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第十二話 言枝千歳

 一緒に行動するためことが多いため、たまに忘れそうになるが、信護は極度の方向音痴だ。

 何とか人を捕まえ、彼は響喜の部屋へ案内してもらったらしい。

 着替えを済ませた響喜は、信護と共に舞香が待っているというエントランスへ向かう。

 最初に千歳がいないと気づいたのは舞香だった。

 舞香はこの日、誕生日の近い千歳のプレゼントを買うために、彼女と出かける約束をしていた。約束の時間は十時、寮のエントランスで待ち合わせだ。それなのに、時間に正確なはずの千歳が一時間経っても現れる気配がなく、連絡もつかない。

「忘れてるわけじゃないのか?」

「そんなはずないわ。昨日の放課後、ちゃんと確認したもの」

 千歳は間違いなく約束を覚えていた、と舞香は断言した。

「遠視魔法使いにも協力してもらったんだ。そしたら、寮にも学校にも、千歳はいなかった」

 ならば、街にでも出かけたのか。

 そこまで考えて、響喜はそれを否定した。

 彼女は一人で出かけることをしない。

 そもそも千歳は、約束をしているのに黙ってそれを反故(ほご)にするような人間じゃない。

「舞香、お前の風で居場所を捜せないのか?」

 彼女は風に意識を移行して、遠くのものを見たり聞いたりすることができる。それを使った探し物も得意だった。

 だが、舞香は首を横に振った。

「無理よ。捜索範囲が広すぎて捜しきれない」

「それより、千歳はいつからいないのかな?」

 そう言われて、最後に見た千歳を思い出す。

 彼女は昨日、談話室には来なかった。

「確か昨日、氷堂のところに用があるって言ってなかったか?」

 教師の寮は生徒の寮と隣接して建てられている。一階と二階で男女分けられており、生徒が補習や質問、頼まれ事で訪れることもあるため、生徒も簡単に入れるようになっていた。

「じゃあ、千歳を誘拐したのは氷堂先生ってことなの?」

「断定はできないけど、話を聞く価値はあるかもしれない」

「考えている時間はない。すぐに教師寮に行こう」



『――――――――っ!』

 布を噛まされた口から、音を持たない絶叫が放たれた。

 身体中から力が抜けて、意識が朦朧としていく。先ほどの叫びで、喉も痛くなっていた。

『やはり、身体の中には魔晶石と同じ働きをするようなものは、どこにもありません』

『脳も心臓も違う。ならばどうして媒介を使わずに魔法が使える?』

『精神に何らかの機能があるのでは?』

 そんな会話が、どこか遠くで聞こえる。もう、何度も繰り返されている会話だ。

(あたい)はどうだ?』

『魔力は昨日より上がっていますが、全体的に少し不安定ですね』

 ここに来て、どれくらい経っただろうか?

 ぼんやりとした頭で、少女はそんなことを考えた。しかし、思っただけで答えを出そうとは思えない。

『まだ続けますか?』

 誰かが、そんなことを言った。

 嫌だ、と言いたいが、塞がれた口では無理だ。それ以前に、唇を動かせるだけの力が入らない。

 口だけではない。身体がやけに怠く、指一つ動かすこともできなかった。

 誰かの言葉に、別の誰かが答える。

『そうしたいが、これ以上続けてはコレの身体が壊れてしまう。貴重な被験体を壊したとあっては、あのお方がどれほどお怒りになるか』

『そうですね』

 あのお方、が音羽の当主であることは理解できた。

 自分を助けてくれた人だと聞かされている。

 両親を亡くした事故現場に居合わせ、身寄りのない少女を引き取った恩人であると。

 その見返りとでも言うように、少女はこの研究の被験体をさせられている。

『今日はここまでだな。部屋に戻すぞ』

『分かりました』

 まるで物に対するような言動を気にした様子もない。

 上司と思われる男の命令に頷いた研究員は、少女の細く小さな肢体を抱き上げた。

 薄暗い廊下を二つの足音がミシミシ、と音を立てて歩き、石で作られた扉の前で立ち止まる。屋敷の全体が木で作られているため、その存在は大きく感じられる。(かんぬき)を外し、男は重い石の扉を開けた。

 中は石の壁があるだけで他には何もない。強いてあげるならば、やや高い位置に作られた鉄の格子と、申し訳程度に置かれた木の椅子。そして数冊の本が床に散らばっていること。

 少女を抱き上げていた男が、部屋の中央に置かれた椅子に彼女を座らせ、口を塞いでいた布を外し、部屋を出ようとしたところで口を開いた。

『あの、本当にこのままでいいんでしょうか? 彼女の魔法なら、ここからすぐに逃げ出せますし、もし我々に反抗しようとでもしたら……せめて、口の布はそのままにしておいた方がいいのでは?』

 やや、怯えるような口調で尋ねる研究員に、上司と思える男は嘲るように鼻を鳴らした。

『お前は心配しすぎだ。アレに歯向かう意思などとうにないわ。それに逃げることもな。すでに感情そのものが欠落している。生きることも、死ぬことも、アレにとっては最早どうでもよいのだ』

 くっくっ、と喉で笑いながら、二人の声が扉越しに遠ざかっていく。

 ようやく緊張から解放された少女の意識は、真っ暗な夢の中へ旅立っていった。



 暗い部屋の中で、千歳は目を覚ました。

 昔の夢を見ていたような気がする。

「ここは、どこ……?」

 そう言ってしまって、彼女は口を押えた。

 疑問を口にしては魔法が発動してしまう。

 だが、何も起こらなかった。

 どうして?

 彼女の魔法は強制力が強い。疑問を口にすれば、必ず、答えとなるものが手元にやって来るのだ。それを知る人間や、答えを示す物、どちらもなければ自然が、必ず答えを教えてくれる。

 それなのに、何かが起きる気配が全くない。それだけではない。魔法を発動した感覚が不確かだった。

 身体を起こして周囲を確認する。

 千歳を囲っているのは、凍てついた氷の檻。それを見てしまうと、何となく寒いような気がした。

 外に出ようと氷に触れて、刺すような冷たさに彼女は思わず手を引っ込める。

 もう一度部屋を見渡していると、暗闇に目が慣れてきた。広さは教室の二倍。体育館くらいだろうか。

 檻の床には魔法陣が描かれ、陣の枠の内側に沿って、大量の魔晶石が円を成している。まじないにおいて、魔晶石の置き方に法則性はない。陣の内側に置かれてさえいれば効力は発揮する。この魔法陣を描いた人は、よっぽど神経質な人物なのだろうと予測できた。

 魔法陣は見慣れない模様をしていて、彼女にもどういう効果を持っているのか分からない。

 もしかして、この魔法陣が――?

 不意にふるり、と身震いがして千歳は自分の細い身体を抱きしめる。

 暗いところは嫌いだ。

 あの日々を思い出すから。

 あの、忌まわしい記憶が――……。


 千歳の魔法は、全てが生まれ持ったものではなかった。

 音羽の先代当主により引き取られた千歳は、世にも珍しい言葉使いの被験体として扱われた。

 研究員たちは千歳の身体だけでなく、心まで暴いた。この身体のどこを探しても、彼らに見られていないところなどない。

 無意識に魔法が発動してしまう魔力の強さも研究の成果で、彼女が生まれ持っていたものではない。もともと言葉使いとして一般の魔法使いより強く高い魔力を有していたが、研究の過程で彼女の魔力は倍以上に跳ね上がり、文字通り『化け物』じみた強さを手にしてしまった。

 しかし、どれほど辛くても、ここを出るわけにもいかなかった。

 ここを出ても、家族を亡くした自分に行くところなどない。

 結局、ここにいるしかないのだ。

 この暗い牢獄の中がわたしの墓場。


 そんなことを思っていたとき、不意に彼が現れた。


 すでに恐怖も不安も感じなくなっていた頃、ガサガサと離れの外の茂みを揺らしながら、響喜がやって来た。

 少し高い格子の窓からひょっこりと顔を出した少年。

 出会ってからというもの、響喜は毎日飽きることなく千歳のところへやって来た。

 そして、嬉しかったこと悲しかったこと、悔しかったこと。日々の些細な出来事を彼女に話した。少年の語るそんな他愛のない話を聞くことが、千歳のささやかな楽しみになっていた。辛く苦しい実験も、少年の話を聞いているときだけは忘れられた。

『いつか、おれがここからだしてやるよ。だから、もうすこしだけまっててくれ。ここからでたら、いっぱいあそぼうな』

 響喜のその言葉は、確かに千歳の支えになった。

 その言葉だけで、十年でも二十年でも、五十年だって待てる気がした。

 そして少年が言った通り、予想よりも遥かに早く、千歳は外へ出ることを許された。

 それは、響喜と出会って二年後のこと。

 先代当主が病で死去し、長男が家督を継いだため、と聞かされた。

 奏司に初めて会ったとき、切れ長の目が憐れむように自分を見ていたことを覚えている。

 弟に頼まれて離れを取り壊すことにした、と言った彼は、千歳に深々と頭を下げた。父が貴女にしたことを心から謝罪したい、と。


 音羽の兄弟には、一生掛かっても返せない恩がある。

 あの二人は、暗い牢獄から自分を救い出してくれた。

 だがそれ以上に、千歳は響喜に感謝していた。

 あの日、奏司は言った。

 もし弟に頼まれなかったら、離れを壊すことはしなかった、と。

 響喜が頼んだだから千歳を助ける気になったのだ、とそう言った。

 きっと、それは嘘だ。頼まれなくても、彼は自分を助けてくれただろう。

 それでも、響喜が掛け合ってくれたという事実が、千歳は泣きたいほど嬉しかった。

 約束を、守ってくれた。

 初めて会った日から。

 雨が降る日も。雪が降る日も。

 毎日、欠かすことなく。

 響喜が来ない日はなかった。

 いつか、俺がここから連れ出してやる。

 生も死も等しかった彼女の世界で、少しだけ、生きることに希望を見出せた。

 彼といる時間だけが、生きていることを実感させてくれた。

 彼との約束が、言葉の一つ一つが、響喜の存在が。

 いつだって、彼女の心の支えだった。


「……さま」

 氷の柵が、あの牢獄の格子のように見えた。

 暗いところは嫌いだ。あの地獄の日々を思い出す。

 響喜に望むことなどない。

 彼は自分にたくさんのものを与えてくれた。

 自由も、友達も、失っていたはずの感情も。

 だから、今度は自分が彼に返す番だ。

 与える番だ。助ける番だ。守る番だ。

 それなのに。

 涙が、頬を伝う。

 彼に、望んでいる。

 氷の格子に触れる。

 その冷たさは彼女の手を苛んだが、そんなものは気にならなかった。

 望んでいる。

 助けてくれ、とは言えない。

 けれど、あの日のように、響喜がまた格子の向こうから来て――。

「響喜さま……っ」

 もう一度、連れ出してくれることを、彼女は望んでいた。



 昨夜。

 千歳は個人授業を終え、そのまま氷堂の部屋を訪れた。

 ここ一ヶ月の個人授業について文書にまとめたから取りに来るといい、と言われたのだ。

 今後、自分の魔法を制御するのに役立つはずだし、それがあれば、奏司にも自分の魔法を見てもらえる。

 氷堂の部屋のドアをノックすると、程なくして部屋の主が顔を見せた。

 部屋の中だというのに隙なくスーツを着て、髪形も崩していないのは、生徒が訪ねて来る予定があったからだろうか。

 ドアを閉め玄関に招き入れた氷堂は、その場で待つよう命じた。部屋の中はたくさんの書物に埋め尽くされているが、雑然とした様子はなく、全て本棚に収まり、入りきれない分はデスクの上に整頓されていた。

 部屋の奥から出てきた氷堂は、持って来た数枚の紙束を封筒に入れて千歳に手渡す。

「これがお前の、一ヶ月のデータだ。好きにするといい」

 礼を言って、千歳の差し出した細い指が封筒に触れた、その瞬間。

 視界が反転した。

 酷い眠気と同時に身体の力が抜け、そのままグラリと倒れる。

 見上げた氷堂の持つ、自分が受け取るはずの封筒の裏面に、魔晶石を貼りつけた魔法陣が見えた。

「魔法陣に触れた人間を、深い眠りに誘うまじないだ」

 冷たい声音が魔法陣の効能を説明する。

 何か言わなければ、と思うものの言葉が出ない。

 口を動かすことすら億劫に感じてしまう。

「ようやくアレが完成した。お前には、私の計画を手伝ってもらう」

 意識が、遠のいていく。

 薄くなる視界の中で、氷堂の顔が、どこか悲しそうに見えた。



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