先生。」


授業が午前で終わると家にのこしてきたミコのことが心配で、心配でたまらないオトは走って自分の家を目指しました。なにやら悪い予感がしていたからです。そんな時には決まってオトの髪がピンと立つのでわかるのです。


 息をきらして家にたどりつくと家のとびらが半開きになっていまいた。ミコが鍵をしめわすれたことは一度もありませんでした。心臓がドクドクと早鐘を打ちます、そして

「ミコ!」

と叫びながらオトは家の中に飛びこみました。オトの目の前に広がっていたのは、あってはならない光景でした。机はたおれて、椅子もめちゃくちゃに倒れて、脚がおれていました。戸棚はあらされて、部屋のとびらはあいていて、中には誰もいませんでした。

「ミコ!」

誰も答えません。ミコはいなくなっていました。家を出てあたりを見まわしてもひとっこひとり見あたりません。大変です。ミコがいなくなってしまったのです。オトの大事な妹、オトのたったひとりだけの家族であるミコが。


オトは最近おこった誘拐事件を思い出しました。それはエスペラント王国に密入国した外国人がまだ小さいエスペラント人の女の子を外国に売りはらって、その女の子は大金持ちが食べるスープの出汁にされていた、という事件です。もしかしたらミコが鍋でぐつぐつと煮られて、スープの出汁をとられるかもしれません。そしたらミコは水気がぬけて、お兄さんのオトよりもずっと先にしわしわのお婆さんになってしまいます。


そう思うとオトは心臓がぐいぐいと締めつけられるような気分になりました。しばらく迷ったあとで、しかし決然とオトは戸棚の上から『ウポポ語の手引き』をとりだしました。そして言うべき言葉を紙のきれはしにメモすると

「チルッペポナナクソチュリン、ミコ。」

と叫びました。すると、どしんとミコがその場にあらわれたのです。ミコの目は赤くはれて涙がたまっていました。手は縄でしばられています。ミコは何が起こったのかわからず、キョトンとしていましたが、オトを見つけると安心したのか、わーんと泣きだしてしまいました。オトはミコの縄をほどくと、ギュッとミコを力強くだきしめました。ミコは泣きながら言いました。

「お兄ちゃん、こわいの、郵便配達のおじさんが、いきなりおそいかかってきて、私をどっかに連れて行ったの。こわかったの。鍵をあけていないのに鍵があいて。どうしてなの?なんで鍵があいたの?わたしこわい。それで、どうして今ここにいるの?」

ミコは大好きなお兄さんの腕の中で泣きじゃくりました。

「そうか、そうか。郵便配達のおじさんか。安心しろ。もう大丈夫だ。お兄ちゃんがついている。」

そういうとオトはミコをだきしめたまま、また、ウポポ語で何かをつぶやいたのです。そのときのオトはとても恐い顔をしていました。

「うん、お兄ちゃん、ありがとう。でも、今なんて言ったの?」

「なんでもない独り言さ。でも、これでミコはもう安心だよ。」

オトは泣きじゃくるミコをなだめて、それ以上の話をきかずにベッドに寝かせました。オトがいくつもの子守唄を聞かせてあげるとミコはつかれたのと安心したせいもあり、ぐっすりと眠ってしまいました。


すっかり夜になるとオトは目をぎらぎらとさせながら家を出て、かぎをしっかりとぐるぐるに八重にしめて都の方へ歩いていきました。そしてウポポ語の力を使って王様の宮殿に忍び込んだのです。まずはくさい下水道から入ってそれに続く宮殿の地下倉庫を探検しました。そして上へと続く階段をぬき足さし足でゆっくり登っていきました。足音を立てて兵士たちに気づかれてさわがれたら大変です。それから、すやすやと眠るかわいい王女たちの寝室を通りぬけて、番をしている兵士たちを、ウポポ語を使って眠らせて、王様の部屋を目指しました。


 一方のウポポ王はながい眠りから目覚めました。

「あーあ、よく眠った。さあて、つかれもとれた。そろそろ政治でもはじめるとするかな。さてさてウポポ語はどうなったことやら。」

と王様はあくびをしながらそう独り言をつぶやいて、のびをしました。そのときです。

「王様、お願いがあります。」

誰もいないはずの部屋に人の声がしたのでウポポ王はびっくり仰天してぶったおれました。太っちょなので、すぐには起きあがれません。床に転んだままでウポポ王は叫びました。

「誰だ、この部屋にいるのは誰だ!」

それを聞いて、オトが出てきました。

「小学生のオトです。」

まだ小さい、十二才くらいの男の子を見て王様はえらく安心しました。

「なんだ、子供か。でもおまえ、少しにおうぞ。」

オトは自分のにおいをかいでみました。確かに少しにおいました。

「下水道を通ってきたから仕方がありません。ところで王様に言いたいことがあります。いますぐウポポ語を共通語にすることをやめてほしいのです。あれは危険な言語です。言ったことが本当になります。このままでは殺人などの悪いことにあのウポポ語を使う人がでてくるかもしれません。王様、ウポポ語を使うことをやめさせてください。別の言語にしてください。」

それを聞いて王様はわははと笑って立ち上がりました。

「それなら大丈夫だ。それくらい予想しておるわ。悪い奴は私がなんとかする。なんとかしてみせる。そのための王様じゃ。それにウポポ語はいい言語だ。だから絶対にやめないぞ。」

「では、もし、誰かが王様を殺そうとしたらどうするんですか。」

「それも、大丈夫だ。」

ウポポ王はにやりとうす気味悪く笑いました。

「あのウポポ語でできた力は私には効かない。なぜなら私があの言語の開発者だからの。もちろん自分にはきかないようにしてあるんじゃ。」

「自分だけ安全ってことですか。ひどい。自己中心的だ。あのウポポ語のせいでぼくの妹は誘拐されたんですよ。」

「そんな小さなことはどうでもいい。」

どうでもいい、といわれてオトは怒りにふるえて声を荒立てました。

「どうでもいいってことはないでしょう。小さな女の子が恐がっているんですよ。それでも王様ですか?」

それを聞くとウポポ王はふんぞり返って言い返しました。

「そうだ、しかも偉大な王様だ。なぜなら国民全員に魔法の力を与えているんだからな。今までこんなえらいことをした王様はいないし、たぶんこれからもいないだろう。この宮殿に入れたということはおまえもこのウポポ語を使いこなしているということだ。ならば、わかっているだろう。この言語を使えば人間はお腹が減って死ぬこともないし自分の希望がかなわないこともない。寿命にはさからえないけれどそれなりに満足な暮らしができる。そんな生活を国民の全員に与えている王様はえらいに決まっているだろう。私は国民のためを思ってウポポ語を作ったのだ。こんな良い王様はいままでいたのだろうか?いや、いない。私がはじめてだ。」

と言ってから王様は続けてオトに言いました。

「おまえも魔法を使えたらいいのに、なんて思ったことくらいあるだろ。」

ぐっと、オトはひるみました。けれど言いかえしました。

「しかし、その魔法の力をみんなにあげたから、良いことばかりではなく悪いことに使う人もいるのですよ。それで多くの人がひどい目にあっているんです。その全ての人を王様ひとりが見はることができるんですか?王様が助けられなかった人はどうなるんですか?」

それを聞いて王様は、それもそうだな、と腕を組んで考えこみました。この王様はひねくれ者ですが、頑固者ではありませんでしたから。

「ふうむ。そこまで言うならいいだろう。条件つきでウポポ語をやめてやる。条件はこうだ。おまえも私のように新しい言語をつくれ。ウポポ語にかわる新しい言語を。そして今日から二ヶ月の間に国民がその新しい言語を話していたら、このウポポ語をやめてやろう。しかもおまけつきだ。法律を改正してその言語をずっとこの王国の共通語にしてやる。だけどもし国民がウポポ語を話していたら、おまえを死刑台におくってやるからな。」

オトはひねくれ者などと思っていた王様が自分の要求を条件付でもあっさり認めてくれたのでおどろきました。死刑は恐かったけれど、オトはそこまで臆病者ではありませんでした。自分なら必ずできると信じていたからです。

「約束ですね?」

「ああ、王様の約束だ。」

とこんなにも簡単にウポポ王がウポポ語をやめる条件なんて与えたのは、国民のためを考えて作った自分のウポポ語こそが絶対に勝つと信じていたからです。


さて、オトは王様の宮殿から出ると、夜道を歩いて自分の家に戻りました。さっそく新しい言語を作ろうとしましたが、どっから手をつけていいのか、まったく分かりません。何が分からないかも分からずに考えていると、とてもつかれたのでそのままベッドに入って眠ってしまいました。

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