騎士の仕事
先日街を見て歩いた時には、本はかなり高価だった。
ファンタジーにありがちな読めば魔法が身につく不思議なアイテムという訳でもなく、普通の本が銀貨三十枚。
それこそ、銅貨三枚のパンの千倍という金額と比較すると、その高額さが際立つ。
大量生産が出来ないからコストがかかるのだろう。
きっと、製紙や印刷技術が発展していないのだ。
読書で知識欲を満足させるという娯楽は、よほどの金持ちか、書物を管理する施設にでも勤めない限り叶わないだろう。
故に、俺が本を読むという行為は今のところ不可能である。
「この世界では、読書という娯楽は絶望的だな」
騎士団の業務は、幹部職以外はかなりの肉体労働である。
そのため、昼休みは長めに取られており午後の課業開始まで二時間程度の猶予がある。
領都に自宅がある者は、家族と食事を共にし、独身の若い者達は無料で振舞われる隊舎の食堂を利用する。
読書が出来そうにない事に対する愚痴をこぼしつつ、俺は今、街の食堂で昼食をとっている。
酒場"銀の酒樽亭"には晴れた日には屋外にも客席が設けられ、手頃な料理とさわやかな風を同時に味わうことが出来るため、昼間は食堂としての利用者が数多く居る。
魚の煮込みとパン、それにワインを銅貨二十枚で提供するこの店を、俺は結構気に入っているのだ。
淡白な白身の魚に絡んだトマト煮込みのような、酸味のある赤いソースがいい味を出している。
昼休みに騎士団の食堂で同僚とワイワイやるのもそれなりに楽しいが、静かな場所でお気に入りのメニューを食べるというのもまた乙なものだ。
『その前に、アナタこの世界の文字読めないでしょ?』
クロエがツッコミを入れるが、その問題については名案が浮かんだためほぼ解決済みであると言っていい。
今食べている料理も、初めて来た時に他の客の料理を見て「あの客と同じものを」なんて言って頼んだ訳ではない。
それ以降冒険できずに、毎回同じ店員に声を掛けてメニューを見て迷ったフリをして「うーん、やっぱり……今日もいつものやつで」と言って誤魔化しているのではない。
「問題ない。対策はある」
『へぇ……聞かせてもらおうかしら』
「今まで目にした文書の記録は残っているだろう?」
『当然あるわよ』
「それを解析して言語辞書を作成し、俺にインストールすればいい」
折角の超高性能AIだ。
有効利用するに越したことはない。
『えー、ワタシを使うの?』
「そうだ」
このナイスな方法に対して、クロエが嫌そうな口調で応える。
『嫌よ。めんどくさいじゃない』
参式強化外骨格の機能として、装着者のコンディション把握や精神攻撃に対する防壁機能がある。
元の世界の科学技術水準を軽く三世代ほど上回った超技術により、俺とクロエは一体化している。
黒依の展開具である"ドライブレイサー"は脳波による個人認証により、最初の装着者である俺以外が使用することは出来ない。
この世界における精霊と契約者のように、俺とクロエは一心同体となっている。
「クロエと俺は一心同体」
交渉のために、右手の展開具に語りかける。
念話ではなく、直接話しかける事がポイントである。
『な、何なのよ急に』
甲の部分にある輝石がチカチカと点滅する。
いつもの発光よりもやや赤みがかっており、この作戦に確かな手応えを感じる。
「一心同体ではないのか?」
『一心同体……』
「俺にとってクロエは無くてはならない存在」
そっと輝石を撫でると、その点滅が不規則かつ鮮明になる。
『無くてはならない存在……ゴクリ』
お前に喉はないだろう、と突っ込みたい衝動に駆られるが、目的のためにグッと我慢する。
「お前が必要なんだ。頼むよ」
いける……もう少しで落ちる。
『そ、そんなにワタシが必要なの?』
「ああ、お前だけなんだ」
『しょ、しょうがないわねぇ……ワタシしか頼りにならないのなら仕方ないわ。今回だけよ』
ちょろい。
『最近、なーんかデータ量が増えてる気がするんだけど……異世界だからデータベースに新規データとして保存する頻度が高いだけなのかしら?』
「そうなんじゃないのか?」
『バグって感じもしないし、特に問題ないから放っておきましょ。そもそも、ワタシにバグなんてありえないんだけどね……っと、準備出来たわよ』
「やってくれ」
ピリッと、頭の芯に電気が流れるような感覚の後、メニューを眺めると今まで読めなかった文字が理解できるようになる。
全く、AI様々である。
今後はクロエに足を向けるようなアクロバティックな寝方はやめようと思う。
改めてメニューを読むと、今食べていた料理は"川魚のトメルソース"らしい。
次は違うメニューに挑戦してみよう。いい加減肉が食いたい。
優雅な昼食の後は、仕事の時間だ。
グランストウから王都までは、途中で他領の街を経由しつつ、直線に続く長い街道で結ばれている。
物流の要であるこの街道の安全を維持する事は、経済的にも国防的にも極めて重要である。
「この街道付近の魔物を駆逐してもらう」
副団長の指揮の下、俺を含めた騎士五人が街道から少し離れた森や茂みに分け入り魔物を狩っている。
今日の仕事は、こちらの姿を見るや襲いかかってくる緑色の肌の色をした子鬼を斬り倒していく単純作業である。
わざと大きな音を出しながら練り歩くと、がさがさと茂みを揺らし、彼我の実力差も理解も出来ぬ愚かな魔物が我々に襲い掛かってくる。
「でえぃっ!」
流石に正騎士とあって、皆威勢のいい掛け声とともにゴブリンを切り倒していく。
正騎士になるには、第二位階以上の実力が必要になるが、彼らは誰一人として魔導鎧を展開することはない。
身体能力と魔法の補助により、太刀筋鋭い攻撃を次々と繰り出していく騎士達はゴブリン程度の魔物など全く意に介さない。
切り倒された魔物は、赤い輝石を残し光の粒子をまき散らしながら消えていく。
「トウヤ殿、そちらに五匹行ったぞ!」
ぎゃあぎゃあと耳障りな声を上げ、木の棍棒や拾ったであろう錆びついた槍などの粗末な武器を手にこちらに向かってくる。
「流石に五匹は面倒だろう。手を貸そうか?」
自分に向かってきたゴブリンを切り捨てた同僚が、手助けを申し出てくれるが要らぬ気遣いである。
「この程度ならば不要だ」
五匹のゴブリンは、雑ではあるが一斉に攻撃を仕掛けてくる。
腰に付けたホルダーから手槍を外すと、ゴブリン共に踏み込んで一閃すると五匹のゴブリンは一瞬にして十個のパーツに分かれる。
手首を返し二閃、三閃する度に十が二十になり、そして四十になる。
断末魔の叫びすら上げることなく、ゴブリンだったモノは光を撒き散らして消滅する。
「つまらん」
手応えがなさすぎて困るが、街道沿いに強力な魔物が現れても困るだろうから、そこは我慢する。
「よし、この辺りは掃討したぞ!」
騎士の一人が声を上げると、数人の子供達が散開する。
魔物は死ぬと魔力を含んだ結晶である魔石を残すが、この魔石は魔道具に大量に用いられるため街の商人が買い取りをしている。
その魔石を周辺の村から雇い入れた子供達が拾い集めている。
人々の脅威となる存在は、魔物や魔獣がいるが、魔物は死体が残らず魔獣は死体が残る。
その毛皮や肉にも魔力が含まれており、毛皮などであればただの獣のものよりも強くしなやかであったり、肉であれば味に深みが出る。
そういった価値があるため、魔獣を狩るほうが収入になり、魔石を残すだけのゴブリン駆除は実入りが少なく人気が無い。
そのため、奴らの相手は俺達のような騎士や兵士の仕事になる。
「わーい!」
魔石を一生懸命に手に持った麻袋に詰めていく子供達を眺めていると、疑問が浮かぶ。
「スタンさん、なんで子供達を使うんです?」
槍をホルダーに納め、近くに居た騎士スタンに問うと、スタンは「そんなことも知らないのか」と言って笑う。
だが、その顔は嫌味な表情ではなく何も知らない弟に物を教えるような、「しょうがねえなあ」といた様な柔らかさがあった。
「わざわざ村人を雇用するのは、彼らに現金収入の機会を与えるためさ」
「現金収入……」
「ああ、農村は物々交換が主流で、取引が村の中で完結しちまうからな。街で薬や布地なんかを手に入れようにも、作物や家畜を持って街まで行くのは骨だ。定期的に巡回している隊商以外の商人は、買い叩いてくるのが常道だからな……っと、ほれ」
定期巡回の隊商はウチの御用商人がサービスでやってるからな、と言いいつつ、ポケットをゴソゴソとまさぐり取り出した何かを下手投げで投げつけてくる。
まとまって飛んでくるが、いくつか逸れるが、両手を使って全てをキャッチすると、「お見事」とスタンが笑いながら手を叩く。
「木の実ですか」
「ああ、クルの実だ。割って中身を食うと美味いぞ。固いけどな」
スタンは剣の柄を使って上手く殻を叩き割ると、中身を取り出して口に入れる。
「俺ぁコイツが好きなんだが、油が多いからあんまし食べると太るってカミさんに叱られるんだけどな……っと話が逸れちまったな。どこまで話したっけ」
「行商だと買い叩かれるという所までです」
「ああ、行商みたいなリスクの大きい偶然を祈るより、俺達がこうやって定期的に雇い入れることで現金を供給するのさ。子供達にはきちんと規定の賃金を支払うし、拾い集めた魔石は子供達がそのまま持ち帰っていいことになっている。これは村の共有の財産として、備蓄食料や作物の種を買うための資金になるのさ」
この街道の整備にも時折近隣の村人を徴用して作業を割り建てているが、他の領地はいざ知らず、カルナストウではきちんと賃金が支払われている。
時期も農閑期が主で、新しい家畜を買うための資金調達の貴重な機会として喜ばれているらしい。
「おまけに、我々への心証もよくなる……ですか」
「まあな」
こうした地味な活動が、オルジナ公への領民の圧倒的人気につながるのだろう。
戦に強くて、善政を敷き領民に優しい領主。
人気が出ない筈がない。
「時に、最近妙な噂が広まっていてな」
「噂?」
「王族に連なるものが命を狙われているという話だ」
普通に考えれば、対立関係にある国の工作か権力闘争だが。
「穏やかではないですね」
「まあ、実際に誰かが害されたという話は聞かないから、噂だとは思うが……」
王族に連なる者で実際に襲われた人間を知っている身にすれば、根も葉もない噂と断ずる事もできない。
「お嬢さんのことがあるから、あながち全くの嘘とも思えない……と」
先代のディルフィーネ国王の弟ギュスタブ・オルジナがグラーツ公の父である。
武の人であったギュスタブ公は権力争いを嫌い、王に願い出て国境防衛を担うカルナストウを拝し、常にギリモアとの戦いの最前線に立っていたらしい。
そういった気風であるから、ステレオタイプの貴族の令嬢ではなく、明るく素直なリネアが育ったのだろう。
「ご明察。もうじき教国の巫女様がウチにも巡礼にいらっしゃるからな。閣下はそういう物騒な要素があるとすれば未然に潰しておきたいのさ」
スタンが言うように、今後もリネアを狙う者が現れるとすれば由々しき問題だ。
俺がこの世界に来た切っ掛けでもあるし、この世界に喚び出された理由にも彼女が深く関わっている気がする。
暫く子鬼達を狩り続けると、空に小さく影が映る。
「ん? あれは……」
かなりの高度が有るため小さく見えるが、実際の大きさはかなりのものだろう。
「あーありゃあ翼蜥蜴だな……」
スタンが日光に目を細めながら、影の正体を教えてくれる。
やはりここはファンタジーの世界だ。
翼の生えた蜥蜴をこの目で見ることになるとは。
「危険はないのですか?」
そう問うと、スタンが困った表情で頬をポリポリと掻く。
「ちと危険だが、アレは元々岩場に住んでる魔獣だ。あのまま山に飛んでってくれりゃ御の字だ。そもそも、あの高さじゃ手が出せねえよ」
「狩れるのなら、狩った方がいいのですね?」
「まあ、家畜や子供を攫ったりするから、倒せる状況であれば絶対に倒すが……」
「了解した。着装!」
右手を高く掲げ、黒依を展開する。
しゃがみ込み、両の足に力を込める
「おいおい、トウヤ殿? アンタまさか……」
「往ってきます」
足に込めた力を開放すると、爆風とともに俺の身体は弾丸となり、亜音速まで加速して打ち出される。
この速度で行けば、あの翼蜥蜴の高さまでは余裕で届くだろう。
『このコースだと、目標からは少しズレてるわよ』
「高さが合えば問題ない」
突然現れた、地上の生物である人間に驚いた翼蜥蜴は威嚇の声を上げる。
「お前は時折子供を攫うそうだが」
背中のスラスターを全力で吹かせば、上昇することは不可能でも短時間高度を維持することが可能だ。
手首に装着されたの衝撃砲の反動を加速に使って接近する。
流石に空は奴のフィールドなのだろう、翼による飛行の軌道は変幻自在だ。
後ろを取ろうと宙返りし背後から俺に襲いかかるが、圧倒的に速度が足りない。
両手を下に向け、衝撃砲を放ち翼蜥蜴の反応できない超速度で上昇し、真上をとる。
「俺の目の届く範囲では許さんぞ」
左手を真上に向けて衝撃砲を発射し、下降して蜥蜴の背中に降り立つ。
「そろそろ空の旅も終わりにしよう」
両手を真上に掲げ、衝撃砲を連射する。
蜥蜴はその威力に抗えず、一発毎にワープするように高度を落としていく。
ついに背骨が衝撃に耐え切れず、鈍い音とともに折れ重力とともに落下する。
激しい衝突音とともに着地すると、同僚たちが呆れた表情でこちらを見ており、子供達ははしゃいで翼蜥蜴の死体に群がっている。
「戻りました」
「もう滅茶苦茶だなあ……」
呆れるスタンを尻目に、翼蜥蜴の尾を持って村へと引きずっていく。
日も落ちようという時間に俺達は村に着いた。
村の明かりが見えると、子供達は手を振りながら駆けていく。
我が子を迎えた村人達は翼蜥蜴を引きずってきた俺達に大いに驚いていたが、スタンから村長に対して、これも村の収入にするように伝えられると、村が歓声に沸いた。
他の人から見たら、真上にぶっ飛んでいったと思ったら、すぐにワイバーンと一緒に降ってきた頭のおかしな人に見えてます。




