五十九話 妬みと憎しみ
今回は悲しい話です。
ティアナはリリーの部屋から出て行く愛斗を何度も目撃していた。
「一体、何をしているのかしら?」
ティアナの疑問はそこだった。
第一、愛斗とリリーの関係をティアナは快く思っていなかった。
ティアナにとっての愛斗は唯一の存在であり、兄である。それはリリーにとっても同じだが、ティアナは自分勝手だ。自分の気に入らない事、人を全て消してきた。ティアナにはそれを実行出来る力を持っていた。
ティアナはふと、裾の中の拳銃に手を掛けた。
私にはこれがある。その気になればリリーだろうが、誰でも殺せる。私とお兄様の関係を邪魔する者は許さないわ。
ティアナの嫉妬心はまだ抑えられていた。そう、まだ今は・・・。
愛斗は白馬に跨り、渚と秀人、ロランを引き連れてハーゲンブルグを一望出来る場所に向かっていた。たまの楽しみである遠乗りだ。
小高い丘に到着し、昔から変わらない帝都を眺める。愛斗は感想を漏らした。
「いい都じゃないか?」
渚も頷く。
「そうね。東京とは違って、また別の魅力があるわ」
「俺もそう思います。やっぱ落ち着きますね」
愛斗は次に巨大に聳え立つバイエルン宮殿を見た。白い外壁に、中世の城をそのまま再現したような宮殿はとても美しかった。
「愛斗?少し聞いてもいいか?」
「何だ?」
秀人が愛斗に尋ねた。
「僕はリリーの食事を時々持っていく。そこで気付いたんだ。”何か”をしたという事に」
愛斗は項垂れた。やはり感づかれたか・・・。
「そうだ。俺に関する記憶を全て消し去った。只それだけだ」
「どうして?」
渚が驚いた顔で尋ねる。ロランも薄々気付いていたようで、特に驚かなかった。
「リリーは俺のせいで苦しんでいた。だから解放したんだ」
秀人は黙り込んだ。秀人には自分なりの考えがある。でもそれが人と一致するかどうか?それは分からなかった。
「愛斗、一つ言わせてもらうと、僕は間違っていると思う。最後くらいは傍に居てあげれば・・・」
「秀人、お前は若い。考え方も素直だ。だがそれは人に通用しない場合もある。俺みたいな人間にはな・・・」
愛斗の意味ありげな言葉に秀人は口を閉じた。渚も秀人の様子を見て、頷く。
「秀人君、愛くんのやろうとしている事は間違っていないわ。そういう考え方もあるのかも知れないわね」
「俺も・・・隊長のやろうとしていることは分からないでもないです。でも・・・いや、何でも無いです」
愛斗は何も言わずに、手綱を握り、馬を翻した。
「戻るぞ。スイス連邦王国の会議に参加しなくてはいけない。一時間後に出発だ」
愛斗は城の方向に引き返していった。渚とロランもそれに続く。秀人はしばらくその場を動かなかった。
「では行ってらっしゃい。お兄様」
「気をつけてね。ヨハン」
マリアとティアナに別れを告げ、愛斗はドレッドノートに乗り込んだ。スイスとの会議に出席するため、愛斗は明日までスイスから戻ってこない。渚、ロラン、秀人も愛斗に着いていく。もちろんライナーもだ。エティエンヌは今、アフリカ戦線にいる。帝都の留守を任されたのはティアナと撫子にマリア、カリーヌの四人だ。カリーヌは軍の演習に出かけている。
そのため、実質的に帝都に残るのは撫子、ティアナ、マリアの三人だ。
ドレッドノートが浮上していき、山の彼方に消えるのを見届け、マリアが宮殿へと引き返していった。
「ティアナさん、何時もの書類をお願いできますか?」
「はい、マリアお姉さま」
ティアナは満面の笑みで応えた。撫子はその様子を冷たい目で見ている。
ティアナにとって、撫子も忌まわしき存在だった。何だか分からないが、何時も愛斗にくっついている。今日は違うみたいだが。
リリーに撫子、それに渚も邪魔な存在だった。そしてもう一人、ティアナがお姉さまと呼んでいる、目の前の茶髪の皇女、マリア・ストライダムだ。何様つもりか知らないが、愛斗と親しく話している。しかも従妹だという。
でもティアナは気にならない。何故なら、愛斗は自分だけを愛してくれている。そう思っているからだ。
一人で笑顔を見せているティアナに撫子が近づいた。
「おい、お前。お前が一番だと思っているのだろうが、お前がどんなに頑張ろうが、愛斗の一番はリリーだ。他には存在しないぞ」
「はい?いきなり何のことですか?」
撫子は厳しい表情のまま続けた。
「惚けるな。私の能力は知っているはずだ」
ティアナは憎しみの篭った視線を撫子にぶつけ、黙って立ち去っていった。
その夜。
色々と機嫌が悪いティアナはぶつぶつと呟きながら、宮殿の廊下を歩いていた。何度も何度も懐の拳銃に手がのびる。いっそ邪魔な奴は全て消してしまえばいいのでは?そうも思った。
無意識のうちに応接間に入る。下を向き、沸いてくる嫉妬心と戦う。
「ティアナさん?」
ふと名前を呼ばれた。目の前には忌まわしき茶髪の皇女、マリアがいた。
「あら、マリアお姉さま。何か私に御用?」
作り笑顔で対応する。内側には怒りの業火を滾らせながら。
「いえ、少しお聞きしたい事があるのです」
一息あけて、マリアが口を開いた。
「貴方、諜報部のスパイだったのですよね?」
ティアナは身構えた。
何故この女がそのことを?知っているのはお兄様だけのはず・・・いや、もう一人いた。
「撫子さんから聞いたのですか?」
しかし、マリアは首を横に振った。
「いえ、ヨハンから聞きました」
「お兄様が?」
「ええ。私は貴方に感心しているのです」
ティアナは耳を疑った。
この女が私を?馬鹿げてる。
「何故その様な事を?」
「貴方は諜報部を裏切ってまで、ヨハンと一緒に居る事を願った。よっぽど好きなのですね。ヨハンのことが」
ティアナの顔が紅潮する。マリアがそれを見て、静かな声で笑った。
「図星みたいですね。私、そういった事には鋭いんですよ」
そう言って、また笑い始める。ティアナは逆にマリアに聞き返した。
「マリアお姉さまはどうなんですか?」
「私もヨハンが好きよ。だって初恋の人だもの」
「え?」
ティアナが驚きの声を上げる。
「私は小さい頃からヨハンを見てきた。優しく、誰でも愛す事が出来る。一目ぼれだったわ」
マリアは思い出したように喋り始めた。
ティアナの心は沈んでいた。
この女は私と同じ?お兄様を愛しているの?私の味方?
ティアナの怒り、嫉妬の炎は弱まろうとしていた。しかし、マリアは最大の失敗を犯した。
「みんな好きなのよ。ヨハンのことが。貴方もそして”リリー”さんも」
リリー。
その名前でティアナの心の中の業火は爆発した。
止め処ない怒り、嫉妬、妬みの感情が渦巻く。
気付くと、ティアナは拳銃を引き抜き、マリアの胸に向けていた。撃鉄を起こし、引き金に手を掛ける。
「え?」
マリアの間の抜けた声。腹が立つ。
ティアナは容赦なく引き金を引いた。
鋭い爆音。マリアの胸に弾丸が命中し、鮮血が飛び散る。そのまま呆然とした表情で、床に仰向けに倒れた。
「渡さない。お兄様は・・・」
「ティアナ・・・貴方・・・」
「黙れ。お前に私を侮辱する権利はない」
ティアナは拳銃を裾にしまいこみ、立ち去ろうとした。
私のお兄様を奪おうなんて百年早い。次はリリー・ケンプフェルだ。アイツを殺せば、邪魔者は粗方居なくなる。そうすれば・・・。
ティアナは無表情で応接間を出て行こうとした。ふと、ティアナはあることを思い出した。マリアに近づき、しゃがんだ。
「そういえば、私はリリー・ケンプフェルの部屋を知らなかったわ。教えてくださる?」
マリアは乾いた唇をゆっくりと動かす。
「教えない・・・絶対に・・・」
「そう・・・じゃあね」
ティアナは冷たい声で別れを告げた。永遠の別れを。
応接間の扉を閉め、リリーの部屋を探しに、ティアナは歩き出した。
宮殿の中庭にドレッドノートが着陸した。中からは愛斗が降りてくる。
「予想外の早さだったな。ここまで早く帰れるとは」
「まあそうですね。でも、隊長。出迎えがいませんね」
確かに。
何時もなら真っ先に駆けつけるマリアが今日は来ない。まだ眠る時間でも無いし・・・。
愛斗の背中に悪寒が走った。
宮殿の中庭に咲く薔薇が散り、噴水に落ちた。波紋が広がっていく。
「マリア!」
愛斗は走りだした。宮殿の扉を押し開け、中を走り回る。扉という扉を全て開け、マリアの姿を探した。
何故だ?嫌な予感がする。鳥肌が収まらない。
愛斗は三階の応接間の扉を開いた。中は暖かく、暖炉の火が燃えていた。そしてその真ん中に横たわる人影がある。
「・・・あれは・・・!」
愛斗はその人影に向かって走り出した。
その人影の顔を見て、確信する。マリアだ。
「マリア!」
静かに横たわるマリアの胸の部分は血にぬれていた。青いカーペットは血と混じり、紫色になっている。その出血量がマリアの命の短さを語っていた。
「酷い・・・誰がこんなことを・・・」
愛斗の声が漸く耳に届いたのか、マリアが薄っすらと目を開けた。その焦点が愛斗を捉える。
「ヨハン・・・?ヨハンなの?」
「そうだ。おい、渚!救護班を呼べ!」
「分かったわ!」
渚が頷き、走っていく。マリアは無理やり笑みを浮かべ、愛斗に話し掛けた。
「私より・・・リリーさんを・・・守ってあげて・・・狙われているわ・・・」
「狙われている!?誰に!」
マリアは口を開かなかった。
「まあいい!とにかく喋るな!」
マリアにその声が届いたのかは定かではないが、マリアはそれを無視した。
「私が初めて・・・ヨハンを知った日・・・即位記念のパレードの時よ・・・他の皇族からは・・・蔑まれても・・・ヨハンは堂々としていた・・・」
「よく覚えているな・・・でもそんなこと今は・・・」
「私の前から消えたとしても・・・ヨハンは何時も私の心の中にいた・・・笑顔で・・・正義感が強くて・・・負けず嫌いで・・・プライドが高くて・・・そして何よりも優しかった・・・だから私も頑張り続けた・・・何時、ヨハンが帰ってきてもいいように・・・部屋を綺麗にして・・・待ち続けた・・・それで・・・漸く現れてくれた・・・」
愛斗の左右の色が違う瞳から涙が溢れた。涙はマリアの頬に落ちる。
「マリア・・・俺はお前が思うような綺麗な人間じゃないんだ・・・」
「いいの・・・それでも・・・」
マリアの脈が弱まってきた。
このままでは・・・そうだ。一か八か使ってみるしかない。ブリューナクを。
「マリア、俺の目を見ろ。しっかりと・・・」
マリアの目が愛斗の左目を捉える。
「絶対に死ぬな!」
瞳が輝き、マリアの顔を照らした。しかし、マリアの脈は弱まっていく一方だった。
「ヨハン・・・貴方にはお礼が言い切れないほどあるの・・・だから・・・」
「ダメだ!マリア!」
愛斗の目から零れ落ちる涙は量を増していく。そしてもう一度ブリューナクを使おうとする。
「無駄だ。やめろ」
撫子の冷たい声が響く。
「うるさい!」
「お前の力は悪魔の力。故に人を救うことは出来ない。マリアの命を短くするだけだ」
「黙れ!俺は救ってみせる。この力で・・・」
マリアの目をもう一度見つめ、再びブリューナク使う。自分の副作用などどうでもいい。
「死ぬな!死ぬな!」
しかし、効果は虚しいほどにない。マリアはゆっくりと言葉を吐き出した。
「リリーさんが・・・危ない・・・今すぐ・・・助けてあげて・・・私の代わりに・・・」
一息つき、恐ろしくゆっくりと唇が動いた。
「さよ・・・なら・・・・・・・・・・・」
脈が途絶え、愛斗が握っていた腕から力が抜け落ちていく。
「あ・・・ああああ」
愛斗の悲痛な声が応接間に響く。
「マリア!マリア!」
しかし、返事は無い。その安らかな顔は寝ている様にしか見えない。愛斗の声が震え、呻き声が漏れる。
唾を飲み、もう一度マリアの手を握る。しかしその手は力なく、冷たかった。
「うわあああああああああああああああああああああ!」
愛斗の絶叫が応接間に響き渡る。
撫子の瞳からは、一滴の涙が零れた。
次回予告
淡々とリリーの部屋に迫るティアナ。
狙うのはリリーの命だ。
リリーの運命は?
そしてティアナはどうなってしまうのか?
次回六十話「愛の崩壊」お楽しみに