2章②
大学から少し離れた場所に、年に一度〈製本市〉なる市場が開催される。
装幀師御用達の道具や指南書、生体素材までもが店頭に並ぶ。
フランス一、いや欧州一と言って良い規模を誇るこの市場は、少し気を抜けば迷ってしまう程に広い。
行ってみたい、と言い出したのはセザールだった。
ロジェ自身は一人で行くつもりだったらしく、誘った時は目を丸くしていた。
「大丈夫? きっと、素体解体とか見ることになるかもしれないけど」
「父さんが行けって言って仕方が無いんだ。
できるだけ見ないようにすれば大丈夫さ」
入り口まで向かうと二人は地図を広げ、市場の全体図を確認する。
欧州一の規模の名は伊達ではなく、一流の道具やから普段見ない素体バイヤーの仮説店舗まで、文字通り全てがそろっている。
まずはどこへ向かおうか。
セザールが悩んでいると、ロジェの指先が道をつつき、小さな建物を示した。
「とりあえず、はじめは展示会にでも行こうか。
確か、数百年物の魔書がメインの企画展をしているんだよ」
「へえ、数百年もの……ヴィンテージか。
是非見てみたい」
「ああ、しかもただのヴィンテージじゃあない。
並ぶのは全て、特別の〈いわく付き〉ばかりだ」
高揚した声で、ロジェは言った。
生体を利用する魔書には、どうしても〈いわく〉がついて回る。
それは素材となった罹患者が生前に作った逸話だったり、製本された後起こった出来事だったりと様々だ。
魔書そのものの性能や美しさも重要ではあるが、マニアの間ではその〈いわく〉を重視する者も多い。
背景物語があればあるほど付加価値がつく、というわけだ。
オカルト好きのロジェも、どうやらその一人らしい。
彼は足早に展示会が行われている施設へと向かう。セザールもその後を追った。
たどり着いたのは、市の中でも一等古い小さな建物だ。
展示会を示す小さな看板が立っていなければ、ただのぼろ屋にしか見えない。
「いやあ、雰囲気がすごい」
「ワクワクしてきたなぁ!早く入ろう」
ロジェに連れられる形で建物の中へと入る。
古びた木の扉の向こうは薄暗く、洋灯の明かりが数点点って居るだけだ。
薄暗く灯された内装は、質素ながら整っている。
どうやらあまり繁盛はしていない様子で、自分たち以外に観客はいない。
壁際には数十点の本が、丁寧に硝子ケースに収まり、小さな蝋燭に照らされていた。
セザールは試しに一番端の魔書に目をやる。
表紙は菫色に染められ、同系色の宝石よって彩りを重ねられていた。
一番目立つ表紙の上部には金色で〈Carmilla〉と美しい書体で綴られている。
綺麗だ。
それが、かつてヒトだったなど信じられない。
貴婦人を思わせる品のある装幀を、覗き込む。
「気になりますか」
背後から冷たい女の声が聞こえる。
思わず振り返った。立っていたのは、セザールよりも少し年上くらいの細身の女性だった。
黒いドレス姿はこの会場の雰囲気にぴったりで、一目で職員だとわかる。
「そちらは丁度、一〇〇年前に作られた魔書になります。
〈ベルクグール病〉だった素体の女性は、大変美しい貴族の姫君だったそうです。
ですが生来の残虐な性格と、圧政により最後は処刑されたのだとか」
切れ長の目をにっとつり上げ、女は言う。
実に興味深いでしょう。
「へ、へぇ……他の本についてお聞きしても」
「もちろん。この本は、自身を悪魔と偽ったペテン師の。
これは港町に流れ着いた人魚。
そしてこれは、極東の島国で作られた巻物型の書物です」
好きに手に取ってくださいね、と女は言うと元いた部屋の隅へ戻った。
照明のせいか、内装のせいか、それとも本のいわくを知っていたせいか。
この空間におどろおどろしい空気を感じはじめる。
最初こそ熱心に本を眺めて居たものの、背景を知れば知るほど胸の奥が疼くように痛んだ、暫くたえてものの、限界を迎え一人部屋の隅の椅子に腰かけた。
楽しそうに展示を観るロジェへ、羨望の眼差しを向けることしかできなかった。
重いため息を吐く。
彼の体調を心配してか先ほどの職員がやってきた。
「気分が悪くなられましたか、どうかご無理はなさらず」
……すみません。そ
う返すと職員は優しく語りかけてきた。
「学生さんですか?
確かこの時期は卒業制作の予定を立てに来る頃ですものね。
今やって丁度よかった」
聞けば、彼女もまたルリユール学院の卒業生だという。
だが装幀師にはならず、蒐集した魔書を展示する活動を行っているのだとか。
「ご一緒している彼は、〈いわく付き〉の魔書に随分と興味がある様子ですね。
ふふ、あんなに目を輝かせて。展示の甲斐があります」
職員の瞳が、僅かに細まった。




