異界の晩餐
一番好きなグルメ作品はバキです。
オリバのステーキあたりが好きです
暫く待つと、コンコン、と控えめなノック。
「どうぞ」
入室を許可すると、トリスがしずしずと入ってくる。
「失礼します」
トリスによって、台車に乗せられた料理が運び込まれる。
熟練した手つきで運ばれるそれは、全く音を立てずに俺の前に並べられていく。
「グラーツ様曰く、えー、んっんっ『俺は堅苦しい料理は性に合わん。いつも食べているものだが勘弁してくれ』だそうです」
頭を下げながら言うトリス。
若干、モノマネが入っているような気がしたが、それにしては下手だったので黙殺する。
「心遣い、深く感謝する、と伝えてくれ」
「あうっ……はい……」
流されたことがショックだったのか、若干目が潤んでいる様に見えるが、それも無視する。
「では、ありがたく食べさせてもらう」
テーブルの上にパンが積まれた篭と、スープ、それに肉の煮込みらしき皿が置かれている。
飲み物は、血の色をした液体……中世の主役、葡萄酒だろう。
握りこぶしほどの大きさのパンは焼きたてなのだろう手に持ってみると暖かく、割ってみると元の世界で食べられている全粒粉のパンの様に、やや茶色がかっている。
「ふむ……」
製粉技術がそれ程進んでいないのかはわからないが、ふわりと立ち上る湯気を一息吸い込むと、香ばしさがいっぱいに広がる。
「いい香りだ」
「ありがとうございます。うちのパン焼きも喜びます」
一口目を千切って口に入れる。
さくりとした食感と、香ばしさ。
それに小麦のほのかな甘みが続く。
「……こいつは美味いな」
スープの皿に視線を移す。
とろみのある薄緑色のスープ。
「これは?」
何かのポタージュだろうか、リネアに問う。
「ソリュ豆のポタージュです」
ソリュ豆とは、どういった豆なのかは知らないが語感や調理法から推察するに、そら豆の様なものだろう。
一匙口に含むと、口の中に濃厚な豆の風味が広がる。
――なるほど、そら豆だ。
そら豆の独特の風味は人によって好みが分かれるが、調味料と少量の香辛料によって見事に抑えられ、塩味と複数の野菜や鳥の旨味も加わっている。
「豆の青臭さが感じられない。何を入れているのだろうか?」
「はい、ガリクとペパを少し使っております。ペパは高価ですのであまり使えませんが、そこは料理人の腕で」
食物の名称は、何の偶然か元いた世界のものと近い。
名前でおおよその予測ができるのは異世界に来て嬉しい誤算だ。
『そもそも、会話が成立している事自体が異常なのよ』
クロエが念話で口を挟む。
せっかくの食事に水を差されるのは癪だが、ここはクロエ先生の講釈を聞くとしよう。
――異世界だから魔法的な力で何とかなっているんじゃないのか?
『アホらしい答えだけど、それが一番説得力があるのも頭の痛い話ね。何かの力か、この世界の法則みたいなものによって自動で翻訳されているのだとしたら、そういった名称も私達の理解しやすいものに聞こえているだけなのかもしれないわね』
――俺が発話したら、向こうには向こうの正式名称で聞こえているのかもしれない、ということか……
『そうだとしたら、微妙なニュアンスの違いでトラブルになる可能性も考えられるから、言葉は慎重に選ぶべきね』
「トウヤ様、どうされました?」
急に手を止めた俺を不審に思ったのか、トリスが声を掛けてくる。
「いや、豆のスープで故郷を思い出してな」
適当に誤魔化しておく。
懐かしいのは豆は豆でも大豆で作られた味噌汁だ。
「そうでしたか」
「もっとも、こんなに美味くはなかったがね」
「あうっ……」
笑顔で返すと、トリスの顔が少し赤くなる。
「続きをいただくよ」
ニコニコと側に控えているトリスに、心の中で詫びる。
クロエの話から、日本的な曖昧な言い回しは避けるべきだと結論付けた。
これからはノーと言える男として生きよう。
気を取り直して、豆のポタージュをもう一口。
底の方をさらうと、具が入っている。
これは、裏ごししていない丸のままのソリュ豆か。
スープとしてではなく、具として別で茹でたものだろう。
適度な硬さを保ったまま単調だったスープに食感というアクセントを与えてくれる。
「美味いね、これは」
次に、肉の煮込みの皿に手を伸ばす。
浅い皿に、パンと同じ、握り拳程度の大きさの肉の塊に赤いソースが掛けられたものが載っている。
添え物として、同じ様に煮こまれたであろう芋の様なものや、人参のようなものなどの上にも、赤いソースが掛けられている。
フォークは用意されているが、切り分けるためのナイフが見当たらない。
「トリスさん、切り分けるナイフはあるのかな?」
「ふふふ、ナイフは必要ありません。その煮込みはフォークだけで切り分けられますよ」
その言葉を待っていました、とばかりのドヤ顔である。
「ほう……では」
フォークが抵抗なく、すっと肉の繊維の隙間に入り込む。
脛肉の様な肉質のそれを口の中に放り込むと、口の中で肉がほどけていく。
「沼牛の脛肉の赤ワイン煮込み、いかがでしょうか」
まずは、ワインの芳醇な香り。
次に長時間煮こまれたため、他の具材からにじみ出た旨味と赤ワインのかすかな酸味が肉の旨味を最大限に引き出している。
ビーフシチューとは少し違うが、美味いものには変わりがない。
ただ柔らかいだけではない。
噛むと、じゅわっと肉汁が染み出てくる。
「なるほど……美味しいよ」
暫くの間、食事の音だけが部屋の中に響いていた。
この世界の最初の食事を完食するのに、それほど長くはかからなかった。
* * * * * * *
同じ頃、グラーツ公爵やリネア達も家族の食卓を囲んでいた。
執事たるカウフを筆頭に、メイド達が整然と給仕を行っている。
メニューは、トウヤが食べているものと同じ、パンとソリュ豆のスープ、そして沼牛のすね肉の赤ワイン煮込みである。
「日々の糧を与えてくださる聖霊に感謝を」
グラーツが聖霊に祈りを捧げると、リネアが追従する。
「感謝を」
高位の貴族であるグラーツだが、質実剛健を旨としており、その食事は地位に比して質素である。
しかし、味に妥協する気はないため、料理人の腕と重視することと、安価で良質な食材を得る努力は惜しまない。
この煮込みに使われている沼牛という生き物は、牛の巨体で草食動物らしからぬ凶暴さを備えており、動物を狩る狩人も怪我を嫌って手を出さない獲物であるが、騎士団の演習のついでにこれらの野生の動物を狩り、持ち帰っている。
希少性のため、沼牛の肉は高価であるが、配下の騎士団の食事にも、こうした狩りの獲物の肉が振る舞われ、彼らの栄養状態もすこぶる良い。
「お父様……何故トウヤ様を食事にお呼びになられなかったの?」
不機嫌なリネアに対して、父であるグラーツが困った様に言う。
「いくらお前の命の恩人とはいえ、その人となりを見極めねばいかんのだ……どうか機嫌を直してくれ」
「ですが……あのお方は私が使い魔の召喚で召喚したお方です!」
グラーツの言い分も理解できるため、それ以上は言わなかったものの、リネアは内心不満たらたらである。
おとぎ話のように自らの命の危機に、颯爽と現れた騎士。
それも、話に聞くと魔導鎧数体を相手どって、そのことごとくを討ち果たしたというのだ。
おまけに、珍しい黒髪であるものの優しげな見た目で顔も悪くないとくれば、十五のリネアが憧れない筈がない。
「お嬢様、旦那様も立場ある御方。トウヤ様がどういった御方か知らねば、身の危険もあります」
カウフがとりなすも、リネアは、つん、と顔を背けていかにも「私は不満です」といった態度である。
「機嫌を直してくれリネア。明日、騎士団達の所に皆を連れて、トウヤ殿の人柄を見極めようではないか」
愛娘の機嫌を直そうと、おどけて言うグラーツに、リネアはようやく機嫌を取り戻すが、チクリと最後に文句を言う。
「それに、お一人で食事を取らせるだなんて失礼です」
「トリスを付けているんだ、それは勘弁してくれ」
それを聞いて、リネアの表情が少し曇る。
「それが一番不満なんです。なんでトリスばっかり……」
小さく呟いた声は、誰にも聞こえなかった。
「リネア、何か言ったか?」
「何もありません!」
グラーツは、咳払いを一つして空気を変える事を暗に示す。
表情を引き締めると、厳かな口調で言う。
「逝った者達に祈るぞ。リネア」
今日は見知った顔も沢山死んだのだ。
それを一時でも忘れたことを、リネアは深く恥じた。
「はい、お父様」
カウフやメイド達も目を瞑り、黙祷を捧げる。
「聖霊の御許へ召されますよう」
「召されますように」
きっと、今日逝った騎士達は、先に聖霊の御許へ行かれた自分の母親が出迎えているのではないか。
そう思うことで、リネアは死者の霊を慰めた。