第二十六話「サムライとの取引」
宿の薄暗い部屋で、梅子は父の本に没頭していた。
頁を繰る指が、微かに震える。知らなかった父の姿が、文字の向こうから、立ち上がってくる。
『その後、私はカーカラシカの貴族たちと出会うことになった。彼らの誇り高き伝統と、日本の侍道に通じる精神性に、深く感銘を受けた――』
「カーカラシカの、貴族……?」
梅子の瞳が、輝いた。
父が、こんな冒険をしていたなんて。売れない小説家だと馬鹿にしていたが…しかし、あの店での出来事を考えるともう嘘とも完全には言えない。
いや、それ以上に、この本を辿れば、父の知らない一面が、もっと見えてくるかもしれない。
胸が高鳴る。まるで、宝の地図を手に入れた子供のように。
*
ドアがノックされ、ラエルザが顔を覗かせた。
「梅子、ちょっといいっすか?」
部屋に入ってきたラエルザの表情は、硬い。
後ろから、クウラとケルケンも入ってくる。三人とも、疲労の色が、濃い。
「実はさ……」
ラエルザは、言いにくそうに口を開いた。
「明日ジャルに会って、サムライと接触できたら、この調査は、終わりにしようと思うっす」
「え!?」
梅子は本を閉じて、立ち上がった。
「なんでよ! まだ何も、わかってないじゃない!」
「クキキキ……」
クウラが、不気味に笑う。
「わかりすぎちまったんだよ。相手が、ヤバすぎる」
ケルケンも、粘土の体を微妙に震わせながら、頷いた。
「エネルギー値が万を超える、化け物たちですよ。僕たちじゃ、太刀打ちできません」
「でも――」
梅子は、本を握りしめた。
父がサムライ集団と知り合いになったという記述を、読んだばかりだ。この調査を続ければ、きっと、父の足跡をもっと辿れる。こんなところで、終わるなんて。
「絶対に、任務続行すべきよ! 私たちは、まだ――」
「船長命令!」
ラエルザが、珍しく声を荒げた。
小柄な体から発せられた怒声に、梅子は息を呑む。
「一人のわがままで、全員を危険に晒すわけには、いかないっす! 梅子は強いかもしれないけど、私たちは、普通の人間なんすよ!」
緑の瞳に涙が滲んでいるのを見て、梅子は、言葉を失った。
そうだ。自分だけが異常な怪力を持っているだけで、仲間たちは、違う。
「……わかった」
梅子は、渋々頷いた。
本を、胸に抱きしめる。父の冒険の続きは、また今度、読もう。
*
翌朝、ジャルの館に向かった。
巨大なナメクジは、上機嫌そうに体をくねらせている。
「お前ら、タイミングがいいな」
ジャルが、粘液を垂らしながら言った。
「ちょうど月に一度の取引日でな。今日、あのサムライどもが、やってくる」
「本当っすか!?」
ラエルザが、身を乗り出した。
「ああ、俺も取引に顔を出すから、お前らもその場に、居させてやる」
ジャルは、梅子を見た。昨日のことを思い出したのか、微かに、体を引く。
「あいつらは強い人材を集めてるらしいからな。地球人のお嬢ちゃんなら、気に入られるかもしれねえ」
*
数時間後――。
ジャルの黒塗りの大型車が、星の郊外にある巨大な倉庫に到着した。
車から降りると、すでにジャルの手下たちが、集まっている。銃を携えた屈強な男たちが、三十人以上。それでも、妙に緊張した空気が漂っている。
「おい、しっかりしろ」
ジャルが、手下の一人を小突く。
「ビビってんじゃねえぞ」
「へ、へい……でもボス、相手はサムライっすよ」
若い爬虫類型の手下が、震え声で答える。
梅子は首を傾げた。たった四人相手に、これだけの武装集団が、怯えている?
倉庫の中は薄暗く、埃っぽい。奥の方に積み上げられた、木箱の山。その前で待つこと、三十分。
重い扉が開く音がした。
入ってきたのは、四人の男たち。
全員が腰に、日本刀を差している。
先頭を歩く男は、左腕が滑らかな人工筋肉で覆われた、機械腕だった。サングラスをかけ、黒いスーツを着崩している。
写真で見た通りの姿――キヨシ・ハブ。
「よう、ジャル」
キヨシが、サングラス越しに言った。声は、意外に軽い。
「銃は無しって、言ったと思うけど?」
ジャルが、苦い顔をする。
「あんたらも、腰の刃物は置いてこいって、言っただろうが」
「はは!」
キヨシが笑い、後ろの三人も合わせて、笑う。
「これは、トレードマークだよ。今時こんな刃物で、何かできるわけ…ないだろ?」
「なぁ?」 とキヨシが周りに笑いかけると、サムライたちの笑い声が、倉庫に響く。
だが、ジャルの手下たちは、誰も笑わない。むしろ、顔を引きつらせている。
「よく言うよ……」
誰かが、小声で呟いた。すぐに隣の仲間に、肘で小突かれる。
ジャルが咳払いをして、木箱を指さした。
「今月の納品だ。ルーメニオ星系で採掘された、圧縮結晶」
ラエルザが、息を呑む音が聞こえた。
梅子も驚いた。
人工的に作られたものじゃなくて、自然発生? そんなものが、あるのか。
キヨシが木箱に近づき、中身を確認する。
青白く光る結晶が、整然と並んでいる。機械の左腕で一つを摘み上げ、光にかざす。
「品質は、上々だな」
満足そうに頷いて、端末を取り出した。指先が踊るように、画面を操作する。
「じゃあ、今月の支払い」
ピッという電子音とともに、ジャルの端末に通知が入る。
画面を見たクウラが、息を呑んだ。
「さ、三千万クレジット……」
梅子も、目を見開いた。
前に闇市で売り捌いた時は、せいぜい数千クレジット。あれは完全に、買い叩かれていたのだ。
これほど高額なものなら、確かに、人が死んでもおかしくない。ブラックネビュラが必死になるのも、当然だ。
キヨシがふと視線を上げ、梅子たちを、見た。
サングラス越しでも、鋭い観察眼を感じる。
「新顔だな、ジャル。お前の、新しい部下か?」
「あー、まあ、そんなところだ」
ジャルが、曖昧に答える。
キヨシが、梅子に近づいてきた。
ラエルザたちが緊張で固まる中、梅子は、真っ直ぐ相手を見返した。
「ふーん」
キヨシがサングラスを少し下げ、素顔を覗かせる。
切れ長の目が、梅子を値踏みするように、見つめた。
「地球人か。珍しいな、こんなところで」
梅子の心臓が、跳ねた。
どうして一目で、分かったのか。でも、今更隠しても、仕方ない。
「……ええ、そうよ」
「へえ」
キヨシが、興味深そうに笑った。
「最近、地球人の評判は、鰻登りだからな。パニッシャーの都市伝説のおかげで、みんな、ビビってる」
後ろでサムライの一人が、クスクス笑う。
「都市伝説、ねえ。俺たちは、本物を知ってるけどな」
梅子の背筋に、冷たいものが、走った。
本物? まさか、パニッシャーは、実在するの?
キヨシが機械の左腕を動かし、梅子の肩に、手を置いた。
冷たい金属の感触。
でも――その手の置き方には、不思議と、暴力の気配が、なかった。むしろ、何かを確かめているような、優しい重みだった。
ジャルが慌てて、割って入る。
「おいおい、俺の商売相手を、引き抜くなよ」
「冗談だよ」
キヨシが、手を離した。
「でも、もし興味があったら、連絡してくれ。地球人なら、大歓迎だ」
そう言って、名刺を差し出した。
黒地に金文字で、『アンナム・ブロードバンド 極東支部』と、書かれている。
梅子は、震える手で、それを受け取った。
アンナム。
聞いたことがある。いや、知っている。シオンのスポンサー企業だ。
*
取引が終わり、サムライたちが立ち去った後、倉庫に残された面々は、誰も口を開かなかった。
ジャルの手下たちが、ようやく安堵の息を、つく。
「毎回、心臓に悪いぜ……」
「あいつら、マジで、化け物だからな」
梅子は、受け取った名刺を、見つめていた。
父の本に書かれていた、サムライ集団。それが、こんなに近くにいた。
そして彼らは、パニッシャーの存在を、知っているらしい。
ラエルザが、梅子の肩を叩いた。
「これで、調査は終わりっす。本部に報告して、あとは上の連中に、任せましょう」
梅子は、頷いた。
でも、心の中では、まだ終わっていない気がしていた。
父の本、サムライ、パニッシャー、そして濃縮結晶。全てが繋がっているような、でもまだ見えない何かが、あるような。
宿への帰り道、梅子はポケットの中の名刺を、握りしめた。




