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初めて話したとき、彼は「ゆっくりやろう」と言った。
初めてランチに行ったとき、ディナーで話すような身の丈を彼は話した。
杏が、バイトで疲れて講義中寝てしまったとき、「よかったら」とココアを机に置いていった。
最初に身の丈を晒し出すリスクを負った彼。与えられてばかりだ、何か返さないと、そう思った杏は、その日から与える側に回った。何かを与えるたびに、許してくれと願った。私のこの秘密だけはどうしても話せなかったからだ。
会ったら話してしまいそうだった。
酔ったら話してしまいそうだった。
離れたら苦しくなった。
離れたら近づいてくるから。相手は優しいだなんて微塵も思っていない行為が、自分を余計に惨めに思わせる。浸食し始めたそれは、どんどんと心の底を蝕み始める。優しくなで始める。そう言うのって苦しいじゃん。心の底からうれしいじゃん。
知のアパートのエントランスを出ると、杏はポケットからスマートフォンを取り出し、操作した。
「大学の頃、飲み屋で癇癪起こしたことあったよね。昔のことでもう覚えてないかもしれないけど、ずっと謝りたかった。ごめんね強く言っちゃって」
数分で返信が来た。
「そんなこと言われなきゃ忘れてたよ。いいの? 俺こんなに優しさ貰っちゃって」
杏はスタンプを送って、LINEのタブをスワイプする。自分から一緒にやりなおそうと言い出しておいて、この様だ。端からやりなおす気など杏にはなかった。知には悪いが、それでもずっとつっかえていた骨は採れた気がする。
これでいい。これがいい。知は白日派でも、私はFlash!!!派なんだ――ほんと、●●●●●●けど。杏は空を仰ぐ。
残りの有休を使って次の就職先を決める。
そうだアイドルになろう。笑顔で、キラキラしていて、私からは程遠い存在に。
オーディションを受けよう。おっさんのアイドルがいるくらいだから、おばさんのアイドルがいたって不思議じゃない。一定数には受けるのではない……か?
その意志があれば、きっと届くだろう。●●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●。アイドルにはなれなかったとしても。




