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8.弟子のために嫌なことをする覚悟

 それもそのはず、なんと声の主は件の人物である、ソフィア・パライオンであった。

 ソフィアは目を輝かせ、喜色満面の笑みを浮かべながら、アレスをじっと見つめている。

 そんな彼女の様子に反応を示すことなく、アレスは自然体のまま口を開く。


「先日の試験以来だな、ソフィア嬢。あの時は本当に助かった。改めて礼を言うよ」


 そう言って頭を下げようとしたら、ソフィアは手を出すことで、こちらを制した。


「いえ、あれに関しては、私の師であるエピス・パライオンが発端です。私が謝罪をすることはあっても、アレス君がお礼を言うことではありません」

「そっか。そっちがそう言うんだ。それでこの件は終いだな」

「えぇ、あれに関しては、私からお爺様に、きつく言い聞かせました。とはいえ、あの顔はきっとまたやりますね。それも、ほぼ確実に」


 ですから、と口にしてから、ソフィアは微笑みを浮かべる。


「またお爺様がちょっかいをかけてくるようだったら、私に言ってください。粘着質な人なので根絶は難しいですが、追い払う程度ならできますので」


 なんだこの人、天使か。

 アレスは心から感動し、歓喜に震え、瞳には涙が滲んだ。


「う、ふぐっ、ありがどぉ」


 思えばこの学園に来てから、初めて人の優しさに触れた気がした。

 ここに来てできた知り合いと言えば、アレスを滅さんとする生きた化石に感情を一切見せない能面ガール、非常識なボンボンと主人を弄ぶ事を生き甲斐にしているヤベェ従者。

 思えば思う程、ロクなやつがいやしない。

 そんな中で、初めてマトモなお人とお目通りしたのだ。

 言わばソフィアは希望の光であり、救いのオアシスと言っても過言ではない。

 故にアレスは躊躇なく、彼女に媚びることにした。


「ソフィア嬢!」

「あ、ソフィアでいいですよ」

「ソフィア様!」

「ソフィアでいいです」

「あ、はい」


 ちょっと露骨すぎたかな? なんて考えながら、アレスは気を取り直して口を開いた。


「ソフィア、君は俺にとって恩人だ。なんでもいいから、報いさせてもらえないか。なんなら、実地演習で同じ班になって、手伝いをしてもいい」


 アレスの願いにソフィアは、くすりとほほ笑んだ。

 間を置かず、淀みなく、気負いもなしに彼女は口を開く。


「では、アレス君、私と勝負してください」

「…………んん?」


 待って欲しい、どうしてそうなるの?

 アレスは混乱しながらも、なんとか言葉をひねり出した。


「どうしてそうなる? 俺は君に恩返しがしたいのであって、仇を返したい訳じゃないんだけど? あ、もしかして八百長希望?」


 よろしい、こちとら負けることには慣れてる。

 だが、アレスの言葉に、ソフィアは頭を振った。


「いえいえ、八百長だなんてとんでもない。アレス君には、是非とも本気で戦って頂きたい。できるというなら、私を負かして欲しいくらいです」

「……えぇと、理由を聞いても?」


 アレスの質問に、ソフィアは端的に答えた。


「退屈なんですよ」


 にこにこと笑いながら、ソフィアは口を開く。


「学び舎とは本来、同世代の少年少女が夢を叶えるために必要な分野の勉学に励み、切磋琢磨する場所でしょう? ですがこの学園には、私と鎬を削れる生徒がいません」


 だから、と区切りを入れてから、ソフィアはアレスの手を握った。


「私にとって、アレス君が入学してくれたことは、チャンスなのですよ」


 噛みしめるように放った言葉に、アレスは苦笑を返した。


「詰まり、俺のことを知りたいってか? お互いを知るだけなら、競う必要はなくね?」


 アレスの問いに、ソフィアはこれまた端的に答えた。

 さも当然とばかりに、短く、はっきりと。


「だってそっちの方が手っ取り早く、楽しいじゃないですか」


 アレスは苦笑を曇らせ、次いでため息を吐く。


「見た目にそぐわず、結構凶暴な性格なんだな」

「いえいえ、そんなことはないですよ。今は少し、はしゃいじゃってるだけです」

「まぁ、うん、わかった。ご期待に沿えるかはともかく、勝負しようか。但し、やり方は実地演習とやらのルールに則ったものとする。それでいいな?」


 アレスの加えた条件に、ソフィアは快く首肯した。


「えぇ、構いませんよ」


 ここでようやく、ソフィアは握っていたアレスの手を離した。


「アレス君はまだこの学園に不慣れでしょうから、私が案内しようかと考えていましたが」


 ソフィアはアレスの周りを一瞥した後に、再びアレスへと視線を戻した。


「ここは出しゃばるべき場面ではないようですね。ここで私は失礼させていただきます」


 そう言って、ソフィアは踵を返した。


「それではアレス君、演習を楽しみにしています」


 それきりソフィアは振り返りもせず、食堂を後にしていった。

 彼女を見送り、アレスはティナたちへと向き直る。


「と、いう訳になんだけど、本当に俺と組んで大丈夫か?」


 一応問いかけたものの、答えはすぐには返ってこないだろう。

 なにせ先程、ソフィア・パライオンに諦観を抱いていることを聞いたばかりだ。

 そのソフィアと衝突することを宣言したアレスと手を結べば、彼女との勝負に巻き込まれる可能性が高いことを意味するのだから、慎重になるのは当然と言える。


「……問題ない」


 だがアレスの考えとは裏腹に、ティナは即答してきた。

 それも、ソフィア・パライオンと向き合うという答えを。


「女性の後追いというのが格好悪いけど、僕も構わないよ」


 加えて、ディトも同様の意思を表明してきた。

 だが隣に控えていたカリスは不安なのか、少し顔を曇らせている。


「ディト様、よろしいので?」


 主人を慮るが故の問いに、ディトは気負うことなく頷いた。


「いいさ。僕たちは上を目指しているんだ。準備もしてきた。そろそろ、リスクを負っても良い段階だ。機会がきているというのだから、乗らない手はないだろう?」

「…………承知しました」


 暫しの逡巡の後、カリスは承諾した。

 それにディトは満足そうに頷いて、アレスへと再び向き合う。


「と、いう訳だ。僕たちも、君と一緒に実地演習を受けさせて欲しい」

(どうしたものかな……)


 アレスは言ってしまえば、新参者だ。

 友人や知り合いなんてものは勿論おらず、ルールや習慣もわからない。

 彼らと同じ班になれば、それらを解決するきっかけとなる。

 となると残る問題は、組む相手の人格と能力なのだが……


(能力は良いんだろうけど、人格がなぁ……)


 しばし考え込んで、結論を出したアレスは頷いた。


「わかった。それじゃあ、実地演習の間、よろしくな」


 こいつらとの縁は実地演習までの間だけにしよう、と。





 学園の案内はまた明日ということで、アレスたちの食堂での集まりはお開きとなった。

 アレスは寄り道することなく、真っすぐ宿へと帰ったのだった。

 そんな彼を出迎えたのは、晩御飯を用意して、愛弟子の帰りを今か今かと待ちわびていたノンナであった。


「おぉ! 帰ってきたか! 学園生活の初日を終えたが、どうだった? 友人はできたか? 教官と仲よくできそうか?」


 あれこれと根掘り葉掘り訊いてくるノンナに、アレスは苦笑を返した。


「あのなぁ、師匠。まだ初日なんだぜ? いきなり進展なんてするわけないだろ?」

「う、うむ。そうじゃな。それもそうじゃな。まだ一日目、焦ることはなかったな」


 次いで、どこか慰めるような声音で語り掛けてきた。


「今日は入学記念だ。明日からやることはいくらでもあるぞ。勉学に、友人作り、教官とも仲を深めることも忘れはならんぞ」


 ここまでくれば、アレスとてノンナが何をしたいのかわかる。

 彼女は入学デビューに失敗したであろう自分を慰め、励まそうとしているのだと。


「おいおい、師匠。早とちりすんなよ。友達じゃないが、知り合いはできたんだからさ」


 アレスの言葉に、ノンナは目を丸くする。

 それからしばらくして、満面の笑みを浮かべた。


「そうか。そうか。上手くやれそうか」


 そう感慨深げに呟いた後、微笑みを浮かべる。

 そして一つの決意を宿し、弟子へと言葉をかけた。


「ならばこれは慰めではなく、激励のための宴よ! 心行くまで食え!」

「言われなくてもぉ!」


 師匠からのお許しが出たことで、アレスは遠慮なくご馳走に手を伸ばす。


「アレス」


 ご馳走を貪っていると、ノンナが声をかけてきた。


「ん?」


 アレスはそんな彼女に目を向けないまま、適当な返事をした。

 そんな無礼に対し、ノンナは気分を害したような様子を見せず、穏やかな声音で続ける。


「学園は楽しいか?」

「……だから、気が早ぇって」


 アレスのうんざりとしたような顔と声音に対し、ノンナは愉快そうな顔となる。


「ならば、聞き方を変えよう。楽しくなりそうか?」


 その質問には、アレスは暫し考え込む。

 考えがまとまったらしく、彼は一度頷いた。


「楽しくできそうな相手とは、会えたと思う」


 因みに、その相手とはティナたちのことではない。

 だがノンナにとっては、相手が誰かなどは然程重要ではなく、ただ相手ができたという事実が嬉しかった。


「そうか。うむ、そうか」


 ノンナは頷きながら、胸の中で決意をした。


「では食え! 飲め! 明日からの生活に備えて!」


 ノンナの音頭から始まった、たった二人の宴。

 それは彼らの腹が満ち、夜が更け、心行くまで語り尽くすまで続いた。





 人々の営みを静める夜の帳が上がり、一日の始まりを告げる朝日が顔を出す。

 時刻として見るならば、真っ当な学生ならば、身支度を始めるべき時間帯となった。

 そんな中、アレスはというと……


「ぐぉ……ぐるるるるる…………ふしゅぅ……」


 しっかり熟睡し、寝坊をかましていた。

 昨日の宴で羽目を外しすぎたらしい。

 そんな彼が寝静まる部屋に、来客が一人。


「…………」


 来客は、無表情のノンナであった。

 無表情のまま、無言のまま、彼女はアレスが寝ているベッドの脚を掴む。

 そして。


「せぇええええええええええええええええええええええええええええええええい!!」


 一息にベッドを持ち上げ、窓の外へと投げ飛ばした。


 ガラスの破砕音を辺りに木霊させ、アレスとベッドは重力に引っ張られるまま、地面に叩きつけられる。


「ぐべぁ!?」


 ベッドは衝撃で爆発四散し、アレスは地面に叩きつけられた。

 意識が覚醒したアレスは、こんな非人道的な仕打ちをする心当たりへと叫ぶ。


「何すんだよ、師匠!?」


 ブチギレるアレスだが、ノンナもブチギレていた。


「やあかましい! 貴様編入二日目にして寝坊で遅刻するつもりか!? 何のために昨日馳走を振舞ってやったと思ってる!」


 なんということだ。

 なんという横暴だ。

 若者の睡眠は、何よりも大切で、何よりも尊重されるべきなのに。

 アレスは激怒した。

 必ず、かの邪知暴虐の師を除かねばならぬと決意した。


「ふふ、賑やかですね」


 朝の静寂に似つかわしくない口喧嘩をしている二人に、不意に声がかけられる。

 彼らは一度口喧嘩をやめて、声の主へと向き直った。

 声の主を視認したアレスは、怪訝そうに首を傾げる。


「ソフィア? こんな所で何してるんだ?」

「おはようございます、アレス君。少しお話をしたくて、訪ねさせて頂きました」


 アレスの顔がおかしかったのか、くすくすと笑いながら優雅に挨拶をしてきた。

 次いで、彼女はこんなお誘いをかけてきた。


「アレス君もこれから登校ですよね? よければご一緒しても?」


 ソフィアの誘いにアレスが答える前に、不意に脇を突かれた。

 アレスは脇を突かれたことに驚きつつ、うんざりした顔を作り、犯人へと視線を向ける。

 そこには案の定、にやにやと腹立たしい笑顔のノンナがいた。


「おうおうおう、お主も隅に置けぬのう? 何が楽しくなりそうじゃ。こんな美人な彼女を捕まえおって。青春真っ只中じゃなあ、えぇ?」


 殴りたい、この笑顔。

 アレスが拳を握りしめていると、ソフィアはノンナを少しだけ驚いた顔をした。


「もしや、貴女がノンナ様?」

「む?」


 突然話しかけられ、名前を呼ばれたことに一瞬困惑したような顔を作ったノンナであったが、それもすぐさま取り払う。

 そして誇らしげな顔で、ソフィアと比べることも烏滸がましい胸を張る。


「うむ、左様。儂こそがノンナ・エッスベルテよ」


 ノンナの名乗りに、ソフィアは顔を輝かせた。


「まぁまぁ! 超越者! 摂理を斬る剣! 剣王と名高きお方と見えるとは、光栄です!」

「若いのに、わかっておるなぁ! 見よアレス! これが儂と見える者の本来の反応よ!」


 消し去りたい笑顔をこちらに向けてくるノンナ。

 そんな彼女に対して、ソフィアは居住まいを正してから、お辞儀をした。


「お初にお目にかかります。私はソフィア・パライオン。以降、お見知り願います」


 ソフィアの自己紹介を聞いて、ノンナの顔が固まった。

 そして固まった表情のまま、固い声で聞き返す。


「……パライオン?」


 ノンナの問いの意味を悟ったのか、ソフィアは頷きを一つ返す。


「はい。私は、『魔法司』エピス・パライオンの弟子にあたります」

「………………………………………………そうか」


 ノンナは苦い顔をして、それはもうたっぷりと間を置いてからそれだけを返した。

 それから彼女は顔を伏せてから、儂はあの糞ジジイとは違う、と何度も繰り返し呟いてから、ソフィアへと目を向ける。


「お主はアレスの友人なのか?」


 ノンナの問いに、ソフィアはくすくすと笑いながら答える。


「立候補中、という所でしょうか。まだ会ったばかりので、お互いに見定める期間ですね」

「成程」


 ノンナは頷いてから、にっこりと無邪気に笑い、握手を求めて手を差し出す。


「では、友達となったら、是非アレスを宜しく頼むぞ!」


 ソフィアは少しだけ意外そうな顔をしてから、握手に応じた。


「はい。その時は、また改めてご挨拶に伺わせて頂きます」

「うむ! 楽しみにしているぞ!」


 ノンナに見送られ、服を着替えさせられたアレスとソフィアは学園へと歩き出した。

 彼らを見送ったノンナはすぐさま宿に戻り、いつもより念入りに手洗いをしたという。

ノンナ「うがいもしたぞ」

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