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第三話 音羽一族

 千歳の個人授業について話を聞いたその日に兄に連絡をしたが、直接話を聞きたいから週末に実家へ赴くように言われた。

 そして週末。

響喜と千歳は一泊二日するつうもりで、寮に外泊届を提出し、音羽家に向うべく商店街を抜けて行く。

 実家に着替えがあるため、二人は手ぶらだ。

 休日の、それも突き抜けるような晴天の空の下で、木造建築が立ち並ぶ商店街は活気に溢れていた。

「ねえ、この鉢植えの花がいいんだけど、咲かせてくれるかしら?」

 商店街の左側の店舗で、色とりどりの花を並べる店の奥へ、中年のふくよかな女性が呼びかける。それに応じて、首の後ろで髪を束ね、チェック柄のエプロンを身に着けた、若い女性の店員が出て来た。

「はい。どちらの花ですか?」

 客の女性が持って来た、たくさんの蕾をつけた鉢植えの花。おそらく、蕾が花を咲かせるのを鑑賞するためのものだろう。

その鉢植えを受け取った店員は、嫌な顔を一つせずそれに手を(かざ)す。

 すると、その蕾は一斉に、ゆっくりと鮮やかな紫色の花を咲かせた。

「まあ、綺麗。いつ見ても素敵な魔法だわ」

「ありがとうございます。こちら、贈り物でしたらラッピングさせていただきますが、いかがされますか?」

「じゃあ、お願いしようかしら」

「かしこまりました」

 にこやかに微笑む店員に、客の女性はすっかりご機嫌だ。

「おい! 早く、ドアを開けろ!」

 突然の野太い声に、響喜の意識は引き寄せられる。

 最近商店街付近に増えてきた海琉風の屋敷。男たち二人は、そこへ、大きなクローゼットを運び入れるところだった。だが、男たちは誰も、それに指一本触れていない。

 ふわふわと空中を漂うクローゼットに、二人の男が汗を流しながら手を翳していた。

「もう少し軽くならないのかっ?」

「無理っスよ! これスッゲー重いし……っ、オレの魔法じゃこれが限界っス!」

 草花に対する成長促進魔法に、移動魔法、物体重力操作魔法。

 少し外を歩くだけで、魔法はどこででも見ることができる。

「響喜さま」

 千歳が、響喜の服の裾を引っ張って注意を引いた。

「ああ、ごめん。早く行こう。……っ」

 不意に千歳の手が、わずかに触れた。

「あ、わ、わりぃ……」

「……いえ」

 謝罪の言葉を口にすると、なぜ謝るのか、とガラス玉の瞳を瞬かせて彼女は首を傾げる。

 少し、手が当たっただけ。

 それだけのことが、妙に恥ずかしかった。

 昔は当たり前のように手を繋いでいたのに。

 いつからだろう。それを恥ずかしく思うようになったのは。

 いや、恥ずかしい、とは何か違う。

 だが、それなら、いったい何だというのだろう?

「い、行くぞ! ちゃんとついて来い!」

「はい」

 考えを振り払うように、わざと乱暴な口調で言うと、小さく返事をする彼女に背を向けて、響喜は歩き出した。

 しかし、意識しないようにすればするほど意識してしまう。

 なんなんだ、俺は。

 思春期の小学生か。で

 商店街の喧騒が、遠く感じる。

 喧騒に埋もれるように、小さな足音が耳に届いた。

 千歳の足音が、ついて来る。

 自分を、追いかけて。

 それが、どうしてだか気になった。

 耳が、千歳の足音を拾うのに一生懸命になっている。

 そんなことを思いながら、響喜は千歳と共に音羽家の屋敷に向かった。



「あい!」

 自分の家の、無駄に大きな木製の門を潜って玄関まで少し歩き、屋敷のドアを開けると、広い玄関で男の子が出迎えてくれた。ようやく立って歩けるようになったばかりなのか、歩くことが楽しくて仕方ない様子だ。水色の袴を着た、というより着せられた姿は、とても可愛らしい。小さな手には、竹と藁で作ったと思しき小さな箒に、魔晶石が括り付けられている。

「ただいま、壱太」

 この子どもは、屋敷で使用人をしている一家の、若夫婦の子どもだ。彼らは掃除に適した魔法使いで、触れたところを塵一つなく綺麗にしてしまう、掃除のエキスパート。屋敷の掃除だけでなく、炊事や洗濯まで、全てこなしてくれており、代々音羽家に仕えてくれている。

「あら、坊ちゃんにお嬢さま。おかえりなさい」

「ただいま、暁子(あきこ)さん」

「ただいま帰りました」

 廊下の奥から現れたのは、壱太の母親で織田(おりた)暁子。高い位置に髪を結い上げた、落ち着いた色味の着物姿は旅館の女将のように見える。織物に適性を持つ魔法使いで、彼女が使用人として働き始めてから、屋敷にいる人間の着物は全て彼女が作っている。

「暁子さん、そろそろ坊ちゃんは止めてくれよ。俺、もう高二なんだからさ」

「あらあら。私からすれば、十分坊ちゃんですよ。ね、いっちゃん」

 息子が手を伸ばすのを見て、暁子は我が子を大事そうに抱きかかえる。

「ぶっちゃん」

「ぶっちゃんは止めろ」

 いくら舌が回らないとはいえ、言って良いことと悪いことがある。

 教育的指導だとばかりに、暁子の腕の中にいる壱太の、ぷくぷくした頬を両手で引っ張ってやった。すると、何が楽しいのかきゃっきゃっ、と笑い出す。

 こいつ、絶対分かってないな。

「響喜さま。せっかく覚えた言葉を口にしているんですから、ここは笑顔で頷くところだと思います」

「いくら俺でも、『ぶっちゃん』で頷けるほど心は広くねぇ」

 千歳の言うことは分からなくもないが、「ぶっちゃん」で頷くのはかなり抵抗があった。

「ぶぅ」

「うるせぇ」

 今度は頭をグリグリしてやるが、やはり堪えた様子なく笑っている。

 こいつ、いつか大物になるぞ。

「ほらほら。ここで立ち話は止めましょう。お嬢さま、新しい着物をこしらえたんですよ」

 二人を中へ促そうとする暁子に、千歳が躊躇いを見せた。

「千歳?」

「どうかなさいましたか?」

「暁子さん、わたしは音羽家の人間ではありませんので、『お嬢さま』と呼ばれるのは、やっぱり……」

「千歳……」

 千歳の言葉に、響喜は顔を曇らせる。

 千歳は暁子たちに『お嬢さま』と呼ばれる度に、こうして抵抗を見せていた。

自分は音羽の人間ではない。本来ならば、暁子たちと同じように響喜や奏司の世話をするはずなのだと。

「そんなことはありません」

そう口にしたのは暁子だ。毎度嫌な顔一つせず、にっこりと微笑みながら、暁子は何度でも千歳の言葉を否定する。

「だって、お嬢さまはお嬢さまですもの」

「……そうですか」

 ふわり、と千歳が柔らかく微笑む。だが、それは同時に悲しげだった。

 自分では、千歳の憂いを拭ってやれない。

 お前は使用人ではない、と言ってやるのは簡単だ。しかし、それは暁子たち使用人を蔑ろにしているようで、何となく口にできなかった。

 それに、暁子たちが言うからこそ、それは意味を持つのだ。自分が言っても、きっと気休めにもならないだろう。

「ちぃ」

 壱太の声に、響喜の鬱屈した思考が途切れた。

 母の腕の中から、壱太が千歳の方へ小さな手を伸ばす。

「はいはい。お嬢さま、よろしいですか?」

 頷いた彼女の腕に、暁子は壱太を預けた。

 千歳の細い腕の中で、壱太は彼女の頭に手を伸ばし、よしよしと頭を撫でる。

 そんな微笑ましい光景を見ながら、四人は部屋へ向かった。



 寮生活になってからも屋敷に帰って来ているが、自分の部屋は綺麗に掃除されており、ほとんど使われていないはずなのに塵一つ落ちていなかった。

 重厚な作りの衣装箪笥から濃紺の着物を取り出し、それに手を通した響喜は、渋めの黄色の帯を締める。

 寮では同世代が着るようなTシャツやジーンズを着るが、響喜にとっては幼い頃から馴染んでいる着物の方が着慣れていた。

 兄は接客中で、もうしばらく待つように暁子から言われている。

 久しぶりに実家に帰ってきたといっても、何もすることがなければ退屈だ。

 庭で魔法でも練習するか、と思い立った響喜は障子を開けて縁側の廊下に出る。春の陽気が気持ち良くて、彼は大きく伸びをした。

「う?」

 その縁側では、隣の空き部屋の障子の(ふち)を、現在進行中で壱太が掃除をしていた。

「壱太か」

「ぶっちゃん」

「だから……っ、はぁ、もういいや」

 何だかツッコむ気力が失せてしまった。

 どうせ成長すれば覚えるのだ。それまで我慢しよう。

「お前、もう魔法が使えるのか?」

 壱太の持つ箒と、それで掃く障子の縁を交互に見る。

 箒の魔晶石は、微かな明滅を繰り返していた。これは魔力が上手く注げていないことを表わしている。

 それも仕方がないだろう。壱太はまだまだ幼いのだ。それでも、親の真似をして掃除をするというのは感心する。

 あまり覚えていないが、壱太くらいの頃の自分はきっと、遊ぶことに一生懸命だったはずだ。

 わずかずつではあるが、縁のホコリが消えていた。それはもちろん、箒で掃いているわけではなく、壱太の魔法だ。ホコリが散っているわけでも、ちりとりで取り除いたわけでもなのに、ホコリは跡形もなく消える。

 塵一つなく綺麗にする魔法ではなく、『新』や『古』の字を持つ者に多い、物体の時間を操作する魔法だ。媒介で触れた個所の時間を戻したり、経過させたりする。それが父親から受け継いだ壱太の魔法だそうだ。

「やぁ、坊ちゃん。おかえりなさい」

「一郎さん、ただいま」

 もう、坊ちゃんでもいいや。でも、二十歳になるまでには止めてもらう。

 そう開き直りながら、響喜は笑顔を返した。

 新見一郎。彼は壱太の父親で暁子の夫。年齢は確か二十六歳。優しそうなたれ目が印象の彼は、壱太と全く同じ出で立ちで現れた。

「ぱーぱ」

「はい、ぱーぱでしゅよ~」

 たれ目な目尻をさらに下げて一郎は我が子に手を伸ばすが、壱太は媒介で「邪魔をするな」と言うように、父のその手を攻撃した。

「てぃ!」

「いたっ」

 そして、再び障子の縁を掃除を再開する。

「いやぁ、面白半分で媒介を作って持たせたら、仕事熱心になっちゃって……あまり構ってくれなくなったんですよ」

 がっくり、と肩を落としながら叩かれた手を擦るその姿は、まだ若いというのに早くも哀愁が漂っていた。

 何とも言えず、「そうですか」と曖昧に相槌を打つことにする。

「そういえば坊ちゃん、うちの家内がどこにいるか知ってますか?」

「それなら、千歳の部屋にいると思う」

「そうですか。なら、壱太は暁子に任せようかな。まぁ、僕の魔法はそんなに強くないから、大丈夫だと思いますけどね」

 物体の時間を操作する魔法とは、その物体が辿って来た時間、これから辿る時間を操作するということだ。遡り過ぎれば物体が消滅してしまう可能性があるし、時間を経過させ過ぎれば老朽化してしまう。

 この魔法は、時間の捜査範囲が魔法使いの強弱に繋がる。一郎は物体の前後百年の時間を操作するのがせいぜいだと言っていたが、魔法使いとしてそれなりに強力な部類に入る。

 音羽の屋敷は築百年以上経っているが、それでも隙間風や老朽が全くないのは、一郎の家系の魔法使いが魔法を重ね掛けし、常に新築に保ってくれているからだ。

 掃除が残っているから、と息子に別れを告げるが、その息子はつれない態度であしらう。しかし一郎はめげない。そこへ。

「こら、一郎! いつまでサボってんだい! さっさと仕事しな!」

突如飛んで来た一郎の母親にして壱太の祖母・新見初子の怒声に、一郎は渋々去って行った。

今度こそ魔法の練習をしよう、と庭に降りようとしたところで、彼は動きを止めた。一度縁側に腰を掛け、懐を探ぐり、袖の中を探したところで、やはり媒介を部屋に置いて来たままだということに気がづいたのだ。おそらく着替えたときだろう。

響喜は大きくため息を吐きながら、緩慢な動作で立ち上がる。

「響喜さま」

 取りに戻ろうと身を翻したところで、柔らかな声音に呼び止められた。

 振り返ると、すでに散り始めた桜の花を満開に咲かせた着物を着て、千歳がそこに立っていた。それに合わせて桜の髪飾りをつけ、少し化粧を施しているのか、いつもよりも大人っぽく見える。

 千歳の艶姿に、響喜は言葉を失くす。だが、そんな彼に追い打ちをかける様に、製作者であるらしい暁子が感想を求めてきた。

「どうです、坊ちゃん。私の新作の着物は」

 一言で言えば、すごく綺麗だ。それ以外の感想はない。だが、そんなことを言えるわけもなく。

「べ、別に……似合わねぇ……こともない」

 それが精一杯だった。

それ以上に、手で顔を隠さないと、赤くなっているのがバレてしまうのではないかと、そちらの方が気になって仕方がなかった。

「まーま……うー……」

 とぼとぼ、と母のもとへ歩く壱太の足取りが心もとない。

「あらあら、いっちゃんたら、疲れたのかしら?」

「そりゃ、あれだけ熱心に掃除してたからな」

 壱太のおかげで、話を逸らせたことに少しだけほっとする。

 これが舞香や信護なら、もっと気の利いた台詞で千歳を褒められるのかもしれないが、自分にはできそうもない。

「響喜さま、奏司さまは――……」

 そう言いかけた千歳だったが、縁側の奥から聞こえた足音に、彼女は言葉を止める。

 この雑な足音は、兄のものではない、と響喜は確信した。

 角を曲がって、その足音の主が姿を現した。

 質の良いスーツを身に纏い、そこから延びる手足は丸太のように太い。肉に埋もれた瞳からは、蛇のような粘着質を感じる。

 いけ好かない、と響喜は直感した。

 彼は無意識に千歳の小さな身体を、自分の背に隠す。

「おや? そちらが例の言葉使いの娘かな?」

 目敏く千歳を見つけた男が、分厚い唇の端をつり上げた。

「今、君のお兄さんと話していたところなんだよ」

 ざらざらとした耳障りな声で喋りながら、男は大ぶりの指輪をつけた指で響喜を指し示す。

「ちょうどいい。ここの当主では話にならなくてね」

「何だと?」

 兄を侮辱されたように感じて、自分の声が低くなるのが分かった。

「君……ああ、弟くんの後ろにいる、言葉使いの君だよ」

 態度や口調がいちいち癇に障る。

「君、私のところへ来ないかい?」

 得意げに腹と同化した胸を反らせて、男は尚もにやりと気持ちの悪い笑みをして続けた。

「私はね、こう見えても研究者なんだよ。今は言葉使いの研究をしている。どうだろう? 私に協力してみないか?」

 響喜は目だけを動かして、彼女の様子を窺う。

 震える千歳の表情は見えない。

「わたしは……」

 彼の後ろで、千歳が小さく言葉を紡ぐ。

「おっと、喋るのは止めてもらおうか」

 しかし、男は太い五本の指を揃えて前に突き出し、それを止めた。

「君の魔法については聞いているよ。何でも、口に出しただけで意図せず魔法を発動させてしまうとか」

 大きな顎を撫でながらも、その目は千歳を舐め回すように見ている。それが堪らなく不快で、響喜は彼女が男の視界に入らないよう身体をずらした。

「何を言われるか堪ったものではない。魔法の発動を無効化する(すべ)でもない限り、君に喋る権利は与えない。返事なら頷くだけでいいんだ」

 すでに同意してもらえることしか考えていない男を、響喜は力の限り睨みつけた。

 この世界には、魔法が当たり前に存在しているのに、それを無効化するどころか、抑制する方法すらなかった。できるとすれば、それはきっと、言葉を操る者だけ。

「あんた、何の権利があってそんなこと言ってんだ」

「権利?」

 何を言い出すんだ、というように目を丸くして見せる様子に苛立つ。

 早く、怯え震える千歳を、この男から引き離したいのに。

「当然、化け物を買う、飼い主としての権利さ。決して抵抗せず、逆らわず、我らを害さないようにしなければ、何をするか分からないではないか。飼い犬に手を噛まれるなんて、笑い話にもならないからね」

 響喜の後ろで、千歳が息を呑む気配が伝わってくる。

「いい加減に……っ」

 もう限界だと彼は声を荒げるが、それに気づかないのか、男の口は止まらない。

「私としては、その娘に何もせず、野放しにしているこの家の方針の方が信じられんが……これだけ忠実に(しつけ)がされているのなら、まあ――……」

「何を騒いでいるのです」

 そこへ、二人の間に冷たい声音が割って入り、春の陽気で暖かいはずの縁側の空気の温度が、すぅ、と下がった気がした。

 男の後ろから、年の若い美青年が、足音も立てずにやって来る。それは、耳に自信のある響喜ですら気づけないほどに。

涼やかな目元に通った鼻筋、彩度を抑えた緑色の着物に黒い帯を締めた彼こそ、音羽家の当主であり、響喜の兄の奏司(そうし)だ。

 足を止めた奏司に合わせて、彼の少し長めの髪がさらり、と揺れた。

「おや、まだいらしたんですか。もうとっくに帰られていると思っていましたよ」

 口調は穏やかだが、顔は全く笑っていない。いや、笑ってはいるが、それは貼りつけられた仮面のような笑みだった。

 ちなみにこの台詞の訳は、「まだいたのか。とっとと帰れ」だ。

 これは、相当怒っている。幼い頃の条件反射で、響喜の身体は委縮した。

 彼もまた、響喜と同じく耳が良い。おそらく、兄は今までの会話を全部聞いていたのだろう。

「ああ。途中で(くだん)の娘と会ったんでね。少々、世間話をな」

 ちらり、と男は響喜の背に隠れている千歳に目をやる。

 狼狽える様子もなく、屋敷の当主に対して尊大に話すのは、この男が先代当主である二人の父の知り合いだからだ。

「やはり欲しいな。どうだろう。研究がダメだというのなら、コレクションにするとしよう。これだけ躾けてあるのだ。家に飾っておいても問題ないだろうからな。言葉使いを無力化する方法などいくらでもある。ようは喋らせなければいい(・・・・・・・・・)のだ。な? 金ならいくらでも払う」

 男の言葉に、響喜はゾッとした。その扱いは最早、生き物に対するものではない。

 身振り手振りも大きく語る男に、響喜の怒りは沸点を越えた。この男に、何か言ってやらなければ気がすまない。しかし、口を開こうとした響喜は後ろに控えていた暁子に止められた。壱太をを抱いた暁子の顔は強張り、瞳には静かな怒りが見て取れる。それでも首を振る暁子は、言葉もなくここは兄に任せろと言っていた。

 対する奏司は、男の言葉にも仮面の笑みを外すことはない。

「ご冗談を。いくら先代と長いお付き合いをされていたあなたでも、妹として大切にしている彼女を渡すことなどできません。ましてや、『化け物』呼ばわりして、非人道的な扱いをされるご予定とは……冗談もほどほどにしてもらいたいですね」

「冗談? 何の話だ。だいたい、化け物に人道など関係ない。人間ではないのだからな」

 そう断言する男は、本当に何とも思っていないようだ。

 自分の言葉のいったい何が間違っているのだ、と本気で尋ねている。

「彼女が人間には見えないと?」

「あれのどこが人間なのだ。人の皮を被っているだけだろう」

「そうですか」

 男が吐き捨てると、奏司の顔から能面のようにあらゆる感情が抜け落ちた。だが、次の瞬間には、恐ろしいまでの作り笑顔でにっこりと微笑んだ。

「どうやら、目の調子がよろしくないようですね。腕の良い眼科医を紹介しましょう。目に対する治療魔法の使い手で、多くの患者を完治させた天才ですから、腕は確かですよ。それとも、その感性を治すために精神科を紹介しましょうか?」

 その言葉に、さすがの男もその嫌味には気づいたようで、分厚い唇をわなわなと振るわせ、大きな顔を真っ赤にして怒鳴った。

「失敬なっ! 気分が悪い! もう、帰らせてもらおうっ!」

 失敬な、はこちらの台詞だ。ついでに二度と来るな。

 大きな足音を立て、男は響喜と千歳を押しやり、玄関の方へ去って行った。

 男が飛ばした唾を払いながら、奏司はようやく仮面の笑みを外し、大きくため息を吐く。そして、ずっと沈黙を守っていた暁子に彼はてきぱき指示を出した。

「暁子さん。あの男を通した客室、廊下の掃除はいつもよりも念入りにするよう、一郎さんたちに伝えて下さい。それと、玄関に塩を撒くのを忘れないように。父の友人だというから応対しましたが……あの方からの連絡は、今後一切取り次がなくて結構です」

「かしこまりました」

 心得たとばかりに笑顔で応え、暁子はあのやりとりの中でも目を覚まさなかった壱太を連れて、その場を後にする。

「さて、千歳。大丈夫ですか?」

 案じるように目を向ける奏司に、彼女は小さな身体をさらに小さくして、響喜の背中に隠れてしまう。

「千歳?」

「申し訳ありません、奏司さま。わたしのせいで、お忙しいのに余計なお手間を……」

 そんな千歳の言葉に、奏司は微笑む。先ほど男に向けたような形ばかりの笑みではなく、心から微笑ましいと思っている、そんな優しい笑みだった。

「身内のために尽くすことを、手間だなんて思いません」

 千歳の顔を両手で包んだ奏司は、複雑に飾られた髪を崩さないように頭を撫でる。

「ほら、せっかく綺麗にしてもらったのに、そんな顔をしてはいけません。それに、こういうときは『申し訳ありません』ではなく、『ありがとう』と言うんです」

 兄の微笑に、彼女に憂いが晴れたような様子はない。

 ありがとうございます、と礼を述べた千歳の言葉には、深い罪悪の念が籠っているような気がした。


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