カルナストウの領都
――カルナストウ領都 グランストウ
なだらかな平野と川に接したカルナストウの領都は、高く堅固な石壁に覆われた街である。
東西南北に出入りをする為の跳ね橋を置き、その周囲を川から引いた水による堀で囲んでいる。
この堀は、水運によって他の村や町からの物資の輸送を補助する役割と、石壁に取りつきにくくするための防衛施設を兼ねている。
敵からすれば攻めにくいうえに高い塀から尽きることのない矢が降り注ぐ。
身を隠そうにも平野故に天然の遮蔽物は皆無であり、魔法による障壁は頼りになるが無限に続くものではない。
そして、一度攻勢が緩めば、カルナストウの騎士達が躍り出てすかさず逆撃を喰らわせる。
都市そのものの防御力と、練度の高い騎士達によるカウンターがこの都市を難攻不落のものとしていた。
ギリモア国との国境を監視するダレスデン砦と目と鼻の先にあるにも関わらず、グランストウの住人が安寧を送ることが出来るのは、カルナストウの騎士に絶対の信頼を置いているからである。
「つまり、我々の日々の鍛錬こそが領民の安心に繋がり、ひいてはディルフィーネ王国の平和に繋がるのです」
クイッと人差し指で眼鏡の弦を押し上げ、若干ドヤ顔のシャルティエの長々とした解説を聞く。
叙任初日の朝、俺は二日酔いの身体を引きずりながら、兵舎の一角でシャルティエによる講義を受けていた。
カルナストウ領は広く、領都を中心に小さな町や村も多数ある。
治安の維持や盗賊対策のためカルナストウの騎士達は各地域を複数のエリアに分け、統括する騎士による巡回を行っている。
専任にしてしまうと、その地位に長い者に権力が集まり腐敗の温床となるため、定期的に異動するのだ。
この異動には、各自が地理に詳しくなる副次効果もある。
「今日からこの街も最強の守りを手に入れたという訳か」
「その自信がどこから来ているのか分からない」
リネアの襲われた場所は、グランストウから一時間程度の距離にある村――リネアの母の生家があった村は、最も戦力の充実しているグランストウの騎士達が管轄していたが、オルジナ公が魔獣討伐に遠征に出掛けた隙を突いて襲撃をかけてきたのだ。
「それはともかく、リネアを襲った賊については、どう対処するのだ」
武装勢力が領内を自由に移動できることは問題だと思うのだが。
「基本的に、平時に傭兵団を締め付けると面倒なことになるのですが……今回の件を受けて今後わが領では他国からの傭兵の移動を制限することにしました。奴らはこのカルナストウではお尋ね者です」
「この国は防衛に傭兵を利用するのか?」
「常備軍は維持コストがかかりますので、大抵の地方領主は最低限の兵力しか保持していません。そのため、出兵の際には戦力の水増しに傭兵を雇うことはよくありますね」
騎士以外の兵は、領民を徴用するのが常だというのは理解していたため、すんなりと飲み込める。
生産力の低下や維持コストを考えると、金で済ませたほうが便利だということだろう。
『タイミングが出来過ぎている気もするけど?』
――それは俺も気になるが、その程度の事はオルジナ公も気付いているだろう。
『内部に草がいるのか、はたまた都市に紛れているのやら』
――いずれにしても、その時はその時だ。
シャルティエがコホン、と咳払いを一つすると俺に指示を与える。
「とりあえず、今日はグランストウの街を散策して土地勘を養って下さい。一応、必要な物品の調達を目的とした任務としておきますので、遠慮は不要です」
「了解した。任務を遂行する」
「あと、私は一応副団長ですので、公の場では副団長もしくは副長と呼んで下さい」
「了解しました。副長殿」
だが、副団長という言葉に疑問が浮かぶ。
「一つ、質問をしても?」
「何でしょう?」
昨日、俺の入団テストとも言える模擬戦では、主だった者達が勢揃いしていた印象があったが、団長と呼ばれた人物は見当たらなかった。
「団長は昨日のあの場所に居たのでしょうか?」
「あの人は……必要な時には居ますので」
そう言ったシャルティエの顔は、信頼の色が見えていた。
彼女から信頼を受けるほどの人物ということで、その強さが気になる。
俺に及ぶほどの強者の一人でも居てくれなければ、張り合いも無いというものだ。
『出た。トウヤの病気』
――踏破すべき高みがなければ、面白くないからな。
* * * * * * *
石畳で舗装された道々には様々な意匠の看板が並び、見ただけで何の店か直感的に理解する事が出来る。
この世界では識字率はまだまだ低い。
代筆屋という職業が一定の需要を得ていることがその証左である。
「旅人さんかい? 今日の宿は決まった? まだならウチにしとくれよ!」
「ウチの煎り豆は天下一品だ! この木のボウルひと掬いでなんと六シル! 安いよ安いよ!」
メインストリートでは、道沿いの店が盛んに客を呼び込む声を上げている。
「賑やかだな」
『色々売っているのね』
見るだけでもフラフラと歩くだけでは、それだけで一日が終わってしまいそうだ。
勿論、この街に不案内な俺だけではなく道案内役の人間もいる。
――何やらこちらを探る視線を感じるものの、とりたてて悪い気配ではないため捨て置くことにする。
「そこの串焼き屋台は、値段も安くて人気なんです! あ、あそこの雑貨屋はたまに王都の品が入るので、女性に人気なんですよ! 次は……」
俺の前をくるくると回りながら次々と店を指差して説明するトリス。
どの世界でも、若い女性や子供のエネルギーには驚かされる。
輝く様な笑顔のトリスと対比して、元の世界の人間はみなどこか疲れたような表情をしていた気がする。
文明の進歩で、機械の補助で出来ることが増えた反面、一人の人間の力によって成し得ることそのものの価値が希薄化してしまったのが原因なのだろうか。
そんな考え事をしながら歩いていると肩に軽い衝撃を受ける。
「おっと、すまないね兄ちゃん!」
前方から歩いてきた男にぶつかる。
この程度の人混みならば、目を瞑っていても避けられるが、それでもぶつかったということは、そういうことだろう。
人の良さそうなオッサンという表現が似合う男性がすれ違いざまに詫びていく。
「こっちこそ、余所見をしていた。すまない」
こちらも軽く詫びるとそのままトリスに着いていくことを再開する。
手に握っていたある物を手首のスナップを利かせて天高く放り投げてから少し歩調を速める。
追いつく前に、少しペースが落ちたことを察したトリスが、ちょこちょことこちらに駆け寄ってくる。
「どうかされましたか?」
「ああ、さっき男にぶつかってしまってね。それで遅れてしまった」
それを聞いたトリスは、にわかに焦り出す。
「トウヤ様! 今のはスリかもしれません。持ち物は大丈夫ですか?」
「問題ない。財布もほら、この通りだ」
自分の財布を目の前に示してやると、ほっとした表情を見せるトリス。
「あー、良かったです。人通りが多いと、どうしてもそういう人も出てきますので……」
彼女は純粋で他人のことを思いやれるいい子だと思う。
世界がこの優しさで満ちていれば、争いなど起こりようがないのに。
『何か変なスイッチ入ってない?』
――少し黙ってくれ。
「ああ、気をつけるとするよ。悪いスリには天から財布でも降ってきて痛い目を見るだろうよ」
遠くで、「痛っ」という声がしたが、特に気にする必要もない。
「悪いことなんてせずに、ちゃんと働いたほうがいいに決まってるのに……」
「そうだな」
微笑ましさからか、つい、年下の友人にするように頭をくしゃりと撫でてしまう。
「ひうっ!?」
その声に我に返ると、年頃の女性にする事ではなかったと気づき、慌てて謝罪する。
「す……済まない!」
『あららー』
からかう口調の念話にイラつくが、失態は失態だ。
慌てて謝罪する。
「い、いえっ! ただビックリしただけですから」
メインストリートの店をあらかた説明し終えたトリスであったが、そこから一本入ったところにある建物へと案内してくれた。
見るからに教会のような宗教的な建築物。
中を覗くと聖堂の中では、子供達が長椅子に掛け、説教台に立つ男性を見つめている。
「ここはこの街の"聖霊教会"なんです」
六十絡みの落ち着いた物腰と柔和な笑顔は、堅苦しい宗教者というよりも優しい先生に見える。
「ここでは、説法以外にも、子供達に勉強を教えているんですよ」
子供達に語りかけるのは聖霊教会の司祭という地位ある人間だが、それに驕る様子は見られない。
「ジョアン司祭様です」
ジョアンと目が合ったため、邪魔にならないように静かに目礼と会釈で挨拶する。
彼はそれを見て、ニコリと笑うと子供達への授業を再開する。
「モアくんが、お母さんにお使いを頼まれました。カルネさんのパン屋でひとつ銅貨三枚……三シルの黒パンを二つ買うと、何シルになるでしょう?」
トリスによると、彼は午前と午後の説法の合間にこうして子供達を集めて勉強を教えているらしい。
身近なものを例にするといった配慮もしており、教えることに慣れている。
「はい! お腹いっぱいになる!」
元気よく手を上げた男の子が答えると、ジョアンは少し困った表情になった後で不正解を告げる。
「うーん、確かに二つ食べるとお腹いっぱいになっちゃうね。でも、お金はいくら掛かるのかな?」
「わかんない!」
男の子は歯の抜けた顔でニカっと笑う。
「では、他に分かる人はいるかな?」
ジョアンの授業を聞いていると、貨幣の価値が理解できた。
銅貨百枚で銀貨一枚。
銀貨百枚で大銀貨一枚
大銀貨百枚で金貨一枚ということらしい。
今は手元に銀貨が五十枚ある。銅貨一枚が百円程度の価値だと仮定すれば今は五十万円程度の所持金があるということになる。
多すぎるとは思うが、リネアの件の報酬もあるため、実際はもっと支払われる予定らしい。
今のところは大金を持ち歩く必要もないだろうと向こうが判断したため、適宜支給してもらう運びとなっていた。
暫く子供達の様子を見学していたが、勉強の終了とともにその場を辞する。
その後、衣類や生活小物などを買い揃えて、帰路につく。
最後に軽く食事でもして帰ろうかと、店を探しながら歩いていたが、ふと浮かんだ疑問をトリスに質問する。
「ああやって、子供達に勉強を教えることに教会にメリットはあるのか?」
何も慈善という訳でもあるまい。
例えそうだとしても、何かしらの狙いはあるだろう。
「私達が精霊と初めて契約するときは、五歳になったら教会でするのが決まりじゃないですか」
じゃないですか、と言われても異世界人である俺にはよく分からないのだが、常識であるらしいのでここは合わせておく。
「そういえばそうだったな」
「素質のある人はそこで見出されますから、その情報が法王猊下のおられる教国に集約されるらしいです。それに勉強して算術とかの出来る人って、お役人として召し抱えられていきますから、教会へ好意を持った人が出世することで喜捨も増えますし、悪くない範囲で便宜も図ってもらえますしと、誰も損をしない仕組み……らしいです」
「まるで誰かの受け売りみたいな言い方だな」
俺の指摘に、トリスは可愛らしいイタズラがばれた子供のように照れ笑いをする。
「バレちゃいましたか。全部シャルティエ様からの受け売りなんです」
「ああ、アイツ説明好きそうだもんな」
『メガネかけてるしね』
クロエの言葉に謎の説得力を感じる。
二人でひとしきり笑いあったあと、トリスがおすすめしていた串焼き屋が目に入る。
「少し行儀が悪いが、店で夕食するのではなく、買い食いして帰ろうか。トリスさんのオススメで頼もうかな」
「はい! いいですね!」
歩きながら提案すると、トリスが二つ返事で同意する。
「じゃあ、これで二人分を頼むよ」
銀貨を一枚渡すと、笑顔で屋台の立ち並ぶ方向へ駆けていく。
その間に、教えてもらった雑貨屋を覗く。
「いらっしゃい。何をお探しで?」
若い店主が、声を掛けてくる。
食事時ということもあって、客はまばらで色々見て回るのは簡単だった。
見ていく内に、猫の形をあしらった小さな髪飾りが目に入る。
そこで視線を止めていると、店主が声を掛けてくる。
「それがお気に入りですか? 王都から入ってきた銀細工の髪飾りです。少々値は張りますが良い品ですよ」
「いくらになる?」
俺の言葉に脈アリと踏んだ店主が揉み手で近づいてくる。
「銀貨五枚です」
「では、貰おうか」
即断すると、困惑した表情を見せる店主。
「何か?」
「いえ、大抵のお客様は値切られますので……」
「良い物には適切な対価を払う。俺が納得しているのだから何も問題ない。そう思わないか?」
「いえ、ご尤もなお話です」
深々と礼をする店主を尻目に、トリスとの合流場所へと急ぐ。
まだトリスは戻っていないらしく少し待つ。
「お待たせしましたー!」
しばらくして、トリスが手に串焼きやパンを抱えて戻ってくる。
それを食べながら、雑談をしつつ帰路につく。
「この串焼きは美味いな」
「そうでしょう! それをこのパンに挟んで食べるともーっと美味しいんです!」
その言葉に従って串焼きドッグのようなものを作って食べる。
肉に塗られたタレがパンに染みこんで、これは美味い。
歩きながらの食事も終わり、俺の寝起きする兵舎の前に辿り着く。
「それでは……本日は楽しかったです」
ペコリと頭を下げるトリスを見て
ポケットに入っていた髪飾りを思い出す。
「少し、待ってくれないか?」
「……何でしょう?」
「そのまま動かず……」
要領を得ないトリスに動かないように声を掛けると、髪飾りを付けてやる。
「……これは?」
「今日案内してくれた礼のようなものだ。気にしないでくれ」
そのまま後ろを向き、後の言葉を聞かずに兵舎へと入っていく。
「あう……」
真っ赤な顔をしたまま、ぎゅっと両手で胸を抱きしめるトリス。
彼女は、その顔の火照りが消えるまで、その場を動くことが出来なかった。
* * * * * * *
――リネアの自室にて
「きぃーっ! 悔しいです! トリスの裏切り者!」
トウヤとトリスを尾行していたリネアが、悔しさを爆発させる。
「私が案内するはずでしたのに! それなのに!」
「お、お嬢様? 落ち着いて下さい」
護衛として付いていたシャルティエだったが、
自身にそういった経験が無いため、乙女の心の機微はわからずにおろおろとするだけだった。
「うるさいわねシャル! よくも私を推薦しなかったわね! ばか! ばか! うらぎりもの!」
「そ、そんな! お嬢様は襲われたばかりの身ですからおいそれとは……」
「そんなの関係ないもん! こうなったらトウヤ様に、シャルが副団長になった時にお父様のこと間違えてパパって呼んだこと言ってやるんだから!」
「そ、それだけは勘弁して下さい!」