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第九話 絡まる糸

筆者の小説を読んでいただき、ありがとうございます。


今更ながら、筆者の配慮が足らず、ここで捕捉させていただきます。

陽生国の建築物は、日本の平安時代や江戸時代などの古い建物を意識し、海琉国の建物はヨーロッパをイメージして書いております。ただ、筆者の勉強不足とイメージ不足のため、あくまで「意識している」ということでご容赦ください。

また、日用品などは現代のもの(携帯電話、他)を使用しています。


それでは、本編をどうぞ。

 その日の夜、談話室には信護と千歳しか来なかった。

 個人授業を終え、遅れて顔を出した千歳は、少し驚いたように目を瞠る。

「響喜も舞香も、今日は来られないって……大丈夫かな?」

「響喜さま……すごく、落ち込んで……ううん、違う。あの顔は、思い詰めた顔、だったかも。でも、わたしじゃ上手く聞けないから教えてもらえないし、すごく心配。こういうとき、自分の魔法が、ちょっと恨めしい」

 いつもより饒舌な彼女に、信護の眉が不愉快そうに寄る。けれど、そのことに千歳は気づかず、どれだけ彼女が心配していても、響喜の様子の原因を話す気もなかった。

「響喜はまぁ、あれだけど……何だか舞香まで浮かない顔してたね」

「舞香は……」

 表情を曇らせた彼女に、信護は首を傾げた。

「何かあった?」

 千歳は俯いてしばし沈黙し、首を横に振った。

「わたしのせいで、泣かせた。理由は……分からないけど……」

「ケンカ? 珍しいね。あんなに仲が良いのに」

 正直、舞香と千歳がケンカをする様子は想像できない。

「ケンカじゃない…‥と、思う」

「ふうん」

 歯切れの悪い答えに、信護はそれ以上追求しないことにした。

 千歳本人にもよく分からないことがあった、ということなのだろう。

「……響喜さま……」

「響喜にも、考えたいことがあるんだよ」

「そう……」

 何だろう? と口元に手を当てて考える仕草が可愛い。

 ふと、掃除時間に響喜と話したことを思い出す。

 ずっと、響喜と舞香が羨ましかった。

 幼い頃から千歳と一緒にいて、自分の知らない彼女のことを知っている。

 特に響喜は音羽の人間として、千歳を守る立場にいるのだ。これからもきっと、それは変わらない。

 でも、今はそんなことはどうでもいい。

 彼女は今、自分と二人でいて、自分は千歳を独占することができるのだ。

 響喜はともかくとして、舞香も来ないのは好都合だと思った。

「そういえば今日も、氷堂先生の授業を受けて来たんだろう?」

 突然の話題転換に驚いた様子もなく、千歳は頷く。

「今日は魔法の使い方を習った」



「今日から始めるのは、言葉魔法の可能性と、お前の魔法の得手不得手についてのデータ収集だ」

 記録用紙を挟んだバインダーを持って現れた氷堂は、さっそく万年筆を振って氷を出した。

 小さなボールが一個入るくらいの、透き通った氷の箱。そして、それを置く台座。さらに彼は、手のひらの上に氷球を作り出す。

「まず、魔法を使って、箱の中から氷球を取り出してみなさい」

 そう言って彼は、手に持った球体を箱の中に入れて蓋を閉じ、万年筆でそれを軽く叩いた。すると、そこに氷の錠前が現れる。

 氷堂の話を聞きながら、千歳は彼の魔法技術に感心していた。

 魔法で何かを生み出すには、想像力が(かなめ)となる。小さいもの、細かいものを作ろうと思えば、それだけの集中力が必要だ。

 それをさらりとやってのける氷堂は、魔力だけではない、優秀な魔法使いであることが分かる。

 千歳は箱の前に立ち、両手をかざした。

 何と言えば、中の氷球を取り出せるだろう。

 そう考え、彼女は魔法の言葉を紡いだ。

「《氷の球よ、わたしの許へ来て》」

 その言葉に従い、台座ごと氷の箱が砕ける。そして、その中に入れられていた氷球は、上から糸で吊っているかのように浮かび、何かに操られるようにして千歳の手までやって来た。

「よろしい」

 結果を記録用紙に書き込んだ氷堂は、顔を上げて、砕けた氷を元に戻す。万年筆を向けられた氷の欠片は、パズルを組むように集まり、やがて一つとなったオブジェからは(ひび)が消え、台座と箱は元通りになった。

 氷球を千歳から受け取った氷堂は、再びそれを氷の箱へ入れ、錠をする。

「では、今度は何も壊してはならない。台座、箱、もちろん錠もだ。何も壊すことなく、中の球を取り出すのだ」

 千歳は一瞬息を呑んだ。

 彼女はこれまで、魔法の練習をしたことがない。

 去年、魔法実技『能力系防御クラス』を受けたが、実習でもやはり周りとレベルが違い過ぎて、授業のほとんどが見学だった。

 つまり、彼女は魔法を使ったことがあまりないのだ。

 そんな千歳に、この魔法は難易度が高い。

 それでも、彼女は思考を巡らせ、どういう言葉なら、何も壊すことなく氷球を取り出せるだろうかを考えた。

「《氷の箱はその身を傷つけることなく、氷球はわたしの許へ来て》」

 透き通った箱の中で氷球が浮いた。

 だがそれは、小さな箱の中をさ迷い始める。

「あ……っ」

 しばらくぐるぐると動いていた球はやがて、パリン、と音を立てて箱の中で砕けてしまった。

 万年筆で錠を叩き、箱を開けた氷堂は、無残に砕けた球を眺める。

 そして、やや怯えたように小さな身体をさらに縮込めた千歳を振り返り、口を開いた。

「理屈だけで言うなら、この程度の魔法、お前には造作もないはずだ」

 相槌を打つ彼女を確認して、彼は砕けた氷球を元に戻す。

「もう一度、今度はよくイメージしろ。何も壊れることなく、氷球が外に出る様子を」

 イメージは、魔法で最も重要な要素。

 魔法をコントロールするのは意思だが、それを形作るのはイメージだ。

「それと……」

 氷堂は指を立ててつけ加える。

「主語を抜いてみなさい。そもそも対象を視認できる距離と状況では主語がなくても相手に伝わる」

 確かにその通りだ。

 大勢の中でただ声を掛けられても分からないが、例えば二人であれば、何かしろと言われればそれは即座に自分に向けられた言葉だと認識できる。

「例外はあるが、私の研究成果によれば、言葉・文章が長くなればなるほど魔力を消費する。いかに効果のある言葉を選び、それを組み立て、魔法を使うか。それがお前の課題だ」

 千歳は大きく頷き、言われた通りに主語を抜いて魔法を使うべく準備を始めた。箱が壊れることなく、中の氷球が外に出る様子を頭に思い描く。

 これは、空間を移動するということだろうか。

 そう思った彼女は、そのために必要な言葉を魔法として紡いだ。

「《空間を越えて、ここ来て――……》」



 千歳の個人授業の話に黙って耳を傾けていた信護は、その続きを促す。

「それで? 結局、どうだったの?」

 それに対して、彼女の様子は浮かない。

「あまり良くない。先生は、イメージが固まりきってないからだろうって言ってた。魔法を使ってなかったせいで、まだ魔法を使う感覚が掴めてないのも原因だって」

 空間移動の魔法を掛けた氷球は、彼女の手元まで来たものの、一部が欠けて破損していたそうだ。

 その後、何度も挑戦して、ようやく成功したらしい。

 だが、無表情な顔は少し不満を表していた。

 一年ほどの付き合いで、微かだが彼女の感情を読み取れるようになっていた。

「なかなか難しいね」

 千歳の場合、魔法の使用を制限していたことが仇になっていた。魔法は本来、一人一つで、練習さえ積めば、己の魔法はある程度掴めるようになる。

 しかし、千歳は多種多様の魔法が使える上、練習する機会がないに等しかった分、魔法を使うイメージが難しいのだろう。

「まだ授業を続けるの?」

 どうすれば上手く魔法を使えるのか、握った手を口元に当てて考え込む千歳に、信護は声を掛ける。

「うん。氷堂先生の授業は好き。説明も具体的で分かりやすいし、悪い点を的確に指摘してくれる」

 言っていることは理解できる。けれど、納得はできなかった。

 しかし、次の言葉に、彼の思考が一瞬固まる。

「上手く使えるようになって、上手く制御できるようになれば、きっと、響喜さまの役に立てる」

 ピクッ、と身体が反応したが、表情を動かさず、信護は「そうだね」と何とか相槌を打った。

「あの、さ……」

 話は変わるけど、と前置きをして信護は千歳に真剣な目を向けた。

 何? と言うように彼女は黒い瞳が瞬く。


「君にとって響喜は……どういう存在なの?」


 握り合わせた手に汗が滲んだ。

 胸が痛いのは、緊張しているせいだろう。

 返事を聞くのが怖い。だが、千歳はあまり間を置かずに答えた。

「響喜さまはわたしの恩人。響喜さまが望むなら、わたしはどんなことでもできる」

 どんなこと、という言葉の響きが重たかった。

 彼女がどういう意味で口にしたのかは分からないが、命を捨てることも厭わない、という意志は明確に感じ取ることができた。

 握り合わせた手に力がこもる。

 胸が痛いのは、千歳がそれを誇らしげに話していたからだ。

「でも、奏司さんは? 違うの?」

 何でもない風を装うのが精一杯で、声が強ばっていると自分でも思った。

 けれど、千歳はそれに気づくことなく、信護の問いに答える。

「もちろん、奏司さまにも感謝してる。今こうしていられるのも奏司さまのおかげだから。奏司さまがいなければ、わたしはあのまま……」

 しかし、俯いた彼女の表情は、どこか辛そうに見え、その先を濁す千歳との間に、決定的な距離、あるいは境界線が引かれる。

 それが堪らなく悔しかった。結局自分は、千歳の中では境界線の向こうの人間で、それが響喜と自分の決定的な差だった。

「でも、一番は響喜さま。わたしは響喜さまが世界で一番大事。わたしは響喜さまに、一生掛かっても返せない恩がある」

 微かに、彼女が笑った。

 千歳は表情が乏しい。だが、無表情というわけではない。嬉しいときは笑うし、悲しいときは悲しそうな表情を見せる。それが分かりにくいだけで、少し付き合いがあれば、誰にでも見分けることができる。

 そんな彼女が笑うのは、ほとんど響喜が関わっているときだ。

 一番大事。

 それは、どういう意味で?

 千歳の言う「恩」が何なのか。

 聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちがぶつかる。

 そして彼は、「聞かない」を選択した。

 聞いてしまえば、この胸の中のドロドロとした暗い気持ちが広がって、自分が自分ではなくなってしまいそうで、怖かった。

「そう、なんだ……」

 それ以上のことは言わない。……言えない。

 信護は顔を引き攣らせないよう、慎重に言葉を紡いだ。



 舞香は自室のベッドの上で、ずっと思考の迷路から抜け出せずにいた。

 響喜と、信護と、千歳と、そして自分について。

 カーテンを閉め切り、電気もつけていない暗い部屋。それは全てを拒絶している、彼女の心そのものだった。

 昼間、屋上で千歳の姿を見たとき。

 あのとき、舞香は一瞬だが思ってしまった。

 千歳なんかいなくなればいい、と。

 千歳さえいなければ、信護は自分を見てくれるかもしれない、と。

「最低だ、あたし……」

 膝を抱え、額をそこに押しつける。

 一瞬でも、そんなことを思ってしまった自分が恐ろしい。

 自分はこんなにも醜く、酷い女だっただろうか。

 幼い頃から、ずっと一緒にいたのに。

 響喜が千歳を連れてきたときから、ずっと。

 二人がどういう経緯で知り合ったのかは知らない。

 ただ、彼女は今よりも表情がなく、笑うことも泣くことも、怒ることすらせず、一日一言も喋らない日さえ珍しくなかった。

 小さくて弱くて、可愛くて。

 守ってあげなくちゃいけない、と幼心にそう思ったのを覚えている。

 そんなあの子のことを、あたしは……。

 細い身体を抱きしめて、舞香はそこに千歳の温もりを思い出した。

 身体越し感じた千歳の鼓動、力のこもった腕、震える声。

 泣いていた理由は話さなかった。だから、千歳は何も知らないはず。

 それなのに、彼女は謝罪の言葉を繰り返した。

 何も知らないくせに……。

 それでも、「口ばかり」の言葉だと思わなかったのは、舞香が泣いているのは自分のせいであると彼女が察していたから。

 そして、その言葉が千歳の優しさと思いやりから出たものだと分かったから。

 そんな彼女だから、舞香は千歳を嫌いになれない。

 舞香は頭を切り替える。

 信護は、千歳が好きだ。

 だが、千歳の思考の半分以上は響喜が占めている。

 だから、信護の恋は実らない。

 そうすれば、信護は……。

 そこで舞香はため息をつき、再び膝に顔を押しつけた。

 傷だらけになりながらも、自分の傍まで来て、抱きしめてくれた千歳。

 あの後、五時限目の授業を欠席することになり、保健室で治癒魔法を掛けてもらった。おかげで千歳の傷は消えたが、自分が彼女を傷つけてしまった事実は消えない。

「ほんとに……最低だ、あたし……」



 信護からの宣戦布告を受けた響喜は、やや遅れて授業に出席した。しかし、予想通り、信護の姿はない。彼の性格からしてサボるということはないだろうから、結局一人で教室まで辿り着けなかったのだろう。

 だが、どういうわけか、信護だけでなく、千歳と舞香の姿もなかった。

 信護、舞香、そして千歳。

 急激に動き出した自分たちの関係に、響喜はいつも以上に授業に身が入らなかった。

「兄さん?」

『どうしたのですか、響喜。声が暗いですね。何かありましたか?』

 務めていつものように喋ったつもりだったが、電話越しでも兄にはその変化が分かってしまうようで、彼は内心で苦笑した。

 やはり、兄に隠し事はできないらしい。

 『何か』はあった。

 しかし、それを兄に話すのは何となく抵抗があり、かといって嘘を言うのは彼の主義に反する。響喜は幼い頃から嘘は吐かないように、と奏司に厳しく教育されているからだ。

 そこで響喜は、曖昧にはぐらかすことにした。そうすれば、兄はよほどのことがない限り、それと気づいても深く追及するような真似はしない。

「兄さんはもし、俺が千歳のこと好きだって言ったら、どう思いますか?」

 必要以上に、あくまで「もし」であることを強調して話す。

 すると、一瞬の沈黙の後、奏司はわずかに声を弾ませて回答した。

『反対はしませんよ。私はすでに、千歳のことは可愛い妹だと思っていますし』

「でも、俺が初めて千歳のいた離れのこと聞いたとき、近づくなって……」

 今から十一年前のことだ。その二年後、彼女は音羽家に引き取られることとなる。

『あの頃はまだ父上が健在で、千歳のことを管理(・・)されていましたからね。下手に関われば、父上の怒りに触れることになります。触らぬ神に崇りなし、ですよ』

 結局、忠告されたにもかかわらず響喜は千歳の許へ通い、奏司はそれに気づいていながら黙認していたわけだが。

『いいですか、響喜。千歳の魔法の危険性が増したのは私たちに責任がある(・・・・・・・・・)のです。あなたも、そのことは分かっていますね?』

「はい」

 響喜は携帯を耳に当てたまま大きく頷いた。

『しかし、あなたが責任を感じる必要はありません。責任を負うのは、当主である私だけで十分です』

「ですが、俺だって音羽の人間で、父上の息子。俺にも責任はあります」

『あなたはすでに、彼女への責任を果たしています。千歳もそれを感じているからこそ、あれほどまでにあなたを信頼しているのではありませんか?』

 本当にそうだろうか。

 だが、本人に聞いても答えは出ないだろう。

 彼女自身を閉じ込めて、自由を奪っていた。

 死にたくなるほどの苦痛を与え、その感覚を麻痺させるほど酷い仕打ちを強いていた、音羽の人間である自分を。

 知らないでは済まされない。

 そんな音羽一族を……俺のことを、千歳はどう思っているのだろうか。

 少なくとも兄の言う通り、嫌われてはいない……と思う。

 けれど、信頼されていると言い切るだけの自信はなかった。

 分からない。

 彼女の気持ちが、分からない。

 けれど。

 あの黒い瞳が自分を見上げるのが好きで。

 裾を引っ張る白い手が好きで。

 後をついて来る、小さな足音が好きで。

 あの細い身体が、その温もりが、微笑みが、憂いが、弱さが、強さが。

 愛しくて仕方がなかった。

 千歳を好きだと気づいた。そして、自覚してしまった。

 お前が好きだと、言えなくてもいい。

 けれど、恨まれていたとしても、憎まれていたとしても。

 彼女を誰にも、渡したくはなかった。


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