3章⑨
シャンゼリゼ通りはパリ随一の大通りだ。評判に違わず、沢山の人が行き来する。
そのせいか近隣には様々な形式のカフェが多く立ち並ぶ、激戦区となっている。
通りには、洒落た午後を求める多くの若者達でごった返していた。
物好きであるロジェは例外に漏れず、シャンゼリゼ通りに詳しい。
彼の指定したのは最近できたばかりの新しいカフェだ。
セザールは慣れない地図に苦戦しながら、目的地へと向かう。
目的の店にたどり着くと、彼は既にテラス席に腰かけていた。
よく見ると、口の端に小さなガーゼが貼ってある。
その状態で無理して珈琲を飲もうとするものだから、ガーゼに焦げ茶色の染みがついていた。
ロジェはセザールからの視線に気がつくと、しまりなく笑った。
ペンだこまみれになった手を振り、友人を呼び寄せる。
「やあ。
傷の調子はどう」
「はは、まだ痛むよ。
親父、思い切りぶってきたんだもん」
へへへと笑う。
傷が疼いたのか、一瞬顔が強張った。
先日の地下での出来事によって、ロジェは両親にこっぴどく叱られた。
特に父親は激昂していたらしく、頬に平手打ちを食らわせたのだ。
普段温厚なフリムラン伯が暴力を振るったと聞いたときは、心底驚いた。
それでもロジェは「親父が子どもに手を上げるなんて初めてだ」と笑いながら語った。
勿論当初の『オペラ座の怪人魔書計画』は頓挫し、企画の立て直しを余儀なくされた。
今日集まったのは代案の相談のためだ。
「修正案、考えてきた?」
「まあ、それなりに。
とりあえず、計画表を見てくれないか」
セザールは鞄から紙の束を取り出す。
それは全て計画表だった。
一枚一枚、大まかな設計図とコンセプトが丁寧に書かれている。
ロジェは目を輝かせた。
「すごいじゃないか。
たった数日でこんなに……」
「君から前の計画を聞く前から、案は練っていたからね。
いいよ、好きに手に取って」
ロジェは計画表を掴み、全てに目を通す。
かっこいい、素敵だ、とその都度感想を言うものだから、セザールの顔は徐々に熱くなってくる。
「ろ、ロジェ、恥ずかしいから、感想は後で良い……」
「なんで?すごいのに。
僕じゃこんなに書き出せない」
しばらくの間、二人は珈琲片手に意見を出し合った。
この計画には無理がある。
材料が足りない。
流石に間に合わない、式構成に無理がある。
議論は夕暮れ時まで続き、終わった頃には重い疲労感が肩にのしかかっていた。
ロジェも同じようで、注文した菓子を片手に机に突っ伏している。
「こ、これで大丈夫だよね……」
「……ああ、予定通りに行けば完成する……はず、だよ」
セザールの言葉に安堵したのか、ほっと安堵の息を吐いた。
「終わったー……少し遅いけど、これで作業が始められる……」
「今日にでも取り掛かりたいけど、流石に明日からにするか」
「そうだね。ところでセザール。
何かいいことでもあったの?」
何の脈絡もなく飛び出した質問に、口に含んでいた珈琲を吹き出しそうになる。
「な、ななな、なんだよ急に」
「ちょっと、そんなに動揺しなくてもいいだろう。
君が魔書についてそんな熱心に話すのに驚いてさ。
だって、学校に居るときとか課題について話すとき、いつもどこかしんどそうに話していたんだもん。
一体どんな風の吹き回しかなって」
分厚い眼鏡の奥が、にやりと細まる。
「あったの? いいこと」
「……うん」
セザールは頷いた。
彼への隠し事は、無駄だと解っている。
「そっか。ふふ、よかったじゃないか」
ロジェはそれ以上何かを問いただす訳でもなく、残りのクッキーを口に放り込んだ。
「いつか、俺にも聞かせて」
「……ああ、いつかね」
二人は支払いを済ませると、夕日を背にそれぞれの自宅へと帰っていった。




