5.ようこそ、プレアデス士官学園へ! お帰りはあちらになります
「ぐふふっ」
そこは、プレアデス士官学園の近辺にて営まれている、宿の一部屋。
喜色に満ち、気色の悪い笑みを漏らす者がいた。
「ぐふふ、ふふっ、ぐふふふ」
笑みを漏らしているのは、ノンナであった。
今の彼女の手には、可愛い可愛い愛弟子アレスが、プレアデス士官学園の編入試験を合格したことを証明する合格通知が握られている。
プレアデス士官学園への入学を志す者にとっては、重要な価値を持つ書類ではある。
だがノンナにしてみれば、その価値は少々異なる。
「愉快愉快! 今日はなんと良い日か! 弟子の進路が定まり、仇敵の策が破られ、悔しがる顔を見ることができたのだから!」
今まであのクソエルフとは散々やりあってきたが、ここまで明確に白黒ついた勝負は片手で数える程度しかない。
この書類は、その数少ない白星の証明である。
「このネタを六十年は擦ってチクチクイジメてくれるわ! ふはははは!」
ノンナの高笑いが、部屋の中に響き渡った。
一しきり笑い、彼女は割れ物を扱うような手つきで合格通知を机にしまい、時計を見る。
「ふむ、そろそろアレスが学園へ登校する時間か」
そう言って、ノンナは晴れやかな顔で窓の外へと向ける。
自慢の弟子を見送るために。
修行ばかりの人生を送らせてしまった、不肖の弟子の青春が健やかなれと祈るために。
そして、アレスの後ろ姿を見止めて……
「………………は?」
そう言って、ノンナは窓をガラっと開けて、
「こんんんの馬鹿弟子がぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
「ふげぇ!?」
窓から跳び蹴りを馬鹿弟子の背中へと叩きこんだ。
☆
朝から理不尽であった。
いや、この師匠の下にいて、理不尽じゃないことなんてほとんどなかったけどね?
とは言っても、今回の理不尽も中々なものではある。
正式に入学が決まったプレアデス士官学園へと登校しようと宿を出たら、阿呆呼ばわりされた挙句背中に蹴りをいれられたのだから。
「何すんだよ師匠!?」
「それはこちらの台詞じゃ! お主これからどこへ行くかわかってる!?」
暴力を振るわれたことにキレたら、暴力を振るってきた相手に理不尽な逆ギレをされた。
そんなことを言われても、アレスには一切心当たりがない。
首を傾げるアレスに対して、ノンナは青筋を額に浮かべて、喚き立てる。
「その服は何じゃ!? お主今の自分の恰好がどういうものか自覚ある!?」
「は?」
一体何を言っているんだ、このちびっこは?
やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめて、自信満々にアレスは言い放った。
「どこからどう見ても、普通の恰好だろう?」
「三百六十度どこから見ても全身ジャージじゃが!?」
そう、今のアレスの服装はジャージであった、
だが、だからこそ、理解に苦しむ話だ。
ジャージは動きやすく通気性も抜群、そしてなにより統一感があらゆるファッションを超越している、最高の服装なのだから。
「師匠、ジャージは礼装だろ?」
「儂がレストランの店員なら即座につまみ出すぞ?」
駄目だ、やっぱりこの人は常識が欠如しているっ。
「というよりお主、制服はどうした!?」
「ジャージは礼服だから問題ねぇっつってんだろ!?」
「脱げ! 今すぐ脱げ! というか脱がしてやる!!」
「やめろ離せぇ! すみませえん! 誰か助けてくださああああい! 銀髪幼女ロリババアに襲われそうになってまあす!」
「甘い! お兄ちゃんどこにも行っちゃやだぁ! 遊んでくれるんじゃなかったのぉ!?」
「てめぇええええええええええ、なんてことをぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「ぐはははは! 女と子供という二大社会弱者を兼ね備えた幼女を八十年続けてきた儂に、尊厳破壊バトルを挑もうというのが百年早いわ青二才め!」
「おのれ妖怪めぇ!!」
「てかさっきから貴様、師になんて口効いとるんじゃあ!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!」
拳で殴られ、もう着られないようにジャージをビリビリに破られた。
傷者にされて、半裸にまで剝かれてしまった……
もうお嫁に行けない……
「この服を着て、制服代わりのジャケットを着ていけ!」
ジャージを引き裂いた後、ノンナは制服の紺色のジャケット、白の無地のシャツと黒のチノパンを手渡してきた。
プレアデス士官学園の制服に関する校則は緩く、プレアデス士官学園のシンボルである、逆さに植えられた木の刺繍が施されたジャケットを身に着けてさえいればいい。
後は自由故に、お洒落に着飾る者が多く、中にはジャケットを改造する者もいると聞く。
「よいか! 青春とは人生の最盛! 限られた人生の花を味わわぬつもりか!?」
「俺は良いよ、別に。それにまだ若いしさ」
その言葉を遮って、ノンナはアレスの顔に指を突きつける。
「馬鹿め! 機会が永遠にあるなんてことはないんじゃ! 今のうちに青春を謳歌していないと、儂みたいに後悔することになるぞ!? ぐずっ、儂みだいにな!!」
「泣くくらいなら言うなよ……」
「な、泣いでない……」
完全に、涙声である。
これ以上話していると、面倒くさくなりそうなので、アレスは逃げることとした。
「師匠、それじゃあ、行ってくるよ!」
アレスは手早く着替えて、ノンナの前から素早く逃げ出した。
「うむ! ぜいじゅんをおうがじでぐるがよい!」
師の涙声という、聞いているこっちが泣き出したくなるような声を背に受けて。
☆
さて、プレアデス士官学園について、改めて説明をしておこう。
軍人を育成することが目的である士官学校だが、大陸中のあらゆる教育機関であらゆる部門で頂点に君臨しているという、欲張りな学園だ。
そんな学園で輩出される卒業生は一言で言うならば、武の心得がある専門家である。
この大陸は、人類が生活するには過酷な環境を持つ地形に、凶暴な魔獣が跋扈している、なんて土地が多く存在している。
そんな場所を股にかけて、専門知識を活かせる人材は、組織にとって貴重だ。
故にプレアデス士官学園を卒業できた者は、将来が約束されているというのが専らの評判であり、入学するための倍率もとてつもなく高く、熾烈を極める。
あらゆる学問の知識を解放し、武の手ほどきを行える環境を作る、そんなことができるのは、大陸広しといえど、この男だけだろう。
『貪欲であれ、若人たちよ』
プレアデス士官学園の創設者兼学園長にして、現在存命している生命体で最長寿のエルフ、『魔法司』エピス・パライオン。
彼は今、拡声魔法を使用することで運動場に集まっている高等部へと入学する新入生全員に声を届け、演説を行っていた。
『この学園に蓄えられている知識、経験、知恵は膨大である。お主たちが一生をかけても学びきれない程にな。故に、学べど学べど、そこに果てはない。そこは、この吾が保証しよう。だからこそ、若人たちよ、それらを貪欲に貪るのだ』
この大陸、ペンタティット大陸には、『五英傑』という怪物がいる。
今から六十年前に起きた、大きな戦争で見いだされた五体の化物たち。
ペンタティット大陸には現在、五つの人類種が存在している。
エルフ、獣人、魔族、竜人、人間の五種。
これら五種の人類それぞれの総動員による、大陸規模の大戦が勃発したのだ。
戦火が激しすぎたため記録のほとんどは焼かれ、大戦の生き残りも、いつの間にか始まっていた戦いに巻き込まれたというのがほとんどであるため、発端は不明とされている。
どの種族が、いや、ともすると大陸が滅んでもおかしくなかった、有史最大の戦争。
『次の世代を担う者たちが聡く、強く在れることを望み、吾はこの学び舎を建てた』
その大戦で五種の人種でそれぞれ一人ずつ見出された五体の怪物が、『五英傑』である。
英傑と呼ばれるだけあって、武力で名を上げたのだが、彼らのそれは次元が違い過ぎた。
なにせ彼らの戦闘力は、人類の総力を上回る。
永き時をかけて研鑽した武技、練り上げてきた戦略と戦術、連綿と受け継いできた魔法の粋、開拓してきた科学の結晶、積み重ねてきた歴史を、たった一代の才能が凌駕してしまうという異常存在。
それこそが『五英傑』。
大陸が滅びかねない大戦を終結させた規格外共。
そしてその一角こそが、今演説を行っている、『魔法司』エピス・パライオンなのだ。
『聡く成るには学べばならぬ。強く在りたくば鍛錬を積め。そのための環境は、吾が整えた。膳は据えてやったのだ。これを喰わねば一生の恥、生涯を通して後悔となろう』
誰もが、エピスの演説に聞き入っていた。
あくびをする者すらいない。
誰もが固唾を飲み、瞬きをする労力すら惜しみ、全神経を注いで彼の話を聞いている。
『貪り、蓄え、血肉とせよ。さすれば、お主たちが描く程度の夢ならば、きっと叶うだろう。この世界は厳しくはあるが、お主たちの矮小な夢を汲まぬほど、狭量でもない。故に、掬い上げてもらうために、貪欲であれ』
だがここに、誰もがエピスの演説を傾聴する中でただ一人、例外がいた。
「……ぐぅ……ごがっ……」
そう、演説中に居眠りをかます青年、アレス・エッスベルテである。
彼は今、貪欲に睡眠を貪っていた。
「ごがー!」
見事なまでの、堂々としたいびき。
その熟睡っぷりは、ついさっき睡魔に負けて、とは思えない。
それもそのはず、アレスは初めからエピスの演説など、聞く気がないのだから。
「ぐごごご……」
アレスはつい先日、エピスの本性を知った、知ってしまった。
故にアレスの中に、先人への敬意や老人への気遣い、英雄への憧憬などは残っていない。
確かに、今エピスは良いことを、ためになることを言っているんだろう。
だが演説や説法は、何を言うかが重要なのではない。
誰が言うのかが重要なのだ。
だからエピスが何を言おうと、アレスの心は打たれないし、響くこともない。
だからアレスは演説中に爆睡することに、一切躊躇などしない。
『以上である。皆、よく励み、よく学ぶのだ……………………あの小僧殺す』
演説を終えたエピスが、生徒たちの前から立ち去っていく。
それを見送った教官の一人が、先程までエピスが立っていた場所に立つ。
「入学式は終了である。各々、制服についている校章に刻まれた教室に向かってくれ」
その言葉を皮切りに生徒たちは立ち上がり、割り当てられたクラスへと向かっていく。
その中で、爆睡しているアレスを起こそうとする生徒は一人もいない。
それも当然、学園長の演説の最中に爆睡をかますようなやる気のない者を気にかけるお人好しなど、ここにはいないのだから。
そう、故にこれは、打算が含まれた行いだ。
「……起きて」
「んぁ?」
肩を揺すられることで、アレスは熟睡から目を覚ました。
目を擦って寝ぼけまなこを正してから、アレスは起こしてくれた人間を見て、
「げっ」
アレスの視線の先にいた人物は、先日の編入試験で最も交流した少女、ティナ・ジーグラックであった。
「……その声はなに?」
「気にしないでくれ。つい出ちゃっただけだ」
「……私のこと、なめてない?」
「んなぁ、ことないさ」
アレスは少しだけバツが悪そうな顔をして、ティナから目を逸らした。
「……目をそらすのは罪悪感の証。詰まり図星。違う?」
それだけを呟いてから、ティナは再び無言でアレスを凝視する。
アレスもまた無言のため、場には沈黙が訪れた。
しばらく沈黙が場を支配していたが、次第にその気まずさに耐えられなくなり、降参とばかりに項垂れた。
「はい、その通りです」
負けを認めたアレスに、ティナは小さく嘆息する。
それから少しだけ身を屈めて、アレスの胸元の校章を覗き込んだ。
「……あなた、私と同じクラスみたい」
「あ、そうなのか?」
アレスがそう問うと、ティナは自分の胸元の校章を指で軽く弾いた。
その校章には確かに、アレスの校章と同じ、『Ⅰ―Ⅱ』という文字が彫られている。
私たちの教室まで案内してあげるから、ついてきて。
それだけ言い残すと、ティナは踵を返してさっさと歩いて行ってしまう。
振り返ることなく、そんな暇などないと言わんばかりに。
嫌だなぁ、とは思いつつも、他に頼れる人間がいないアレスは重い腰を徐に上げて、彼女の後を追っていった。
ティナについていくのが嫌な理由? 変人と一緒に行動する変人って見られるのが嫌だからだよ。
アレス「変な人って思われたらどうしよう」
ティナ「……もう手遅れ」
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