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Beast Of The Opera  作者: 内海郁


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1章⑤

『生涯をこのオペラ座と地下で過ごす』


 エステルと祖父の間で交わされた、この契約のせいだ。

 五〇年近く前のものであるが、今でも律儀に守り続けている。


「あれは支配人一族のガルニエ家との契約だろう。

 代代わりした今、君の雇用主は私だ。

 私が内容を変えれば君は出てきてくれるのかい、エステル」


「そ、そうね。確かに貴方の言う通りだけど……」


 目を泳がせ、視線を合わそうとしない。

 そうまでして、出たくないのだろうか。


「……わかった」


 ペトロニーユは、内ポケットから小さなケースを取り出した。


「開けてみて」


 受け取ったケースを開くと、黄金に輝くインタリオリングが収まっていた。

 中心にはオペラ座の紋章と、一九〇八年の文字が刻まれている。

 サイズは小さめでエステルの指にぴったりと収まる。


「今年は私が支配人に就任して一〇年の記念の年なんだ。

 今日完成したばかりで、どうしても早く君に渡したかったんだ」


「もう?そんなに経ったのね。

 時が流れるのは早いわ」


 受け取ったリングを愛おしげに見つめ、エステルは微笑んだ。


「でね、今月の末に記念公演があるんだ。

 その時、一緒に観劇してくれないかな。

 オペラ座の中だから、きっとお祖父様の約束を破る事にはならないし。

 君が誰にも見つからないように通路を確保するし、専用のボックス席をとっておくよ。

 五番ボックス席だ。

 一番眺めのいい特等席なんだよ。ね、だめかな」


 エステルは少し悩ましげに首を傾げるも、観念したように口を緩め言った。


「そんなに言うなら、仕方がないわ」


「やったあ!」


 凜々しい佇まいを崩さないオペラ座の支配人らしからぬ喜びように、エステルは懐かしさを覚えクスリと笑った。

 まるで幼い頃に戻ったようだ。


「そうか、じゃあ新しいドレスを見繕わなければ。

 靴も、髪飾りも、化粧品も! それに、その仮面も」


 ペトロニーユは、エステルの右半分を覆う白い仮面に目を向けた。

 白く濁った陶器の仮面。

 オペラ座の怪人が骸骨、死神と呼ばれる所以に当たるものだ。


 エステルの細い指が、冷たい仮面に触れる。


「……こんな仮面、本当は君に着けさせたくなかった。

 本当は着ける必要なんて無かったはずなのに」


「優しいのね、ペトロニーユ。

 あのね、貴方がくれたこの仮面、私結構気に入っているのよ」


 エステルの浮かべる表情に、嘘偽りは一つもないだろう。

 だが、彼女の仮面の下に深く刻まれた傷を思うと胸が痛む。


「それなら良かった。

 錆ついてしまった扉があったはずだ。

 それを直しておこうか。

 その手の魔術なら、私の得意分野だ」


「嬉しい。助かるわ」


 二人は並んで、オペラ座の地下へ続く道を目指す。

 舞台裏の細い廊下へとやってくると、行き止まりの壁から数えて五つめのタイルに触れる。

 力を入れて押し込むと、タイルは凹み、壁の向こうでかちりと音が鳴った。

 絡繰りの起動音と共に壁が回転し、地下へと続く階段が現れる。


 ペトロニーユが指先をくるりと回すと、壁に並ぶ燭台に一斉に灯が点った。

 こつこつと靴音を鳴らし、二人は地下へと降りる。


「魔力で動く扉にしてくれれば楽なのに。

 お祖父様はなんでこんな面倒な造りにしたんだか。

 この前だって、押すタイルを間違えて小一時間格闘していたんだよ」


「それは災難ね。でも、この絡繰りのお陰で私は安全に暮らせているのよ。

 魔力式だったら、直ぐに誰かに気取られるもの」


 なるほど、それもそうだ。


 階段を降り、現れた地下道を進んでいくと、壁沿いに扉が一つ現れる。

 ペトロニーユが取っ手に手をかけて揺すってみるもびくともしない。


「ははは……これは酷いね。

 私でも動かない」


「大丈夫かしら、治せる?」


「任せて」


 ペトロニーユは目配せをすると扉に掌を押し当てた。

 指先に魔力を集中させ、扉の構造と接続する。頭の中に、情報が流れ込んできた。


「錆で扉がくっついているようだね。

 溶接された訳じゃないみたいだ。

 大丈夫、すぐによくなる」


 ペトロニーユはランプから一つ、油の水滴を浮かせた。それを少しづつ、少しづつ大きくし、扉の隙間へと差し込んでいく。

 こびりついた錆のまわりをいくらかくぐらせると、強くドアノブを揺すった。

 重々しい音と共に、扉が開く。


「まあ、ありがとう本当に助かるわ……私が魔術を使えればこんな手間をかけさせないで済んだのに」


「いいよ。君が使えない分、何度だって私が手を貸すよ」


 そう言って、エステルの手を取った。

 手袋越しに触れる小さな手の暖かさは、ペトロニーユだけが知っていた。




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