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若輩、休憩する

「疲れてる時は甘いものが欲しいってことなんです。ということで今日のコーヒーはゴードンさんメニューでよろしくお願いします」

「それって糖分でなく果物を欲してるって聞いたことある気がするんだけど」


 今日の路地裏の店の平均年齢は低い。店内には若い店主と女子大生しかいないからである。

 カフェイン中毒の女子大生は、珍しくアレンジメニューを注文した。ちなみにこの店にそんな正規メニューはない。言わば裏メニューである。

「でも良いんです。今は気分的に甘いものが欲しいんです」

「自分で作れば?」

「ジムさんが作ってくれるのが良いんですよお。ゴードンさんだって美味しそうに飲んでるじゃないですか!」

「アメリカの甘党の飲むものがブラック派の日本人に合うとは思わないんだけど」

「それでも良いですからぁ……」

 本来のメニューにないものを作るのは、若い店主・ジムのポリシーに反するものだった。しかしここ最近常連となった女子大生・嘉乃はこの路地裏の店にとっては上客だった。来店すれば大概何か注文し、コーヒー豆も買っていく。店の売り上げに貢献していないとは嘘でも言えなかった。

「……特別だからね」

「ありがとうございます!」

 ジムは折れた。

「こんなの飲むなんて甘味で舌が馬鹿になるんじゃないの?」

「だからサイズ小さめで大丈夫ですよー」


「お待たせ」

「ありがとうございます。おお……何だかゴードンさんのより凄いことに……」

 嘉乃が運ばれてきた裏メニューに目を見張る。常連であるデザイナーのゴードンがよく頼むのはキャラメルスペシャルなるキャラメル尽くしメニューだが、今嘉乃の目の前にあるのはそれとは一味違った。

 生クリームがカップの水面上に鎮座しており、チョコレートまでかかっている。よくよく見るとナッツまでかかっているではないか。

「コーヒーがベースだけど中にココアパウダーとチョコレートも入ってる」

「チョコ尽くしですね!」

「ご希望とあらばマシュマロも入れるよ」

「あ、それはいいです。遠慮しておきます」

「冷める前にどうぞ」

 半ばやけくそなのか、ジムはこれでもかというほどの物を提供してきた。予想外の甘党メニューに嘉乃は一瞬不安になった。言うなればゴードンのキャラメルスペシャルならぬ嘉乃のチョコレートスペシャルだろうか。

「いただきまーす……うん、甘い」

「だろうね」

「あー、今懐かしいこと思い出しました」

 嘉乃はカップに浮かぶ生クリームを見詰めながら感慨深げに息を吐いた。ジムはそんなことより嘉乃の唇に付いた生クリームの方が気になって、紙ナプキンを無言で差し出した。

「あ、別に泣いてないですよ」

「違うよ。口拭きなよってこと」

「え? ……ああ、す、すいません」

「思い出語りは拭いてからでいいから」

 ジムの意図に気付いた嘉乃は紙ナプキンを受け取った。口を拭き、嘉乃は言葉の続きを紡ぐ。

「そんな大層なことじゃないんですけどね。大学受験の時もこういう風に甘いココア飲んでたなー、と思って」

「こんなの恒常的に飲んでたら糖尿病だっけ? 患うんじゃないの日本人は?」

「そこまで頻繁ではないですって! しかもここまでのボリュームではないです!」

 さすがにチョコレートスペシャルは日常的に飲めない。1日の糖分摂取量にも限度というものがある。

「ちょっと息抜きしたいな、って時にホットココア飲んでたんです。インスタントですけど」

 嘉乃は高校生活最後の年を思い出す。今思えば常にピリピリとして、何事にも過剰に反応していた様に感じられた。余裕がなかったのだろうと軽く苦笑する。

「大変なんだってね。日本の受験は」

「でもそれがあったから今ここに居るんですよ。大変だったけど後悔はしてません」

「本当に?」

「何で聞くんですか」

「ここ最近変な筋のおじさんと知り合ってても? 後悔してない?」

「そこ聞いちゃいます?」

「一応ね」

 変な筋のおじさん、とは元ギャングのボス・ヘンリーのことだろう。嘉乃の平和な留学生活に一石どころか二石も三石も投じた人物であった。頻繁に会う仲ではないが、完全なる顔見知りになっていた。

「確かにそこを聞かれるとアレですけど、日本にだってそういう人は居ましたし?」

「同じように話したり仲良くしたりした?」

「別にヘンリーさんと仲良くはなってませんよ!」

 確かに日本にもその筋の裏社会の住人は居る。だが、嘉乃の様な一般人とは縁遠い存在であり、例えヘンリーの様な第一線を退いた人物であってもおいそれと知り合いにはなれない。

 ヘンリーと知り合ったのも事故に近い偶然であったし、特別デートをしたり付き合いがあるわけではない。会うといえばここ、ジムの店で、かつ低い頻度であった。

「そう」

「そうです!」

「冷めるよ、それ」

「え、あ、ほんとだ」

 ジムは突然話をチョコレートスペシャルに戻した。冷めたコーヒーの水面で生クリームが分離し始めている。

「変なおじさんには気を付けてね。これからは特に」

「何ですか藪から棒に……」

「人生訓だよ。男運悪そうだし」

「余計なお世話ですー」

 嘉乃はチョコレートスペシャルの続きを飲み始めた。少し冷めてしまったが、甘味は変わらない。

 そして嘉乃がチョコレートスペシャルを攻略しているその眼前で、ジムはオレンジを食べ始めた。

「休憩ですか?」

「頭の栄養補給」

「フルーツ……食べるんですね」

 あまり見ない若い店主の食事風景に、嘉乃はまたもチョコレートスペシャルのことを忘れかけた。

「冷めるよ」

「すいません」

 双方、自身の栄養剤を黙々と摂取する時間になった。じんわりと染みていく甘さに、適度な休憩と糖分は欠かせないことを2人は悟った。普段動き続ける頭と体を休ませるのも使用者の義務である。

「そういえば、何で甘いもの欲しがるほど疲れてるの?」

「……この前のこと、とか?」

「やっぱり変なおじさんには気を付けてね」

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