聖霊と巫女
精霊とはすなわち魔法そのものである。
魔力を糧に奇跡をもたらし、生産、治水、建築、そして戦いと人々の生活に無くてはならないモノとなっている。
精霊の助力がなくても魔法を使用することはできるが、極めて非効率的で現実的な方法ではない。
そして、巫女とは教国の要である。
"天啓"と呼ばれる能力で聖霊の声を人々に伝える。
ただし、その内容は抽象的であるため、その解釈を委ねられるのが法王である。
この国はおろか、世界に住まう誰もが知っている常識……らしい。
「総員傾注!」
兵舎の外、演習場にグランストウ配属の騎士が勢揃いしている。
副団長の号令に、その場の全員が居住まいを正す。
オルジナ公が一段高い場所から我々を見下ろし、騎士達の顔つきを確認すると満足気に頷いてから口を開く。
「今年は皆の知っての通り、巫女の巡礼の年だ。教国から各国の王都に巫女殿が参られるが……巡路が巡路だ。ダレスデン砦で鈍亀共から護衛の引き継ぎを行う。」
カルナストウの騎士は、ギリモアの軍人を鈍亀と呼んでいる。
ギリモアの制式魔導鎧には、魔力による障壁の消費を減らすために装甲を厚くする傾向があるらしく、機動力を犠牲にして防御力を高める風潮を揶揄しているらしい。
敵対関係にある隣国から護衛を引き継ぐ……勢力に関係なく歓待を受け、守られる存在。
それだけで巫女、ひいては教国とやらの重要性の高さを表している。
「さすがの鈍亀どもも、教国を敵に回してまで堂々と我らに仕掛けてくるつもりもあるまいが、我らの管轄で巫女が害されるといったことになれば、巫女……ひいては聖霊を軽んじたという大義名分を掲げ、嬉々として軍を向けてくるだろう」
聖霊という存在を柱である宗教を統べる国家を敵に回すということは、元の世界におけるローマ法王と周辺国家の関係を想像すればいいだろう。
人々の生活から切り離せぬ精霊の根源である聖霊を象徴としているだけに、教国を敵に回して破滅を回避することが難しいことは容易に予想できる。
それを逆手に取り、敵国の領内で暗殺者でも使って巫女を害し、何食わぬ顔でその護衛の非を糾弾しようというのだろう。
「俺としては向こうから仕掛けてくれるなら、戦功の収穫祭といくんだが、それでは巫女殿が可哀想だからな」
ニッと口角を上げ軽く笑い飛ばすと、騎士達からも、どっと笑いが起きる。
オルジナ公はその様子を少しの間見守った後にゆっくりと手を上げる。
笑い声は一瞬にして止み、騎士達は再び傾注の姿勢を取る。
「護衛隊の編成を発表する。大群を率いていくのは、奴らを刺激するのでよろしくない。少数精鋭で行く……指揮はシャルティエ!」
「はっ!」
副団長シャルティエ・カーンズ。
騎士団でも指折りの実力者の"第四位階"の騎士。
若くして高みに至るその強さを疑う者は存在しない。
「補佐にマイヨ!」
「御意に!」
騎士マイヨ・クラタス。
視野が広く、兵を指揮する能力に長けている。
集団の力で実力以上の力を引き出し守勢で輝く、護衛には最適の人物と言える。
「同じくカラーズ!」
「御意!」
騎士カラーズ。
彼は姓を持たない平民上がりの騎士だが、実力本位の騎士団の中でもさらに実力派として知られている。
継戦能力に定評があり平民上がりならではの、プライドなどをかなぐり捨ててでもいざという時にはどんな手を使ってでも目的を達成しようとするプロ意識の高さが光る男だ。
「トウヤ、貴様も行け」
「了解しました」
そして俺が巫女を領都まで護衛するメンバーとして選抜された。
「兵は砦の交代要員と共に向かい、巫女殿と合流したら下番の兵を連れて戻れ。それと……私の名代としてリネアが同行する。そちらも頼んだぞ」
オルジナ公が視線を移すと、その先の柱の陰から、にやけた表情のリネアが覗いている。
俺と目が合うとぶんぶんと音が聞こえてきそうな勢いで盛大に手を振り、それを見たオルジナ公が頭を抱える。
リネアは巫女と会うということで、普段の格好簡素なワンピースとは違い、ところどころに装飾のついた衣服に身を包んでいる。
世話をするトリスは、荷物を抱えてあちらこちらを歩きまわっており、その髪には、先日送った髪飾りがさりげなく光っている。
「あー、んー、何だ……頼んだぞお前達」
「はっ!」
すっかり弛緩した空気に俯いたまま言うオルジナ公に、生真面目な副団長が応える。
背を向けてリネア達の元へ向かうオルジナ公。
「総員分かれ! 護衛役は十分後に再度集合せよ」
それを確認したシャルティエが解散の号令を掛ける。
騎士達がそれぞれの仕事場に向かい、護衛の任を仰せつかった俺達は手早く支度を整えて隊列に加わる
用意をするためにこの場所を後にしようとするシャルティエに、質問をするため声を掛ける。
「時に副団長」
振り返るシャルティエ。
その勢いで美しい銀髪が揺れ、陽の光を反射してキラキラと輝く。
「何でしょう?」
「クルの実はおやつに入るのだろうか?」
この前スタンに勧められてから、すっかりハマってしまったのだ。
遠足のおやつは三十シルまでがマイルールだ。
「勝手にしてください!」
何故か怒りの表情のシャルティエ。
これから戦いがあるかも知れないということで、気が立っているのだろうか。
とはいえ、俺の疑問は解消されたわけだ。
「了解した」
『黙って持っていけばいいのに』
「上官の許可は必要だ」
呆れた口調のクロエに、反論する。
規律は重要なのだ。
* * * * * * *
ダレスデン砦までは馬車で一日の距離。
リネアと世話をするトリスが乗った馬車を馬に乗って随行する……のだが、出発の直前である問題が噴出する。
「何! トウヤは馬に乗れないのですか!?」
驚きの表情で言うシャルティエ。
「馬より俺の方が早いからな」
乗馬が趣味のお嬢様でもあるまいし、向こうで馬に乗った経験などない。
「いや、そうだとしても魔導鎧無しなら馬の方が……」
「馬ごときに負ける俺ではない」
たかが馬一つ、歩きで追い越してみせる。
俺は競歩でも世界最強なのだ。
「はぁ……もういいです。そこまで言うなら徒歩で付いてきて下さい」
呆れ顔のシャルティエに対し、確かに馬に乗れないと皆と足並みを揃えられぬと思い直す。
『みんな馬なのに、一人だけ徒歩とか罰ゲームみたいね』
「む……」
想像してみる……整然と馬を並べて行軍する中、一人歩く俺。
周囲の人がこう囁く「あ、あの人だけ歩いてる。きっと乗れないのよ」クスクスと笑い声が起こり、歩いているにも関わらず馬並の速さの俺。
端から見るとダサい。
とてつもなくダサい。
ヒーローたるものバイクが相棒であるが、この世界では馬が相棒に当たるのだとすれば、乗れぬ事は恥である。
「トウヤさんは私達と馬車で行けばいいじゃないですか、ねえトリス」
「そうですよー。馬車にはお菓子もありますよー。お嬢様のが」
リネアとトリスが馬車へと手招きするが、それでは護衛ではなくただの話し相手ではないか。
『それでいいんじゃないの? 本末転倒な気もするけど』
クロエは興味なし、といった口調。
そんなことより早く出発したい、といった様子だ。
「いいや、俺も馬に乗るぞ。何としても乗るぞ」
「全く……誰か!」
シャルティエの声に応え兵士の一人が厩舎へ駆けていくと、すぐに一頭の馬を牽いて戻ってくる。
「この馬に乗ってください。騎乗訓練用の馬ですので、気性も穏やかですし馬の方から貴方に合わせてくれます」
馬について解説する兵士。
俺のような初心者向けの馬らしい。
「気遣い感謝する」
鐙に足を掛けても馬は暴れること無く、すんなりと馬上の人になる事が出来た。
乗馬の心得はなかったがあてがわれた馬が思いの外賢く、グランストウから出るまでに不自由しない程度に乗りこなせるまでには上達した。
ポクポクと、蹄を鳴らしながら馬車に随伴する俺達。
この馬には俺に相応しい名を付けねばなるまい。
「お前の名はトルネイド、全てを薙ぐ竜巻だ」
「いや、その子はステッセルですから」
『竜巻ステッセル、かっこいい名前じゃない』
二つ名を持つ馬。
全てを薙ぐ竜巻のような初心者向けの馬ステッセル。
格好いいじゃないか。
「いえ、ステッセルです」
すぐにシャルティエが訂正が入り、トルネイド襲名の儀は中止となった。
全く、面白くない。
のんびりとした雰囲気の中、一直線に続く道を進む一行。
日頃、魔物討伐に励んでいる成果か、時折草を食む沼牛を見る程度である。
人型の魔物が遠くにちらほらと見えるが、こちらの人数を見るやいなやすぐに逃げ出していく。
「今日はここで野営する! 各員準備せよ!」
道程も七割を消化したといったところで、すっかり日も傾く。
見晴らしの良い場所を見つけるとシャルティエが支持を出し、その声に従って兵士達が手際よく野営の準備をしていく。
リネア達の天幕をまず準備し、それを囲むように兵達が各々の天幕を準備する。
「精霊よ、その力を示せ――アースウォール」
騎士マイヨが呪文を詠唱すると、野営箇所の周囲の土が腰の高さまで盛り上がり簡易な土塁を形成する。
土塁の外側の土を使用しており、差し引きすれば結構な高さになる。
「魔糸展開!」
シャルティエが天に手を掲げると、放たれた魔法の光が空に昇りある程度の高さになると、野営陣地の外に向け四方八方に糸を引くように散っていく。
散った光糸は地面につくと、その光を失い見えなくなる。
「それは?」
シャルティエに先程の魔法の効果を尋ねる。
「魔糸展開は、見えない魔力糸を周囲に張り巡らせるだけの魔法です。糸は強度がなく、何かが触れればすぐに切れてしまいますが術者には切れたことがわかりますので」
「成程、侵入者にすぐに気付けるという訳か」
「はい。脆弱故に感知することは難しいですし、もし感知できたとしても解呪されたことはわかりますから」
『ワタシも手伝うわ。寝る必要ないし。』
「ありがとうございます、クロエさん」
主君の娘を守るということで、各々の士気も高い。
先日のリネア襲撃の事もあり、念には念を入れる防護態勢を敷いている。
野営準備も終わり、あちらこちらから炊煙が上がる。
「トウヤさん! 一緒に食べませんか?」
リネアの手招きに応じて、彼女達の天幕に足を向ける。
いそいそと給仕をするトリスも、手を動かしつつ視線はこちらに向いている。
シャルティエに視線を向けると、問題ないというように彼女は軽く頷く。
「ふむ、いただこう」
「ささ、どうぞどうぞ」
木の器によそわれたシチューは、野営食とは思えないほど美味い。
一口もう一口を食べ進めていく内にあっという間に完食してしまう。
「どうですか? 美味しいですか?」
トリスが声を掛けてくるが、空の容器を見せて答える。
「ああ、ご覧の通りだ」
それを見て、トリスの花のような笑顔が一層輝く。
「このシチューは私が味付けしたんですよ。容器、貰いますね」
俺の手から空の容器を受け取ると、その手が俺の手に触れる。
「あっ……すっ、すいませんトウヤさん!」
「いや、問題ない。それにしても、トリスさんが味付けしたのか……通りで、美味い訳だ」
「あ、ありがとうございます……」
料理の味を褒められたことがよほど嬉しかったのだろう、頬を染めるトリス。
すると、俺とトリスの間にリネアがにゅっと顔を突っ込んでくる。
「わ、私も私も!」
「そうですねー、お嬢様はちょっと鍋をかき混ぜましたねー」
「んもー! 言わないでよ! トリスのばかー!」
きゃいきゃいと騒ぐ二人は、まるで姉妹のように仲の良い。
俺を含めて、周囲の人間は皆、二人の微笑ましい光景を見て顔をほころばせている。
――楽しい夕食も終わりすっかり夜も更けた頃、招かれざる客が来る。
『お客さんよ』
クロエの声に目を覚ますと同じ様にシャルティエが起き上がり、周囲の者に声を掛けていく。
皆の対応は素早く、ガチャガチャと具足の音が鳴り響き、増やされた篝火が野営陣地を明るく照らす。
「深夜の来客は無作法だと知らぬのでしょうか」
来訪者が来るであろう方向の土塁の上に立ちながらシャルティエが言う。
睡眠を邪魔されたからか、その表情はすこぶる不機嫌である。
俺も腰のホルダーから二振りの手槍を抜きつつシャルティエに応える。
「その分盛大にもてなしてやろうじゃないか」
『深夜のご来店は深夜料金が適用されるの、知らないのかしら?』
月明かりだけが照らす彼方から、土煙が見える。
敵であれば、そのお代はその生命で払ってもらおう。
「当店はいつでも変わらぬおもてなし――だ」
トウヤさんのバイクは、ガムを買うだけの短時間だからと、鍵付きのままコンビニに止めておいたら盗まれました。




