第一章
異世界に召喚されて転移した喪女聖女の物語です。1~2週間で更新していきたいです。
第一章
葛城清香は現代日本人、二五歳の女性である。平凡な情報系大学を卒業してシステムエンジニアとなった彼女は、いわゆるブラック企業に入社してしまった。そこに二年ほど勤めた後、身体と心を壊して退社した。まあ、よくある話だ。
そしてそこから一年、アパートの部屋を借りたまま半引きこもり生活を送っていた。仕事に就いていた頃はお金を使う時間もなかったため無駄にお金が貯まっていて、働かずとも生活することができた。それをいいことにほとんど何もしない日々を過ごしていた。これもまた、悲しいことだがありふれた話と言えるだろう。
そんなある日、清香はコンビニに夕食を買いに行こうとしていた。自炊できないわけではないが、その日はなんだか作る気にならなかった。服を着替えるのも面倒だ。部屋着にしている高校時代の古ジャージでいいだろう。
(そろそろこの生活もなんとかしないと……)
ぼんやりとそんなことを考えながらアパートの部屋を出る。その途端、足元に突然発生した魔法陣の眩しい光に包まれて、異世界に転移したのだった。
そして、ここから少し珍しい部類の話に入る。
「……わっ!」
突然のことに戸惑う清香。あまりの眩しさに目が開けられない。なんだか分からないが、とにかく眩しくて、周囲の状況を把握するのに数十秒の時間を要した。
やっと目が開けられるようになった清香は周囲を見渡す。どこか西洋の教会の一室のようだ。ステンドグラスや燭台で飾られた、美しい部屋だ。天井が高く、開放感がある。
しかしどこか埃の匂いが鼻についた。普段はあまり使われていない部屋なのかもしれない。
そしてその清香の様子を見ている十数名の人。この場所にふさわしい、ゆったりとした白いローブをまとっている。その姿は宗教関係者、例えば神官や牧師のようなものを連想させた。彼らが小声で呟く言葉は、不思議と清香にも理解できた。服装の雰囲気からすれば、日本語ではなさそうなのだが。
「成功だ……」
「信じられん……」
「しかし、これで王子の地位は安泰だ……」
ざわざわとした、静かな興奮を肌で感じる。清香はまだ自分の身に何が起こったか理解していない。
だが彼らから向けられる視線は悪いものではないと感じた。いつも優秀な兄と比べられ、両親に軽んじられてきた清香にとってその憧憬のような、敬愛のような視線は新鮮だった。
(喜んでくれてることは分かる……でも本当に、何が起こったんだろう)
周囲の人々にとっても、清香がここに現れたことは驚きに値することだったのだろう。なんとなく、お互いを探るような空気が流れている。
(私はコンビニに夕食を買いに行こうとしていただけなのに)
清香が戸惑っていると赤毛の短髪の男性が一歩前に出た。明らかに日本人ではない。そのため年齢は読みづらいが、ニ十歳くらいだろうか。薄い唇から少し冷たい印象を受けるが、切れ長の目をした、かなり整った顔立ちの男性だ。
(わ……すごいキラキラ感……ちょい時代錯誤ってか……どっかの王子さまみたい)
清香の感想をよそに、その彼、レオニス・アルヴェインは恭しく清香の前に膝をついた。
「この度は、我らが願いにお応えいただき、ありがとうございます。聖女様」
「……はい?」
(聖女?どういうこと……?うっ頭が……ダメ……意識が……)
自分の意志とは無関係に急展開を見せる現実に脳が激しく揺さぶられる。そのショックで、清香の視界は急速にブラックアウトするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ここはリュミエラ大陸。広大な大陸にはいくつもの国があり、清香が召喚されたこの国の名はゼルガード王国。レオニスはその第二王子だという説明があった。
(マジで王子さまだとは思わなかった)
清香をこの世界に召喚したのはレオニスと神官たちだという。
「この大陸の国は昔から、魔物による脅威にさらされているのだ」
国と国との間には深く広い「昏い森」という森が存在する。そこには「瘴気」と呼ばれる負の力の淀みが存在し、それがある一定以上の濃さになると「魔獣」や「魔物」が発生してしまうらしい。
特に魔物の力は強大で、発生する数によっては一国が滅ぶこともあるのだとか。
「数百年に一度、異世界から聖女が現れて、その瘴気を祓ってくださるのです」
レオニスの隣に立つ柔和な顔つきの初老の神官長はそのように補足した。彼はノイマン・バルクと名乗った。
召喚されてから三日。あれから教会の別室で寝泊りした清香は何度か同様の説明を受けていた。ここはある程度身分の高い者が訪れる教会のようで、何泊もできるような設備が揃えられている。清香は召喚の際に身体も精神もショックを受けており、召喚直後に気を失ってしまったのだ。大事をとって教会の別室で寝かせてもらったが、目が覚めても意識は混濁していて、三日目にしてようやくまともに受け答えができるようになっていた。
服も元から着ていた高校時代の古ジャージから着替え、いかにも「聖女でございます」と言わんばかりの清廉そうな、金の刺繡がふんだんに施された白いローブ型の衣服を着こんでいる。
「でも、これを着てるのが私じゃなあ」
今は部屋に一人。大きな鏡を前に自分の全身像を確認する。ここ数年ケアを怠ったせいで髪は伸び放題、枝毛でバサバサ。肌だって荒れている気がする。
こんなバサバサ女がこんな豪華で美しい衣装を着こんでいるのが、何かの冗談のようだ。怠ったというより、就職中はそんな暇はなかったのと、退職後は気力がなかったということなのだが。
「……似合わないな……」
呟いた時、扉を三回ノックする音が聞こえた。
「サヤカ殿、よろしいか?」
「は、はい!」
声の主はレオニスだった。部屋の扉を開けて部屋に入り、清香が腰かける柔らかなソファに並んで座る。
「体調はどうだ」
「はい、おかげさまで」
まだ頭は混乱している気もするし、どことなく視界に薄い膜がかかったようにぼんやりする時もあるけれど、とりあえず身体の調子は戻ったようだ。
「そうか、それはよかった。だが身の回りの物はまだ届いておらんのだ、もう少し待って欲しい」
「いえ、とんでもないことです……充分に良くしてもらっていますから」
レオニスが言っているのは、女性用の化粧品などのことだ。先ほど清香自身も気にしていた通り、この世界の貴族令嬢からすればありえないほど髪や肌が荒れている。
「そもそも聖女召喚の儀は成功するか分からなかった。サヤカがこの国に来てくれたことは、まさに奇跡と言えるだろう」
どうやら聖女とは召喚すれば必ず来るようなものではないらしい。それなら儀式が成功したときの神官たちの喜びようも頷ける。ひょっとしたらダメ元……とまではいかないが、多分に実験的な要素を含んでいた召喚なのかもしれない。
それなら聖女という女性を召喚としたというのに、女性用の身の回りの物がないのも分からなくはない。それに、まさか聖女として召喚される女性がこんな喪女だとは思わなかったというのもあるだろう。
(そうよね、聖女っていうくらいだもの。もっと浮世離れして、綺麗で、私なんかとは……)
「不便をかけてすまないが、明日の夕刻には到着するのでな」
「ひゃっ、ひゃい!」
勝手に自虐的な思考ルーチンにハマっていた清香の声が裏返る。
「それと共に鑑定器も来る、楽しみにしてくれ」
「鑑定器……ですか?」
なんとなく意味は分かるが、日本では聞き慣れない単語だ。
「うむ。それでサヤカの魔力量などを測ることができる。いよいよ聖女としての仕事が始まるのだ」
なるほど。その名の通り色々なものを鑑定する道具なのだろう。そう意気込むレオニスはなんだか嬉しそうだ。クールな印象だったレオニスのその横顔を見ていると、失礼ながら少し可愛いと思ってしまった。
(そういえば、レオニス王子って私と同じくらいかと思ってたけど……十七歳なんだよね)
日本人の基準で考えてしまいがちだが、こちらの世界の住人は実年齢よりも大人っぽい。まさか日本では高校生とは思えないほどの立派さで、初めて聞いた時にはかなり驚いてしまった。
それと同時に、内心気になっていることがある。
(聖女としての仕事……魔物を祓うって言ったっけ。私にできるのかな、そんなこと)
何となく自分の両手を眺めて物思いに耽る清香の耳に、レオニスの優しい言葉が届く。
「そう緊張せずともよい。実のところ、現段階での瘴気の影響はそこまで深刻ではないのだ」
「えっ、そうなんですか?」
魔物を祓うために聖女を召喚。絵ゲームや小説なんかだと、どうにもならない絶望的な状況を何とかするために、起死回生の一打として異世界から救世主を呼び寄せるみたいなイメージで清香は考えていた。しかしどうも事情が違うらしい。
「そもそも伝承によれば、聖女は召喚するものではないのだ。必要に迫られたときに自然と訪れる……言うなれば、世界が呼ぶとでも言うのか」
数百年前の聖女は、迷い人のように現れたらしい。その前は、古すぎて記録がない。
今よりももっと昏い森の瘴気が濃く、魔物が跋扈していた頃。作物も育たず、鉱石も採れなくなり、人々の心に暗い影を落としていた時期があった。その頃は今よりも強い魔物がたくさんいて、人々の生活はもっと危険なものだったのだという。そこに現れた聖女が強く膨大な魔力で「神聖魔法」を操り、世界を救ったのだと。
だがそれから数百年。今となっては瘴気も魔物も存在するものの、人間の力で何とか対処できるレベルの脅威で収まっていた。聖女の存在も伝説で語られるのみである。
「我が国はかつての聖女来訪以来、魔術研究に力を入れていてな」
レオニスの説明によれば、ゼルガード王国は自らの手で瘴気や魔物に対処すべく、独自の魔術の研究を進めてきた。すでに聖女という存在に頼らずとも、充分に瘴気へと対抗できると自負しているという。
「そうなんですか、凄いですね。あれっ、でもそれじゃ……?」
そう。それなら清香が召喚された理由はなんだろうか。当然の疑問であった。
「うむ。しかしながら周辺国やこの国の一部では、いまだに聖女信仰が根強い。いかに我々が優れた魔術力を有しているとしても、民や貴族達の信頼を集められなくては王にはなれん」
レオニスはソファから立ち上がり、窓の外を眺める。レオニスは第二王子と名乗った。つまり、将来的に王位継承権を巡ってなんらかの功績をあげる必要があるということだろう。そこで周辺国や信仰に篤い貴族たちの支持を得るために、平和のシンボルとして清香という聖女を自分達の手で召喚することにしたのだという。もちろん、それにより魔物の撃退を行い、さらに研究を進めることも期待されている。
聖女の必要性を否定するために聖女を召喚するというのも皮肉な話ではあるが、魔術研究と信仰を秤にかけたバランス策なのだろう。
「そうなんですか」
なんだか思っていたのと少し話の傾向が違っていて、清香は戸惑う。異世界召喚からのバトル展開かと思ったら、まさかそんな権力闘争に巻き込まれようとは。平和のシンボルといえば聞こえはいいが、要はお飾りの聖女というわけだ。
「そう、だからもちろんサヤカには多少の仕事はしてもらうが、そこまで深刻で危険な討伐はない。それに……」
(そうか。お飾りってことは、大した仕事はしなくていいし、危険も少ないのか……)
命がけで魔王を倒せ、とか言われるよりはよほどいいのかもしれない。そもそも、そんな大それた仕事はできないのだけれど。
そんなことを考えていると、清香の手にレオニスの手がそっと重なった。
「はぇっ!?」
生まれてこの方、男性にまともに手を握られたことなどない清香は真っ赤になって動揺する。何しろ相手は妙に大人びた十七歳のリアル王子様である。長年ぼっちを拗らせてきた喪女には荷が重すぎる相手だと言えるだろう。
「私がこの国の王となった暁には、サヤカには王妃となって共にこの国を治めて欲しい。数百年前の聖女はこの国を救った後、王族と結婚し、長く平和に世を治めたとある」
「えっ!?えええっ!?」
まさか自分が異世界に召喚されて、大した仕事もないが王子と結婚してくれとプロポーズされるとは夢にも思っていなかった。突然のことに言葉も出ない清香に、レオニスはさらに囁きかける。
「いや、あまりにも性急であったな。サヤカにも元の世界に残してきた家族がいるだろう。やはり元の世界に戻りたいか……?」
熱っぽい視線が清香を射貫く。普段クールな外見のレオニスだけに、少し不安そうな表情を浮かべられると免疫のない清香はイチコロだ。
「い、いえ……それは」
幼少時から冷めきった両親。それでいて虚栄心だけは強く、常に優秀であることを強要されてきた。昔から非の打ちどころのない兄。その兄と比べられた清香かどんなに努力しても、その努力が認められることはなかった。ブラック企業を辞める時も、一応両親や兄に相談したのだ。しかし。
「まだたった数年しか勤めてない会社を辞めるなんて許さんぞ、外聞が悪い」
「どんな仕事も辛いのは当たり前でしょう?そんな甘えたこと言ってちゃ、どこでも通用しないわよ」
「怠け癖が抜けてないんだよな。能力が足りないなら努力しなよ。だからお前はダメなんだよ」
誰も相談には乗ってくれず、浴びせられたのは心無い言葉の数々だった。
(そうだ。あのひとたちはずっと私を蔑んできた)
清香にとって、ある程度の年齢からは彼らは家族だとは思えないようになっていたのだ。
「はい……帰りたいような家族は、いません……」
改めて口に出すと、清香の心の底に溜まった暗い澱が騒ぐ。それを抑えるように、清香は本心からそう呟いた。
「そうか、ではこれを受け取ってくれ」
レオニスはひとまず安堵したようで、重ねた手を持ち替えて清香の左手を胸の高さに持ち上げた。
戸惑う清香の目の前で、薬指に光るものがはめられていく。それは銀色に美しく光る、赤い宝石をあしらった指輪だった。レオニスの髪や瞳の色に、よく似ている。
「あの……これって……」
「今は仮のものですまないが、いずれ本当の婚約指輪を用意しよう」
明日に備えてゆっくり休んでくれ。そうレオニスは言い残すと、部屋を後にした。
「……婚約指輪……」
一人残された清香は、自分の指で輝く指輪をそっと眺める。まだ信じられない。自分が聖女で、異世界に召喚されて、王子様にプロポーズされて、指輪をもらった。
まだ頭は混乱しているし、どうなるのかは分からないが、清香は素直に嬉しいと思った。レオニスに恋愛感情を抱いたわけではないが、聖女だと呼ばれて大切にされる感覚は今までの人生で味わったことがなく、清香の心にぽつりと灯りをともした。
「どうせ好きな男の人がいたわけじゃないし……」
気付くともう遅い時間だった。清香は就寝のための準備を整えると、ベッドに入る。
「へへへ……王子様かあ……」
清香はまるで子供のようなワクワクした気持ちで薬指の指輪を見つめ、幸せな眠りにつくのだった。