砦にて
実はサブタイトルは3話ごとに1単位だったりする。
ダレスデン砦に到着したのは、太陽が中天に差し掛かる少し前だった。砦の外壁に立った歩哨の兵士がこちらの姿を認めて手を振るのを見ると、皆の足並みも自然と早くなる。
「到着です!」
安全圏に入ると馬車の足も緩む。すると、馬車のドアが開き勢い良くリネアが飛び出す。
「ちょっ! お嬢様!?」
ダレスデン砦に到着した我々の最初の仕事は、着くや否や馬車から飛び出したリネアと、慌てて追いかけるトリスを生暖かく見守ることから始まった。
「やれやれ、お嬢様も落ち着いてくれるといいんだがねえ……」
マイヨの少しの呆れを含んだ言葉に対して、苦笑で返す。
「全く……各員、休息を許可する! 解散!」
シャルティエが解散の号令を掛けるとすぐさま隊が解散する。敵襲対応以外のどの行動よりも素早かったのにはさすがに苦笑した。そんな様子を眺めつつ馬から降りると、馬番の兵士が小走りに近づいてくる。
「馬をお預かりします」
まだ若い、十五にもならないだろうにその動作は手慣れている。
「頼むよ」
手綱を渡すと要領よくステッセルを引き、馬房に連れて行ってくれる。
砦に入ると各々が休息しているが、シャルティエは砦の責任者と話があるらしく、そのまま執務室へと向かう様だ。
同行した兵士達も、代わりに下番する兵達に道中の夜襲を自慢気に語るなどしながら、束の間の休息を楽しんでいる。
明日の昼前にはギリモア側から巫女の一行がやってくる筈なので、それまで俺も休もうと宛てがわれた部屋に向かう。
『こっちに来てから、大分馴染んできたわね』
こちらと向こうでは価値観や生活様式からして全く違うが、俺は殆ど違和感なく溶け込むことができている。それこそ異常な程に……
「馴染み過ぎの感もあるがな。それに対して俺もお前も、何ら違和感を覚えていない……」
クルの実を手の中で弄びながら呟く。
『こちらに来てからアナタをずっとモニターしているけど、ワタシの防壁をすり抜けて精神干渉? ありえないわよ』
クロエの言い分はもっともだとは思う。クロエの能力がこの世界の何かに劣るとはとても思えない。参式強化外骨格を作った奴を考えれば、それを上回る存在や脅威など、それこそタチの悪い冗談だ。
「お前の能力は信頼している。それこそ何よりもな」
一時間程考えたところで、さしたる進展もなくとりあえず杞憂であろうと棚上げしておくことにした。
せっかくなので身体でも拭こうと思いつく。汗や砂埃で体中がベタベタだ。
『フフン。もっと感謝していいのよ? ……ついでに、お客さんのお出迎えもお願いするわ』
クロエが来客を感知する。
続いて軽く控えめなノックの音。この音には聞き覚えがある。
「あの……トリスです」
「鍵は掛かっていない」
「失礼します」
入室を促すと、しずしずと部屋に入ってくるトリス。湯浴みをしたのか髪は艷やかで頬はうっすらと桜色に染まっている。メイド服も新しくなっており、手には手拭いと大きめの水差しを持っている。
「何か用かな?」
「これから、何かご予定でもありますでしょうか?」
上目遣いにこちらを見ている。その視線には何がしかの期待の色が込められているが、それが何に対する期待なのは分からない。
『あらあら……』
「特に予定はないが、強いて言えば、身体を拭こうと思ってた位だが……」
それを聞くと、何故か彼女の表情がはにかんだ笑顔に変わる。
「そ、そう、お、思いましてお湯と、て、手拭いをお持ちしました」
そうか、手に持っていたのは湯か。
「お背中とか……ひ、一人では大変だと思いまして」
水で身体を拭こうと思っていたが、湯があるならばそちらに越したことはない。彼女の細やかな気づかいが有り難い。
「準備しますね」
そう言いながら、水桶に水と水差しのお湯を混ぜて温度の調節をしている。ここまでされて断るのは逆に礼を失するというものだ。
「そいつは有り難い」
「では、お拭きしますので、ふ、服を!」
彼女に促されるままに上を脱ぎ、肌を晒す。古傷だらけでお世辞にも綺麗とは言えない体だ。見苦しい物を見せることに対して申し訳なく思う。
「頼む」
背後で、手拭いを絞る水音が聞こえる。少しすると背中に暖かな感触。まるで汚れと一緒に疲労も拭ってくれている様だ。
「あっ、熱くは無いですか?」
「ああ、丁度いい暖かさだ」
「では、右腕から……」
暫く無言の時間が続く。
時折、手拭いを濯ぐ音と「はぁ…」「ふぅ…」といった彼女の息遣いが聞こえる。何とも艶めいた吐息に聞こえてしまうのは、俺の気の迷いだろう。
右肩の辺りから、腕、指先とゆっくり、丁寧に拭き清められていく。
「あの……トウヤさん?」
右腕を拭き終えたトリスが声を掛けてくる。
「何か?」
彼女は、俺の背中に指を這わせる。ゆっくりと傷痕に沿わせるように。同時に、もう一方の手では背中を拭き始める。
「この傷痕……痛くはありませんか?」
「いや、古いものだ……見苦しい物を見せてしまって申し訳ない」
年頃の女性に、こういった傷痕は決して面白いものではない筈だ。
彼女の指が傷痕を沿い続け、動きが次第に遅くなる。
「私は……見苦しいものとは思いませんよ……んっ……」
「それはどうして?」
「戦うことは、生きることだと思うから……ですかね。自分でも、何言ってるか良く分かんないんですけどっ……そんな風に感じました」
魔物や敵国の存在が彼女にそう感じさせているのか、この世界の人々は家族や組織、国家を守るために戦うことが当たり前になっている。
戦えば傷つくのは当然で、そんな当たり前を汚らしいと思う発想すら無いのだろう。傷を勲章だとうそぶくような血気盛んな男連中ならまだしも、花も恥じらうような女性がそのような価値観を持っていることに改めてここが異世界であるという実感を強めた。
「いや、何となく分かるよ。ありがとう」
ふたたび、無言の時間が訪れる。背中を拭き終え左腕に移る。
「固くて……逞しいんですね」
ゆっくりと、暖かな布としなやかな指が腕を上下する。自分で拭くのと他人に拭いてもらうのでは、何故こんなにも違うのだろう。
「気持ち……いいですか?」
「ああ、気持ちいいよ」
『くふふ』
クロエが、何とも形容しがたい忍び笑いを漏らした瞬間、勢い良くドアが開かれる。
「な、ナニしてるんですか! 二人共!」
何やら血相を変えたリネアが、肩で息をしながら叫んでいる。よく見ると、心なしか頬が赤らんでいる。
キョトンとした表情のトリスと俺を見やる。
二度三度と、視線が俺とトリスを往復し、そしてトリスの持っている手拭いに辿り着く。
「どうしたんですか? お嬢様……」
『くふふふふふ』
なにやら、とてつもなくバツの悪そうな表情になるリネア。
クロエだけが、今も笑い続けている。
「どうしたんですかって……『太くて逞しい』とか『気持ちいい』とか聞こえてきて……」
しどろもどろに答えるリネア。部屋の雰囲気がなんとも言えない脱力感に支配され、目の錯覚か、リネアの瞳がぐるぐると渦を巻いているように見える。そういえば、いつか読んだコミックにこんな表現があったのを思い出した。
「あっ、それならトウヤさんの腕を拭いてて……」
カッ、とリネアの顔が真っ赤になる。
「そ、そそそそんなこと、しししし知ってたわ! 知ってたんだから! 当たり前よね! トウヤさんの腕を拭いてたら固くて逞しいのが分かるのは当然だもんね! うん! 知ってる!」
『ねえねえ、リネア?』
何とも意地の悪そうな声色でリネアに呼びかけるクロエ。
「……はい?」
『……やーらし』
「うっ! うわああああああああん!」
リネアはクロエの言葉に反応して、まるで身体強化を使ったような速さで部屋を飛び出ていった。
「お、お嬢様ぁ!?」
それを見たトリスは、これまた身体強化のごとく素早さで水桶や水差しを片付け、こちらにぺこりと一礼してからリネアを追いかけて部屋を去っていった。
途中までは良かったのに、最後のやりとりで何だかどっと疲れたような気がする。
「休息のつもりだったんだが……逆に疲れた」
『私は楽しめたわ』
何もかも馬鹿らしくなって、そのままの格好でベッドに横になる。
それから意識がまどろみに溶けていくのには、そう時間はかからなかった。
無自覚すけべメイドとむっつリネアとドSのクロエさん




