1章⑥
フランス有数の巨大なキャンパスに、ぽつんと一人の青年がいた。
亜麻色の髪に、オリーブ色の瞳を持っている。
決して派手な顔立ちではないが、人あたりのよい柔和な造りをしている。
名はセザール・ド・ラファイエット。
この学院の学生だ。
やや暗い雰囲気を醸し出しているものの、至って平凡な容姿をしている。
彼はどこか青ざめた覇気のない表情で廊下を歩く。
周囲の学生の喧騒の声が脳に響く。
皆、笑い合い、青春を謳歌し楽しんでいる。
あんな余裕が自分にあったら、どれだけ心が軽くなるだろうか。
ありもしない空想をするだけでも、自分への憎しみが募るばかりだ。
時刻を知らせる鐘が鳴る。
周囲の学生達は皆話しながら校舎の中へと入っていった。
セザールもそれに続く。
手帳を開き次の授業の内容を確認すると〈生体解剖学〉と書いてある。
大きなため息を吐いた。この学校で開講される授業で、最も重要な学問の一つだ。
学生たちは年度初めの授業選択にこぞって第一志望に書き込む程人気があるが、セザールはどうしても苦手意識を感じている。
だが装幀師として生きる道しか用意されていない彼にとって、この授業は決して避けられない。
セザールの通う大学、国立パリ・ルリユール大学は、魔書を製作する装幀師の育成に特化した教育機関だ。
古くから魔書の製作保管に携わる、世界一の魔書管理施設〈ビブリオ・アレキサンドリア〉の支援を受け、今から三〇〇年以上前、この地に校舎を構えた。
数多くの魔書の製作に携わり、数多くの装幀師を排出している。
現在、研究が進み需要が高騰している魔書・装幀師の界隈は、今最も安定した職業の一つと言われている。
装幀師になれば将来三世代は安泰と囁かれる程だ。
故に、入学志願者も多く、倍率は二〇倍以上に上っていた。
名門と呼ばれるこの大学に主席で入学したセザールは、不本意ながら多方面から将来を期待されている。
フランス魔書協会においても権威と言えるラファエット家の子息であるから尚更だ。
ただこの期待は重圧となり、小心者の彼の心を押しつぶしてもいた。
「……はぁ、嫌だな」
重いため息を吐きながら、教室を目指した。
ほのかに香る、つんとした薬品の匂いに眩暈を覚えながら、重い扉を開く。
中では実技服に身を包んだ学生と、既に教壇へと立った教授が待ち構えていた。
ルノー・パンスロン。
この解剖学の教授にして、学院で最も厳しいと言われる男だ。
骨ばった顎をくいと持ち上げ冷ややかな視線を送る。
「ラファイエット。
主席であるお前が、一〇分前行動を怠るとは珍しいですね」
「……すみません」
嫌みったらしく睨む教授に、すみません……と謝ると、セザールは実技用のローブを羽織った。
「おーい。セザール、こっちこっち」
こちらに向かって手招きする学生が一人。
瓶底丸眼鏡に人懐っこい瞳、毛先の跳ねた子犬のような明るい髪がよく目立つ。
彼はロジェ・ド・フリムラン。
フランスの古参装幀師の中の一族であり、鬼才や常識破りと言われる装幀師を多く排出するフリムラン家の子息の一人だ。
セザールに話しかける、数少ない人物でもある。
ロジェに向かって小さく頷くと、教科書を抱えて足早に席に着いた。
「こんにちはロジェ。
今日も元気そうだね」
「そういうセザールはあまり元気じゃないみたいだ。大丈夫?」
「ああ、どちらかといえば憂鬱な気分さ……」
「そこ! 静かに」
教授の叱咤が飛び、二人は肩をすぼめる。
大きなため息の後、チョークが黒板を走る音が始まった。
白い字で解剖実習と書かれたのを見て、セザールは一段と顔を青くする。
「今回の授業は予告したとおり、解剖実技の授業です。
まず前回の復習から始めましょう。
では、教科書の一番はじめを開いて」
生徒達は皆、『素体解剖学』と書かれた教科書を手に取った。
セザールも同じ本のページを捲る。
表紙を開いて一番始めに描かれている中表紙、そこには六つの三角形が合わさり六角となった図形が載っている。
「では、二三ページを開いて。左の図を見なさい」
言われるがまま、前回の授業のページを捲る。
一面に現れた人体解剖図に、セザールは思わず顔を歪めた。
「〈獣の病〉を患う者の体は、私達のそれと殆ど同一です。
ですが心臓付近の粒子臓、そこから指先へと伸びる発動器官のいずれかに異常があります。
この異常の名称と、彼らの死体を解剖する際に留意しておく点について述べなさい。
それでは、フリムラン……フリムラン!」
「えっ」




