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タイトルの数字は時系列でつけてるだけなので、読む順番は気にしないでください。
いくら怒鳴られるとわかっていて身構えていたとしても、実際に怒鳴られると身が竦む。
いつもそうだった。わかっている。悪いのは俺の方だ。俺がもう少し有能であれば、怒鳴られることもないはずだ。
毎度のことだった。知は自販機横のベンチに座っていた。すぐ隣のガラス張りから地上の景色が見える。丈の違う釘の間を縫うように車が進む。蟻のように小さい人の姿。彼らの進む方向が道を作っている。釘の高さが違うのは釘師の怠慢? まあ釘の高さが違おうと、その隙間を通るパチンコ玉に影響はない。問題なのは隙間の広さ。ビルの高さも、ビルの中で働く人々も何も関係ない。関係あるのは、その隙間を通る人、車。都会は出玉が少ない。彼らは釘の幅が複雑じゃない田舎に向かうのだろうか。
しばらく、眺めていた。缶コーヒーを買うでもなく、炭酸飲料を買うでもなく、ベンチに座ってガラスの向こうの景色を眺める。
仕事ができないから上司に怒鳴られていると本気で思っているわけではなかった。努力にもある程度限界はある。それが好きなものならともかく、努力というのは大概、自分が心底やりたくて仕方ないといった感情とはかけ離れた場所にある。好きなことならそもそも努力とは呼ばない。好きなことをするために、好きなことの為に、好きでもないことをやるのが努力だ。金を得たいから、生きなければならないから、若しくは趣味の為、大好きなあの人の為、だから好きでもないのに仕事に対して努力をしている。金を得ることや生きることにもう少し前向きであったら、上司に怒鳴られることが減っただろうか。
そもそも上司に怒られるのはそんなに嫌なことなのか。悪いことなのか。怒られて済んでいる時点でまだ……。
視界の端に人の姿が映った。
大倉杏……。
彼女は自販機に小銭を入れ、ボタンを押した。ガタンと音が響く。赤い缶を拾い、去っていくかと思ったが、こちらを振り返る。慌てて視線を逸らした。杏は知の隣に腰を下ろした。
何考えてんだこの女……。ベンチで頭を抱えている同じ課の社員の隣に座り、堂々とコーラを飲んでいる。コーラぁ? そこはカフェオレとかブラックだろう。シュールと言えばシュールだが、底が知れなかった。
底が知れないと思っているのは知だけではないはずだった。彼女、大倉杏は、一言で言ってしまえば距離感が掴めない。私用の話をしているところはほぼ見かけない。基本無口だが、仕事に関して何か話しかけると必ずと言っていいほど引き上がった口角と上品な返事が返ってくる。知も、事務的な報告を彼女にすることが度々あるが、とっつきにくい印象はなかった。寧ろ、初めて会話したはずなのに、もうすでに友達であるかのような感覚を抱いたぐらいだ。知に限らず、この課の人間全員が感じたことだろう。その時点で、男性社員はすでに心が彼女の方へと向いてしまっている。
告白された、と初めて聞いたときは、まあだろうな、と納得したものだ。知も仕事に余裕があればしていたかもしれない。それくらい魅力的に映るのだ。しかし、一人、二人、と告白する男性社員が増えて行っても、彼女が頷くことはなかった。次第に、男性社員の目線はベクトルが変わる。
面白いものだった。俯瞰することが癖になっている知にとってはよく視えた。ナンパして断られると戯言を残していくということを聞いたことがあるが、実際口にしていないにせよ、男性社員たちの視線がそういう視線に変わっていくのがわかった。今まで好きだったんじゃないのかよ。一瞬にして対極の感情を抱くのはなぜ? 求めるものが違うんだろうな。プライド? 悔しさ? お前たちの注目の的だった女は別の意味で注目の的だ。感情一つですべてが反転する。面白いものだ。我々は、意志ではなく感情に制御されていると言っても過言ではない。意志の前には必ず感情があるらしい。
女性社員も同じだった。自分より何か秀でたものを持っているのに、理由もなく賺した態度をとっていれば、皮肉にしか見えない。容姿に加え、仕事までできてしまえば、仕事ができる、に至るまでの努力過程など目に入らない。妬みに変わる。
結局、彼女は孤立している。しかし、ここの社員も馬鹿ではない。仕事に関しては私情を持ち込まずに彼女と接している。彼女は彼女で、親しみやすい態度をとる。手の平を返しそうになる男性社員もいる。
なかなかいい会社じゃないか、と知は思う。最近だ。ブラック企業の実態が公になったニュースを見ていたせいか、うちはまだまし、どころか、安寧だわここ、と思わずにはいられない。そこまで単価が高い仕事でもないのだが、一般社員にもそれなりに身の余裕がある。残業はない。ノルマもない。土日は休み。その代わり、就業中は真面目に働く、ということが徹底されているように思う。普通、一人ぐらい不真面目な奴がいてもおかしくないのだが、見かけない。会社の悪口も聞かない。無論、単に知の耳に届いていないだけかもしれないが。
さて、仕事に戻るとしよう。予算は決まっている。ならば、予算に見合う質に下げる他ない。大して変わらないだろうがもう一度資料を作り直し、上司の元へもっていけば今日の仕事は終わりだ。恐らく上司もこれで承諾するだろう。
立ち上がろうとした矢先、ふと右に視線が行く。知と杏の視線が合った。
ずっと見られていたのか、全く気が付かなかった……どうしていいかわからず、知は軽く肯き、ベンチから立ち上がった。
「まだ、昼休憩三十分残ってますけど」
「気分がいいんです。今日は切りのいいところまで仕事が片付きそうで」
やれやれ、大倉杏が昼休憩にコーラを飲んでいるというだけで衝撃だというのに、まさか話しかけてまで来るとは。課長に怒られた日は必ず大倉杏が話しかけてくれるというならもっと頑張れるのに。
あれ待って。知は通路を歩く歩幅がだんだん狭くなっていく。部屋の入り口で足を止めた。とあることに気が付いた。
話しかけられたの初めてじゃね?
思い至り、顔を上げると、課長が立っている。半開きの口と眉毛がゆっくりと下がっていくのがわかった。
どうやら、いいことがあると悪いことで帳尻を合わせるようになっているらしい。世の中合理的だね!




