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Beast Of The Opera  作者: 内海郁


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1章⑦


 突然の指名にロジェは跳ね起きる。

 先ほどまでノートの端に小さな絵を描いていたせいだろう。

 ゆらゆらと目が泳いでいる。

 口を忙しなくぱくつかせる姿は小魚のようだ。


 仕方ない、とセザールは教授から見えないよう机の下でノートを広げる。

 そして該当の箇所を万年筆の先で指した。


「え、えーっと。

 〈獣の病〉を患う体は魔力質異常、器官障害、粒子製造障害をかかえており、常人よりも繊細であることが多いです。

 これらは、製本に使用する臓器でもあるため、扱いは専用の器具を使い慎重に行うべきだと思います」


 ロジェがそう答えると、教授は眉をひそめた。


「……よろしい。本来一年生でも暗唱すべき内容ですが、今回は友情に免じて許しましょう。

 ではみなさん前へ」


 その言葉と共に、学生達は席を立ち移動する。

 それに続こうと立ち上がったセザールにロジェが小さく囁いた。


「ありがとうセザール。

 君のお陰で助かったよ」


「今度からノートを取るんだよ。

 いくら実技が上手かったって、座学で点を取れなければ卒業できないんだから」


 だよね、と笑うロシェと共に、二人は教壇の前までやってきた。


 大きな作業テーブルの上には、布を被された何かが横たわっている。

 その中を想像しただけで、セザールは吐き気を催した。

 それとは対照的に、ロジェの瞳はキラキラと輝いている。


「本日は粒子臓、発動器官の摘出を行います。

 まず始めに、サンプルについて説明しましょう」


 教授が布を捲ると、底には簡単な服を着せられただけの男の死体が現れた。


 セザールは、う、と奥歯を噛みしめる。


「彼は獣の病の中で特に多くの割合を占める〈獣生病〉の患者です。

 魔術を行使できず、その代わりに獣に姿を変える。

 発動期間の変質が主な原因ですね。

 形態によっては人狼病や人魚病と言われることもありますが、元は同じ病気です。

 基本的に姿が獣となると自我を失い、私達に危害を加えます。」


 教授は死体の腕を指差す。

 肌にはくっきりと赤黒いまだら模様が浮かび、爪は黒く染まっていた。

 グロテスクな光景に息を呑む声がする。

 ある者は悪態をつき、ある者は生理的嫌悪をあらわにした。


「静かに。獣生病の患者は発動器官に異常が現れます。

 今回は見ての通り手元。爪や肌は製本の装飾にも使いますから尚更丁重に扱いましょう。

 さて、今の時点で質問は」


 呼びかけに、生徒達は首を横に振る。

 それを確認すると教授はトレーから一本ナイフを取り出した。


「では解体の実演を行いましょう。

 まず、臓器の摘出から」


 教授は手際よく死体の服の一部を脱がせた。

 白い蝋のような胸が現れる。

 均等な筋肉や生々しく残る傷跡が、かつてこの体が生きていた事を示していた。


「今回は、私が摘出を行います。

 まずは心臓部分の粒子臓から」


 ロジェは好奇心に満ちた視線を教授の手元に注ぐ。

 ふと、すぐ隣から曖気が聞こえた。

 と振り向くとセザールがハンカチで口元を押さえ、吐き気を堪えている。


 幼い頃から、何度も図説を見てきた。

 実習だって、これが初めてではない。気持ちの整理だって何度もしてきたはずだ。


 でも、どうしたって目の前の光景を受け入れることができない。


 自分と同じ、人間の体を暴くのが嫌だった。

 医療的行為ならまだしも、それを解体し、本にまとめ上げるというのはある種の冒涜だとすら感じてしまう。

 自分の先祖や世界中の装幀師はこの文化を尊び、護り続けているとはわかっている。


 だが、世間の当たり前を、セザールの感覚は異常と判断して仕舞っているのだ。


「セザール……大丈夫?、じゃあないよね」


 囁くように訊ねるも、セザールは無言で首を横に振る。

 先ほどから悪かった顔色は悪化し、すっかり白くなっていた。


「無理するなよ。苦手なんだから見なきゃいいよ」


「……大丈夫」


 本当は今すぐにこの場から逃げ出したい。

 そんな気持ちで溢れていたが、不格好な意地と生まれつきによる強迫観念がそれを許さなかった。


 教授の手に持ったナイフが、腹の上を滑る。

 切っ先の通りに道は赤い線が走り、脂肪と肉に切り込みが入れられた。

 その間を金属の器具がこじ開け、中から赤い臓物が現れる。

 薬品によって無理矢理鮮度を保たれたはらわたは、天井の明かりを受け、生々しい光沢を放っていた。


 それを目の当たりにした瞬間、セザールは自身の体温が急激に下がった感覚を覚えた。

 視界は暗黒に染まり、意識はぼんやりと遠くなる。

 そして体が支柱を失ったかのように崩れ落ちた。


 自分が失神しているのを理解するには、数秒の時間を要した。


「セザール!」


 五感を完全に手放す直前に耳にしたのは、生徒達のどよめきと、ロジェが名を呼ぶ声だった。





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