プロローグ
異世界に召喚されて転移した喪女聖女の物語です。1~2週間で更新していきたいです。
プロローグ
「魔力……反応ありません」
呆然とした声で、神官が呟いた。
「なんだと?」
最初に反応したのは王子だ。綺麗に切り揃えられた赤い短髪に、精悍で端正な顔立ち。その表情が醜く歪んだ。鑑定器を持った初老の男性、この儀式を執り行う神官長に詰め寄る。
「バカなことを。サヤカは救国の聖女と呼ばれるべき者だぞ、魔力が無いなどあるはずがなかろう!」
「しかしレオニス様、これをご覧ください」
「これは……。しかし、そんなことがあり得るのか?」
「わかりません。しかしこれでは討伐どころか」
「うむ……役立たずも同然ではないか」
声をひそめて話す二人を前にして、ふわりとした美しいローブをまとった女性が、おずおずと口を開く。その美しい白いローブにふさわしくない、ボサボサの黒い髪を伸ばした、中肉中背の二十代だ。
「あの。何かその、まずかったんでしょうか……」
救国の聖女とまで呼ばれたその女性、葛城清香は戸惑った。どことなくお祝いムードだった豪華な教会の空気は一瞬で凍り付いてしまった。しかも何やら不穏な単語がさっきから聞こえた気がするのだが、その意味は分からない。事態がまったく飲み込めず、ただおろおろすることしかできなかった。その様子に、神官長と王子は苛立ったようにより一層眉根に皺を寄せた。
「王子、ここはひとまず……」
「うむ……サヤカ、儀式は終わった。疲れただろうから、少し別室で休憩するといい」
赤い髪の王子――レオニス・アルヴェインは辛うじて作った笑顔でそう告げると、踵を返して神官たちの方へ行ってしまった。
「あ……はい」
なんとも間の抜けた返事をして、王子お付きの騎士に付き添われて大聖堂を後にする。レオニスが最後に自分に向けた眼差しが、まるで別人のように冷たいものだったことに気付いていたけれど、やはりどうすることもできなかった。
部屋を出る直前に振り向くと、深刻な顔で話し合ってる神官と王子の姿が見えた。その表情から、良くないことがあったということだけはわかる。レオニスも一瞬、清香に振り向いた。視線が合うと、まるで吐き捨てるように呟いた言葉が耳に刺さる。
「まったく……あんなクズだとは思わなかったぞ」
「……」
聞き間違いだろうかと思う間もなく、扉が閉まっていく。しかし清香はその言葉を不思議と受け入れることができた。数日前までは自分を柔らかく包んでくれた視線、甘く愛を囁いてくれた王子の唇から漏れた、信じられない言葉。
(ああ、そうか。私はまた)
でも、そんな言葉は。
大聖堂の重々しくて豪奢に飾りたてられた扉が音を立てて閉まる。
(また、ダメだったんだな)
そんな言葉は、清香にはいつものことだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから何十分くらい経ったのだろう。ひょっとしたら数分のことだったのかもしれないが、清香にとってはとても長く感じられた。大聖堂の控えの部屋にただ座っていても落ち着かないのだが、扉の前には護衛の騎士が立っているため、勝手に出歩くこともできない。
あまりにも静か。ここ数日、周りにはいつも誰かがいてくれたから、この静寂が耳に痛かった。自分にとって良くない結果に終わったであろう儀式。静けさの中で、清香の心にはその事実が重くのしかかっていた。
「サヤカ様。お待たせいたしました」
やがて扉が開き、中に入ってきたのは先ほど大聖堂から清香を連れ出した騎士だ。彼はレオニス王子の腹心で、男爵の令息だったと記憶している。名前はロイ・セファルディン。ここ数日、何くれとなく清香の世話を焼いてくれた人物だ。丁寧な対応をしながらも、気さくに話しかけてくれていた彼に、少しだけ緊張が緩む。
「あの……レオニス……王子は」
辛うじて口を開いた清香に対して、ロイはにこやかに、しかし事務的に対応した。
「王子は儀式の後始末で、まだ神官長と相談があるんですよ。何かと仕事が多いものですから」
少し芝居がかった様子で、眉根に皺を寄せるロイ。
「そこで、サヤカ様には私どもと共に先に初任務に向かうようにと仰せなのです。何しろサヤカ様の鑑定も終わりましたから、やっと身動きが取れるようになりますよ」
「任務、ですか。あの……」
先ほどの儀式の結果はどうだったのか。清香の口からその言葉が出かかった。気にはなるので、最低限の確認ぐらいはしておきたい。
「何ですか?」
「……なんでもない、です」
しかしその言葉を押し殺し、長いスカートの裾をギュッと掴む。
その結果を聞くのが怖い。期待はずれだと、役立たずだと、使えないクズだと、また断ぜられるのが怖いのだ。
ロイの先導に従って教会の裏口から外に出る。鬱蒼とした森の入口付近に建てられた豪華な教会はひどくこの場所に不釣り合いに思えた。
(ゲームでもラスボスの城の手前に教会とかあるよね。なんであんなとこに建ってるんだろ。危なくないのかな)
そんなことを考えている場合ではないというのに、状況と思考が一致しない。ある種の逃避行動なのかもしれない。
「サヤカ様、こちらへどうぞ」
そんな益体もないことを考えていると、ロイに馬車に乗ることを促される。王族が手配した、救国の聖女が初任務に向かう馬車にしてはあまりにも簡素な馬車だったが、清香がそれに気づくことはなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして今、清香は深く暗い森の中にいる。馬車で運ばれている間、ロイはずっと無言だった。馬車が目的地に着くと、それでもロイは馬車から先に降りて、清香の手を引いてくれた。
「あ、ありがとう、ございます」
男性からのエスコートに全く慣れていない清香は、たどたどしく礼を言う。しかし、そんな清香を見つめるロイの眼差しは冷たい。
「あの……?」
目的地に着いたということだが、見る限り森の中には何もない。まだ完全に日が沈むには早い時間のはずだが、日の光も届かないほど深い森。見ると、この先には道らしい道もない。馬車で進めるのはここまでだということなのだろう。
「ここは……?」
ここ数日で話に聞いていた、国と国との間に位置する「昏い森」に来たことは清香にも分かった。しかし、ここでの初任務とは一体なんなのだろう。まだ何の訓練もしていないのだが、そんなに簡単にできることなのだろうか。
そんなことを思っていると、清香の背後で金属音がした。振り向くと、馬車を引いていた護衛騎士とロイの二人が剣を抜いている。
この世界に来るまではこんな近くで見たこともなかった、重く鋭い、鉄の塊。
「サヤカ様。お気の毒ですが、貴女にはここで死んでいただきます」
「え……?」
耳には確かにロイの言葉が届いていたが、理解が追いつかない。戸惑う清香の目に、輝く剣の光が禍々しく刺さった。