仇敵との因縁
止めるフリをして余計に煽っていくスタイル
――国境の砦は、来るべきいつかのために二十四時間動き続ける。
朝を迎え、騎士や兵達はおのおのの持ち物を整理していている。替えがあるものについては交換し、替えが効かないものは磨き布を用いて丁寧に磨いていく。巫女に対して失礼があってはならないから……らしい。
日もすっかり高くなった頃。
騎士達はいつもは着ないサーコートを着用し、兵達は一列横隊でその後ろに控えている。その視線は一様に国境の向こう側、ギリモア国の方向を睨みつけている。リネアとトリスには、
少し離れたところで馬車で待機している。敵国の人間とまみえるのだ。巫女を出迎え、安全を確保してから出てきてもらう手筈になっている。
「もうじき……ですな」
カラーズがシャルティエに話しかける。彼は落ち着いて見えるが実際は違う。
ここに居る、俺を除いた誰もがギリモアに対して敵意を抱いている。数限りない国境でのぶつかり合いの中で親、親類あるいは友人を失っており、その疵が皆の心に汚泥の様にこびりついている。
彼らとの短い語らいの時間ですら、奴らに対する思いを察することが出来た。その根は深い。
誰しもが、許されるならばその首元に刃を突き立てやりたいと望んでいる。だが、今はその時ではない。
街道の遥か向こうに、豆粒ほどの一団を見やる。
「来たか……」
ゆっくりと、こちらに近づく一団。馬に乗った四人の騎士と今回の目標が乗っていると思われる馬車、そして徒歩の兵卒と、おおむね俺達と同じ編成だ。
騎士の一人が馬から降り、つかつかと歩み寄ってくる。
「そちらは団長が来ると思っていたが……」
にやついた表情を見て抱いた第一印象は――いけ好かない野郎だ。
「おやおやァ? まさか"銀狼"シャルティエがお越しとは……」
奴が口を開いた瞬間、シャルティエが怒鳴る。
「貴様はッ……ハドウェル!」
「副長ッ! いけません!」
ハドウェルと呼ばれた騎士に向かって今にも掴みかからん勢いで迫るが、慌ててマイヨが肩を掴んで遮る。
「はてさて、ここで戦りあってもいいんだけれど、巫女殿のエスコートが今の任務だからね。それだと僕が陛下に叱られてしまう。君とは違って僕は真面目だからね。任務に集中させてもらうことにするよ」
シャルティエと奴は何か因縁でもあるのだろう。彼女の普段の丁寧な物腰とは変わって、今にも相手の喉笛に噛み付きそうな剣幕だ。
いかに巫女の護衛という共通の目的があろうとも、毎年のように殺し殺されあう血なまぐさい関係の両国。実戦部隊が顔を合わせれば、一悶着あるだろうことは十分に想定されていたが、この反応ははっきり言って異常だ。
互いの背中に控える兵士達も殺気立っており、まさに一触即発。頼みの綱の騎士、マイヨとカラーズはシャルティエを抑えるのに精一杯の様子。
「私を愚弄するかッ!」
「おやおや、そんなに怒っては綺麗な顔が台無しだ」
相手の口端は歪み釣り上がり、傍から見れば見えすいた挑発だが、逆上する一歩手前のシャルティエには有効らしく、彼女の周囲の魔力が逆巻き始め、身体の周囲に冷気が漂いざわざわと頭髪が揺れる。
「……ッ!?」
マイヨが慌ててシャルティエの肩から手を離す。よく見ると彼の指先が凍りかけていた。
「副長」
いよいよ暴発も迫っているらしく、完全に冷静さを欠いたシャルティエに声を掛ける。
「何だッ!」
振り返ったシャルティエが、殺気のこもった表情で噛み付いてくる。
言葉とともに冷気が叩き付けられ、ペキペキと音を立てながら俺の髪が凍りついていく。
「ああ、いいぞ。トウヤ殿からも落ち着くように言ってくれ」
マイヨが救いの神とばかりに助けを求めてくる。俺としてもここで揉めるのは問題しか無いことは十分理解している。
「落ち着いた方がいい」
「だがッ!」
冷静な彼女にこんな激情が秘められていたことに対する新鮮な驚きを感じる。普段の余裕を何もかもかなぐり捨てて、全力戦闘をするとこんな感じになるのだろうか。そう考えると、今の表情もひどく魅力的に思えてしまう。
いや……悪い癖が出てしまった。
「それ以上は閣下の名誉を損ねる」
オルジナ公の話題に多少冷静さを取り戻したのか、取り巻く冷気が霧散し魔力の奔流や頭髪の揺れも収まる。
「私は奴に……」
しかし、燻る激情がなおも抑えきれないのか食い下がろうとするが、クロエが念話で口を挟む。
『ここで気の利いたセリフの一つでも言ってみなさいな』
「俺は普段のクールな副長……いや、シャルティエの方が好きなんでね」
「んなッ!?」
途端に彼女の顔が赤くなる。それを見て、余裕を取り戻したのかカラーズがニヤニヤと笑い、ピュウ、とからかいの口笛を吹く。兵達も毒気を抜かれたように落ち着いて、逆に副長に生暖かい視線を送っていた。
「まあ、今の副長も十分魅力的ではあるがね」
「……!?」
あまりの事態の展開の激しさに彼女の処理能力の限界を超えたのか、俯いたまま微動だにしない。
『氷が得意なだけにフリーズしちゃったわね。あれ? これうまくない? うまくない?』
クロエはもうどうでもいい。
「とにかく、これで事態は収拾したし、とっとと引き継ぎを済ませて奴らにはお引き取り願おう」
マイヨの提案は非の打ち所がないものだ。確かに、無駄な時間を使わずに任務を遂行することが重要だ。
"巫女を護衛してグランストウまで帰還すること"これに勝るものはない……が。
もう一度言うが、俺としてもここで揉めるのは問題しか無いことは十分理解している。
――しているが。
「僕と彼女の遊びに水を差すだなんて、とんだ無粋な方ですねぇ」
ハドウェルと呼ばれたギリモアの騎士の目元は笑っているが、嘲笑が色濃く浮かんでいる。
第四位階のシャルティエを公然と挑発するのだ。腕に覚えがあるのだろう。だが生憎と、うちの副長を口舌の刃で嬲ってくれたのだ。多少の意趣返しはさせてもらおう。
「ギリモア訛りが酷くてよく聞き取れなかった。もう一度お願いしたい」
俺の意図を読み取ったのか、奴は牙を剥くような攻撃的な笑みを深める。副長を止めるだけだったと思っていたのか、俺の行動に驚いたカラーズが頭を抱えている。
「何で余計に煽ってるんだよ!」
マイヨが焦って止めようと口を挟んでくるが、さして問題はない。
「ふうん……威勢のいいのがいるんだね」
肩を竦めて首を振り、"やれやれ"とジェスチャーをするハドウェル。
喧嘩を売ってやろうというのだ。せいぜい高く買って貰えるようにするのが腕の見せどころだ。
二メートル程の距離でにらみ合いながら対峙する。
「俺はあの副長がお気に入りでね。虐められると困るんだよ」
「だったら……どうするんだい?」
「ちょ、ちょちょちょ! ちょっと待った!」
再燃した分な空気に、マイヨが額に汗を浮かべながら仲裁に入る
「やめておけトウヤ殿! 奴はギリモアの戦闘部隊"ブリアレオス"の長だ……流石に分が悪い」
"ブリアレオス"……良く分からんが名前付き、こういうのは士気を鼓舞する為にも精鋭を集めるのが定石。それなりに強いのだろう。
しかし、短い付き合いではあるがマイヨは普段であれば嬉々として煽る側だと思っていたが、ここまで強硬に制止するということは……
「フフフ……知っていてコナをかけてきたんじゃあ無いのかい?」
自分の強さに対する自信が余裕に繋がっているのだろう。
「知らん。知っていても、俺は俺より弱い奴のことは直ぐ忘れるんだ。悪いな」
「言う……ねッ!」
ハドウェルは、言うやいなや一歩踏み込み、腰に履いた剣を一閃するが回避の必要はない。
当てるつもりのない攻撃でビビらせようという底の浅い考え。首筋に沿うように剣を寸止めしている。
「動けなかった……という訳ではないようだね」
奴の言葉には答えず、剣に視線を向ける。
「良い剣じゃないか――」
「分かるかい? ウチの筆頭鍛冶に打たせたんだ。高かったんだ」
聞き終わる前に剣の腹を指で挟む。少し力を入れると、パキン、と軽い音を立てて剣が折れる
「――だがもう廃品だ」
優しく笑いかけてやると、余裕の表情が崩れる。
「テメェ、死んだぞ!」
キャラが崩れている……いや、そちらが本性か。
奴が右手を突き出し、魔導鎧を展開しようとした、その矢先。
馬車の扉が開いた。
「何か、揉め事ですか?」
声とともに、ゆっくりと誰かが降りて来る。
――女性が二人
一人は、宗教的な意味を含んでいそうな白の衣装に身を包んだ少女。もう一人は、明らかにその護衛だろうと思われる武装した女性。
少女の背は低く、頭が俺の鳩尾の辺り……雰囲気にあどけなさが抜けていないところから見るに、年の頃はリネアと同じ位だろう。
顔の造形は整っているが、その瞳はどうにも眠たげで表情を読み取ることが難しい。腰の辺りまで伸ばした黒髪を無造作に垂らしながら、てくてくと無造作に歩み寄ってくる。
「!?」
ハドウェルを含めた、俺以外の全ての人間が少女に対して膝を折って跪く。マイヨが目で俺にも跪くように合図を送っているのに気づき、俺も少女に跪く。
「巫女の御前でそのような無礼な振る舞いは謹んでいただきたい!」
武装した女性が、威厳を伴った言葉で俺達を諌める。
「いやあ、申し訳ありません。こちらとしては遊びのつもりでしたが……つい熱くなってしまいまして」
へらへらとハドウェルが言う。もうあの取り繕った仮面を被っている……切り替えの早い奴だ。
「すまなかったね、お詫びするよ」
見せ掛けの笑顔で謝罪してくるハドウェルに対して、俺も形だけの謝罪する。
「いや、こちらこそ大人気なかった。申し訳ない」
「それじゃあ、巫女殿を頼んだよ」
取り繕った笑顔のまま、ポンと肩を叩き、俺にしか聞こえない小声で付け足す。
「次は殺す。絶対に殺す」
去りゆくギリモアの一団を見送ると、馬車の影からリネア達が近づいてくる。
巫女の少女がリネアの姿を認めると、眠たげな瞳はそのままだが口元が少しだけ緩む。
――相変わらず、シャルティエはフリーズしたままだった。
シャルティエは才能溢れすぎてて、若くして騎士団にいたため周囲はおじさんばかり。年が近くても圧倒的な実力差から、そういった色恋の対象とは見られていなかったため全然免疫がありません。




