闇夜に踊る
夜襲先輩
野営陣地に迫る土煙は、近づくに連れ地鳴りの如き足音が鳴り、その数は五十か百か、はたまたそれ以上か。
夜の闇も相まって未だに姿を見ることは出来ぬものの、敵襲に備える我々の耳に、生理的な不愉快さを想起させる声が聞こえてくる。
「この声は……」
横に立つマイヨに問うと、想像通りの答えが返ってくる。
「鎧の鳴りや、動きに統制が感じられん……あいつらは魔物だ」
マイヨが断言する。
近隣で脅威になりそうな規模の魔物は狩り尽くしていた筈だが、今は眼前に広がっている現実を受け入れるしか無い。
日頃の訓練の賜物か、マイヨが手振りで指示を出すと、兵達は弓に矢をつがえ息を殺してその力を解き放つ瞬間をじっと待つ。
この場の最高責任者であるシャルティエに目線を送ると、彼女は力強い頷きと共に全体に指示を出す。
「敵対戦力を把握するため光球で敵の直上を照らす。兵は合図で一斉に矢を放ち、敵が接近次第槍に持ち替えて防衛戦闘!」
「応!」
兵隊が一糸乱れぬ動きで応戦体制を整える。
高い練度と士気を併せて初めて出来る動きに、心強さを覚える。
護衛対象であるリネア達の天幕は即座に撤収され、いつでも馬車を出せる準備が出来ていた。
いつでも馬車に乗り込める位置から、不安げな表情で俺達を見つめるリネアとトリス。
「どどどど、どうしましょう!」
「落ち着いて下さいお嬢様」
慌てふためくリネアと、冷静な表情で後ろに控えるトリス。
一見冷静に見えるもののトリスも不安なのだろう。
体の前で組んだ手が小刻みに震えている。
最悪の場合、俺達が全滅してもリネア達だけは逃さねばならない。
「騎士達はまず正面陣地を強化。その後各自の判断で脅威度の高いものから排除しろ」
シャルティエが指示を出すと、先輩騎士達はその意を汲み取りすぐさま行動に移る。
「了解した……カラーズ!」
マイヨは魔法で陣地の外側の土を操り、鮮やかな手際で溝を作りながら土塁の高さを増し、陣地を補強する。
また、地面に小さな穴が所々に出現する。深さはそれほどでもないが、足を取られれば確実に行軍の妨害になる。
ましてや今は夜。
月明かりでこのトラップを見抜くのは困難だろう。
「おうよ!」
阿吽の呼吸でカラーズが水魔法を唱える。
途端に溝に水が満ちていき、溝が堀へと変貌する。
「総員準備」
号令を掛けるシャルティエは冷静さを失わない。
自分が僅かでも動揺すれば、それが兵に伝わり死を誘い込む呼び水となるからだ。
水面に小石を投げるが如く、小さな波紋は外に向かうに連れて次第に大きさを増し、周囲全てを巻き込む大きな波紋へと成長する。
「弓、構え……」
シャルティエの右手全体が魔法の光を帯び、光球が手のひらから浮かび上がる。
敵のおおよその位置に狙いを定め、斜め上方向に射出する。
高速で射出されたそれは光の尾を引き、迫る敵の直上に至る。
シャルティエが、魔法を撃つために開いていた拳を握り締めると、光球が輝き周囲を明るく照らす。
土煙と足音のみだった集団が、闇のベールを取り払われその全容を見せる。
『見渡す限り魔物だらけね』
クロエの言う通り、ゴブリンを筆頭に豚のような顔をした魔物であるオークや、力の強さが脅威とされる鬼種のトロールなどがこちらに向かって駆けてくる。
兵達はシャルティエを筆頭とした騎士に全幅の信頼を置いているらしく、尋常ではない数の魔物を目にしてもその燃える闘士に些かの揺らぎも無い。
「数が半端じゃ無い。しかも、遭遇のタイミングがよりにもよって今か」
夜の闇、限られた戦力、護衛対象の存在。
切り札の魔導鎧の装者は四名。
第四位階のシャルティエを中心に、いかに立ち回るべきかを思案する。
どうやって生を拾うか、ではなく、どうすれば先輩方の顔を潰さないかという事をだ。
「撃て!」
シャルティエの号令に合わせ、矢の雨が山なりの軌道を描き魔物の群れに降り注ぐ。
汚い断末魔を上げ幾匹もの魔物が倒れるが、その死体を踏み越えながら更に魔物達は迫る。
「カラーズ! いつものをやる!」
「合点!」
マイヨが飛び出し陣地と魔物たちの間に立ちはだかり、魔法を放つための詠唱を開始する。
同時にカラーズがやや後ろに陣取り、同じく詠唱を開始する。
「土よ」
マイヨの魔法が発動すると、魔物の一団の前の地面が耕されたように盛り上がり、柔らかな黒土が顕になる。
「水よ」
重ねるようにカラーズが魔法を発動すると、柔らかな黒土が途端に水を含み泥沼となる。
先頭集団は泥に足を取られて急激に速度を落とし、後続の魔物達が次々に前の魔物にぶつかる。
倒れたものから次々に踏み潰されていき、死体を踏みつけたものだけが速度を維持しながら迫ってくる。
『見事な手際ね』
「二人で低位の魔法を使うことで、魔力の消費を抑えつつ数の不利を補っているとは感心させる」
「よし! 抜けたものを優先して狙え!」
シャルティエが、足並みが乱れたところを逃さずに兵達に指示を出すと、彼らは的確に突出した魔物を射殺していく。
戦線が膠着状態になったのを確認すると、マイヨとカーンズが陣地に戻ってくる。
「さて、これでお膳立ては整ったぞ」
「給料分は働いてもらわんとな」
ニヤリと笑うマイヨとカラーズ。
――成程、そういう訳か。
「騎士トウヤ」
声の方向に顔を向けるとシャルティエの綺麗なライトグリーンの瞳と、俺の視線が交差する。
「ご注文は?」
これからの予感に笑ってみせると、同じ様に笑顔が帰ってくる。
獣が牙を剥くような、攻撃的な意思を孕んだ笑顔。
「深夜に訪ねてくる無作法者達を、存分におもてなしして差し上げて下さい」
「かしこまりました。お嬢様」
シャルティエの言葉に乗り、腰を折って、執事の如く優雅に礼をしてみせる。
「なっ……私がお嬢様ッ!? いいから早く行きなさい!」
俺の返しを予想していなかったのか、「お嬢様」と呼ばれたシャルティエが慌てた表情を見せる。
赤く染まった頬の色は、銀色の髪と白い肌によく映える。
『ぱっつん眼鏡にも可愛いトコあるじゃない』
茶化すクロエもそこそこに、右手を高く挙げ"ドライブレイサー"を発動させる。
それは即ち、参式強化外骨格の展開。
「着装……!」
全身を光が覆い、次の瞬間に黒依が展開される。
「往くぞ」
少し力を入れただけの軽い跳躍は、黒依のアシストを受けその身を弾丸に変える。
音を置き去りにした次の瞬間に、魔物の真っ只中にその身を移す。
突然の乱入者に驚いた魔物達だったが、すぐに手に持ったそれぞれの獲物を振りかざして襲い掛かってくる。
「ギィエエエエ!」
棍棒を持ったトロールが、優に大人の胴体以上はあろう腕を振り下ろす。
余裕で避けることが出来たが、トロールを睨みつけたままあえてその身に攻撃を受けると棍棒が恐るべき筋力に裏打ちされたスピードで黒依に直撃する。
そのあまりの威力に棍棒は砕け散り細かな木粉となり煙に包まれ、手応えに満足したのかトロールがにやりと表情を歪める。
周囲の魔物達も、勝利を確信したのか口々に汚い歓喜の声を上げる。
「……楽しいか?」
この程度の攻撃では、黒依の防御を抜くことなど不可能である。
醜悪なトロールの表情が、下卑たにやけ顔から驚愕へと変化する。
お礼にご褒美をやろう。
そう思って拳を固めるも腕が上がらない。
これはクロエによる機能制限だと直感する。
『お前のせいで汚れたわ、下種』
「クロエ、お前勝手に制御を……」
不機嫌さを隠そうともしない声が響く。
呼応するように、ゆっくりと右手が上がると手のひらがトロールの顔に向けられる。
俺の意思ではなく、クロエによる自動操縦。
手のひらを向けるということは手首の衝撃砲を撃つつもりだろう。
「グ? グオオオオ!」
何が起こるか理解できぬ愚かなトロールは、不意に突き出された俺の腕を反射的に掴む。
『なおも汚い手で触れるとは……』
一瞬でリアクターの出力が限界まで跳ね上がり、普段は防御壁として使用されている力場がトロールを包む。
黒依の防御障壁は、物体を含めて熱・運動・化学といったあらゆるエネルギーを文字通り"打ち消す"。
実際には実体を持った物体を打ち消すのは大量のエネルギーを使用し非効率的であるため、物理攻撃に対しては運動エネルギーのみを打ち消して弾くように無効化している。
『塵一つ残さず消えなさい』
クロエによって異物であると判断されたトロールも例外ではなく"打ち消される"
彼女の怒りに触れた哀れなトロールは力場に呑まれ、塵一つ残さず消滅する。
「魔石も残さず消すとは勿体無い」
『……ふん!』
気が済んだのか、クロエは強化外骨格の主導権を俺に返して沈黙する。
トロールが消えたのを見た魔物達は、先程までの威勢はどこへやら、後ずさりして俺から距離を取ろうとしている。
「まずは数を減らす」
ドライブレイサーが光を放ち、二振りの短槍――近接兵装"ブラッドランス"が展開される。
黒依から槍にエネルギーが供給され、槍全体に黒きにして明るいという矛盾した輝きが灯る。
一足飛びに集団に突入して槍を振るう度に、魔物達が消えていく。
薙ぎ、突き、叩く。
槍だけではなく、蹴りや肘打ちなどの体術も駆使して魔物達を駆逐していく。
まるで雑草を刈り取るが如く作業じみた戦いには何の感慨も得られない。
「期待外れだな」
足止めされているであろう、泥沼に嵌っている集団を見渡すとそちらもほぼ壊滅している。
シャルティエが魔法を使用したのか、高速で泥の上を滑走しており、魔物とすれ違う度に光を撒き散らして魔石に還っている。
どうやら進行方向を凍らせてスケートの様に高速機動をしているようだ。
まるで剣の舞のように双剣が光る度に次々に魔物が倒されていく。
「中々面白い戦い方をする……」
俺と模擬戦をした時にはあのような技は見せてくれなかった。
未だに魔導鎧を展開していないことといい、お互いまだまだ隠し球があるということか。
「こちらも手仕舞いにしようか……」
俺の目の前には逃げることも出来ないのか、震えた手つきで武器を構えるゴブリン達が遠巻きに立っている。
一匹の魔物が余波に耐え、こちらを睨みつけている。
三メートルを超える巨体とゴムタイヤの様に圧縮された筋肉を誇り、知能も高い。
ときに別種の人型魔物すらもその暴威で従える大鬼。
――オーガ
「お前は俺を楽しませてくれるのか?」
そう問いかけると、当然だとでも言う様にオーガは牙を剥き笑う。
その額には小さな輝石が一つ、輝いていた。




