教国の疑念
ここからずっと三人称で行きます。
既存の話も追々三人称に改稿していきます。
――教国
正確な名はフラムタングルス=ティームズア王国と呼ぶが、既にその名称は各国の古い資料くらいでしか目にすることが出来ない。
人々はその地を聖霊教国と呼び、実際そう認識している。
道行く誰かに聖霊教国の正式名称を尋ねれば「聖霊教国は聖霊教国だろう? 何を言っているんだ?」と尋ねた者はみな怪訝な目つきで見られるだろう。
複数の小国家が乱立する中の一地方に過ぎなかった"そこ"は、人間が初めて"精霊"ではなく"聖霊"という上位の存在と接触した記念すべき土地である。そして、その聖性を讃えるために出会いの地である場所に教会を立てたのがその起源である。
聖霊教会の者達は皆、人々に尽くした。
巫女と呼ばれる者は天啓と呼ばれる能力を用い、聖霊の意思を人々に伝えた。ともすれば抽象的なそれを、魔導や自然科学などに見識の深い者達が知恵出し合って解釈し、人々にわかりやすく広めていったのだ。
恐るべき龍種の活性期の到来や天災や魔物の大発生の予兆など、国家どころか人族の存亡の危機の到来を事前に告げる。
天啓を信じた人々は余裕を持ってその対策を立てることが出来、それによって救われた命は数限りない。実績を持って教会への信頼は確固たるものと成り、時代とともに教会は国と成り、その最高権力者は"法王"と称された。彼らが私欲のために権勢を振るえば、たちどころに叩き潰されたであろうが、その誰もが私欲無く人々に尽くした。
いかなる強国の王であろうとも頭を垂れる。民草は聖霊を敬わぬことに対する災いを畏れ、権力者からすればそれは、政敵を糾弾する最強の鬼札になる。周囲の思惑を巻き込んで、聖霊教国とそれを取り巻く勢力の強大化は加速度的に進んでいった。戦争の講和の仲介には教国の者を立てるのが通例であるし、そうして成った和睦を破るものは、国家、個人を問わず聖霊に弓引く愚か者として誅伐の対象となった。
天啓の一つに巫女の選定がある。抽象的なものがほとんどの天啓において、唯一の例外が巫女の選定である。この天啓では、対象者の居住する地域や名前も完全に特定される。
巫女として選ばれることは大変な名誉で"巫女の選定を断る"という言葉が、"ありえないこと。考慮にも値しないつまらないこと"という意味の諺になった。
巫女として選定されたその瞬間から、彼女らは生まれ持った名を捨て、ただ"巫女"と呼ばれる。これには、個を表す名を供物として捧げる意味がある。
彼女達は天啓があった時、法王が分かり易く解釈したそれを巡礼しながら伝えて回る。天啓は国家の枠を超えた何かを告げる。だから、どの国においても決して表立ってそれを妨害することはしない。
「久しぶりですね。リネア」
ぽてぽてといった擬音の似合う歩き方で、巫女がリネアに近づいていく。彼女に警戒の様子は全く無く、気安い雰囲気を漂わせている。側付きの武官の女性も、リネアに向ける視線は優しい。
「巫女様こそ、ご壮健で何よりにございます」
リネアの口調は畏まったものだが、端々から親しみが滲みでている。
トリスが巫女の側付きの武官の女性に何やら耳打ちすると、小さく頷いた武官は巫女を先導して、リネア達が乗っていた馬車へと誘導する。
「やけに親密じゃないか」
トウヤが呟くと、耳ざといマイヨが巫女とリネア達の関係について語りだした。
「トウヤ殿は知らないだろうが、巫女殿がカルナストウに来られるのは二回目なんだ。前回は団長が出迎えに来られたが、その際は閣下と一緒にリネア様が着いてきたんだよ。で、年が近い二人は仲良くなったって寸法さ」
話をしているトウヤ達を気にしてか、武官の女性が視線をそちらに向ける。
「彼女と会うのも二回目だな。前も……俺のことを見ていたな」
そう言いながら、マイヨが武官の女性に笑顔で目配せしてみせるが、返ってきたのは完全な無視
「どうした色男?」
トウヤが撃沈したマイヨをからかう。
「……照れてるのさ」
その場に居た男達は大声でマイヨを笑う。ギリモアとの対立で殺気立った雰囲気が一気に和らぐ。
(これを計算してやったのならとんだ食わせ物だな)
トウヤは、マイヨへの認識を改めようとするが、先日酒場で給仕の女性に声を掛けてフラれていたのを思い出して、やっぱり保留した。
「貴方達、いつまでも油を売っていないで出発しますよ!」
いつの間にか正常に戻ったシャルティエが、騎士団に出発の号令を掛ける。
年若い兵士が、すっかりトウヤの愛馬となったステッセルの手綱を、乗り手に手渡す。
「どうぞ」
トウヤがステッセルの顔を一撫ですると、ステッセルはその手に顔を擦り付ける。
「ありがとう」
もはや手慣れた動作で馬上の人となると、隊列を組み馬車に随伴する。
馬車の中ではリネアと巫女が会話していたが、その内容は馬車の中でする他愛のない雑談の一つで済ませるにはあまりにも重かった。
「そういえば、天啓がありました」
「巫女様! それは……」
側仕えの武官にとっても想定外の話題に慌てて制止する。
「いいんです、ナターリア」
「ですが……」
巫女はナターリアと呼ばれた武官を宥める。巫女とて、年若いとはいえ教国の中枢の一人。口外して良いことと悪いことの区別はついている。
「これはもう、各地に伝達することが確定しているのですから」
リネアは、そんなやり取りを聞きながら不思議そうな顔で告げる。
「別に、私は聞かなくてもいいよ?」
「そこは聞きましょうよ!」
先程まで止める側であったナターリアが突っ込みを入れる。そんなやり取りを見ながら巫女は笑う。
この空気が巫女はたまらなく好きであった。
「聞いておいたほうがいいです。リネア達にも関係ありますから」
「んんっ!? それは聞いたほうがいいですわ」
自分たちにも関係あると聞いたリネアは、態度を改め話を聞こうと身を乗り出す。
「"門の血が喚び、精霊はあまねく滅び"これが今回の天啓です」
実際の天啓は、もっと長くノイズが含まれているが、それを法王を筆頭とした者達が集まって解釈を話し合う。その結果が"門の血が喚び、精霊はあまねく滅び"の一文であった。
「精霊が滅んでしまったら、人間は魔法が殆ど使えなくなっちゃう」
リネアは、家庭教師の歴史の授業を思い出していた。
人類にとって、精霊が滅びるということは死活問題である。精霊の助力がなければ、人類は極めて非効率的な魔法の構築しか出来ず、長い詠唱と多大な魔力が必要になる。そして、それが普通だった時代のことを。
「かつての対魔戦争の時代の再来じゃない」
かつて、人類が一致団結し、魔物とその生存を賭けて争っていた時代。剣と弓矢、そして稚拙な魔法が人類の唯一の武器であった。
その時代を終わらせたのが人と聖霊の出会い。
名も残らぬ数多の英雄達が、その叡智を集め精霊との契約による上級魔法の行使と魔導鎧という規格外の兵器を生み出し、一気にパワーバランスを人類側に傾けて対魔戦争を終わらせた。
「そうなるのは、皆困りますから、天啓の指し示した災厄を喚ぶ前に門と呼称される何かを破壊、もしくは殺害するのが今の教国の最大目標です」
巫女の口から物騒な単語が飛び出す。最初は口に出すことを反対する立場であったナターリアも、うんうんと頷きながら話を聞いている。教国に属する彼女にとって、それは崇高な使命であり生命を賭けてでも成し遂げなければならない。
「ところでリネア……」
巫女の口の端が釣り上がると、リネアの顔に自らの顔を近づけ、そっと耳打ちする。
「貴方"使い魔の召喚"で人間を召喚したって話だけど……」
まだ暑さとは程遠い季節の筈なのに、リネアの顔に汗が伝う。
「それって……ほんとぉ?」




