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第五話 個人授業

 週が明けて学校が始まると、千歳はすぐに氷堂に個人授業の許可が下りたことを伝えた。そして、全ての授業を終えた放課後、彼女は氷堂に言われて図書館に来ていた。

 円柱にデザインされた部屋の壁には、高い天井に至るまで、膨大な量の本が並んでいる。あらゆるジャンルが揃えてあるこの図書館には、多くの生徒が知識を得るために通っていた。中には、教師や限られた生徒以外しか閲覧できない禁書も存在するらしい。

「こちらに来なさい」

 そう言われてやって来たのは、その禁書の保管されている最上階。当然ここに立ち入れるのは限られた生徒と教師のみだ。

 答えが保留になっていたこともあり、今日は言葉使いの資料を閲覧するだけの予定にしていたらしい。

 エレベーターで最上階にやって来た二人は、そこから正面の本棚の一角、裏に隠された仕掛けを開けて中に入った。

「この最上階の仕掛けを知っているのも、中に入れるのも教師だけだ。ここには、魔法に関する特に貴重な資料が保管されている」

 ならば、何の権限も持っていないただの一般生徒である自分が、教師しか許されない場所に入っていいのか。

 室内に踏み込むのを躊躇う千歳に、彼は振り向いて手招く。

「お前の個人授業の許可をもらった時点で、ここへの入室許可も得ている。ここには言葉使いの資料もあるからな。もちろん、教師の同伴が条件だが」

「分かりました」

 氷堂の言葉に安心した千歳は、今度こそ部屋に足を踏み入れた。

 本の量はそこまでない。おそらく百冊もないだろう。低いガラスケースの棚の中に並べられた本は、ホコリこそ被っていないものの、紙色はかなり変色している。まるで博物館のようだ。

 やや狭い部屋の奥に案内した氷堂はその角の棚の鍵を開け、ガラスケースの中から一冊の本を取り上げた。

「この本には、言葉使いについて書いてある」

 手渡された本の色褪せた表紙には、黒い墨で『言葉使い』と明記してある。

 慎重な手つきで一ページ捲ってみるが、酷く達筆すぎて千歳には読むことができない。

「そこに書いてあるのは、言葉使いの魔法についてだな」

 少し(かが)んだ氷堂は、彼女の手の中にある本の文字を読み上げた。


 言葉使いの魔法は、文章を構成する言葉や否定語、紙に書きつけた文字などを使って発動する。

 世間的な魔法について分かっていることは多くないが、一般魔法使い以上に言葉使いのことは分かっていない。

 言葉魔法がどれだけ存在するのか。

 どれだけの言葉使いが存在するのか。

 なぜ媒介を必要としないのか。

 なぜこんなにも使い手が少ないのか。

 一説では、言葉使いは別の魔法使いを名乗っていると言われている。だからこそ、存在が確認しにくいのだと。

 また、魔法使いの魔法は強力な魔法、希少な魔法ほど遺伝しにくい傾向にある。その上、言葉魔法は他の魔法使いと同じように親から子へ遺伝していくが、その効果は全く同じではなく、言葉使いである、という事実のみが遺伝していくのだ。つまり、千歳の親は言葉使いだが、彼女と同じ『希望』の魔法が使えるわけではない。

 他の魔法使いの魔法を否定し、人心を意のままに操り、世界を破壊することも可能。その上、一般的な魔法使いよりも魔力が強く、魔力の保有量も桁違いだ。

 そのため言葉使いは、現存する魔法使いの頂点に立っているとする説もあるほどだった。


 本から顔を上げ、氷堂は千歳に目を向けた。

「今のところ、陽生国で確認されている言葉使いはお前だけだ」

 一瞬、何のことだか分らなかった。

 氷堂の話によると、研究者である彼自身が調べた結果、『言』の字を苗字に持つ魔法使いは、陽生国には千歳しかいなかったらしい。それ以外は確認できなかったそうだ。

「海琉国に『言花(ことはな)』、月映国に『言縒(ことより)』、そして陽生国の『言枝』。この三家が、世界で確認されている言葉使いの全てだ」

 もちろん、歴史的に見てその三家だけが、言葉使いの全てだというわけではなかった。

 本来ならば、他の魔法使いたちと同じように、多くの言葉使いが生きていたはずなのだ。

 歴史書にもその記録が残されている。

 言葉使いは、歴史書に唐突に現れ、そして世界に馴染んでいった。

「お前は生まれたときから『言枝』を名乗っているのか?」

「……覚えていません」

「覚えていない、か。では、両親についてどれだけ知っている?」

「わたしが知っているのは、事故現場に二人分の魔力が残っているのに魔晶石が発見されなかったとだけで……」

 彼女は二歳のときに事故で両親を亡くした。自動車が衝突し、生きていたのは千歳だけだった。

 しかし、一方の自動車からは媒介が発見されたが、魔法を使った痕跡のある千歳が乗っていた自動車からは、魔晶石も媒介も発見できなかった。

 その事故現場に居合わせたのが、音羽家前当主である響喜たちの父だ。

 そして――。

 そこまで思い出して、千歳の顔が曇る。

「そうか」

 彼女の表情の変化に気づいたのかどうかは分からないが、それだけ言って、氷堂は会話を切り上げた。

 彼女が閉じた本を受け取り、氷堂はガラスケースの棚へ戻し、鍵を掛ける。

「明日からは実技だ。お前の魔法を見よう」

「はい」

 気持ちを切り替え、千歳は静かに返事をした。

 図書館の入り口で氷堂と別れた千歳は、そのまま寮へ帰宅する。

 部屋に着いて鞄を机に置いた彼女は、先ほど見た本の内容を思い出していた。

「わたしの他に、言葉使いが……」

 自分以外に言葉使いがいる。

 そんなことを、考えたこともなかったが、あり得ない話ではない。

 音使いは音羽だけではないし、嵐使いも結界使いも彼らだけではない。他にもたくさんいるのだ。

 けれど。

「…………」

 彼らは、自分のことを……言葉使いのことを、どれだけ知っているのだろうか。



 その頃、響喜たちは私服に着替えて談話室に集まっていた。

 談話室ではいつものように、友人や恋人達が楽しそうに談笑している。一人で勉強している生徒もいたが、それでも夜の時間を思い思いに過ごしているようだ。

 しかし響喜たちの会話は、千歳がいないせいか全然弾んでいなかった。

「どうしたの? そんなに沈んだ顔して」

 癖のある短い髪を耳に掛けながら声を掛けて来たのは、彼らの担任である速水だ。

「速水先生、どうしてここに?」

「夕食の帰りなの。ちょっと一息ついてから寮に戻ろうと思ってね」

 生徒の住む寮と教師が住む寮は別々の建物だが、教師寮には食堂がなく、教師たちは生徒寮の食堂で食事を摂らなければならない。

 これは、生徒と教師が寮内でもコミュニケーションが取れるよう配慮してのことらしい。

 速水は、空いていた手近な一人用の椅子を持って来て座った。

「それで、どうかしたの? 悩みがあるなら相談に乗るわよ」

 ふわりと彼女が微笑むと、彼らの間に立ち込めていた重い空気がわずかに晴れた。

「実は千歳が……言枝さんが今、氷堂先生の個人授業を受けているんですけど、それがすごく心配で……」

 舞香が俯きがちに言葉を紡ぐと、速水の表情は一気に曇る。

「言枝さんが、氷堂先生の個人授業を?」

「正直、僕たちは氷堂先生のことがあまり好きになれないんです。先週のこともあるし……」

「先週? 何かあったの?」

 そこで、響喜たちは先週の魔法実技での一件を話した。

「氷堂先生が、そんなことを……」

「いくら謝ってくれたって言っても、簡単には許せませんよ」

 スカートの裾を握り締める舞香は、先週のことを思い出したようだ。

 それに続いて、響喜も氷堂に対する不満を口にする。

「あんな言い方をされたのに、何で千歳は許せるんだ。俺だったら絶対許せねぇ。そもそも、あいつは人が良すぎるんだ」

「確かに、話を聞くだけでも危ないわね。今はまだそんなにないみたいだけど、このままだと、どんどん戦闘を想定した危険なものになっていくかもしれないわ。もし、対人戦を想定した授業になれば、加減を間違えてケガではすまない事態になる。戦闘に備えた授業になれば、一般的な『寸止め』の授業とは違う。だって、本物の戦場を想定するなら、それは必要のないものだもの。おそらく、相手を戦闘不能にするような危険な授業になるわ。氷堂先生もそこのところは分かっているだろうし、そのための準備だってしてるだろうけど――」

「準備って、何をどう準備するんですか」

 低く唸るように、詰問とも言えそうな口調で、速水を睨むように見据えた。

「養護教諭の治癒魔法だって、何でも治せるわけじゃない。傷や骨折は治せるだろうけど、腕が千切れたら? 足が千切れたら、誰が治すんだ。頭を打って後遺症でも残ったら? そんな傷を治せるような強力な魔法使いはそう多くない。死んでしまえば、魔法は何の役にも立たなくなる」

 そして、相手にそれだけの傷を負わせれば、それをしてしまった生徒も、心に深い傷を負うことになる。

 響喜の脳裏に、千歳の姿がよぎった。

 強力な魔法を持つが故に、己を厳しく律し、力を抑えている、少女の姿が。

 響喜の問いに対する答えを持たなかった速水は悔しそうに唇を噛んだ。

「確かに、音羽くんの言う通りよ。どれだけケガや事故に備えても、対処しきれないことだってあると思う。でもね、氷堂先生も氷堂先生なりに、生徒のことを考えているのよ?」

 氷堂と速水の二人は、たびたび言い争っている姿を目撃されている。

 内容はほとんどが教育方針について。

 二人がこの学校に赴任してきたのは、響喜たちが入学したのと同時期だが、この頃から、二人の口論はすでに始まっていた。

 そんな彼女が、彼を悪く言うのは止めてくれ、とでも言うように氷堂を擁護し始めた。

「氷堂先生は頭も良いし、『もしも』の事態を引き起こさないために、たくさん対策を立てているはずだし、命に関わるような授業には細心の注意を払っているはず。あのね、厳しい態度も、あくまで授業の方針を変えないのも、必要だと思ってのことみたいなの」

 氷堂をフォローする速水に納得できず、響喜が目線を下に逸らす。

 響喜からしてみれば、だから何だという話だ。

 必要なら何でも許されるのか?

 国のためなら、国民や子どもが戦争に出てもいいというのか?

 千歳に、罪を背負わせても、平気な顔をしろと言うのか?

 そんなの、良い訳はない。

 三国間の戦争なんて、国王たちのつまらない見栄や欲のために起こるものだ。

 それなのにどうして自分たちが、千歳が、そんなくだらない理由で罪を背負わなければならないのだ。

「もちろん、氷堂先生の授業に納得しているわけじゃないわよ。どれだけの対策を立てていようと危険なことに変わりはないし」

 取り繕うように口を開く速水の目は、焦っているというより、不安のようなものが垣間見えた気がした。

 やがて、テストの採点があるからと腰を上げた速水が去ると、舞香は顎に指を当てて首を傾げた。

「速水先生って、もしかして氷堂先生のことが好きなんじゃないかしら?」

「あ、僕もそう思った。響喜の言ったことに対して、妙にかばってたし」

 舞香と信護の台詞に、響喜は納得しながらもため息を吐く。

「正直、あんな冷血漢のどこがいいのか分かんねぇな」

「あら、氷堂先生って、一部の女子には人気なのよ。顔はカッコイイし、あの冷たい態度が良いとか」

 確かに氷堂の顔立ちは整っている。切れ長の目や神経質そうで近寄りがたい雰囲気。印象だけなら、奏司と似ていた。

「つーか、よく気づいたな。女の勘ってヤツか? 女子ってホント、そういう話が好きだよな」

「当然でしょ。でも、美人で優しい先生だとばかり思ってたけど……何だか親近感が湧いちゃった」

「へぇ。それって、舞香にも好きな人がいるってことなのかい?」

 隣に座っていた信護が、舞香に鋭く質問を投げかける。といっても、信護は何となく聞いただけなのだろうが。

 その問いに、舞香の表情が、固まる。それは、表情が無くなったと言い換えてもいい。

 だがそれも一瞬のことで、すぐに彼女はいつものように、冗談めかして答えを口にしていた。

「内緒。こういうのは、簡単に口にしちゃいけないのよ」

「そっか……協力できると思ったんだけど」

 舞香の受け答えは自然。

 信護は、彼女の表情の変化には気づかなかったようだ。

 彼女は昔から、自分の気持ちを隠すことが上手い少女だった。

 響喜は舞香との付き合いが長いせいか、彼女の表情の変化を読み取ることに関して、誰にも負けない自信がある。

「そういう信護はどうなの? 好きな子、いるんじゃない?」

 身を乗り出して、舞香は信護に答えを迫る。心なしか、彼女のの翠玉の瞳は剣呑な光を宿していた。

 もしかしたら、舞香が好きなの人というのは、信護なのかもしれない。そう考えれば、彼女がたまに見せる憂い顔にも納得がいく。

「それは、その……」

 顔を真っ赤にして焦る信護は、明らかに舞香のペースにはまっている。嘘を吐けない性格が仇になっているようだ。

「……その反応は、『いる』のね」

 舞香の目が据わっているように見えるが、それは響喜にしか分からなかったようだ。信護は湯気が出そうなくらいに顔を赤くして、ようやく自分の置かれた状況を理解したらしい。

「酷いよ、舞香」

 信護の視線は響喜に助けを求めているが、響喜は黙っていることにした。舞香に恨まれては、後で何をされるか分かったものではない。

 だいたい、いつの間に暴露大会に変わってしまったのだったか。

「そうだ、響喜。君は好きな人はいるの?」

「俺に振るなよっ」

 信護に水を向けられて、今度は響喜が焦る番だった。

 そこで、ふと自分が焦っている理由が分からなくなる。

 いないならいないと言えばいいだけのことなのだ。

 好きな子?

 そう考えて、なぜか一人の少女が思い浮かぶ。

 長く黒い髪を持ち、いつも大きな瞳で見上げてくる、千歳の姿。

 響喜はその考えを振り払うように、頭を振った。

「いや、俺には……」

 いない、と言う言葉が喉に引っ掛かる。

 違う。

 千歳は妹のようなもので、俺が守ってやらなくちゃいけない存在で。

 その考えに、響喜は違和感を抱いた。


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