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第四話 言葉魔法

「それでは、改めて。響喜、千歳、お帰りなさい」

 奏司の自室ではなく、客間へ通された二人は、暁子が持って来た和菓子に目を奪われていた。

 ちなみにこの客間は、先ほどの失礼な男が通された部屋とは別の部屋だ。

 桜を模した和菓子の出来は繊細で、崩すのがもったいないと思うほど綺麗で、同じくらい美味しそうだった。

「どうぞ、召し上がりなさい。話はそれからにしましょう」

 苦笑しながらの兄の言葉に、礼儀も作法も忘れて、響喜と千歳は同時に和菓子に手を伸ばした。

 和菓子を口に運び、咀嚼(そしゃく)して、お茶を飲む。和菓子の甘みとお茶の渋みが調和して、絶妙な味が口に広がった。

 隣を盗み見ると、千歳はきらきらと目を輝かせて、和菓子を頬張っている。

 その姿はまるで幼い子どもや小動物を思わせた。

「千歳、口に餡がついてる」

 言いながら、響喜は自分の懐から懐紙を取り出して、口元を拭ってやる。ちなみに懐紙は世間ではあまり使われなくなったが、この屋敷ではティッシュや布巾よりも馴染んでいる代物だ。

 千歳は、食べるときは一心不乱で、周りどころか自分すら見えていないようだ。

 せっかく綺麗に着飾ったのに台無しだ、と思いながらも、それを可愛いと思ってしまう自分がいる。

 そのことに内心で驚き、もちろん妹として、と訳のわからない言い訳をしてしまう。

 しばらくして二人が食べ終わるのを見計らうと、奏司は本題を切り出した。

「話はおおよそ、響喜から聞いていますが……千歳の個人授業に関して、で間違いありませんか?」

 こくり、と頷いた千歳は、姿勢を正し、膝の上に綺麗に手を揃えている。

 隣に座っている響喜は、あくまで付添いのようなもので、この件については一切口出しを許されていないのは言うまでもないことだった。

「それで、あなたはその授業を受けたいと考えているわけですね」

「はい」

「理由を聞かせてもらえますか?」

 彼女が唾を呑むのが分かった。その様子から、かなり緊張しているのだろうことも分かる。

 一瞬の沈黙は、千歳が頭の中で言葉を選んでいるからだ。

 状況が状況なだけに、下手をしたら魔法を発動してしまうような言葉を口にしてしまうかもしれない、と。

「わたしは、自分の魔法について何も知りません。何ができて、何ができないのかも。制御に関しても、ただ言葉を選ぶということだけで、みんなが授業で習うような加減の仕方も全く知らない。先生は、言葉使いについて研究していると言いました。それに、魔法についても、きっと何か知ることができると思います。ですから、この機会に学ぶことができたら、と思います」

 千歳の言葉を聞きながら、奏司は湯呑に注がれたお茶を口に含んだ。

「確かにあなたの言う通り、あなた自身も、そして私たちも、言葉魔法に関しては無知と言っても過言ではないでしょう」

 綺麗な佇まいで千歳を見据える彼の瞳は静かだが、どこか試すような色を含んでいるように見える。

 そのことに疑問を感じながらも、響喜は黙って事の成り行きを見守ることにした。

「しかし、そのことに関して、現在まで何の問題もありませんでした。あなたには不便をかけているでしょうが、魔法を無効化するようなものでもない限り、不必要な魔法の発動を抑制する方法がないのも事実。特別な授業を受けたところで学ぶことは確かにあるでしょうが、それを知ったからといって何かできることもないでしょう」

「それは……」

 千歳が唇を噛む。

「兄さ……」

 堪えるように俯いた彼女のために何かしてあげたくて、響喜は口を開こうとした。だが、膝で手を握りしめる千歳にその言葉が遮られる。

 手を畳に揃え、彼女はゆっくりと頭を下げた。さらり、と結い上げられた髪が、千歳の肩から零れる。

 その動きは優雅で、それでいて切なく、響喜の胸を締め上げた。

 お願いします。

 彼女は全身でそう訴えていた。

 彼女の行動に、奏司は悲しげに目を細める。

「なぜ、そうまでして己の魔法を知りたいと思うのですか?」

 千歳は頭を下げたまま、一度唇を引き締めた。

「奏司さまも、響喜さまも、わたしの恩人ですから。もっと上手く魔法を使えるようになって、少しでも、お二人に恩を返せたらと……」

 少しでも、役に立ちたい。

 そんな想いが、ひしひしと伝わってくる。

 彼女の想いに、奏司は痛ましそうに目を伏せる。


「あなたが音羽に恩を感じる必要はありませんよ。たとえ憎むことがあっても(・・・・・・・・・)


 兄の言葉に響喜も視線を俯けた。

 けれど、そんな二人に千歳は下げていた頭を上げ、首を横に振った。

「いいえ。お二人はまぎれもなくわたしの恩人です」

「千歳……」

 無意識に、響喜の唇は彼女の名前を紡いでいた。

 胸が痛い。

 千歳がいるのが当たり前になっていて、なぜ彼女が音羽の屋敷に住んでいるのか、忘れかけていた。

 そうだ。

 初めて会ったとき、彼女は離れに閉じ込められていた――……。

 ぎゅっ、と拳を握り締めていると、奏司は重い息を吐いた。

「そこまで言うのであれば、仕方がありませんね。個人授業への出席を許可しましょう」

「ありがとうございます、奏司さま」

 畳に額がつくほど深々と頭を下げ、千歳は感謝の意を示す。

 ただ、千歳の本音を聞きたかっただけで、最初から許可するつもりだったのだろう。

 だからこそ、兄はこんなに、優しげな表情をしている。



 夕食をみんなで摂り、風呂も済ませた響喜は、すでに敷かれていた布団の上でゴロゴロとしていた。

 必要なものは学校の寮に持って行ってしまったため、やることがない。

「はぁ……」

 暇だ。少し縁側でも歩いてみるか。

 そう思って身体を起こすと、ふと一つの旋律が耳に届いた。

 障子を開けて縁側に出ると、よりその旋律は鮮明になる。だが、その旋律は音だけで歌詞がない。

 黒い墨を溜めたような池に月が映り込み、鯉が優雅に泳いでいるのが朧げに見えた。

 声の方へ歩いて行くと、ほどなくして縁側に腰を掛けて歌う千歳の姿があった。

 夜風に吹かれて歌う千歳は、単衣に上着を着た姿。それは黒く長い髪も相まって、まるで歴史上に出てくる姫君のようだ。

 よく聴くと、彼女が口ずさんでいる曲は、この国で知らない人間はいないほど有名な曲で、学校でも教えている。

 大切な人を励ますための歌。

 少し陽気だが、どこか切なさを孕んでいるのが、この曲の特徴だった。そのせいか、静かな夜には不釣り合いな旋律が、不思議と空気に溶け込んでいる。


 ――琴のように響かせましょう

   震える君を励ますために

   笛のように奏でましょう

   君の弱さを抱きしめるために

   星よ、月よ、太陽よ

   未来へ続くこの道を

   その優しい光で照らして下さい

   迷わぬように、進めるように

   私はここで導きの嘔を歌います――


 響喜が千歳の口ずさむ曲に合わせて歌詞を紡げば、それに気づいた彼女は口ずさむのを止めて振り返り、驚いて目を丸くしている。

「響喜さま……起こしてしまって、申し訳ありません」

「まさか、まだ九時前だぜ? 寝てるわけねぇだろ。お前は何してたんだ?」

「庭を歩いていたんですが、下駄の鼻緒が切れてしまって……」

 千歳の足元を見ると、揃えて置かれた下駄の片方は、鼻緒が見事に切れてしまっていた。仕方がないな、と千歳の隣に腰を下ろすと同時に、彼女の髪が濡れたままだということに気づく。

 よく見ると、単衣もわずかに湿り気を帯びていて、彼女が風呂から上がったばかりだということが分かった。

「バカ! お前、風呂から上がったばっかで、髪もほとんど乾かしてねぇじゃねぇか。湯冷めするぞ」

 キョトン、とする彼女を怒鳴りつけ、響喜は一度部屋に戻って引き出しから手拭いを持って来る。そして、それを千歳の頭に放り、わしゃわしゃとかき混ぜた。

「響喜さま、痛いです」

「ちょっと我慢しろ。全く、俺が来なかったらどうしてたんだよ」

「別にどうもしませんが……」

 観念してされるがままになる千歳の髪から、今度は丁寧に水気を拭っていく。

「響喜さま」

「ん? 何だ?」

 夜の外気は冷たく、闇夜の中で、月だけが星を引き連れて輝いていた。

 たまに屋敷の外から音が聞こえるが、それが気にならないくらい静かで、空間が切り離されているような錯覚に陥る。

「今日はありがとうございました」

 何を? とは聞かず、響喜は千歳の隣に腰を下ろし、彼女の足元から鼻緒の切れた下駄を拾い上げた。

「響喜さまがいて下さって、とても心強かったです」

 千歳の礼に、響喜は「別に」とそっぽを向いた。

 一瞬、心の表層に浮かんできた甘い刺激に、響喜は気がつかなかった。

 響喜は千歳の髪を拭った手拭いを手で引き裂きながら、彼女の話に耳を傾ける。

「わたしの魔法は危険です。不用意に口に出してはいけないものです。わたしが一言口にすれば、相手を傷つけることも、殺すことだって簡単にできる。……恐ろしいものです。だからわたしは、学ばなければならないんです」

 少し考えて、響喜は口を開いた。

「……俺は――そうじゃないと思う」

 そして、千歳の、夜空を切り取ったような瞳を真っ直ぐ見据える。

「それは千歳だけじゃないだろ?」

 言葉で誰かを傷つけるのも、追いつめて殺してしまうのも。

 それは誰だって持っている力だ。

 そんな言葉だから、誰かを喜ばせたり、楽しませたりもできる。

「言葉ってさ、心に響くもんなんだ。だから、相手に影響を与えることができる。結局言葉っていうのは、『心に刻まれるもの』だと思う」

 胸をトントン、と叩いて示して見せるが、彼女はよく分からないといった顔をした。

 確かに、これだけでは何のことだか分からないだろう。

「昔の偉い人が残した言葉。名言とか格言とか、あと、和歌とか辞世の句とかいうのも。今でも言い伝えられてる言葉ってたくさんあるだろ? あれってさ、きっとこれから先、俺たちが大人になって、じいさんばあさんになって、寿命で死んで、それから後も、ずっとずっと遺されていくんだ。それって、もう歴史じゃなくて、世界の(こころ)に『刻まれた』言葉ってことだろう?」

 彼らの言葉は歴史に刻まれ、それと同時に世界を構成する要素として永遠となり、後世の人間たちの背中を押し、時には人生すら形作る。

 形のないもので、見ることも触れることもできないのに。

「けれどそれは、それだけの功績を残しているからだと思います」

「まあ、そうなんだけどさ。別に世界に限ったことじゃない。よく、『心に刻む』って言うだろ。さっきもいったけど、偉人じゃなくても、相手に影響を与えることはできる。誰にだって忘れられない言葉ってもんはあるもんさ。そういうもの全部ひっくるめて、『心に刻まれるもの』だと俺は思う」

 そこで響喜は話が逸れていることに気がつき、ゴホン、と空咳をして続けた。

 何か柄にもなく語ってしまっている。

 それに気づいて、恥ずかしくなった。

「ま、えぇと、つまりさ。お前がそんなに怯えることはないんだ。お前は何も、ビビることはない。誰かを傷つけるのも、喜ばせるのも、お前だけじゃないんだからさ」

 千歳を見ると、彼女は顎に小さな手を当てて、「忘れられない……」と呟いた。

 そのとき、脳裏にふと昔の記憶がよみがえった。


 ――とても、すてきななまえね。


 喜びが響く。

 あの日のことは、響喜にとって忘れられない出来事だ。

 時に人を励まし生きる勇気を与え。

 時に人を傷つけて死に追い込む。

 それだけの力を持つからこそ、世界の、国の、人の心に刻まれるのだ。

 話いている間に、切れた鼻緒の修理が完成した。

 昔から手先が器用な方だった響喜は、切れた鼻緒を抜いて、代わりに裂いた手拭いを結んで直したのだった。

「ありがとうございます、響喜さま」

「まぁ、あくまで応急処置だけどな。今度兄さんに新しい下駄買ってもらえよ」

 そう言うと、千歳は首を左右に振った。

「いいえ、せっかく直して頂いたんです。大切にしますね」

 本当に大切そうに下駄を胸に抱きしめる千歳に、響喜は気恥ずかしさを感じてそっぽを向いた。

「べ、別に、そんな大したことしたわけじゃねぇし。だいたい、このくらい何てことねぇ。お前が頼むならいくらだって……っ」

 思いつくままに言っていると、収拾がつかなくなってきた。

 お前が頼むならいくらだってしてやる。

 そう言いかけて、そんな自分に気がついて、彼の顔は夜でも分かるほど真っ赤になっていった。

「もう寝る! おやすみっ!」

 逃げるように自室へ向かう後ろから、千歳が声をかけてきた。

「おやすみなさい、響喜さま」

 振り返ると、彼女が律儀に頭を下げている。

 何だか今夜は、良い夢が見れそうな気がした。


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