嘘つきと正直者
「わたしが殺したの」
有紗が言った。
「殺したのは、あたしだわ」
その言葉を打ち消すように。結奈が言った。
「わたしが、先生を殺したの」
「あたしよ。あたしが、先生を」
ふたりは睨みあう。そのまま視線は、目の前に転がっている死体に向けられた。
「ひどいわ、先生。……黙ってるなんて」
有紗が言った。結奈は、きゅっとくちびるを噛む。そしてふたりは、言葉を揃えた。
「だから、先生を殺したの」
誰が、羽飼という体育教師を殺したのか。
羽飼は、首を絞められていた。鈍器で後頭部を殴られていた。どちらが彼の死因になったのかはわからないけれど、わかっていることは、羽飼が死んだということ。
「誰が、どうして……?」
現場になったのは、校庭の体育倉庫だ。羽飼は積まれたマットの上に身を縮めるように横たわっていたらしい。
瑛太は、不思議でならなかった。羽飼は生徒に人気の、気さくな若い教師だった。恨まれるなど、まずもってあり得ない。しかも殺害されたのは夜。学校は無人であったはずなのに。
瑛太は、前の席に座っている芽衣という女子生徒にそのことを訊いてみた。彼女は、沈んだ表情で答える。
「有紗ちゃんとか、結奈ちゃんとか……先生のこと、好きだったのに」
「好きって、どういう意味? いい先生だったから?」
身を乗り出して、瑛太は尋ねた。芽衣は少し顔を曇らせて、秘密を告げる口調で言った。
「異性としてよ。口に出したりしなかったけど、あのふたりは、本気で羽飼先生のことが好きだった。先生と生徒じゃなかったら、告白してたくらいに」
それは、充分に納得できる。授業も、また個人的に話していても楽しいし先生だった。
「でも先生、結婚してるだろう?」
瑛太の言葉に、芽衣は「え?」と驚いた顔をする。
「だって俺、先生の子供の話、聞いたことあるぞ」
「でも、指輪してなかったじゃない。子供の話も奥さんの話も、聞いたことなかったし」
「隠してたわけじゃないと思うけど……」
何かが引っかかる。瑛太は眉根に皺を寄せ、腕組みをして考え込んだ。
結衣の死を、瑛太は目の前で見た。
羽飼が死んでいた、校庭の物置。ドアの取っ手に輪にしたタオルをかけ、そこに首をかけて自重で垂れ下がる重みが、彼女の呼吸を奪ったのだ。
夜、誰もいない物置。瑛太は悲鳴をあげることも忘れ、ただたじろいだ。少女の首はでき損なった飴細工のように長く伸び、四肢は投げ出され、腹が妙な形に膨らんでいる。すでに息がないことはひと目でわかった。
――有紗ちゃんとか、結奈ちゃんとか……先生のこと、好きだったのに。
芽衣の言葉が蘇る。後追い自殺、という言葉が頭をよぎった。明らかな死を目の前によろよろと後ずさりをした瑛人は、後ろに立った誰かの気配に、はっとした。
「こういうことなのね」
有紗だ。彼女は恐ろしい顔をして腕組みし、結衣の遺体を睨みつけている。
「勝手に、先生のところに行っちゃって。ずるい」
「……どういう、こと」
恐る恐る、瑛人は尋ねた。有紗はじろりと瑛人を見て、低い声で言った。
「あなたも、結衣に呼び出されたの?」
「ううん……、人の死んだ場所がどうなってるのか、見たかっただけ」
そんな瑛人を軽蔑するように見て、有紗は深く息をついた。
「結衣が、この時間にここに来るようにって。来てみれば、これよ」
有紗は、体育倉庫の中に入る。引き伸ばされたように変形している結衣を恐れる様子もなく、大きく口の開いている下、顎を撫でた。
「結衣はね、自分が羽飼先生を殺したって言ったのよ」
その口調には、憎しみがある。有紗も結衣も、羽飼を慕っていたという――次の言葉に、瑛太は驚愕した。
「本当は、わたしが殺したの。わたしが後ろから花瓶を叩きつけて、でもそれだけじゃ死にきれないと思って、首に紐を巻いて、引っ張ったんだわ」
「どう、して……」
平然と死を語る有紗が恐ろしく、震える声で瑛太は尋ねた。
「羽飼先生を、好きだったからよ。大好きだった、から」
「好きなのに……なんで?」
瑛太の問いに、有紗は振り返った。その形相は鬼のようで、瑛太は再び大きく震える。
「だって……先生は、結婚してたの隠してたの! 子供までいるって、知らなかった!」
有紗の怒声は、体育倉庫の中に反射した。
「わたしが、先生を殺したの。それなのに結衣は、自分が殺したんだって嘘をついて。警察でも、ずっとそう言い張ってたのよ」
そう言って、しかし結衣の気持ちもわかる、と有紗はつぶやく。
「そうやって、先生に最後までつながっていたかったの。先生を殺したことが、一生の枷になるなんて……素敵じゃない? わたしは先生と、先生はわたしと、永遠につながってるんだわ……!」
うっとりした表情でつぶやく有紗が、瑛太には理解できない。羽飼を殺したのは本当は有紗で、しかし結衣は自分が殺したのだと嘘をついて。そこまでしてつながっていたいという気持ちは、瑛太にはとうてい理解できないものだった。
お読みいただき、ありがとうございました。ご感想をいただけましたら、とても嬉しいです!