乱入者の正体
乱入者が、俺と視線を合わせる。
いかにも位の高い貴族といった服装の上から、防具を身に纏っている。
年齢は四十近くに見えるが、見せかけではない、実用的な筋肉を身に纏う見事な体つきと、目元の力強さが実力者であることを告げている。
頬や額にはいくつもの古傷が残っており、歴戦の古強者といった雰囲気をより強めている。
無意識の内に、拳を強く握り絞めていることに気付く。
本能で強敵と認識しているのだろう。
一拍置いて、武装した集団が入室してくる。
いずれも隙の無い立ち居振る舞いから、相応の実力者であることがわかる。
「お父様!」
リネアが握っていた俺の手を放し、男に駆け寄る。
リネアがお父様と呼ぶことは、奴がグラーツ・オルジナ公か。
体当りする勢いで走り寄るが、オルジナ公はふわりと包み込むようにリネアを抱きとめる。
「別邸に賊が現れたという知らせを聞いて肝を冷やしたが……無事であったかリネア!」
笑顔で腕の中のリネアに語りかける顔を見れば、その眼差しの優しさから良き父であることが窺える。
そこにカウフが進み出て、跪く。
「申し訳ありませぬ旦那様。留守を預かる身でありながら、従騎士たちに犠牲を出していまい、あまつさえリネアお嬢様に賊の手が迫るという有り様。このカウフ、いかなる責めも受けますれば……」
死を以ってその不手際を詫びよと言われれば、すぐにでも首を掻き切りそうな勢いだ。
「よい、こうしてリネアは無事なのだ。喪った者達は残念ではあるが、彼らの忠義は無下にはせぬ。それに、精鋭を軒並み連れて魔獣討伐に向かった俺にも責がある」
毅然とした表情で言うオルジナ公に、先程までの娘を愛する父の面影はなく、人の上に立つ者として振舞っていた。
「これから本邸に戻る。お前達は先に行くのだ。――カウフは戻り次第、今回の顛末を報告せよ。トリスは引き続きリネアに付け」
「かしこまりました」
「は、はいっ!」
リネアは名残惜しげに、何度も振り返りながらも、カウフとトリスに促されながら退出する。
「さて……」
再び視線が俺に戻る。
値踏みするような視線に、少しの不快感を覚える。
周囲の戦闘員達も、いつでも応戦できるように身構えている。
「私はカルナストウ領主、グラーツ・オルジナ・カルナストウである。貴殿の名を問おう」
リネアとクロエのお陰で現状が少し理解できた。
封建領主……ましてや頭に"異世界"という不穏な単語のついた男の前だ、空気を読むべきと考え、片膝を付き跪く。
「はっ、私の名は灯夜……喜志灯夜でございます」
こちらの礼については分からないが、先程のリネアのカーテシーから推測するに、大差ないであろう。
跪き、頭を垂れることは抵抗の意志がないと受け取ってもらえるだろう。
「ふむ……騎士であるか。どうやら、娘は貴殿に救われたようだな」
周囲に撒き散らされていた、プレッシャーが霧散する。
「色々と尋ねたいことはあるが、ここでは落ち着かぬ。本邸まで来てもらおうか」
オルジナ公は、俺に背を向けて歩き出す。
整然とした歩調で武装した集団――騎士であろう者達が追従する。
屋敷の前には、賊達との戦闘の跡があったはずだが、いつの間にか全て撤去されており、地面の所々が空いた穴のみがこの場所で戦闘があったことを語っている。
「お父様! みんな、早く!」
先に出ていたリネアが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながらこちらに向けて手を振っている。
それを見ると、オルジナ公も若干歩く速度を早めている。
「さ、トウヤ様も馬車にお乗りになって」
二台の馬車が用意されているが、一台はオルジナ公が乗るもので、もう一台はリネアだろう。
当然の様に、自分が乗る方の馬車に同席するように言うリネアだが、このような年齢の未婚の女子と馬車を同席することは問題ないのだろうか?
「トウヤ殿は、あちらの馬車にお乗り下さい」
オルジナ公の従者の騎士の一人が、もう一つの馬車を指し示す。
二十代の女性で、メガネを掛けた理知的な印象を受ける容姿の女性だが、身に纏う防具の所々にある傷が彼女が武の中に身を置いている者であると告げている。
「シャル! 何で……」
リネアが、シャルと呼ばれた女騎士に文句を言うが、当の彼女は全く意に介していない。
「グラーツ様がトウヤ殿と話がしたいとのことで」
馬車の中で尋問でもしようというのか。
「んー、お父様がそう言うなら……」
がっかりした口調で言うリネアだが、父の意向に背く気は無い様子だ。
とぼとぼと自身の馬車に乗り込む為に歩いて行く。
騎士にオルジナ公の乗る馬車に乗り込むと、音もなくドアが閉められる。
対面して座るオルジナ公との距離は一メートルもない。
「囲んだ……」
笑顔で言うオルジナ公。
口の端は釣り上がり、リネアに向けた柔和な笑みではなく、牙を剥くかの如く攻撃的なものだ。
「配下の騎士が二十人、俺の側近で固めた。魔導鎧も展開するな。少しでもそんな素振りがあれば、私……いや、俺ごと魔法で吹き飛ばすように命じている」
尋問する気満々だ。
「……何が聞きたい」
「全てだ」
『そこは私が説明するわ』
唐突にクロエが発言する。
オルジナ公は驚くが、冷静さを保っている様子。
「ほう、高位の精霊殿と見受けるが、聞かせていただこう」
『ワタシ達は、あのリネアという名のお嬢さんに喚ばれたの』
完全に蚊帳の外であるが、オルジナ公の視線は俺の目から外れていない。
一挙手一投足を監視するといった有り様だ。
それに、馬車の屋根に一つ……微かに気配を感じる。
「喚ばれた……とは?」
『あの子は"使い魔の召喚"と』
「馬鹿な事を言う。……使い魔の召喚は魔獣や幻獣が呼び出される筈だ」
信じられないといった口調のオルジナ公だが、実際に俺はここに居るのだ。
『ええ、あの子もそう言っていたわ』
「ならば何故」
「魔物や幻獣程度では彼女を守れなかったからではないのか」
自慢するつもりはないが、自分の強さには自信がある。
俺はもう、誰にも負ける気はないのだ。
『それが一番可能性が高いわね。トウヤの強さは私が保証するわ』
「……精霊殿が嘘をつくとも考えられん。そういうことなら礼を言っておくが……」
「礼には及ばん」
空気が弛緩し、屋根の気配も消える。
「グラーツ・オルジナ・カルナストウの名において、騎士トウヤ殿に感謝する」
オルジナ公は膝に手をつき俺に頭を下げる。
「オルジナ公としてか? それとも、リネアの父としてか?」
すると、オルジナ公がニカリと歯を見せて笑う。
「もちろん、リネアの父グラーツとしてだ!」
* * * * * * *
一時間程で馬車が止まる。
降りた先はまさしく封建領主の屋敷といった出で立ちの大きさの屋敷。
客室に案内され、椅子に腰掛けるとクロエが話し掛けてくる。
『この先どうするの?』
「いくら、魔法とはいえ世界の壁を超えて俺を喚び出すなんて単なる偶然ではあるまい」
『それに、自爆に巻き込まれたのに五体満足だったことも変ね』
「先程の戦闘、記録しているか?」
『もちろん。目的は魔導鎧と呼称されていた武装よね。分析しているわ』
分析に集中しているのか、それきり沈黙するクロエ。
手持ち無沙汰になり机の上に置いてある篭に盛られていた果物の山から、リンゴのような果実を選び出すと、しばらくの間、ボールの様に手の中で弄んだあとで齧りつく。
「酸っぱ……」
暇を持て余したため、鍛錬をしようと立ち上がる。
上着を脱ぎ、上半身裸になる。
いくつもの戦いを乗り越えた証として、無数の傷跡が目に入る。
「ふぅ……」
肩幅程度に足を広げ、腰を落とす。
呼吸を整え、丹田に意識を集中すると、気の充実を感じる。
体中に気を巡らせると、腕立て伏せを始める。
「1、2、3……」
没頭することで、時間を忘れようと努力する。
次第に、自分が腕立て伏せをするだけの機械になったような気になる。
「9996、9997、9998、9999……」
滝のように汗が滴り、腕の筋肉が悲鳴を上げている。
「いち……まん!」
心地よい疲労に、幾分気分が晴れる。
腕立て伏せを終え、汗を拭いているとクロエが呆れて言う。
『ねえトウヤ』
「ふぅ……なんだ」
『さっきからずっとメイドの娘が待ってるのに、私が声をかけても全然気づかないんだから』
ドアの方に目を向けると、トリスが立ちつくしている。
「む、それはすまない。トリスさん、待たせてしまって……」
「ひゃっ! いえ、それ程待ってはおりませんので……」
何故か顔を赤くしたトリスが、わたわたと慌てた様子で否定する。
「クロエ、何分待たせてしまったんだ」
『そうね、二十分ほどじゃないかしら』
二十分も男の腕立て伏せをただ眺めていただけだと……!?
そう考えると、とてつもない罪悪感が襲ってくる。
――汗だくの男の腕立てを延々と見せられる。
これが情報を引き出すための拷問なら、俺はすぐに喋ってしまうだろう。
「申し訳ない。なんと詫びて良いのか……」
『こういうズレたとこ、いつまでも直んないのよね』
「この後……と言っても、待った分時間が経ってしまったので、今からになるのですが」
落ち着きを取り戻したトリスが、丁寧に頭を下げながら言う。
「夕食ですので、お部屋にお持ちしてよいかを伺いに参りました」
「そうだな。お願いするよ」
だが、トリスは頭を下げたまま、動こうとはしない。
「トリスさん……一体どうしたんだ?」
「そ、しょのっ……ふ、服をっ」
上半身裸のままだったことを思い出し、慌てて服を着る。
かなり失礼なことをしてしまった。
「見苦しい物をお見せして、大変申し訳ない……食事の件は了解した。持ってきてもらえないか」
服を着ると、ようやくトリスが顔を上げる。
相変わらず顔は赤いままだが。
「かしこまりました」
退出するトリスを見送ると、俺は夕食を待つことにする。
まだ知らぬ食材と料理に、期待が高まる。
『あんまり期待しないほうがいいわよ。調理機械や品種改良なんてないだろうし』
クロエが水を差すが、この世界は魔法があるのだ。
侮ってはいけない。
「そこはそう……魔法で、パパッとだな」
――トリスは閉まったドアの向こう側で、ほうっと息を吐く。
まだ顔は赤いままだ。
先程のトウヤの身体が目の裏にまだ残っている。
沢山の傷跡があったが、汚いという印象は受けなかった。
その体に触れてみたいと思った自分は、はしたないのだろうか……
「トリスー! どこー?」
主人たる、リネアの呼ぶ声が聞こえる。
「はい! ただいま」