「帰ったら結婚しよう」と旅立った勇者の幼馴染は、帰還せず聖女様と結婚するそうです
澄み渡るような青空が広がる村の広場には、たくさんの人が集まっていた。
今日この小さな村から、二人の青年が魔王討伐のために、この地を旅立つ。
一人は、神託によって、魔王を打ち滅ぼすことができると言われている勇者に選ばれたケネス。
そしてもう一人は、村にただ一つの神殿でつい最近、この世界では稀有な魔法の才能を見出された魔法使いのテディー。
ウェンディにとって、二人は物心ついた頃からずっと一緒に育ってきた幼馴染だった。
村中が歓声と熱気に包まれる中、旅立ちの準備を終えた二人がウェンディの前に立つ。
「ウェンディ、僕たち行ってくるよ」
そう言って優しく微笑みかけてくれたのは、黒髪に知的な瞳を持つテディーだった。
昔から賢くて穏やかな彼は、いつもウェンディやケネスを見守ってくれるような人だった。
「テディー……。本当に、気をつけてね」
「うん、ありがとう。君も元気で」
テディーの言葉に、ウェンディは胸がきゅっと締め付けられるのを感じた。
これから彼は、生きて帰れるかどうかも分からない過酷な旅路に出るのだから。
そんなウェンディとテディーの別れを遮るように、もう一人の幼馴染がずんっと間に入る。
「おいおい、何も永遠の別れってわけじゃないんだし、湿っぽい空気を出してんじゃねえよ!」
自信に満ちた大きな声が、周囲の空気を揺らす。
見事な金髪を揺らし、村人たちの羨望の眼差しを一身に浴びているその青年こそ、勇者であり、村長の息子でもあるケネスだった。
ケネスはウェンディの前に立つと、バシッ! と少し乱暴な手つきで彼女の頭を撫で回した。
ウェンディが綺麗に梳かしてきた髪がぐしゃぐしゃに乱れるが、それは本人曰く、不器用な彼なりのスキンシップだそうだ。
こういうところは、昔から変わらない。
ひとしきりウェンディの柔らかな髪を撫で終えたケネスは、やがて自分の剣の柄を叩きながら、堂々とした態度でウェンディを見下ろした。
「ウェンディ! 俺が魔王を倒して帰ってきたら、結婚しよう! だから、俺の帰りをちゃんと待っててくれよな」
ケネスからの言葉に、ウェンディは息をのむ。
昔から彼が自分に好意を寄せていることには気づいていたし、狭い村の住人たちが、自分たちを『いずれ結ばれる公認の恋人』のように見なしていることも知っている。
だが、まさか旅立ちの日に、皆の前で堂々と宣言されるとは思ってもみなかった。
途端に、広場に集まった村人たちから、「おおーっ!」という歓声と冷やかしの拍手が沸き起こる。
ケネスからの、あまりにも突然で真っ直ぐなプロポーズ。
これからもしかすると何年もの間、彼と離れ離れになるかもしれないのだ。
その日々を想像するだけで――ウェンディの胸の奥から、どうしても抑えきれない熱いものがこみ上げてきた。
「ケネス……っ」
気づけば、ウェンディの視界は滲んでいた。
けれどあふれ出る感情をごまかすように、ウェンディは泣くのをなんとか必死に堪え、ケネスに向かってとびきりの笑顔を向けた。
「……はい。いってらっしゃい」
健気な笑顔を浮かべるウェンディを見て、ケネスは照れ隠しのように彼女の頭を軽く叩くと、満足げに大きく頷いた。
「おう! じゃあな、ウェンディ!」
村人たちの盛大な歓声に見送られながら、勇者ケネスと魔法使いテディーは、残りのパーティーメンバーと合流するため、王都へと続く道を力強く歩き出していく。
ウェンディはその背中が見えなくなるまで、ハンカチで涙を拭いながら、いつまでもその場に立ち尽くし、二人を見送っていたのだった。
◆
魔王が討伐されたという吉報が村に届いたのは、彼らが旅立ってから数年後のことだった。
村中が勇者たちの偉業と平和の訪れに沸き返る中、ウェンディはひとり、静かにケネスの帰りを待っていた。
しかし、待てど暮らせど、ケネスが村へ帰還する様子はない。
それどころか、彼からの連絡は、この村を発ってからもただの一度もなかった。
そんなある日、彼女の元に一通の手紙が届く。
差出人は、ケネスと共に旅立った幼なじみの魔法使い、テディーだった。
彼からは定期的に連絡が来ていた。
テディーによると、ケネスはいまだ王都に滞在しており、凱旋パレードが終わった後にテディーだけは村へ帰る予定だという。
その近況報告と共に、手紙の後半には信じられない一文が記されていた。
『実はケネスが、パーティーの聖女レオナと結婚するらしい』
その文字を見た瞬間、ウェンディは大きく目を見開き、手紙を握りしめる両手を微かに震わせた。
確か聖女は、この国の第二王女であり、大変見目麗しい容姿を持っていると聞く。
どうもケネスとレオナは、旅の間で交流を深めていたようだ。
ウェンディはひきつったような表情を浮かべたまま、その日のうちに王都のケネス宛に手紙を書き、送った。
しかし、やはりいくら待っても彼から返事が来ることはなかった。
居ても立っても居られなくなったウェンディは、最小限の荷物をまとめ、こっそりと村を飛び出し、王都へと向かう乗り合い馬車に乗った。
そして、揺れる馬車の中で、何かを祈るようにずっと両手を強く握り合わせる。
一週間後、辿り着いた王都は、熱狂の渦に包まれていた。
ウェンディは数年前に一度訪れたことがあったきりだったが、今住む村とは比べようもないほどに活気にあふれていて驚いたことを覚えている。
しかしその頃とも比べ物にならないほどの賑わいだ。
色とりどりの紙吹雪が空を舞い、大通りにはたくさんの人がいて、歓声が地鳴りのように響いている。
どうもこれから、魔王を倒した勇者一行の凱旋パレードが行われるらしい。
ウェンディは沿道の人波に揉まれながら、背伸びをしてその時を待った。
やがて、ひときわ大きな歓声と共に、豪奢な装飾が施された屋根のないパレード用の馬車がゆっくりと大通りを進んでくる。
馬車の高く設けられた特等席には、立派なローブを纏ったケネスの姿があった。
きらびやかな衣装に身を包み、ゆったりと腰掛けながらも、堂々とした笑顔で民衆に手を振っている。
村にいた頃から女性陣の視線を釘付けにしていた端正な容貌に、ますます磨きがかかっていた。
後続の馬車には、久しぶりにその姿を見るテディーや、弓使いの男などのメンバーも乗っていた。
そしてケネスのすぐ隣には、息を呑むほど美しい、純白のドレスを纏った女性が寄り添って座っていた。
ウェンディは初めて見たが、彼女がおそらく聖女レオナだろう。
ケネスは愛おしげにレオナを見つめ、彼女の細い腰にしっかりと、そして誇らしげに腕を回していた。
かつてウェンディの頭を楽しそうに撫で回していたその手は、まるで大切な宝物を扱うかのように、優しく王女を抱き寄せている。
その直後、先導する騎士が高らかに宣言した。
「これなるは魔王を打ち倒せし勇者ケネス殿、そして、我が国の第二王女にして聖女であらせられるレオナ殿下である! 二人は魔王討伐の旅の間で愛を育み、近日、お二人の婚約の儀が執り行われることとなった!」
瞬間、割れんばかりの祝福の歓声が王都の空を揺らす。
花びらが舞う中、ウェンディは幸せそうに微笑むケネスとレオナを見つめ、二人がその場から消えた後もしばらくその場から動けなかった。
ウェンディは思わず両手で顔を覆う。
指の隙間からは、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ちる。
彼女は震える足で一歩後ずさると、まるで耐えきれないとでもいうように背を向け、未だ歓喜に沸く群衆を掻き分けて、ただひたすらに走り去っていった。
そして人気のない路地裏へと駆け込んだウェンディは、レンガ造りの壁に手をついて大きく肩を震わせた。
「あぁっ……」
涙はまだ止まらない。
だが。
彼女の口から漏れ出していたのは、悲痛な嗚咽ではなく――抑えきれない歓喜の笑い声だった。
「やった、やったわ。ついに、あの男から解放されたのね……!」
ウェンディは顔を上げ、晴れ渡る王都の空に向かってガッツポーズをした。
その顔に悲壮感など欠片もない。
あるのは、長年の苦行から解き放たれたという圧倒的なまでの解放感だった。
涙も、純粋な喜びから出たものである。
幼なじみからの裏切りに打ちひしがれる悲劇のヒロイン?
冗談じゃない。
ウェンディにとって、ケネスとの結婚など、地獄以外の何物でもなかったのだ。
年が近いこともあって、ケネスとは、幼馴染として一緒にいることが多かったウェンディ。
しかし彼女は村長の息子という権力を笠に着たケネスに、昔から髪を引っ張られたり、頭を小突かれていた。
彼はそれを自分なりの愛情表現だと信じて疑っていなかったようだが、ウェンディからすればただ痛いだけで、恐怖と苦痛でしかなかった。
それだけではない。
彼は異常なほど見栄っ張りで、服が汚れる畑仕事やどろどろになった武器の手入れなどは、なぜかウェンディに全部させていた。
言葉にはしなかったが、ウェンディは自分が好きに扱っていい所有物のような認識だったのだろう。
ウェンディは村の同い年の娘たちの中では比較的整った顔立ちをしており、どうやらケネスの好みだったらしい。
だからこそ彼に目をつけられ、いいように扱われていたのだ。
しかも自分が好んで執着しているくせに、少しでもウェンディが彼の思い通りにならないと、
「お前みたいな地味な女、俺以外の誰がもらってやるんだよ」
「俺がいないと生きていけないくせに感謝しろ」
などと事あるごとにネチネチと暴言を吐き、彼女の自尊心を削り取っていた。
それとなく嫌だからやめてほしいと訴えたことはあるが、まったく聞く耳を持ってくれなかった。
それに、村長の息子である彼に逆らえば、村八分にされるかもしれない。
だから彼女は今日まで、周囲が押し付けてくる『いずれ結ばれる公認の恋人』という殻を被り、必死に愛想笑いを浮かべて耐え忍んできたのだ。
外から見れば大層愛されているように見えたらしく、両親にすら相談できなかった。
別れの日に流したあの涙も、愛する彼と離れる悲しみなどでは断じてない。
これで数年は頭を殴られたり面倒なことをやらせずに済むという、心の底からの安堵の涙だった。
もちろん、テディーに対する心配は本物だったが。
手紙の返事がないことへの不安も、王都までわざわざ足を運んだのも、理由はたった一つ。
本当にあいつは帰ってこないのね?
王女様と結婚して、一生王都で暮らすことで確定だよね?
途中で気が変わって村に戻ってきたりしないよね!?
という、己の生活の安全確認のためだった。
そして今日、先導する騎士の言葉と、王女の腰を抱くケネスの姿を見て、ウェンディのバラ色の未来は確定した。
「最高……! 王女様、あんな見栄っ張りのモラハラ男を引き取ってくれて本当にありがとう!」
王女レオナは、一村娘であるウェンディがどう取り繕っても及ばないほどに美しかった。
彼女に迫られれば、さすがのケネスもイチコロだろう。
足取りも軽く、ウェンディは意気揚々と村へ戻るための乗り合い馬車乗り場へと向かった。
これからは誰に怯えることもなく、平穏で自由な生活が待っている。
そう考えるだけで、自然と鼻歌まで漏れてしまう。
「ウェンディ……?」
が、馬車乗り場に着こうかというその時、不意に背後から声をかけられる。
振り返ると、そこには村を出た頃よりもずいぶんと逞しくなった、テディーが立っていた。
「テディー、久しぶりね! でもあなた、パレードだったんじゃないの?」
「あ、ああ。君が沿道にいるのが見えたから、転移魔法を使って急いで追いかけてきたんだ。それより……ごめんね、手紙であんな知らせを送ってしまって」
テディーは痛ましそうな、心底申し訳なさそうな顔でウェンディを見つめた。
「ケネスが君を裏切るなんて。同じパーティーの僕が止めるべきだったのに、止められなかった。本当にごめん。君はずっと、村でケネスを待っていただろうに、悲しい思いをさせて……」
「悲しい?」
ウェンディはきょとんと首を傾げた後、周囲に人がいないことを確認して、満面の笑みを浮かべた。
「もうっ、悲しいわけないじゃない! 最高の気分よ!」
「……え?」
「だってあんな乱暴で自分勝手なあの人が帰ってこないなんて、こんなに嬉しいことはないわ! これでやっと怯えずに眠れるもの」
これまでの鬱憤を晴らすように本音をぶちまけるウェンディに、テディーは目を丸くして固まった。
しかし、すぐにその知的な瞳に安堵の光を宿し、ふっと小さく吹き出した。
「そっか、そうだったんだね。君は昔から、てっきりケネスのことが好きなんだとばかり」
「やめてよ! そんなこと、思ったことないわ。むしろテディーがいてくれたから、私、なんとか耐えられたのよ。本当にありがとう」
テディーは、ウェンディがケネスに理不尽に怒鳴られたり何かを押し付けられていた時、いつもさりげなく話題を変えたり、彼をなだめたりして防波堤になってくれていたのだ。
二人でケネスの家の畑を耕したことだって何度もある。
お礼を言ったら、テディーが少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「そんな、僕はただ、幼馴染として当然のことをしただけで」
「謙遜しないでいいわよ。むしろ私は、ずっと、そんなあなたの方が……」
言いかけてウェンディははっと口元を押さえて後ずさる。
しかしテディーは一歩距離を詰め、彼女の手をそっと握った。
いつも穏やかな彼の瞳が、今まで見たこともないほど熱を帯びて真っ直ぐにウェンディを見据えている。
「ねえ、ウェンディ。パレードに出るっていう役割も果たしたし、僕はこれから村に帰ろうと思っている」
「え、ええ、聞いたわ……」
「魔王を倒したからって、結構な額の報奨金ももらってね。そのお金で、僕はこれまで以上に村が豊かになるように開拓しようと思ってるんだ。君が一生、何不自由なく、安心して笑って暮らせるような場所にするために」
「テディー……?」
「ずっと君が好きだった。ケネスという鎖がなくなった今、もう遠慮はしない」
テディーは握ったウェンディの手の甲に、優しく口付けを落とした。
かつてケネスが乱暴に頭を叩いていたのとは真逆の、宝物を扱うような慈しみに満ちた仕草に、ウェンディの心臓が跳ねる。
「僕と結婚してくれないかな。絶対に、君を幸せにするから」
それは、恋人になりたい、なんて言葉もすっ飛ばした、突然のプロポーズだった。
ケネスの時と同じで、けれどあの時とはまるで違う胸の高鳴りを覚える。
――ウェンディの心に迷いはなかった。
昔から優しくて知的で、いつも自分を守ってくれた彼に、ウェンディ自身も密かに惹かれていたのだから。
王都の喧騒が遠く聞こえる中、ウェンディは嬉し涙で視界を滲ませながら、今度こそ心からの笑顔で頷いたのだった。
◆
ウェンディとテディーが幸せな未来へ向かって歩み出した、一方で。
王都に残ったケネスは、『勇者と王女の身分差ロマンス』ともてはやされ、人生の絶頂にいた。
美しい王女を妻に迎え、これからは王族として贅沢三昧の生活が待っている。
自分は選ばれた特別な人間なのだと、彼の自尊心はこれ以上ないほどに膨れ上がっていた。
しかし、その栄華は長くは続かなかった。
すぐに、本当の地獄が始まったのである。
そもそも、聖女である第二王女レオナは、元々酷くワガママで飽きっぽい性格だった。
彼女がケネスに惹かれたのは、周囲の洗練された貴族の男たちにはない野蛮な強さや、珍しさに一時的な興味を抱いただけに過ぎない。
いわば、珍獣を拾ったような感覚だったのだ。
なのでいざ王宮での生活が始まってみると、平民上がりで教養の欠片もないケネスの振る舞いは、レオナをすぐに幻滅させた。
食事のマナーは汚く、貴族たちが使う遠回しな言葉遊びも理解できず、誰に対しても尊大で偉そうな態度を取るからだ。
「本当に野蛮で無教養な方。顔と腕っぷしが良いから拾ってあげたというのに、話も通じないなんてつまらないわ」
そう言われたケネスは怒鳴りかかったが、それがレオナがケネスを見限る決定打になった。
熱が冷めたレオナの行動は早かった。
彼女はケネスという夫がいながら、夜な夜な見目麗しい男たちを自室に招き入れ、堂々と浮気三昧の日々を送り始めたのだ。
当然、ケネスは激怒した。
「ふざけるな! 俺は魔王を倒した勇者だぞ! 俺というものがありながら、他の男を連れ込むとはどういう神経してやがる!」
怒鳴り込んで抗議するケネスだったが、ベッドの周りに男たちを侍らせたレオナは、ゴミでも見るような目で彼を一瞥し、鼻で笑っただけだった。
「元は平民の分際で、この私に意見するつもり? 身の程をわきまえなさい」
これまで、村では村長の息子としてふんぞり返り、ウェンディをはじめ周囲の人間を自分の思い通りに支配してきたケネスにとって、この屈辱は耐え難いものだった。
「上等だ……。お前がその気なら、俺にだって考えがある」
プライドをズタズタにされたケネスは、愚かにも、浮気し返して、あの女に思い知らせてやるという最悪の凶行に走った。
手当たり次第に声をかけ、城のメイドと親密になり、自室に招き入れた。
しかし、なぜかすぐにそのことがばれ、ケネスはレオナの前に引き立てられた。
「平民のくせに王女殿下である私を裏切り、あろうことか城の者に手を出すなんて。これは王族への重大な反逆よ」
「なっ……!?」
実はすべてはレオナの手のひらの上だった。
彼を疎ましく思い始めていたレオナがメイドに命じ、ケネスを誘惑させたのだ。
そこからの転落は一瞬だった。
勇者としての報奨金はもちろん、身につけていた豪華な衣服や装飾品、伝説の武器に至るまで、王室への莫大な慰謝料という名目で文字通り身包みすべてを剥がされた。
さらに絶望的なことに、レオナ自身の派手な浮気三昧は一切報じられることはなかった。
彼女が王族の権力を使って新聞社や情報機関に圧力をかけ、事実を完全にもみ消したのだ。
代わりに大々的に書き立てられたのは、『勇者ケネスが美しく慈悲深い王女を裏切り、城のメイドに手を出した』というスキャンダルだった。
ケネスがどれだけ、
「あいつのほうが浮気してたんだ!」
と声を荒げて訴えても、平民上がりの男の負け惜しみとして処理され、世間からは、聖女様を裏切った恩知らずの最低男という烙印を押されてしまったのである。
ケネスは、薄汚れたボロ布のような服一着だけを着せられ、王都の巨大な門から文字通り蹴り出された。
「ど、どうして俺がこんな目に。俺は勇者なのに!」
無一文でボロボロになったケネスは、振り返ることも許されず、たったの一年足らずで、惨めな姿で王都を追放されたのだった。
そして、数週間後。
ボロボロの靴を引きずり、飢えと疲労でフラフラになりながら、ケネスは徒歩でようやく故郷の村へとたどり着いた。
「くそっ、どいつもこいつも俺をコケにしやがって……」
道中、ケネスは幾度となくレオナや自分を追い出した者たちへの恨み言を吐き捨てていたが、彼の心の中にはまだ、都合のいい希望が残っていた。
「俺にはウェンディがいる。あいつなら、ボロボロになった俺を見たら泣いて迎え入れてくれるはずだ」
かつて自分が散々暴力を振るい、見下し、こき使っていたくせに、手紙一つ寄こさなかったことなど棚に上げ、ケネスの脳内はおめでたい妄想で満たされていた。
自分が帰ってやれば、あいつは喜んで俺の世話をするだろうと。
しかし、村に足を踏み入れたケネスは違和感を覚える。
以前は寂れていた……とまではいかないが物寂しい印象のあったはずの村が、見違えるように綺麗に整備され、活気に満ちていたのだ。
だが、今のケネスにはそれを気にする余裕などない。
彼はふらつく足取りで、ウェンディが住んでいるはずの家へと向かった。
しかしそこにあったのは、見覚えのある粗末な家ではなかった。
代わりに建っていたのは、王都の貴族が住むような立派な美しい邸宅である。
戸惑いながらも、ケネスは重厚な扉をドンドンと乱暴に叩いた。
「おい、開けろ、ウェンディ! 俺だ、ケネス様が帰ってきてやったぞ!」
しばらくして、ガチャリと扉が開く。
そこに立っていたのは、高級な生地で仕立てられた美しいドレスに身を包み、幸せそうに微笑む一人の女性だった。
肌は艶やかで、手入れされた髪が輝いている。
かつての地味な村娘の面影を残しつつも、見違えるほど洗練された美しいその女性がウェンディだと気づくのに、ケネスは数秒を要した。
「ウェ、ウェンディ……!? なんだその格好は! いや、まあいい。色々あったが、やっぱり俺にはお前しかいないって気づいてやったぞ。さあ、泣いて喜べ!」
ケネスは上から目線で言い放ち、昔のように乱暴に彼女の頭を撫で回そうと手を伸ばした。
しかし――ウェンディは、まるで道端の塵でも見るような、冷酷で軽蔑しきった瞳で彼を一瞥し、スッと一歩後ずさった。
「……どちら様ですか?」
「は……? な、何言ってんだ、俺だよ、お前の婚約者のケネスだろ!」
「婚約者、という単語には語弊があるようですが。昔、村長の息子という権力を笠に着て、私にありとあらゆる面倒事を押し付けていたケネスという名の乱暴者の幼馴染でしたら、覚えがあります」
それはまるで、氷のように冷たい声だった。
かつての従順な幼なじみの姿など微塵もない。
「すみません、用がないなら帰ってもらえませんか」
「なっ……お前、俺に向かってなんて口の利き方だ! 俺は魔王を倒した勇者だぞ! それにこの村の村長の息子――」
「残念だけど。今の村長は僕だよ」
すかさず、邸宅の奥から落ち着いた声が響いた。
現れたのは、上質な服を優雅に着こなしたテディーだった。
彼は自然な動作でウェンディの腰を抱き寄せる。
ウェンディもまた、彼を見上げて愛おしそうに微笑んだ。
「テ、テディー……!? どういうことだ、なんでお前がここに……おい、俺のウェンディから離れろ!」
「どうして君の指図を受けないといけないのかな。僕は彼女の夫なんだけど」
「はぁ!?」
パレードが終わるやいなや突然姿を消したっきり、戻ってこなかったテディー。
噂では村に戻ったと聞いてはいたが、よもやこの展開は予想していなかった。
しかしよく見れば、二人の薬指にはお揃いの指輪がはまっている。
まさか下に見ていたテディーにウェンディを取られるとはとぎりりと歯を食いしばっていたが、それよりももっと聞き捨てならないことをテディーが言っていたのを思い出す。
「おい、お前今村長って言ったのか!? 俺の親父はどうした!」
「僕はあの討伐の旅で得た莫大な報奨金を、すべてこの村の開拓と発展のために投資したんだ。その功績が認められてね。村人たちの総意で僕が新しい村長に選ばれたというわけさ。それに、君のご両親は昔から強引で偉そうな態度ばかりだったから、元々村での評判が良くなくてね。僕が村長に就任した後、すっかり居づらくなったのか、別の場所へ移っていったよ」
テディーの言葉に、ケネスは絶句した。
――つまり、今のケネスには、村長の息子という権力すらない。
この村において、ただの無一文の不審者でしかなかった。
ウェンディーなら待っていてくれると思っていいた。
ここに戻れば、小さな村ではあるが、皆が自分を崇める未来があるはずだったのに。
「嘘だ……。俺はもう村長の息子じゃない、だと? それにウェンディ、お前にはプロポーズまでしたんだぞ!? お前は俺を愛してたんじゃないのか! 旅立ちのあの日も、俺との別れが悲しくて泣いて……」
縋りつくように叫ぶケネスに、ウェンディは残酷な真実を突きつける。
「泣いていましたね。本当に帰ってきて結婚することになったらどうしようと。あとは、あなたがほんの数年でもいなくなることに、心の底から安堵して」
「え……?」
「私があなたを愛していた? 自意識過剰もいい加減にしてください。私はただ、あなたに逆らえなくて我慢していただけです。あなたが王女様と結ばれた時、私がどれほど歓喜したか分かりますか?」
ウェンディの言葉は、鋭い刃となってケネスの僅かなプライドを粉々に打ち砕いた。
自分が愛されていたというのも、待ってくれているというのも、すべて己の滑稽な勘違いだったのだ。
「あ…………」
唯一の希望すらも失い、完全に心をへし折られたケネスは、膝から崩れ落ちて地面に這いつくばった。
それを見下ろし、テディーは冷たく言い放つ。
「さあ、もうすぐ愛する妻とのディナーの時間だから失礼するよ。二度と僕たちの前に姿を見せないでくれ」
バタンッ!!
容赦なく、分厚い扉が冷酷な音を立てて閉められた。
けれどしばらくして、キーッと、ゆっくり扉が開いた。
隙間から顔を覗かせたのは、ウェンディだった。
やはり彼女は自分のことを……そう思いかけたケネスだったが。
「あなたのご両親が移り住んだ村への地図と、こちらは日持ちのする食料です。路銀も少し入れております」
「へ……?」
「さすがにそのような姿でこれ以上旅をされるのは、不憫に思いまして」
哀れみの表情で小さな籠を差し出され、ケネスは自分が施しを受けていることにようやく気づく。
馬鹿にしやがって……!
そう怒りの炎が湧き上がったが、ケネスは葛藤しながらもその籠を受け取った。
するとウェンディはすぐに扉を閉め、二度とケネスのためにドアが開かれることはなかった。
邸宅の窓からは、温かい光と、楽しげな二人の笑い声が漏れ聞こえてくる。
すっかり日の落ちた村の冷たい土の上で、誰一人として声をかけてくれる者はいない。
すべてを失い、誰にも相手にされなくなったケネスは、ただ一人、暗闇の中で惨めに泣き崩れながら、もらった食料をかじりつつ村をあとにするしかなかった。
◆
邸宅の奥にある薄暗い書斎。
ケネスを追い出した後、一人その部屋に入ったテディーは、机の奥にある厳重に施錠された引き出しを開けた。
中には、怪しげな液体が揺れるガラスの小瓶や、見慣れない怪しい魔導具がいくつも無造作に転がっている。
テディーはその中から一つの小瓶を手に取り、自嘲気味に息を吐いた。
「結局、一度も出番がなかったな」
それは、相手を強制的に魅了する、強力な惚れ薬だった。
他にも引き出しの中には、魔物をわざと誘導する香炉や、吊り橋効果を狙って地面を崩すための魔法の罠など……。
世間では、心優しい魔法使いと評判だった彼が持つべきではない代物が、大量に詰め込まれている。
これらはすべて、テディーが密かに準備していたものだ。
彼の目的はただ一つ。
愛するウェンディを縛り付けていたあの忌まわしい勇者と、パーティーの聖女であり、男漁りが趣味だと密かに噂されているレオナを、是が非でもくっつけることだった。
昔からウェンディに恋心を抱いていたテディーは、彼女を自分のものにするためなら、どんな卑怯な裏工作に手を染める覚悟もできていた。
たとえ、ケネスに恋慕の情を抱くウェンディが、悲しむとしてもだ。
これ以上、ウェンディが悲しそうな顔になるところは見たくなかった。
だから自分に魔法の才があると分かってからまず彼が行ったことが、これらの媚薬などの生成だった。
だが――そんな彼の血の滲むような(?)準備は、完全に無駄に終わった。
いざ王都に着き、聖女と合流した初日。
ケネスはレオナの美貌を見るなり、一瞬でデレデレとだらしなく鼻の下を伸ばし、自ら進んで彼女の尻を追いかけ回し始めたのだ。
一方のレオナも、周囲の洗練された貴族にはないケネスの野蛮さと、無駄に整った顔立ち、そして腕っぷしの強さを新鮮に感じ、あっさりと彼に惹かれていった。
テディーが罠を仕掛けたり薬を盛ったりする必要など、一秒たりとも存在しなかったのである。
「本当に、見事なまでの尻軽な二人で助かったよ」
テディーは冷たい瞳でそう呟くと、視線を窓の外のすっかり暗くなった村の入り口の方角へと向けた。
今日、ケネスが帰ってきた時、ほんの少しだけ、テ ディーの心には黒い不安がよぎっていた。
ウェンディが昔の情に絆されでもして、彼に同情してしまったら?
もし、ほんのわずかでも彼にときめいてしまったら、どうしようかと。
しかしながら、そんな心配はまったくの杞憂だった。
ウェンディはケネスに向かって、清々しいほど冷酷な目を向けてくれたのだから。
その後彼に食料やらを渡すあたりが、いかにもウェンディらしい。
食べ物に下剤でも仕込んでやろうかと思ったが、ウェンディが仕掛けたと思われるのも厄介なので、やめておいた。
あの顔は、完全に折れた表情だった。
もう彼がこの村に来ることもないだろう。
「テディー? どうしたの、せっかくのディナーが冷めちゃうわよ」
ふいに、扉の向こうから愛する妻の弾むような声が聞こえてきた。
その声を聞いた瞬間、テディーの顔から冷たい表情が消え、いつもの穏やかで優しい夫の顔へと戻る。
「ごめん、今行くよ!」
明るい声で返事をしながら、テディーは手の中の小瓶と、引き出しの中の魔導具に向けて指先を向ける。
ぼっ、と音を立てて、熱を持たない魔法の炎が引き出しの中身を包み込む。
証拠となる数々の裏工作アイテムは、一瞬にして塵一つ残さず燃え尽き、跡形もなく消え去った。
ウェンディは知らない。
いつも優しくて知的で愛する夫が、自分のためなら喜んで手を汚すような、底知れぬ執着と腹黒さを秘めていることを。
そしてテディーもまた、生涯それを彼女に教えるつもりはなかった。
「お待たせ、ウェンディ」
テディーは甘い笑みを浮かべて書斎を後にし、自分を待つ、世界で一番愛しい妻の元へと歩き出した。




