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最終話 喜びの音

 事件から二日が経った。

 あの後、氷堂に続いて千歳も魔力を使い果たして倒れたため、響喜は兄へ連絡し、すぐに迎えを寄こしてもらうことにした。

 千歳たちほどではないにしても、ほとんど魔力を使い切っていた彼らには、平均よりも痩身の少女を運ぶことはできても、一八〇センチを超える大男を運ぶことは難しい。

 それから事情を聞いた奏司によって、響喜と千歳は、療養も兼ねて自宅謹慎を兄に命じられることとなった。

 そういうわけで、響喜は現在、学校を休んで音羽邸にいた。

 何をするわけでもなく、縁側で、ただぼーっとしている。

 そこから見える庭は、広い池に橋が架かり、錦鯉が優雅に泳いでいた。池が反射する夏に入ったせいかいつもより暑い。

 千歳は、まだ眠っている。

 高熱に(うな)されていたけれど、それも一晩で微熱となった。しかし、その微熱が今もまだ続いているのだ。

 響喜はちらりと、と後ろの障子に目をやる。

 そこは、千歳の部屋だ。

 己の無力さが、堪らなく恨めしい。

 氷堂を前に、手も足も出なかった。

 結局、彼女を守ることが、できなかった。

 その結果が、これだ。

 そこでふと、昨日のことを思い出す。

 昨日、この邸に氷堂と速水が訪れた。

 事件のあらましを聞いていた使用人は、二人に対して強い憤りを感じ中へ通そうとしなかったが、当主である奏司は、二人を客間へ案内するように命じた。

 謝罪に来たはずの氷堂は、「間違ったことをしたつもりはない」と言った。


「私は今でも、自分が間違っていたとは思っていません」

 響喜は障子をわずかに開けて、廊下から中の様子を覗き見る。

 そこでは、背筋を伸ばす氷堂の瞳は、真っ直ぐ奏司を見据える。

 速水は氷堂の台詞に諌めることをせず、ただ黙って隣に座っていた。

「ではなぜ、あなたは計画を中止したのですか?」

 奏司の声は静かだが身に纏う空気はピリピリとしていて、今にも氷堂の胸倉を掴んで殴りかかりそうな雰囲気があった。

「計画は中止したのではありません」

 ただ、と言いながら、氷堂は眼鏡を押し上げる。

「もう少し、待ってみようと思いました」

 奏司は、氷堂の言葉に口を挟むことなく無言で先を促した。

 氷堂もそれを分かって、話を続ける。

「世界は、良くも悪くも常に移り変わっている。そして、この国が戦火に見舞われる日も、遠い未来か、近い将来か分からない。けれど、『今』はまだ、何も起こっていない」

 そう考え直したのだと、氷堂は語った。

「今回の件で、彼女の魔力の高さ、強さ、そして言葉魔法の可能性を私は確信しました。伝承通り、この魔法ならば、世界を創り変えることができる」

 あのとき、まだ始まったばかりだったとはいえ、魔法は発動し、世界は少しずつだが変わっていた。

 だが、響喜の説得で魔法を止めたとき、その影響は全て打ち消されていた。消えかかっていた負の感情は、それぞれ元に戻っていたのだ。

 本来なら、そんなことはありえない。

 発動した魔法を消す場合、それを上書きするだけの魔力が必要となる。

 その上それだけのことを、すべて自分の持つ魔力だけでやってのけていた。医師の調べた結果、生命力が消費された形跡は見られなかった。

 それは、九年前に行われた強化実験の成果。

 本来言葉使いの魔力は一般の魔法使いの倍以上あるが、千歳の魔力はそれをさらに上回る。彼女以上の魔力を持つ魔法使いなど、きっと世界中のどこにもいないだろう。

 忌々しい実験が、今回皮肉にも千歳の生命を守ったのだった。

 そして氷堂の言う通り、そんな千歳ならば、世界を創り変えることもできるのだろう。

 唇を噛みしめる響喜の視界で、氷堂の話は続く。

「だからこそ、私はその間に言葉魔法の研究を進め、世界を変える方法を探すつもりです。今度こそ、誰一人として犠牲にすることなく」

 計画を中止にしていない、というのはそういう理由だった。

 氷堂の宣言に、奏司は口を開く。

「私は千歳のことを、妹のように思っています。だからこそ、あなた方のしたことは、到底赦し難い」

 奏司の言葉に、氷堂と速水は目を伏せた。

 何を言われても仕方がない、と二人は思っているのかもしれない。

 響喜と奏司は知る由もないが、氷堂と速水は、彼らが言うのなら、学校の教師を辞めることも考えていた。

「ですが……」

 そう言って、奏司はわずかに頭を下げる。

「ですが、思い留まってくれたこと、感謝します」

 それに驚いたのは、響喜だけじゃなかった。

 いったい、どれほど多くの言葉を呑み込んだのだろう。

 目を瞠った氷堂は、すぐに居住まいを正し、深く頭を下げ、続いて、速水も同じように頭を下げた。

「こちらこそ、今回の件、心より謝罪を申し上げます」



 同日の昼下がり。

 空は快晴で、風も心地よく、外で昼食を取るにはちょうどいい日。

 普段は四人で食堂に集まって食べるのだが、今日は屋上に集まっていた。

 だが、ここにいるのは二人だけ。

「気持ちいい。たまには購買部のお弁当を買って屋上で食べるのもいいわね」

 昼食を終えた舞香は、風に靡く金色の髪を耳に掛けた。

 隣で銀色の髪を揺らす信護は、物思いに(ふけ)っているのか返事をしない。

 そんな彼の考えが、舞香には手に取るように分かる。

 あの日、あの一件の中で、おそらく信護は自分の恋の終わりを感じたのだ。

 囚われた千歳が、『響喜たち』ではなく、『響喜』を呼んでいたことは彼女にも分かったのだ。千歳を想ってきた信護が、気づかないはずはない。

 それに、千歳の中では、響喜と信護や舞香の間に明確な差がある。

 千歳は響喜を『世界』だと言った。それは同時に、彼女にとって響喜はそれだけで『すべて』なのだ。

 舞香は軽く頭を振ると、すぅ、と息を吸った。そして、身体を信護の方へ向け、制服の袖を引っ張る。

「ねぇ、信護」

 振り向いた信護の瞳を、舞香の翠玉の瞳が捕らえた。

「あ、ごめん。何か話してた?」

 会話に注意が向いていなかったと自覚した彼は、素直に謝罪を口にする。

 だが、舞香はそれを責めるつもりは毛頭ない。

「それより……」

 笑顔で謝罪は不要だと告げた彼女は、もう一度、深く息を吸った。

「失恋したんでしょう? 千歳に」

「……っ」

 まだ傷の癒えていない信護は、それを思い出して悲しげに眉を(ひそ)める。

 そんな彼の褐色の手を舞香は白い手で握った。

 バクバクと激しく暴れる心臓を懸命に宥める。

 失恋して悲しんでいる相手の心につけ込むのは卑怯だ、なんて舞香は思わない。

 それも一つの戦略なのだ。

 そう、恋とは乙女の戦い。


「だったら次は、あたしのことも見てよ」


 舞香の言葉の意味を図りかねて訝しげに揺れる黄玉の瞳に、彼女はにっこりと、少し悪戯っぽく笑いかけた。



 翌日の早朝。

 響喜は千歳の部屋を訪れた。

 障子の取っ手に手を掛け、小さく隙間を開けてみると、電気がついておらず、薄暗い室内が広がる。

 広さは十畳。重厚な本棚と衣装箪笥、文机がある、年頃の少女の部屋としては少々素っ気ないが、彼女の性格をよく表していた。

 足音を立てないように、彼は静かに室内に入る。

 響喜が彼女の枕元に腰を下ろすのと、千歳が瞼を開くのはほぼ同時だった。

「ひ、びき……さま……」

「あ、悪い、起こしたか?」

 その問いに、千歳は小さく首を振る。

 彼女の額に手を当てると、正確ではないが、だいぶ熱が下がっていることが分かった。

 手が冷たいのか、千歳は気持ち良さそうに目を細める。

 それが可愛くて、響喜はパッ、と手を引いた。

「だ、だいぶ良くなったみてぇだな」

 良かった、と言いながら、響喜は(せわ)しなく視線を彷徨(さまよ)わせる。

 すると、千歳が肘で身体を支えながら、身体を起こし始めた。

「おい……無茶すんな」

「平気です……」

 全く、と息を吐きながら、彼は千歳に手を貸す。

 身体を起こした千歳をよく見ると、ただでさえ細い身体が、また痩せたように思えた。熱で体力を持っていかれてしまったのだろう。いつもたくさん食べていただけに、食事を摂れなかった彼女が痛ましい。

 響喜は千歳の衣装箪笥の小さな引き出しから、つげ櫛を取り出して彼女の後ろに座る。

 そして、その細く黒い髪を梳かしていると、自分の着物の袂から、細い金属のこすれる音が微かに耳に届いた。

 そういえば、これを渡すためにここへ来たのだ。

「千歳、これ……」

 差し出したのは、小さなペンダント。

 丸い金色のメダルには図形と文字が描かれ、その中央には魔晶石が嵌めこまれている。

 メダルにチェーンを通しただけの、デザインとしてはあまりに簡素なものだ。

「氷堂から魔法陣の設計図をもらったんだ。魔法を無効化する陣を改良したもので、魔法の発動をある程度阻害する効果があるらしい」


 氷堂は、魔法無効化の陣を世間に発表する気はないと言った。

 戦争をなくすことが目的なのに、自分が戦争の引鉄を引くなど本末転倒だ、と言っていたのを思い出す。魔法を無効化するような魔法陣が世間に知れたら、社会基盤を揺るがし、三国間の平和に再び亀裂が生じるかもしれない。

 そんな氷堂が、今回の謝罪にと響喜にある魔法陣を授けた。

 それがペンダントに掘られた魔法陣だった。

 手先の器用な響喜は、これをまる一日で完成させた。


「氷堂が言うには、無意識的な、意図しない魔法の発動を阻止するくらいはできるって言ってた。陣が乱れないように注意して堀ったけど……どうだ?」

 無意識に魔法を発動するなど、響喜にはできないため、上手くできているか確かめようがない。

 ペンダントを受け取った千歳は、それを握り締め、小さく、慎重に言葉を紡いだ。

 それは旋律に乗せられ、朝の澄んだ冷たい空気に溶ける。


 ――星よ、月よ、太陽よ

  未来へ続くこの道を

  その優しい光で照らして下さい

  迷わぬように、進めるように

  私はここで導きの嘔を歌います

  どうか後ろを振り向かないで

  君の進む果てなき未来に

  幸、多からんことを――……


 この歌は、あの日、氷堂の個人授業を受けるための許可を貰いにきたとき。

 千歳の音に合わせて響喜が歌ったものだった。

 初めて聴いた彼女の歌は、拙くとも懸命で、思わず聞き入ってしまっていた。

 慌ててペンダントに意識を向けると、魔晶石が淡く発光していて、まじないがきちんと発動していることが分かり、安心する。

 構造としては、魔晶石が意図しない魔法を吸い込み不発にするというものだ。

 それも、無意識による小さな魔法だからできることだった。

 無意識的な魔力と意識的な魔力では、そこに働く意思によって全く異なるらしい。

 意識的か無意識的かは、魔力の高まり具合で判断できるよう魔法陣に組み込まれているそうだ。

 もちろん、無意識的な魔法の全てを無効化することができるわけではない。

 魔法は意思で操るもの。

 先の一件で、響喜が意図せず強力な魔法を暴発させたように、無意識が意識を凌駕することもある。

 簡単にいえば、一定以下の魔力量の魔法を無効化することができる、ということだ。

 また、魔晶石にため込んだ魔力がまじないを発動させることに使われ、吸い込んだ魔力は再び石に蓄積される。そのため、魔晶石の取り換えは必要ない。実に無駄のない仕組みである。

 こんな複雑な魔法陣を作れるあたり、氷堂は天才と言っても差し支えないだろう。

 千歳はペンダントのチェーンを外し、首に掛けようとするが、どうも上手くつけられないようだ。

「しょうがねぇな。貸してみな」

 お願いします、と言ってペンダントを渡した千歳が、長い髪をかき上げて首を晒す。

 単衣から伸びる細く白いうなじに、響喜は息を呑んだ。

 外されたペンダントのチェーンを首に掛けるだけ。それだけのことなのに、心臓がうるさく鳴って仕方がない。

 何とかチェーンを掛けることに成功した響喜は、ぱっと素早く顔を離した。

 パサッと髪を下ろした千歳が、振り返って嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます」

 その笑顔は無邪気で、響喜は思わず、千歳の髪に手を伸ばす。

「あの、さ……」

 それは、ずっと気になっていたこと。

 あの日、あのとき、かのじょが言った言葉。


『わたしにとって、響喜さまが世界です。響喜さまが生きていない世界を平和にしても、わたしにとって意味がありません』


「あれって、どういう意味なんだ?」

 ただ、恩人というだけの意味なのか。

 それとも……自惚れていいのだろうか。

 卑怯な聞き方だと自分でも思う。

 でも、確かめなければ、自分の気持ちを告げる覚悟が決まらなかった。

「それは……」

 千歳の表情は変わらない。

 しかし、その目元が微かに赤く染まったのを、響喜は見逃さなかった。

 けれど、彼女は困ったような顔で響喜を見上げた。

「もちろん、恩人だからです。深い意味はありません」

 彼女が何を思ってそう言ったのかは分からなかった。

「響喜さまも、今回の件で分かったはずです。わたしは、災いです。わたしはあなたに何も与えられない」

 それでも、自分の感じたものが間違いではないと確信した。

 千歳の言葉を無視して、彼女の細い身体を抱きしめる。

「与えてくれてるよ。お前は災いなんかじゃない。お前は俺の幸福だ」

 前よりも細くなってしまった身体が、痛ましく、愛おしい。

 もっと、強くなりたい。

 そして、誰よりも、何よりも、大切な千歳を守りたい。

 彼女の夜色の瞳に吸い込まれるように、彼はその距離をゆっくりと詰めていく。

 心臓はこれ以上ないほど暴れまわっていたが、不思議と頭の中は不思議と澄み渡っていた。

 この気持ちは誰にも止められない。千歳さえも。

「千歳……俺、お前のことが……」


 冷たい空気に、響喜の告白が溶ける。

 しかし、彼の呼吸さえ感じていた千歳には、その言葉がはっきりと聞こえた。

 駄目だ。自分は彼に相応しくない。

 そう思って返したはずの「恩人」という答えだったのに、千歳には響喜を拒むことはできなかった。

 彼女が目を伏せるのと同時に、響喜の唇が重なる。

 触れるだけの口づけだったが、その瞬間、世界から自分たちだけが切り離されたような気がした。

 離れる温もりを名残惜しく思い、千歳は彼の胸に身体を預ける。

 その身体を、響喜はぎゅっと抱きしめてくれた。

 彼から与えられる温もりが、とても心地いい。

 こうしていれば抱き締め合っていれば、響喜と一つのものになれるような気さえした。

 そこに、やや早い心臓の鼓動が、彼の身体を通して聴こえる。

 ゆっくりと目を閉じる千歳の口元に、小さな笑みが浮かんだ。

 ああ……愛しい。

 駄目だという虚勢が、解されていく。

 今はもう、響喜が好きだということしか考えられなかった。

 彼がいてくれるなら、他に何もいらない。

 拒まなければいけないのに、他の誰にも渡したくなどない。

「……千歳……」

 名を呼ばれる。

 たったその一言が、世界の真理のように聞こえた。

 響喜の紡ぐ言葉の一つ一つが、彼の刻む音の一つ一つが、胸に浸透していく。

 自分がそばにいては、災いしか呼ばない。

 けれど、ならば自分の力で、その災いをことごとく退けてしまおう。

 だから、響喜の望む通り、自分がそばにいることを許してほしい。

 違う。そうじゃない。自分が望んでいるのだ。

 わたしは、響喜さまのそばにいたい。

 少しだけ、望んでみようか。

「……響喜、さま……」

 ほんの、少しだけ。

 響喜の服を握りしめ、千歳は響喜を見つめた。




長らくお付き合い頂き、また、最後まで読んで頂いて、まことにありがとうございました。


この話は、世界観を引き継いで、別の主人公を中心にシリーズを考えておりますが、個人的な都合により、しばらく待たせてしまうこととなりますこと、ご容赦下さい。

そのときは、またよろしくお願いします。


それではここで失礼致します。

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