シャルティエ・カーンズ
主人公・駄メイド・お嬢様不在
――精霊
人々は、子が五歳になる年の春、主だった街にある教会に向かう。
その目的は、司祭による洗礼を受けるためだ。
地域によっては、無料の馬車が村々と街を往復する。
その年に生まれた子どもとその引率者が集まるため教会の聖堂の中には、親子連れが多数詰めかけることとなる。
教会に入りきらない者達については、開放されている近隣の施設や、衛兵の詰め所で待機する。
静かなところでじっとしていることが苦手な子供達も、この日ばかりはその空気に飲まれて黙り込んでいる。
「次の方、どうぞ」
この儀式は身分の別なく行われ、尊き者も卑しき者もただその才のみを見られる。
司祭に促され、また一人の子供が男に手を引かれて行く。
司祭の洗礼とは、即ち精霊との契約である。
高位の精霊の補助の元、司祭が子供達と精霊を契約させる。
「ドニ村の狩人ジャンの息子、トマスです」
男が子供の名を司祭に告げて、頭を下げた後、一歩下がる。
彼は村の代表として、村の子供達を引率してきたのだ。
「お、おねがいします」
「安心しなさい。すぐ終わりますよ」
司祭は、トマスと名乗った男の子にニコリと微笑むと、彼の頭に手を当てて呪文を呟く。
「大いなる聖霊よ。彼の者に新たな縁を――」
司祭の手のひらがぼうっと光ると、トマスは何かに驚き、目をぱちくりとさせる。
司祭の契約している精霊が、聖霊の領域とのチャンネルを開き、少年の精神へと繋げる。
「えっ? えっ?」
自分の内に流れこむ何かを感じ戸惑うトマス。
聖霊の分霊たる精霊がその身に宿る――契約が成功した証だ。
「それが、あなたの精霊です。さ、次はこれを……」
精霊と契約することが出来た子供は、次に"試しの灯火"と呼ばれる燭台で力を試す。
五つの蝋燭が付けられた燭台に手を触れ意識を集中させることによって、魔力を吸い取るこの魔道具は使い手の魔力の才によって、火を灯す蝋燭の数を変える。
多くの子供達は一本を灯し、時折現れる才あるものは、それ以上の数を灯す。
一本しか灯せなかった者も、その揺らめきが強ければ伸び代があるとして評価される。
「では次に、燭台の宝玉に触れて下さい」
才あるものは、その場で将来がほぼ約束される。
騎士や魔術師と引く手あまたである彼らを放置し、他へ才能を流出させるという事は、最も避けるべき事態である。
そのため、十歳になると従騎士として召し出され、領主のお膝元にて教育を受けることとなる。
将来の労働力である子供を奪われるため、人材を輩出した村と親には決して少なくない額の金が渡されるうえに、見習い騎士ともなれば貴族ならずとも平民よりも上に見られるため、名誉も手に入る。
「は……はい」
トマスが宝玉に触れると、魔道具がトマスの魔力を吸い上げ蝋燭に火が灯る。
その数は一本、揺らめきも普通の蝋燭よりも少し強いが、「ゆらゆら」という表現の域を出ない、ごくありふれたものだった。
一般的な評価をすれば、彼の魔法の才は、かなり努力をすればあるいは……といった程度である。
「一つ、ですね……」
引率の男は、がっかりした表情を見せる。
彼の連れてきた村の子供は、トマスが最後。
今回の儀式では、皆蝋燭が一本灯るのみで、才ありとみなされる者は現れなかったからだ。
「この子と精霊の契約は成りました。では次の方……」
肩を落とし、とぼとぼと下がる男と、訳もわからず促されるままに着いて行くトマス。
「ごめんねおじさん。おれ、がんばってきっとすごい騎士か魔法使いになるからさ」
落ち込んでいることは分かるため、トマスは引率の男に申し訳なさ気に言う。
「いや、いいんだ。トマスが悪いんじゃないよ」
子供に気を使われたことを恥ずかしく思いながら、教会を後にする男と入れ違う形で、女性が少女を伴い司祭の元に向かい、少女の名を告げる。
「騎士シジマ・カーンズが娘、シャルティエです」
少女は、おどおどとした様子で同伴の女性――母親のスカートの端を握っていたが、母親は我が子を司祭の前に立たせると、スカートを握っていた手をそっと解き、頭を一撫でして下がる。
「ほう、あなたはシジマ様のご息女ですか……」
騎士シジマ・カーンズと言えば、この街では知らぬ者は旅人か赤ん坊だけだ。
彼はカルナストウ領主であるグラーツ・オルジナ公の右腕として、その武威を知らしめていた。
そのような背景から、シャルティエに対する周囲の期待は否が応でも高まる。
もっとも、彼女自身の興味は剣よりも人形や本に向いているのだが。
「は……はいっ」
司祭は、微笑むとシャルティエの頭にそっと手を置き、呪文を詠唱する。
「大いなる聖霊よ。彼の者に新たな縁を――」
司祭の手のひらの光がシャルティエの身体に広がっていく。
「ん……ふあっ……」
誰の目から見ても、その光は吹き上がるように強く輝いており周囲の人間は目を張る。
「こ、これは……」
この街に赴任して三十余年、才ある者を見た事は数あれど、これほどの輝きは初めてである。
後の英雄をこの目で見られるかもしれないという僥倖に、司祭は年甲斐もなく興奮していた。
聖霊を何より尊ぶ教会の教えでは、生来の魔力の多さとは聖霊の祝福の度合いである。
より聖霊に愛された存在にまみえることは、功徳を積むことと同義である。
「な……なにこれぇ?」
「ささ、早く宝珠に」
司祭に急かされ、"試しの灯火"の燭台についている宝珠に触れるシャルティエ。
「んっ……あっ……」
「シャル、手を離してはいけませんよ」
何かが凄い勢いで吸いだされる感覚が襲い、思わず膝から崩れ落ちそうになるが、手を離してしまうと火が消えてしまう為、今は母親がその身体を支えている。
「あっ……」
「おお……」
人々から漏れるのは感嘆の声と畏怖の声が半々。
「す、凄い……」
「流石はカーンズ様のご息女……」
五本中、四本の蝋燭が灯っており、その揺らめきもまた激しい。
司祭は驚きと感動のあまり、口を開いたまま言葉を失っている。
「司祭様……もういい?」
「え、ええ、いいですともいいですとも」
周囲の反応に不安を覚えたシャルティエが司祭に問うと、司祭はすぐにいつもの朗らかな笑顔を取り戻し、シャルティエに告げる。
「あなたは聖霊に愛されている。どうか、世のため人のためにその才を活かして下さい」
「はい! 司祭様!」
言葉の意味は完全には理解していなかったが、「皆のために頑張れ」と受け取ったシャルティエは元気よく返事をする。
父の事は大好きだ。
その父と同じ様に人の役に立つ事が出来るのならば、シャルティエにとってそれはとても嬉しい事であった。
* * * * * * *
非番の日の午後、教会で祈りを捧げるシャルティエ。
そこに、司祭が近づき声を掛ける。
「シャルティエさん。熱心ですね」
司祭――ジョアンはシャルティエにとって十年来の知己である。
洗礼を受けた日から、もう十三年の付き合いになる。
「ジョアン様……」
「私も聞きました。トマス君が亡くなられたと」
「あまり、近しかったという訳ではありませんが、彼とは同い年でしたから……」
ジョアンは、トマス少年の洗礼を思い出した。
灯った火は一本だったと記憶している。
彼は村の出、きっと故郷でかなり努力をして従騎士になったのだろう。
「去年、従騎士になったばかりでしたね」
「いつも、演習場でしごかれていたのは見ていました。このまま精進を続ければじきに"第二位階"に至ろうかといったところだったのですが、残念です」
人間と精霊の契約には五つの段階がある。
単純に精霊と契約しただけの"第一位階"。
これは、契約したばかりの者や、魔法の才に乏しい者の段階で、魔法を行使する為のツールとしてしか精霊を扱うことが出来ない。
精霊との親和性を高め、精霊の力で二つ以上の魔法を同時に行使できるようになると"第二位階"と呼ばれる。
意識を割かずとも魔法障壁を維持し続けたり、障壁の破損を検知すると自動的に再展開するなど簡単な条件付けによって、複数の魔法を同時に操ることが出来る。
魔導鎧装者になるには、魔法で鎧を維持する必要が有るため、この"第二位階"であることが最低条件である。
「そうでしたか……一本のあの子が"第二位階"になろうとしていたのですか……惜しいことを」
この、位階は"試しの灯火"の蝋燭の本数と同じ五段階ある。
灯った蝋燭の本数が、到達できる位階のおおよその目安となるのだ。
無論、あくまでも目安のため本人の努力を怠ればそこまで至らぬし、研鑽を積んだりその他の切っ掛けで灯った本数以上に大成することもままある。
「シャルティエさんは、"第四位階"でしたね」
「はい」
シャルティエは"第三位階"を通り越し、"第四位階"に位置している。
世界に存在するのに十分な力を得た精霊は自我を持ち、辿々しいながらも契約者と念話によるコミュニケーションを取ることが可能となる。
この段階を"第三位階"と呼ぶ。
更にその力を高め、流暢な会話が可能となり契約者のみならず周囲の人間ともコミュニケーションが出来るようになると"第四位階"となる。
そして"第五位階"ともなれば、精霊は完全に個を確立する。
より高まった干渉力により、特殊な能力――個性を発現する。
有名なものでは、教国の巫女の"天啓"があり、これは聖霊の声を聞くことが出来るという能力だ。
その他にも、"炎熱支配"、"紫電支配"など特定属性を支配する様な能力が多く、そのため"支配者"とも呼称される。
「その年で大したものです。カルナストウも安泰でしょう」
実際、位階が一つ上がる毎に精霊の世界への影響力が劇的に増す。
こと魔法戦であれば、下位の術者が上位の者に対抗するには、十人は必要になる。
「いえ、私などまだまだ小娘といったところです……」
その溢れる才故、十歳から従騎士見習いとして騎士団に身を置いており、突出した実力から副団長が内定していたシャルティエと、去年やっと従騎士として任ぜられたトマスにはほとんど接点はなかった。
だが、同じ年に洗礼を受けた者として、シャルティエは静かに彼の霊を慰めるのであった。
「リネア様をしっかりとお守りした貴方は立派な騎士でしたよ。トマス君」
「そう言っていただけると、彼も喜ぶでしょう」
今も、団長は殉職した者の家々を廻っている。
もしその役目が自分ならば、掛ける言葉も思い浮かばず、どの顔を下げて彼らに会いに行けばいいのかも分からない。
団長、副団長が揃ってグランストウを離れることは良くないからと、ここに留め置いてくれた配慮が心に染みた。
「彼が聖霊の御許へ召されますように」
ジョアンが祈りを捧げるのに合わせ、シャルティエも祈る。
トマスが守ろうとしたリネアを、何があっても守る。
それが彼への何よりの手向けになるだろう。
――強くならねば。
先日、手加減をされての引き分けという実質的な敗北を喫したばかりのシャルティエは、強くなることを強く望んだ。
『きっとなれるよ』
自分の契約している精霊"マーナ"が念話で返答する。
決意を新たにし、教会を辞するシャルティエの背中を、ジョアンは静かに見送っていた。
願わくば、彼女が聖霊の御許に行くのは遠い遠い未来であって欲しいと祈りながら。