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老兵、打って出る

「こんにちはー。あ、ゴードンさん」

「お久しぶり、ヨシノ」

 キャラメルスペシャルとの出会いから数週間後、嘉乃がジムの店に足を運ぶと、そこにはあの日と同じ面子が揃っていた。

「勉強してるかあ?」

「ヘンリーさんに心配されずともしてますよっ」

「今日のオススメはダブルモカだよ!」

「あれ? 新メニューですか?」

「そんなものはないよ」

「ですよねー」

 それぞれの面子と挨拶を交わし、嘉乃も席に着いた。

「キリマンジャロお願いします。あ、マグカップで」

「今なら好きな柄選べるけど」

「じゃあマリナーズで!」

 ジムの店の細やかなサービスの1つは、コーヒーを入れるカップを選べることだった。静かな店で、巷に溢れる紙カップでの提供ではなくお気に入りのカップでコーヒーを楽しめるとあってジムの店はマニアの間では人気のスポットだった。しかしその場所柄、見つけにくい店としても有名で、如何なコーヒーショップマニアと言えど店まで辿り着けるのは僅かだった。閑話休題。

「最近マリナーズどうだ」

「連敗で気が滅入りそうです。ってヘンリーさん野球見るんですか?」

「そりゃ見るさ。最近忙しくてスタジアムにも行けやしねえ」

「忙しい……? デートですか?」

 嘉乃がヘンリーと知り合ってそれなりの時間が経っていた。その為、ヘンリーの行動パターンやリズムが嘉乃にも少しづつ読み取れ始めていた。 

「それならどんなに良かったか……」

「もしかしてシゴト?」

 ゴードンが茶化すように言う。

「俺の前職をどこまで知ってるか知らねえが大体当たりだ」

「あらら、それはそれは」

 ヘンリーが言う前職や仕事は、必ずしも堅気の物を指すわけではない。

「ジムから何となく聞いたけど、ロックな仕事をしてたんだってね。良いじゃない、生涯現役!」

「俺は早い所引退したいんだがな」


「マリナーズお待たせ」

「ありがとうございます」

 戦績は冷え込んでいるマリナーズだが、カップのキリマンジャロからは湯気が上がっている。

「ゴードンさん、最近は何の仕事してるんですか?」

「色々だよ。でも最近のメインは服のデザインかなあ。そういえばこの前ヘンリーさんにも頼まれたね」

「ヘンリーさんに?」

「頼んだな」

 意外なクライアントに、嘉乃の視線がヘンリーに向かう。ヘンリーはチョコチップクッキーを齧っている。

「正確には俺のクライアントからの依頼を代行したんだよ。本人がイタリア在住でな」

「イタリアかあ……行ったことないなあ」

「俺もないなあ。それにしても随分遠い所からの依頼を持ってきてくれたんだね。ありがとう」

「いやあ? 礼には及ばねえよ」

 ヘンリーの、何か含みのある表情と口ぶりに気付いていたのはジムだけだった。

「あ、ファッションショーですか?」

 小さなテレビの画面の向こうでは、煌びやかな世界が展開されている。どこかの会社の新作発表会のようだ。

「あ、あそこか……」

「あそこだねえ」

 “あそこ”というのは話題に事欠かない男、ジョン・ティラーソンが新しく設立した子会社のことだった。ゴードンの苦い思い出がいっぱいの。

「出来たばっかりなのにもうこんな豪勢にファッションショーって凄くないですか?」

「お抱えのデザイナーが多いみたいだからねえ……親会社のバックアップも凄いだろうし」

 見たいわけではないのに視線が釘付けになる。2人は、ジョン・ティラーソンの手腕をまざまざと見せ付けられているようで少し苦々しくなった。

「あっ、ごめんなさいヘンリーさん。変えます、」

「あああー!」

 気を遣おうとした嘉乃の言葉はヘンリーのけたたましい声に掻き消された。ジムも耳に堪えたのか、片耳を手で覆っている。

「どうしたのいきなり……」

「こ、これ!」

 ゴードンが指差す先は画面の向こうのモデルだった。多くの眼差しを一身に受け、ランウェイを颯爽と歩いている。

「どうした? 好みか?」

 ヘンリーがにやにやしながら話す。明言せずとも、何か一物を抱えていることの分かる表情だった。

「そうじゃなくて! このドレス! ヘンリーさんが、俺に、デザインを頼んだのじゃないか!」

「え!?」

 嘉乃も驚いて画面を見やる。前衛的だが浮き過ぎないそのデザインには少し見覚えがあった。ゴロンドリーナが最近リリースした新曲のミュージックビデオでも、似た雰囲気のドレスを纏っていた。

「言われてみれば……でも、どういうことですか? クライアントはイタリアだって……」

「そうだよ。まさか俺のデザインを転売したわけ?」

 2人の疑問は尽きない。ゴードンに至っては混乱から疑心暗鬼になっているようだった。

「俺はそんなみみっちい真似はしねえよ。ま、もう少しすればぜーんぶ分かるさ」

「もう少しって?」

「まあまあ、若いんだから待てって。もう少し、な?」

 腑に落ちないままその日は閉店となった。この店の主は時間に厳しい。皆、すぐ追い出された。

 帰路、嘉乃とゴードンは各々の疑問をぶつけ合った。しかし解決などするはずはなく、ヘンリーの言う通り、もう少し待つしかないという結論に至った。


~数日後~

「今日はー……ヤンキースでモカをお願いします」

「はいはい」

 今日も今日とて嘉乃はジムの店に入り浸る。

「よし、キャラメルとホイップいつもより多めでお願い!」

「そんなメニューはない」

 ゴードンも入り浸る。存在しない裏メニュー注文のやり取りもお馴染みである。

「最近よく会いますね」

「そうだねえ。ヨシノもよく来てるね」

「ジムさんのコーヒー美味しんですよー」

「やっぱり? ジムのコーヒーは格別だよね」

「オリジナルメニューを頼まない奴が何を……」

 客はいつもの面子のみ。静かな昼下がりだった。それから数分後にはハリケーンの如き騒々しさになるのだが。

「そういえばさ、ヨシノは分かった?」

「分かりません。ゴードンさんは?」

「俺も分からないよー……もう少しってあとどれくらい待てば良いんだ……」

 ヘンリーの言う“もう少し”はまだその時を迎えてはいなかった。いつになるか分からないそのじれったさに、2人はやきもきしていた。

「よお」

 噂をすれば何とやら。ヘンリーが現れた。

「あ!」

「やっと会えた! もう少しっていつだい!?」

「まあまあ、落ち着けよ」

 車のキーを指で回しながらヘンリーはいつもの席に腰掛ける。足取りは軽く、表情も楽しげだ。口元に刻まれた皺が僅かながら笑みの様相を呈している。

「場所考えて駐車した?」

「同じヘマはしねえさ。今日は甘いもんが食いてえなあ。ケーキあるか?」

「チョコならあるよ」

「それでいいや。それに合うコーヒーも頼むわ」

 しかしそこは人生経験豊富なヘンリーである。何があったか、そして何が起こるのかを微塵も感じさせない。常人にはない磨きをかけられるとはこういうことだろうか、と嘉乃はヘンリーを凝視する。

「そんなに見つめられると困るねえ、お嬢さん」

「茶化さないでください。早く教えてくださいよ」

「何をだ? プライベートに関する質問はお断りだぜ?」

「知りたくないので結構です。ゴードンさんのデザインの流通経路についてです」

「そろそろネタばらしが欲しいか?」

 ヘンリーは横目で嘉乃とゴードンを見る。この視線でどれだけの人間が落ちて来たのか、想像に難くない眼光だった。

「欲しいです」

「俺も欲しいな」

「そうか……じゃあ、すぐ分かるから良い子で待ってな」

 ヘンリーの視線は壁の時計に移った。時刻は午後3時になろうとしている。


「いらっしゃい……あ」

 ふと、ジムが間抜けた声を出した。ジムにしては珍しいその失態に、嘉乃とゴードンの視線はジムに注がれ、その後ジムの視線の先に移った。

「あ」

「……」

「っ、どういうことですか、これは」

 そこには話題の御曹司、ジョン・ティラーソンが立っていた。こちらも珍しく、いつもの余裕ある表情が崩れている。

「おーう、来たなお坊ちゃん」

「ああ、どうやら、場所を間違えたようだ。失礼させて頂きます」

「時間も場所も間違えてないぜお坊ちゃん。お前の話し相手は俺と、こいつだよ」

 こいつ、と言いながらヘンリーはゴードンの肩に手を掛けた。当のゴードンはというと、当惑した顔で周囲を見回している。

「どういうこと、ですか……」

「あいつから聞いてるだろ? “今日、場末のカフェで、一番人気のあった服をデザインした奴と、会わせてやる”って。ついでに“自分は行けないから、代理人が来る”ってのもな」

「確かにそういうお話でした。ですがそれが貴方と、そしてその男だとは聞いていませんよ」

「聞いてねえも何もこいつがデザイナーで俺が代理人だよ」

 ジョンの顔が怒りと苦痛に歪む。普段、余裕と自信を体現した悠然とした若い美丈夫は、その形を完全に潜めていた。

「いーい顔だぜお坊ちゃん。どうだ? 自信の人気作がお前の大っ嫌いな奴のデザインだって分かった気分は」

「ええ、良いものではありませんよ。あのデザインは即刻使用中止としましょう。おい、すぐに手配しろ」

 ジョンは側に控えていた部下に指示を出す。しかし、平素ならば迅速に動く部下の動きが悪い。怪訝に思ったジョンは部下を急かすが、部下は言いにくそうにジョンに切り出した。

「お言葉ですがボス、既にあのデザインは多方面から注文を受けています。取り下げる方が多大な損失を被ります」

「関係ない。事情説明は現場にさせろ」

 若い経営者は冷徹だった。しかし現実は更に非情だった。

「申し上げにくいのですが、さる上院議員の方や銀行の頭取からもオファーを頂いております。取り下げるとなると彼らとの関係も悪い方向に傾く恐れも……」

「……くそっ!」

 ジョンの言動から余裕という名の仮面がどんどん剥がれていく。現れるのは等身大の若者の顔だけだった。嘉乃は、親近感ではないが、天上の人間が地上に降りて来たような気分に囚われていた。

「今回だけです……」

「んー? 何だって?」

「今回だけ、貴方の思惑に乗って差し上げましょう……次はありません」

 心底悔しそうな表情と口ぶりで、ジョンはヘンリーにありったけの嫌味をぶつける。ヘンリーには負け惜しみにしか聞こえていなかったが。

「だと良いなあ?」

「っ……! それでは、失礼」

「もっと社会勉強しようぜお坊ちゃん!」

 ジョンはまだ何か言いたげだったが、これ以上長居するのは精神衛生上良くないと判断したのか早々に踵を返した。

 

 ジョンの去った店内は、いつもの静けさに戻った。誰も話すことが出来なかったのが大きな要因なのだが。

「えーっと、整理出来ないんだけど、ヘンリーさんが色々動いてくれたってことでオーケー?」

「大体合ってるな」

 やっと口を開いたゴードンがその場の疑問を全て代弁してくれた。ヘンリーは口元の皺を深くして表情を作る。よく浮かべる、機嫌が良い時の表情だ。

「私の予想なんですけど、イタリアのクライアントって人が深く関わってます?」

「それも当たりだ。良い勘してるじゃねえかヨシノ」

「整頓すると……イタリアのクライアントとやらが上手くデザイナーとしてあのショーに乗り込んだってこと?」

「近いが若干惜しいなジム。クライアントは名前と顔を貸してくれただけさ」

「ネタばらしが不完全ですよ。ドッキリとしては二流です」

 嘉乃が不満げにヘンリーに訴える。ゴードンはもちろん、ジムも腑に落ちない顔をしていた。

「分かった分かった。ハングリーな若者の要望に応えるのも年長者の務めだな。まず、俺がしたのは昔の知り合いを当たっただけ。イタリアのクライアントってのはそいつだ。こいつはファッション業界に顔が効くんだ」

「もしかしてこの前電話してたのが……!」

「さすがヨシノ、若いと鋭いな。次にそいつの顔と名前を使って白人のデザイナーをお坊ちゃんに紹介する。ちなみにそいつはダミーだ。で、そいつにゴードンのデザインを渡して、服を作らせて発表。はい、オシマイ……如何だったかな? 種も仕掛けも簡単だろ?」

 言われてみればそう思い込んでしまうかもしれない。だが簡単に納得できるほど単純ではなかった。

「色々言いたいことはあるんですがまず質問です」

「いいぞ」

「イタリアの昔の知り合いの方は、その筋の方ですか?」

「ずぶずぶじゃねえがな」

(やっぱりか……)

 ヘンリーの昔の知り合い、ということは裏社会の人間である可能性が大いにあるということだった。そう踏んだ嘉乃の予想は的中したらしい。

「焦らして悪かったなゴードン。報酬はちゃんと払うからよ」

「え? あ、ああ、ありがとう」

 当惑した様子のゴードンだったが、疑問が晴れたことと少しの仕返しが実現したことで、明るい顔をしていた。

 そして、カウンターで何かを思案していたジムがぽつりとヘンリーにこぼす。

「これも予想だけどさ、今日の車、新しいよね」

「ああ」

「今回の報酬、手元に結構入ったでしょ」

「さすがはジム。ま、そういうことだな。あいつにも、ダミーのデザイナーにも報酬は行ってる。誰も物質的な損はしてないだろ?」

「お坊ちゃんは精神的に損してるね」

「ざまあみろだ。これで気持ち良くロスヴィータとスタジアムに行けそうだぜ」

 一連の流れを整理していた嘉乃は、今回の出来事を力と顔の使い所を見極める一件だと結論付けた。餅は餅屋、蛇の道は蛇。世の中、困ったことは専門家に任せろということらしい。

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