五十七話 リリー国交大使
「そうか。ヨハンが行動に出たか・・・」
「はい。皇帝直属の騎士、エティエンヌは恐るべき強さです。現在の兵力では太刀打ち出来ないかと」
日本の共和国元老院宮殿の司令室、ヴィルフリートは中東より帰還したフェリクスの報告を聞いていた。
「心配するな。既に紫電、インフェルノと並ぶEMAを開発してある。パイロットも目星をつけてあるのだ」
「そのパイロットとは?」
「聖霊騎士団、ナーシャ・ギルマンだ。彼女の操縦テクニックはお前と同等、いやそれ以上だ」
ヴィルフリートは冷たい笑みを浮かべながら、呟いた。
「これより我らは外交官を神聖ストライダム帝国に派遣する」
「外交官とは?」
「鳳凰院絢殿とリリー・ケンプフェル国交大使殿だ。特にリリー殿には特別任務を与える。今すぐ呼び出せ」
フェリクスは小さく頷き、部屋から出て行った。ヴィルフリートは窓から青空を眺めた。
「帝都はいずれ瓦礫の山になる。束の間の幸せを味わってくれ。ヨハン」
ヴィルフリートの独り言は誰にも聞こえる事は無かった。
空は・・・只蒼かった。
何時ものように玉座の間に座り、職務をこなしていた愛斗は部屋に突然飛び込んで来たマリアに驚き、ペンを取り落とした。
「どうした?随分と慌てているようだな」
息も切れ切れにマリアは報告を始めた。
「共和国からの通達よ。先日の諜報部攻撃の説明を求める、よって話し合いを行うために大使を二名派遣した。早急に話し合いの場を設けることを要求する。と言っているわ」
「そうか。随分と強硬だな。ヴィルフリートらしくない」
マリアも顔を顰める。幼い頃からヴィルフリートを知っている二人にとって、彼の性格は全て承知していた。その上でこの行動は多少予想外だった。
「では素直に従おう。大使の名前は?」
「えーっと、鳳凰院絢、リリー・ケンプフェルと書いてあるわ」
愛斗の顔が引きつる。ティアナがそれに気付いたのか、愛斗に尋ねた。
「お兄様、お知り合いですか?」
「ああ、俺の大事な人だ」
ティアナはその言葉に顔を顰めた。
私より大切な人?お兄様は私が一番大切なのではないの?私よりお兄様に愛されているなんて・・・。
ティアナの心に邪悪な嫉妬が生まれた。愛情を感じずに育ったせいか、愛情表現が上手く出来ないのだ。自分では自覚していないようだが、ティアナの心はかなり捻じ曲がっていた。
「ではお迎えの準備をしなくてはいけませんね」
ティアナは作り笑顔で応えた。丁度、傍に居たロランが首を傾げた。
「でも何で奴はその二人を大使に選んだんでしょうかね?」
「ヴィルフリートのことだ。企みだろう」
愛斗は首から掛けてあるロケットを手で撫でた。
「しかし先日の攻撃での虐殺の噂が城下に流れてしまっているようです。日に日に陛下は国民から恨まれているようですが・・・」
ライナーが率直な意見を述べた。
「もちろん知っている。それにそうでなくては成功しないだろう。ところで秀人と渚はどうした?」
「ああ、二人ならさっき城下に出かけました。用事があるみたいで」
「そうか。では俺も出かけよう。少し用事があるんでな」
愛斗はそう言い、玉座の間を後にした。
三日後の正午。
バイエルン宮殿の発着場に一隻の戦艦が舞い降りた。少数の護衛に守られて降りてくるのは、二人の少女であった。
背の高い方は車椅子を押しながら歩いている。
この二人が国交大使に任命された絢とリリーだ。日本からの長旅を終えて、漸くたどり着いたのだ。
「車椅子も結構重いんやな。イヴォンの気持ちがよう分かったわ」
絢がリリーの車椅子を押しながら素直な感想を述べる。リリーも笑顔でそれに応える。
「はい。無理はなさらないでくださいね」
「大丈夫や。これくらい朝飯前や」
二人が会話を弾ませていると、数十人の兵士と一緒に一人の少女が宮殿から出て来た。黒髪で穏やかな顔をしたその少女は皆がよく知っている人物だ。
「貴方方が大使殿ですね。私は南風渚。陛下の下で軍の指揮を執らせて頂いております」
渚はリリーの車椅子を押し始めた。リリーもそれに抵抗せず、従った。
「渚さん。貴方の事は秀人さんからもイヴォンさんからも聞いています。とても正義感が強いって愛斗さんも言っていました。そんな貴方が何故?」
渚は静かにリリーの問いに答えた。
「私は自分の正義を貫こうと思うの。只それだけよ」
「そうですか」
渚はそのまま車椅子を押し、会議場へ向かった。
会議場は臨時で設けられたという事もあって、そこまで豪華な造りでは無かった。
リリーと絢はとりあえず指定された席に座る。反対側に誂えられた玉座を模した椅子には愛斗が、皇帝が座っていた。
冷たい視線は二人を見据える。
熱海の時とは随分と違う顔だった。恐らくこれが皇帝としての顔なのだろう。冷たく、そして無情で・・・。愛斗という男は仮面を被り続けているのだ。その下の優しい笑顔を隠して・・・。
リリーは数日前ならそう思っただろう。しかし、今のリリーは愛斗を信用する事が出来なかった。
ヴィルフリートから知らされた悪魔の力、ブリューナク。そして罪のない人たちの虐殺。
全て愛斗さんがやった事だ。その責任は負わなくてはいけない。例え、その先に待つ結果を愛斗さんが望んでいなかったとしても。
愛斗も席に座るリリーを冷たい目で見つめた。
俺はこの少女を愛している。世界で一番、そして今まで出会った誰よりも。
この気持ちを伝えられたらどんなに楽なのだろうか・・・。伝えたい。昔の様に暮らしたい。世界など捨てればまた昔に戻れるのかもしれない。あの頃に帰れるのかも知れない。
この考えが脳裏を掠める度に愛斗は頭から追い出してきた。
愛斗には既にリリーを笑顔にすることは出来ないのだ。生きている間は・・・。
「では、まず初めに共和国大使の方々に今回の来国の理由を説明していただきたいのですが」
マリアが二人に尋ねる。絢が書類片手に立ち上がり、読み上げた。
「七日前に行われた共和国直属施設、特殊諜報部奇襲の件についてです。我が共和国側の施設を破壊し、関係者を虐殺した責任を皇帝であるヨハン・ジークフリード・ヨゼフィーネ・フォン・ストライダム陛下に負って頂きたいのです」
マリアが愛斗と顔を見合わせる。愛斗は立ち上がり、何時かの様に冷たい声で言い放った。
「施設が存在していた地域は我が帝国領。自国の領土に存在する施設をどう扱おうがそれは国の勝手。それに特殊諜報部は兵器開発を目的とした施設、兵器の資料もこちらでは回収済みだ。他国の領土での軍事活動は条約違反では無いのか?」
絢は言葉に詰まった。愛斗はその様子を見て、更に問い詰めた。
「ではこちらからの質問だ。開発資料に記述してあった兵器、「レーヴァンテイン」とは何だ?」
「その様な兵器は存在しておりません。いえ、少なくとも私の知る限りは存在しておりません」
愛斗はリリーに目をやった。先ほどから俯いて、顔を上げようとしない。
「遠路から遥々我が帝国に来たのだ。滞在の間はゆっくりと休んでいけ。下がれ」
愛斗はそれだけ言うと、会議室から出て行った。
マリアが書類を纏め、二人を見た。
「では部屋まで案内いたします。着いて来て下さい」
絢は大人しくその後に続いたが、リリーは動かなかった。
「すいません。少し宮殿内を散策させてはもらえないでしょうか?」
リリーの頼みにマリアは頷いた。
「構いません。では」
絢はそのままマリアと一緒に出て行った。後ろに控えていた茶髪の男性が車椅子の持ち手を持った。
「じゃあ、行こうか。どちらへ?」
「貴方は?」
「俺は帝国軍北部方面軍指揮官のロラン・ギヌメールですよ」
「貴方がロランさん?秀人さんから話は聞いています。とっても気さくで明るい方と言っていました」
ロランは恥ずかしそうに目を伏せた。
「光栄だな。で、どちらへ?」
「城下を少し。お願いできますか?」
「分かった。じゃあ」
ロランが車椅子を押し始める。二人はそのまま城下へと向かった。
「これがハーゲンブルグなのですね」
リリーは今、歴史的な町並みが並ぶ商店街に居た。
ハーゲンブルグは古代から栄えてきた地で、町並みは全てが古風だった。人々は活気に溢れている。
一つ気になった事は、皆が皆不満を募らせた表情を、疑心に満ち溢れた表情をしていることだ。
「ロランさん。あの喫茶店に入りましょう。少し疲れました」
「ああ、分かった」
ロランは車椅子を押しながら喫茶店へと入った。
喫茶店の中は酒場のような感じで、女性のバーテンダーが一人、客が十人ほどいた。適当に空いている席にリリーが座ると、ロランは剣の柄に手を掛けた。
「ロランさん?」
「いや、城下とは言えど物騒なこともあるからな。念のため常に剣は身に着けているんだ」
そう言い、周りに目を光らせた。周りの客は気付いた様子も無く、一人のウェイトレスがこちらにやってきただけだった。
「ご注文は?」
「エスプレッソを」
「じゃあ俺はミルクティーをお願いします」
ウェイトレスはロランとリリーを何処かの貴族と判断したようだ。馬鹿に丁寧な口調だった。
五分程経って、運ばれてきたエスプレッソとミルクティーに口をつけた。その時、入り口から一人の男が焦った様子で走ってきた。
「おい!姉ちゃん!」
バーテンダーの女性はその男の声に反応した。どうやら知り合いのようだ。
「どうしたんだい?ジョゼフ?」
「聞いてくれよ!共和国からの大使が派遣されたってよ!」
リリーは少し耳を傾けた。
「例の虐殺の件でかい?あの皇帝は酷いもんだね」
「そりゃ、そうだぜ!初めは貴族を追放したりとか、聖君だとか騒がれたさ。でも実際は只の暴君だったじゃねか!」
「レオンハルト様から皇位を奪ったのよ!悪の皇帝はヨハンよ!」
一人の男が紙面を読み上げた。
「会見には皇帝が直々に出席。陛下の栄光あるご判断に期待。だとよ」
「何が栄光だよ!」
「虐殺皇帝が!」
「悪の皇帝に死を!」
口々に愛斗を罵る言葉が飛び交う。バーテンダーの女性がそれ抑止した。
「あんた達!そんなこと言ってると捕まって一族諸共殺されちまうよ!」
その言葉に喫茶店の輩は静まり返った。
ロランはリリーの耳元で囁いた。
「出ようか?」
「はい・・・」
リリーは小声で呟き、喫茶店を後にした。
愛斗への憎しみを直に見て、既に喋る気力すらも無かった。
次回予告
愛斗が信用出来ずに戸惑うリリー。
愛斗もそれに気付き、心を悩ませる。
愛斗が下した決断とは?そして二人の関係はどうなるのか?
次回五十八話「悲しみの決別」お楽しみに
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