その目には映らず
生きてますよ
トウヤ達が巫女の護衛を終え、グランストウへ時間した直後のことである。
グラーツは執務室の椅子に座り、目を瞑ったまま巫女の護衛についての報告をじっと聞き続けていた。腕を組み、眉をひそめたその表情は、グラーツを知らない者が見れば"不機嫌"と取られても仕方のない見てくれであるが、付き合いの長い者は、彼が熟考しているときの表情であると察する。
「トリスからの又聞きになるのですが、お嬢様と巫女殿は仲良く談笑されていた……とのことですが」
護衛責任者であるシャルティエが、淡々と馬車の中で起きたことの顛末を語る。帰還後すぐのことである故に、顔や髪は多少土埃で汚れているものの、表情から気力は充実しているのが見て取れるが、私情を交えず簡潔にありのままを告げる。
シャルティエの言葉は馬車の中に居たトリスからの又聞きのため、緊迫感は感じ取れない。トリスの人となりをよく知るグラーツは、苦笑した後シャルティエに問い掛ける。
「表向きはそれでいい……で、お前の"糸"ではどうなんだ?」
シャルティエは戦闘能力こそ位階の壁に阻まれ、真の強者への一歩を踏み出せずにいるが、幼い頃から騎士団で英才教育を受け、彼女の真面目で努力を厭わぬ性質が見事に噛み合い、こと魔力の精密操作に関してグラーツは全面の信頼を寄せるまでの腕前を誇っている。魔力を極限まで細く紬ぎ糸状に加工して、多重に隠匿を施した上で馬車の底面に貼り付けることで糸電話の如く馬車の内部の会話を拾っていた。探知魔法で見つけ出すことはほぼ不可能であるが、ごく弱い魔力放射でも糸は切れてしまうため、使いどころの難しい技術である割に全ての音を拾うことは不可能であるし、声の抑揚など以外から内部の雰囲気を感じ取ることまでは不可能なので、完璧な盗聴とは言えないが、この場においては最善手であった。
「はっ! 巫女殿は、お嬢様が人間を召喚した件に対してかなりの興味を示しておりました」
リネアが召喚した人間――に対して向こうが興味を示すのは当たり前のことだ。起こり得るはずのないイレギュラーは必ず意味を持っており、そうした兆しを確実に掴むために教国はあらゆる国の至る所に眼や耳を潜ませている。教国が感づくのは時間の問題であったし、隠そうとすることを逆手に取られるリスクを考慮しグラーツ自身大した口止めもしていなかった。
「天啓については、俺も聞かされたよ」
グラーツも力を持つ大貴族の一人。天啓の内容はすぐさま伝えられており、国を挙げて共有されるべき情報のため、安全策をとって同時に複数の早馬が王都へと出発している。
「それでは閣下……"門"というのは……?」
シャルティエが質問するが、グラーツはそれには答えず話題を変える。
「それはともかく……」
シャルティエの目を見て溜息を一つ吐く。シャルティエがこのように凛々しく振舞っている時には、グラーツにはキリッとした表情で尻尾をブンブンと振る犬が背後に見えそうになる。背が低いため、子犬っぽさがところどころに見え隠れするが、基本的には忠犬、名犬の類である。
「ギリモアの奴と諍いを起こしたそうだな」
グラーツのこの一言で、シャルティエの背後(犬)の耳は折れ、尻尾は力を失う。実際に、彼女は冷や汗をかき握り締めた拳はふるふると震えている。
「しょっ……それは……!」
「貴様の任務は何だ。言ってみろ」
「み、巫女殿の護衛を引き継ぎ、トラブル無く帰還すること……です」
「衝突一歩手前までいったそうじゃないか」
「それは……最後は騎士トウヤがとどめを刺したというか……」
みるみるうちに色をなくすシャルティエを見て、グラーツは笑いをこらえるのを必死に我慢する。
「部下の失敗は?」
「私の責任です」
「……フッ、ハッハッハッハ!」
「か、閣下ぁ!?」
グラーツはたまらず吹き出す。彼自身その件については特に咎める気はなかった。ただ、話を変えるためにうってつけのネタであったのがシャルティエの不幸である。シャルティエは生来の真面目故に、真剣に叱責を受けていると感じてプルプルと震えていたが、それもまたグラーツにとって政務のストレスを癒す清涼剤になっていた。
「構わん。もし俺がその場にいたら奴が視界に入った瞬間叩き斬っていた」
あのハドウェルと言うギリモアの男に対して、カルナストウの騎士であるならばほぼ全ての人間は因縁がある。能力面では若くして第五位階に登りつめた希代の天才として有名であるし、六年前に起こった大規模な衝突ではこちらの前団長を手に掛けた憎い男である。
ましてやシャルティエにはもう一つの因縁がある。ハドウェルが打ちとった前団長の名は"シジマ・カーンズ"。
つまり、シャルティエにとってハドウェルとは"父親の仇"である。その後、当時の副団長が団長へと繰り上がり、騎士筆頭であったシャルティエが副団長に就任することになった。
12歳といえば、まだまだ子供であったが騎士団で副団長就任を反対する者は居なかった。
血を分けた娘故に団長の面影を強く残したシャルティエが表に立つことで、誰もがシジマとのつながりを残しておきたかった。彼という存在を忘れたくなかったのだ。
無論、実力の方も申し分なかった。第四位階に足を踏み入れ、向上心も強い先進気鋭を絵に描いたような存在のシャルティエを誰もが愛し、慈しみ、育てた。グラーツもその例に漏れず、右腕の忘れ形見を娘と同様に深く愛した。
「御苦労……湯浴みもさせずに報告を求めて悪かったな。明日王都から巫女殿の迎えが来るまでゆっくり休め」
グラーツはニヤリと笑いシャルティエを労うと退室を促す。からかわれたことに気付いたシャルティエは、ばつの悪そうな表情のままだったが、口元は少し緩んでいる。彼女は憎しみや復讐のみで生きる、寂しい人間ではなかった。
「はっ……それでは、失礼いたします」
シャルティエは一礼して部屋を退出するする。ドアが閉まり、コツコツと鳴るブーツの音が遠ざかると、グラーツは溜息を一つ吐き、窓の側に佇む男に声を掛ける。シャルティエの入室から退室まで、彼女の視線は一度たりともこの男を捉えていない。
「声くらい……掛けてやらんのか」
言葉には呆れが多分に含まれているが、咎めるニュアンスは感じられない。
「……合わせる面がねぇよ」
背を向けたまま、ぽつりと言う男に、グラーツは苦笑する。
「シジマの事なら俺もそうさ」
その言葉を聞くと男は振り返る。グラーツは苦々しい表情で二の句を継ぐ。
「"門"と聞いて、お前は何を想像する?」
上司と部下という立場ではなく、長き時を共に戦った友として尋ねる。
「この世界と、聖霊の領域は別の世界……と言うと語弊があるのかもしれないが、少なくとも俺達人間が独力で辿り着くことの出来ない場所だ。詳しい原理はともかく、精霊はそこから物を取り出したり、逆に捧げられたものを納めたりする」
「ガキの頃に教官に嫌になるほど教えられた理論だな」
精霊の力を借りて、それまでに比して無類の力を手に入れた人間は、その原理の解明にも血道を上げており幾百人の大学者や賢者が研究を続けている。この程度の事は、そこらで遊ぶ子供でも知っている常識である。
誰も確かめたことのない、確かめることの出来ないことを"ない"と断言することは、心地良い。
理解できぬこと分からないことは恐れを産む。たとえ検証することのできないことであっても、否定する証拠が発見されるまでは、それは真実として扱われる。
「どうして……聖霊達がこことしか繋がれないと信じているんだ?」
男の一言は、この後吹き荒れるであろう嵐の予言である。




