序章②
まず始めに目に入ったのは、客人を迎える広いロビーだった。
随所に並ぶ美しい調度品はうっすらと埃を纏い、釣り下がるシャンデリアは照明の役割を果たさず、ただそこにあるガラス細工と化している。
いくつかある美術品も、ガラクタ同然の扱いを受けていた。
お世辞にも活気があるとは言えない、名家の屋敷とは思えぬ廃れっぷりだ。
記者は何も言わず、案内されるがまま屋敷の奥へと進む。
廊下からも並ぶ部屋の中からも、全くと言っていいほど人気が感じられない。
魔書騒動の傍ら、主人が大量解雇を実行したという噂はどうやら真実らしい。
暫く沈黙の間を歩んでいると、執事が口を開く。
「ご存じかと思いますが、この屋敷には今私と旦那様しかおりません。
そのため、満足なおもてなしができないことをお許しください」
厳格そうな外見からは想像つかない柔和な口調に安堵し、記者は返答した。
「そんな、取材の許可を頂けただけで十分です。お気遣い感謝します」
「そのお言葉はご主人様にお伝えくださいませ。
私めはただの案内係でございます……時にオッフェンバック様。
旦那様は昨今の騒動で憔悴していらっしゃいます。どうか、ご容赦を」
「勿論、心得ていますとも」
その言葉に執事は穏やかに礼を言う。
そして、金色の小さなプレートの貼られたドアの前で足を止めた。
痩せ細った老人の腕が、重い木製のドアを開く。
室内も廊下同様に薄暗くなっているが、他の部屋とは違い人の気配があった。
中心には二脚の椅子が向かい合うようにして置いてあり、片方は空席、もう片方には若い男性が座っている。
柔らかな栗色の髪の隙間から覗く、淡いオリーブ色の瞳。
マーキスカットの視線は、憂うように手元の小説へと注がれていた。
年齢は二〇代半ばだろうが、酷くやつれたその表情は実年齢よりもいささか老けて見えた。
男性は記者の方に視線を向けると笑顔を向ける。
今にも崩れそうな、弱々しく儚い微笑みだ。
「……いらっしゃったのですね、オッフェンバックさん。
ご足労をおかけいたしました。さあ、こちらに」
記者は促されるまま、椅子に腰かけた。
レース越しに降り注ぐ午後の光が、向かい合う二人を優しく照らす。
「本日は取材の許可、誠にありがとうございます」
記者が軽く会釈をすると、ラファイエットはこちらこそ、と返した。
「改めて……装幀師のセザール・ラファイエットと申します。
ラファイエット家の当主であり〈呪われた魔書〉の所持者にして、生き残り……ははは、そう答えた方が様になるでしょうか?」
冗談めかして笑うと、ラファイエットは立ち上がる。
どこか覚束ない足取りで、背後のショーケースの中から一冊の本を取り出した。
神秘的な深緑に、薔薇の花弁を模した赤い装飾。
表紙と背表紙には、艶やかな金の糸で〈Le bête de l'Opéra〉と刺繍されている。
「美しい……」
無意識に言葉がこぼれ落ちた。
記者は納得する。評価を受けるに相応しい、見事な装幀だ。
「それが、噂の」
思わず記者は身を乗り出す。
「はい。私の製作した、最初で最後の魔書です。パリが求める〈呪われた魔書〉のそれでもあります」
「最初で最後の魔書……とは。お聞きしてもよろしいでしょうか」
もちろん。と、ラファイエットのオリーブ色の目が相づちを打つように伏せられた。
「はい、言葉の通りに受け取って頂いて構いません。私はこの魔書に、装幀師として……いいえ、一人の男としての全てを捧げようと心に決めたのです」
ラファイエットは再び椅子に腰かける。
すかさず、記者の質問が飛んだ。
「詳しくお聞きしても」
「構いません。貴方はそのためにいらっしゃったのでしょう……少し、長くなりますがよろしいですか」
記者は声も無く頷いた。
それを視認すると、ラファイエットはゆっくり口を開いた。
「これは、私が愛したただ一人の女性についての物語です」




