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第三章

異世界に召喚されて転移した喪女聖女の物語です。1~2週間で更新していきたいです。

第三章


「そこにいるのは誰だ?」


 茂みから姿を現したのは、立派な騎士服に身を包んだ黒髪の男だった。

 清香は混乱する頭で、なんと答えていいものか逡巡する。腰に剣を刷いていることと、服装の雰囲気から騎士であることが窺えるが、果たして素直に助けを求めてよいものか。

 もし彼がゼルガード王国の騎士で、レオニス王子やロイとつながりのある人間だったら、却って危険ではないだろうか。しかし、この森をひとりで抜け出すことが困難なのは明らかだ。

「……あれは……!」

 黒髪の騎士は清香が反応に困ってる間にも素早く周囲を警戒し、先ほど魔獣に襲われた護衛騎士の亡骸を見つける。警戒すべきレベルが格段に上がったと判断したのだろう、即座に剣を抜き、清香と護衛騎士の間に割って入った。

「魔獣に襲われたのか?」

 清香を振り向かず、凛とした声が問いかける。

「は……はい」

 辛うじて絞り出した答えを受けた彼は、鋭いが威圧感を与えない声で再度問いかける。

「魔獣がどこに行ったか分かるか?」

 護衛騎士の死体は普通の状態ではなく、全身がまるで墨のように黒く変色している。それを見ただけで魔獣に襲われたのだと分かるあたり、やはりゼルガード王国の関係者なのではないだろうか。

「いえ……あの……消えました」

 清香にもなんと言っていいか分からない。何しろその魔獣は清香に襲いかかったと思ったら、触れた途端にまるで霧のように消えてしまったのだから。

「……そうか。魔獣は執念深く、一度狙った獲物は決して諦めない。姿を消したからといって油断はできない。またすぐに来るぞ」

 どうやら彼は清香の言葉を「姿を消した」と誤解したらしく、魔獣の性質を知らない清香に分かりやすく教えてくれた。だがそうではない。消えた、とは文字通りの意味なのだ。彼は周辺への警戒を解かない。このままでは会話もできないと思った清香は、自身の言葉を訂正する。

「あ……いえ……姿を消したんじゃなくて……消滅、しました」

「そうか……だがたとえ消滅したからといって……消滅?」

 一瞬、清香の言っていることが理解できずに戸惑う。

 まさか目の前の地面にへたり込んだ女性が、恐るべき魔獣をひと撫でで消し去ったとは夢にも思うまい。本人にも信じられないのだから無理もないところだ。

「は、はい。だから、ひとまずは……」

「……そうか。分かった」

 黒髪の騎士は清香の言わんとするところを汲み取り、剣を鞘に戻した。洗練された動作で右手をすっと差し出すと、あまり口角を上げずに、しかし穏やかに名乗った。

 今まで気付かなかったが、かなりの美形だ。

「俺はクラウス。エルミナ王国の騎士だ」


     ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……」

 清香は目の前の黒髪の騎士を見上げて茫然としている。艶やかな黒髪に深みをもった漆黒の瞳。無表情ではあるが、投げかけてくる声色は優しく、態度も紳士的だ。しかもその体躯はスマートでありながらも、しっかりと鍛え上げた、並々ならぬ研鑽が感じられる。

 現代日本では中々お目にかかれないタイプの美丈夫だ。


 そのクラウスは騎士らしく清香に対して救いの手を差し伸べている。レオニス王子の手は清香を捕らえ、利用するための手だった。だが目の前のクラウスは清香の素性も分からないというのに、迷いなく手を差し伸べてくれたのだ。

「それで君は?どうしてこんなところに?」

「あっ私は……清香です、くずしろ……」

 清香はクラウスの美しさに見惚れていたことに気付き、慌てて名乗り返そうとする。しかし、クラウスに差し出された手を取ろうとしたとき、身体が硬直してしまった。

 クラウスはエルミナ王国……ゼルガード王国ではない国の騎士を名乗った。レオニス王子の仲間である可能性は減ったのだから、この森を抜ける助けを乞うべきだろう。


 それは分かっている。分かっているが身体が動かない。これが助かる最後のチャンスかもしれないのに。


(でも……助かったとして、そのあとどうなるの?)


 この森を抜けた後は?この世界の常識が何もない清香がひとりで生きていけるとも思えない。クラウスに色々と教えてくれるように頼むべきだろうか?しかし清香にはお礼として支払うべき報酬はない。それに助力を頼むとなれば自分の事情を説明しないといけない。しかし何と説明すればいい?


(ゼルガード王国に召喚された……聖女です……って?)


 心の中で自嘲気味に呟く。もう分かっている、自分は聖女などではないのだと。何らかの間違いで召喚されてしまった一般人に過ぎないのだと。ゼルガード王国のレオニス王子達が優しくしてくれたのは、清香を聖女だと思ったからだ。だが本当は何の価値もない自分に、助けてもらえる理由はない。


「……怪我はないようだな……だが、怖かったろう」

 クラウスは清香のことを、何らかの事情があって森に来た一般人と判断した。騎士の遺体の他には馬車も見える。馬はいないが、あの騎士と一緒に馬車に乗ってきたと考えるのが妥当だろう。

 少しだけ距離を詰めて、片膝を突いて目線を合わせてくれる。

「……立てそうか?」

「……」

 清香には男性と付き合った経験など皆無である。それがこの世界に来てからレオニス王子や騎士のロイなど、見目麗しい男性に何度も遭遇している。しかもみな距離が近い。男性に免疫のない清香にはとっては破壊力抜群……の、はずだった。


「……!」


 ぱちん、と乾いた音がする。

 清香はクラウスから差し伸べられた手を取ることなく、あろうことか自らそれを叩いて拒否してしまったのだ。

「っ!?」

 さすがに助けようとした相手に拒まれるとは思わなかったのだろう、無表情だったクラウスの驚いた顔が印象的だった。


 清香自身も戸惑っている。なぜこんなことをしたのか。理屈ではない。身体や口が感情を元に衝動的に動いているのだ。

「や、やさしくしないで。どうせあなたも……あたしが聖女とかだから、やさしくしてるんだ……」

「いや、俺は何も……」

「そ、それで……また私が役立たずだってわかったら、捨てるんだ。魔力がどうとか言って、ゴミクズみたいに捨てるんだ」

「おい、君は何を」

「もういやだ、いやだ!」

 もう清香の目にクラウスは映っていない。最後のひと言をヒステリックに叫ぶと、よろける足で懸命にたちあがりながら、よろよろと森の奥の方へ走り出してしまう。

(もう嫌だ。信じるのも、裏切られるのも嫌だ、嫌だ嫌だ。うんざりだ)

 清香の心はここにきて限界を迎えていたのだ。


 そのままよろよろと走り去る清香の後ろ姿を見送るクラウス。

 もちろん彼が本気を出して追えばすぐに清香に追いつくことはできるだろう。

「だが、あの様子では……しかし……」

 仮に追いついたとしても、パニックを起こした清香が大人しく保護されてくれるとは思えない。すぐ追いついてしまうのは得策ではないだろう。

 彼女の言葉を信じるなら魔獣は消滅したそうだが、他にもいる可能性はある。この辺りが危険なことに変わりはないのだ。そのままというわけにもいかない。


 それにしても、清香はどうやってここまで来たのだろうか。仮に黒化して死んでいた護衛騎士に連れてこられたのだとしても、まさか歩いてきたというのか。いや馬車は近くにあった。しかし馬はどうしたのか。疑問は尽きない。

「それに……聖女と言ったか?だがあの傷つきようは……」

 清香との距離を一定に保ちながら追跡するクラウスの後ろから、数名の騎士が追いついてきた。

「団長、早すぎですよ」

「お前らが遅すぎるんだ。野営基地に戻ったら訓練のやり直しだな」

「勘弁してくださいよ、本気出した団長に追いつけるわけないじゃないですか」

 騎士のうちの数名がクラウスに並んで報告する。

「さっきのお嬢さんの馬車はどこのものか分かりませんでした。意図的に隠している感じですね」

 清香に接触したのはクラウスひとりだが、部下の騎士たちはその様子を周囲の警戒も兼ねて見守っていたのだろう。

「あっちの遺体はゼルガード王国の騎士ですね。ただ、馬と馬車は切り離されていたので、最低もうひとりいたものと思われます」

「よし、分かった。このままつかず離れず追おう」

 こうして清香とクラウス、そしてエルミナ王国の騎士たちは、魔獣が出るという危険な「昏い森」の中で奇妙な追いかけっこをすることとなったのである。


     ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 それからしばらく前。ロイが魔獣から逃れて清香の前から姿を消したその後。

 ゼルガード王国第三王子、レオニス・アルヴェインは苛立っていた。

「始末し損なった?何をしているんだお前は!」

 叱責されているのはロイ・セファルディンである。

「申し訳ありません。魔獣に襲われました。確実にサヤカ様を仕留められる状況ではなかったので、帰還しました」

 ロイは膝をついてレオニスに報告する。叱責されることは分かっていたが、護衛騎士がやられてしまった以上、報告に戻らなければならなかった。魔術に重きを置くゼルガード王国において、騎士の力は低い。魔獣には騎士ふたりで当たるのが鉄則だった。それに、もし自分も死んでしまえば、レオニスが事態を把握するのが遅れるからだ。

 そうなれば、莫大な費用と時間をかけて召喚した聖女が魔力ゼロのクズだった、などという失態が知れ渡ってしまうことになる。さらにその結果「聖女を処分しようとした」という醜聞が広がることも避けなければならない。

 膝をつき、栗毛色の柔らかな髪を静かに下げたまま、ロイは進言する。

「畏れながら申し上げます。取り急ぎ数名の騎士と魔術師をもってサヤカ様の捜索にあたるべきです。私の処分は、その後いかようにでも」

 もちろん清香を始末できなかったのはロイの失態だ。いっそ魔獣が清香を始末してくれればいいが、そうだとしてもその結果を確認するまでは安心できない。結果としてロイはレオニスにとって次善の判断を下したのだ。失敗を取り繕うためにひとりで清香を追っていたとしても、魔獣という脅威がある以上、清香を逃してしまう可能性が上がっていただろう。まだ清香を始末できれば挽回できるのだ。

「……分かっている。近衛騎士とお抱えの魔術師を連れて、お前が指揮を執れ。現場の状況を分かっているのはお前だけだ、頼むぞ」

「畏まりました」

 レオニスは任務に失敗したロイに対する怒りはあるものの、状況を冷静に認識した。自分のために動いている側近を必要以上に叱責しても意味はない。まだ若さ故の焦りや失敗はあれど、レオニスもロイもまた有能な人間だと言えるだろう。


 それは清香にとっては不幸なことだったのだが。


     ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 清香がクラウスから逃げ出して一時間も森を彷徨っただろうか。痛む足を気にしながら、大きな木の幹に寄りかかった。

(はあ……あたし、何してるんだろ)

 灯りも持たずに逃げ出したので、森の中は暗い。今夜は星明かりがあるので完全な暗闇にはならないが、人間が満足に活動できる明るさはとうに失われていた。

(驚いた顔……してたな)

 親切にも手を差し伸べてくれたクラウスの顔を思い出していた。滑らかな黒髪は清香のボサボサ髪とは比べものにならない。愁いを帯びたような深い瞳の色はじっと見つめていたら吸い込まれそうだった。

 その親切な手を、清香は弾いて拒絶したのだ。

(格好いい人だったな……やっぱり、助けてもらえば)

 後悔してももう遅い、どうしてあんなことをしてしまったのだろうか。

 召喚して利用しようとしたレオニス達と、悲鳴を聞いて駆けつけてくれたクラウスが、同じような人間であるはずがないのに。

 それでも、清香には誰が信頼できるか分からなかった。何が本当で何が嘘か、もはや何も分からない。

(はあ……)

 空を見上げても、方角も時間も分からない。この世界の常識がない清香には、星から方角を測るような器用なこともできない。

(そもそも元の世界でもそんなことできないけどね)

 休んだことで冷静になり、少しだけ余裕が出てきた。やはり戻ってクラウスに助けを求めよう。ゼルガード王国に戻れば、間違いなく殺されるのだから。さっきはどうかしていた。初めから選択肢などなかったのだ。


「おい、いたぞ!」

 だが、清香の決意も早々にやや遠方から声が響く。

「!!」

 清香にも見覚えがあるその騎士服は、ゼルガード王国のもの。ロイが着ていたのと同じ服だ。

 殺気立った騎士達が四人、剣を抜いて森の中を走ってくるのが見えた。幸い足元は獣道で、全力で走れるような場所ではない。清香は少しでも距離を稼ごうと、後ろを振り返って走り出した。

「た……助け、てっ!クラウスさん……っ!」

 咄嗟に呼んだのはクラウスの名だ。自ら拒んでおいてなんと虫のいい話だろう。しかし、清香には他に頼れる人間はひとりもいないのだ。

 迫る騎士達の表情から、会話の余地もないことが分かる。追いつかれたらすぐに斬られるだろう。


 清香は必死に走る、今までの人生の中で一番の真剣さだ。失敗すれば人生が終わるのだからそれもそれも当然。

(やだ……死にたくない……殺されるのなんて嫌だ……!)

 だが元よりの運動不足のうえ、こちらの生活に慣れていない緊張による疲労、ついでにいえば満足な食事が摂れていないことにより、清香の運動能力はかなり低い。まあ現代日本の食糧事情とこちらの世界を一緒にするのも酷な話ではあるが。

「はあっ……はあっ……」

 だが今の清香にそんな検証は無意味である。


 心の必死さと裏腹に足は動かない。騎士達は確実に清香を捕らえるために複数人で取り囲むように動く。まるで狩りをするかのように、じわじわと追い詰めている。時代によってはこの世界を救うと言われている「聖女」と呼ばれた清香を狩ろうと言うのだから、皮肉な話だ。


 一般的な日本人と比べても非力で運動不足な清香の体力が尽きるのは早かった。

「あうっ!」

 盛り上がった木の根にもつれた足が引っかかり、派手に転倒してしまった。

 その隙を見逃さず、四人の騎士が清香に迫った。無言の動きにただならぬ恐怖を感じる。

 抜き身の剣を構えて四人同時に距離を詰める。あと数秒。その後には振り上げられた剣が清香の身体を切り裂いているだろう。


「いやーーーっ!」


 恐怖心が限界を超えた清香の悲痛な叫び声が響き渡る。お構いなしに騎士達は最後の一歩を踏み込もうとする。


 だが、いつまで経っても四本の剣が清香を切り裂くことはない。きつく閉じた目を開けた清香が目にしたものは、不思議な光景だった。

 清香にあと一歩の距離まで詰め寄った騎士達の身体は、半透明なもので覆われている。

「水……ううん、氷……?」

 周囲の温度が一気に下がっているのが分かる。周囲の空気がまるで意思を持っているように部分的に凍りつき、騎士達を拘束しているのだ。氷の塊によって騎士達の足は木の根と縫い止められ、それ以上進むことができない。腕も肩の辺りから剣ごと凍らされ、身動きが取れないようだ。

「う……動けない。こんな一瞬でこんな範囲の魔術なんて、我が王国でもそうはいないぞ……!」

 苦悶の表情を浮かべる騎士達。それを呆然と眺める清香の耳に聞き覚えのある声が響く。

 それは清香にとって、まさに救世主の声だった。


「俺の領土内で勝手に誰かの命を奪うなど、許可した憶えはないぞ」


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