4.やっと終わった編入試験
アレスのやることはシンプルだ。
この少女をキメラの前に放り投げて囮にして、その隙に運動場から脱出する。
簡単だ、簡単すぎてあくびが出てしまいそうだ。
「……それで、どうやって私をキメラの前まで連れていくの? まさかわざわざキメラの前まで走っていくつもり?」
「んな訳ない。んな悠長なことしてたら、お前を置くまでの間に俺も一緒にミンチだ」
「それじゃあ……」
どうするの、と問おうとした少女は脚に圧迫感を覚え、口が動きを止めた。
彼女は圧迫感の正体を確かめるべく、首を動かして脚を見やり、固まった。
アレスの手が、己の足首を掴んでいたのだ。
それも、がっちり、と。
固まっている少女をよそに、アレスは問いを投げた。
「なあ、お前さん、スカートはよく履くか?」
「……セクハラ?」
「違ぇよ? ちょっとした占いだよ。服装占いだ」
そんな占い聞いたことがないが、少女は問いに答えた。
「……それなりには」
「そっか。それじゃあ、今日はツいてる日だな!」
因みに今の少女の服装は、丈の長いズボンである。
「……その根拠は?」
「パンツが衆目の眼には晒されない」
「…………は?」
直後、腹の底が震えるように地が揺れた。
震源は、アレスの右足による踏み込み。
踏み込みへと少女の意識が逸れた間に、アレスはボールを投げるように腕を振りかぶる。
「……ちょ」
「アディオス・アミーゴ」
少女の言葉を遮る形で、アレスは少女を投げ飛ばした。
さながら剛速球のボールのように、高速でキメラへと飛んでいく。
その直前に。
「……倍返しにしてやる」
ちょっと何を言ってるのかわからなかった。
少女の心理が理解できなくなったため、アレスは彼女を観察することにした。
別に、役割を放棄して逃げ出すんじゃないだろうか、と疑っているわけじゃあない。
ちょっと、ちょこっとだけ、心配になっただけだ。
「だーいじょうぶですかー?」
「……うるさい、早く行って」
心配は杞憂だったらしく、少女は逃げずにキメラと対面し、進路を塞いでくれていた。
やだ、かっこいい、アレス感激!
あ、キメラがさっきの十種キメラみたいに投げ飛ばされた。
「と、いかんいかん、彼女の犠牲を無駄にするな」
「……死んで、ないっ。というか、早く、行けっ」
彼女の言う通り、今こそ好機であった。
キメラの注意が逸れたことで、小細工を弄する隙ができたのだ。
「それじゃあ、危なくなったら、ちゃんと逃げろよ」
アレスはそう言い残して息を潜め、気配を絶った。
投げ飛ばされ、少女に気を取られていたキメラは、最後に手繰っていた気配も感じ取れなくなったことで、アレスのことを完全に見失ってしまった。
これでアレスは一体だけだがキメラの認識から外れ、事実上包囲が崩れたことになる。
だがじっとしている訳にはいかない。
他三体のキメラはアレスを捕捉しているし、あくまで気配を薄くしているだけで透明になった訳ではないので、ちんたらしていたらまた見つかってしまう。
だから脱出するとしたら、包囲の一角が崩れている今しかないのだ。
「逃げるは恥だが役に立つ!」
プライドで心は満たされても腹は膨れぬ。
恥で心は傷ついても、死ぬことはない。
言いたいやつには言わせておけばいいのだ。
これこそが弱者の策、生存戦略よ。
そら見ろ、泥を啜り、恥を忍んだことで俺は生き残ったぞ。
「ぐはは、ざまぁ見ろクソジジイ!! てめぇの策なんざ俺には通じねえのさぁ!! 歴史を紡ぐのはいつも勝者よぉ!」
高笑いをあげながらアレスは、運動場の境界である白線を踏み越えようとして、
バチン! と。
電気が弾けてアレスは後方へと弾き飛ばされた。
「……………………は?」
運動場脱出を阻まれ、事態を飲み込みきれず沈黙し、なんとか絞り出したのがこの一言。
「……………………は?」
運動場の白線へと手を伸ばすと、再び電気が弾けて、手が弾かれて、また一言。
「……ここまでするか?」
アレスの喉から乾いた笑い声が漏れる。
これは、結界だ。
空気の流れに淀みがないことから、壁のようなものはなく、運動場を出入りしようとするものを電気で弾くというものだ。
この結界を張った者は誰か?
決まっている、あの枯木ジジイ以外に誰がいる。
「は、はは、あははは……」
詰んだ、もうどうしようもない。
あれでも、腐っても、幾万もの歳月を研鑽に費やし、英雄とまで称された化物だ。
そんな傑物が拵えた結界を破る術など、アレスにはない。
「あーあ、俺の人生、短かったなぁ……」
アレスはその場に座り込んで、周りを見回す。
理性はもう諦め切っているというのに、心のどこかで抵抗する意思があるらしい。
自身の生き汚さに苦笑しつつ、やることと言えばもうキメラへ特攻するか状況整理くらいしかないのも事実。
「さてさて……」
初めに目に映ったのは、運動場の中へと入ろうとしている、アルジェイルの姿であった。
彼はこちらへと、必死に呼びかけてくる。
「諦めるな少年! 今助けてやる!」
ありがたい叫びだが、行動が伴っていない。
教官殿は結界を突破できず、立ち往生するのみだ。
意味のない情報だとばっさり切り捨て、次は内へと目を向けた。
「キメラ今どこかなぁ?」
最寄りのキメラは、今もなお少女が足止めしているキメラ。
彼女の粘りは凄まじく、巧みな体捌きでキメラを翻弄している。
だが、そう長くは保つまい。
旅は道連れ世は情け、あんたも道連れじゃい。
という訳で、次のキメラを探し、すぐに見つかった。
「うわぁ……」
二頭のキメラが、こちらへと爆走してきていた。
既に抵抗するつもりはなかったというのに、更に気力がそがれてしまった。
「もうどうにでもなれ」
そう呟いて、項垂れ、死ぬ覚悟を完全に固めると、
ゴォォォッッッッッッッッッ!! と。
どこかで爆発、閃光、次いで爆風が撒き散らされた。
「お?」
また何か起きたらしい。
その何かを確かめるべく顔を上げると、驚くべき光景が広がっていた。
なんと二頭のキメラの片割れの一頭が、顔の半分が抉れた状態で倒れているではないか。
即死だったのだろう。
倒れているキメラは、微動だにしていない。
そして相方のキメラは、状況を吞み込めていないのか、呆然と亡骸を眺めている。
その光景を目にしたアレスは、ふと思う。
(……あれ、これチャンスじゃね?)
当面対処すべきキメラは二頭、その内一頭は死んで、もう片方は呆然自失。
不意打ちをしようと思えば、できるだろう。
「…………」
鞘に納めていた剣を引き抜き、一息で呆然キメラとの間合いを詰め切る。
気配は絶っているため、キメラはこちらに、気づいていない。
「どらっしゃあああああ!!」
「ギャオン!?」
裂帛の気合いが迸り、剣を振るう。
下段の構えから繰り出される振り上げの一閃。
白刃は一瞬の停滞も見せず、キメラの首の肉へと滑り込み、走り抜けて空を切った。
結果、キメラの首が刎ね飛ばされる。
「よし! よし!」
何が何だかわからないが、残るキメラは二体となり、生き残る目が出てきた。
これなら、立ち回り次第でなんとかなる。
そう生存の目が出たことに喜んでいると、
「お見事。素晴らしい太刀筋でした」
ふと、拍手と共にそんな賛辞が掛けられた。
アレスは剣を鞘に納めながら、声の主へと向き直り、目を見張った。
「あんた、エルフか」
声の主は、エルフの少女だった。
腰まで伸ばされた、ふわふわと柔らかくウェーブのかかった金髪に、かわいらしくも美しい宝石のような緑の碧眼。
エルフらしい黄金比といわんばかりに整った顔立ちに、尖った耳。
そして、服の中は窮屈だと言わんばかりに自らの存在を主張している、豊かな双丘。
いや本当にデカい、見た目年齢十代にあるまじき胸だ。
けしからん、初対面の相手になんて胸だ、もっと見せろ。
女性としての魅力で欠点が何一つ見当たらない少女は、柔和な笑みを浮かべている。
「初めまして。私の名前は、ソフィア・パライオン。貴方に迷惑をかけている『魔法司』エピス・パライオンの弟子にあたります」
エピス、その名前を聞いたアレスは盛大に顔をしかめた。
このソフィアという少女、あのクソジジイの縁者ときた。
あのジジイ、キメラが駄目とみて、とうとう弟子を刺客として送り込んできたらしい。
身構えるアレスに対してソフィアは苦笑して、交戦の意志はないと両手を上げた。
「本当に申し訳ありません。お爺様が、多大な迷惑をおかけして」
ソフィアの態度に、アレスは眉を顰める。
この少女、本当にあのクソジジイの弟子なのだろうか。
そう思ってしまう程に、まともだ。
「あんた、俺を殺す気がないのか?」
その問いにソフィアは頭を押さえながらため息を吐く。
「……そんなつもりはありませんよ。寧ろ、私は力を貸したいと思っているんですよ? 貴方、とっても強いみたいですから、余計なお世話だったかもしれませんが、魔法で援護をさせてもらいました」
どうやらキメラを仕留めてくれたのは、彼女だったらしい。
それを知って、アレスは警戒を解き、頭を振った。
「いや、そんなことないよ。滅茶苦茶助かった。あれがなかったら、俺は今頃死んでた」
「それならよかった」
再び微笑みを浮かべるソフィアに対して、アレスは手を差し出した。
「アレス・エッスベルテだ。ありがとう、本当にありがとう。あんたは俺の恩人だ」
「……ああ、エッスベルテ、成程。改めて、ソフィア・パライオンです」
互いに握手を交わして、自己紹介を済ませた。
手を離してから、ソフィアはアレスに提案を持ちかける。
「それでは、アレス君。恩を感じているというのであれば、頼みを聞いてくれませんか?」
「ん? ああ、俺にできることならな」
「アレス君ほどの実力者なら、簡単ですよ」
ソフィアは、少女が対面しているキメラを指さした。
「試験を正常に戻すため、キメラの討伐をお願いします。もう一頭は私が受け持ちます」
「………簡単?」
いやまぁ、できるよ? けど簡単ではないよ?
あっさり勝ってるように見えたのなら、それは不意打ちだったからだよ?
「あ? 待てよ。最後の一体のキメラはどこにいるんだ?」
出現したキメラは四体なのだ。
一頭は能面少女が受け持っており、二頭はアレスとソフィアが討伐した。
最後の一頭の所在を探すべく、周囲を見渡し、すぐに発見する。
「まじ?」
最後のキメラは、軍隊と交戦していた。
一人一人に役割を与え、隊列を組み、一糸乱れぬ陣形を構築している。
だが、アレスが驚いたのは、そこではない。
なんと軍隊を構成しているのは、軍人ではなく、受験生だった。
試験当初、キメラですらない、アレスから見れば雑魚と呼んでいた魔獣たちに恐れをなしていた彼らが、集団で強敵に挑んでいるのだ。
「指揮官は、あいつか」
集団の指揮を執っていたのは、一人の人間の男子生徒。
短く切り揃えられた美しい金髪に、真っ直ぐな意志を感じさせる碧眼を宿し、顔立ちが彫刻のように整った顔立ちをしている。
なにここ、美男美女の群生地か何かなの?
世の理不尽に憤慨していると、視線に気づいた男子生徒がこちらを一瞥し、手を振った。
その様を見ていたソフィアが、話しかけてくる。
「あちらのキメラは、私が倒しましょう。彼らの火力では、討伐まではできませんからね」
ソフィアが討伐できないと断じた理由は、一重に火力不足だった。
キメラの体表には無数の生傷が刻まれているが、どれも掠り傷、致命傷には程遠い。
キメラを相手にアマチュア未満の生徒諸君が戦えているという事実は、掛け値なしに称賛できるが、個の能力が足りない。
「それよりも、アレス君。キメラの討伐、早くした方がいいと思いますよ?」
「え?」
不可解なことを言ってきたソフィアに問い返すと、彼女は苦笑を浮かべた。
「ずっと独りでキメラの足止めをしている彼女、すごくこっちを見てますよ?」
すっと、アレスは真顔となる。
無言のままに、最後のキメラ、というか少女へと向き直る。
「ひぇ」
思わず、そんな情けない声を漏らしてしまった。
少女を能面だとか人形とか言ってきたが、今の彼女はそんな高尚なものではなかった。
ただでさえ薄かった瞳のハイライトは消え失せ、瞳孔は全開になっている。
そんな目で、瞬きを一度もせずに、ただじっとアレスを凝視しているのだ、怖い。
「い、今行くぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「ご武運を」
雄たけびを上げてキメラへと突っ込むアレスを、ソフィアは手を振りながら見送った。
そして少女と協力して、アレスは最後のキメラの討伐を終えた。
息も絶え絶えに、寝転がるアレスと表情を崩さぬまま肩で息をする少女。
アレスは呼吸を整えながら、少女へと声をかけた。
「あり、がとな、まじで。本当に、助かったよ」
「……いい。あなたみたいな強い人に借りを作れると思えば、悪い話じゃない」
「いや足止めは借りを返してもらうためのもんだから、借りは帳消、すみませんでした」
少女の瞳が、再び奈落となりかけたため、思わず謝罪してしまった。
「……あれだけのことをされても、役目を果たしたのだから、恩返しとしては超過してる。だから、私があなたに借りを作ったことになる」
横暴だと思ったアレスだが、少女は知ったことかとばかりに言葉を紡ぎ続ける。
「……私は、この学園で好成績を取る。そのために、あなたには手を貸してもらう」
ある程度息を整えた少女は踵を返し、アレスへと背を向ける。
「……あなたが学園関係者に何をしたのかは知らないけど、これだけの大立ち回りをしたんだから、合格はするはず。だから、また、会いましょう」
キメラはとっくに全滅しており、魔獣たちも粗方殲滅されていた。
試験は終了である。
「……あなた、名前は?」
「アレス・エッスベルテだ」
「……ティナ・ジーグラックよ。アレス、あなたには、私の目的の手伝いをしてもらう」
少女、ティナはアレスからの返事を待つことなく、歩き始める。
アレスの前から立ち去る間際、彼女はアレスへとこう言い残した。
「……なにがあっても、絶対に」
三日後、アレスの下には編入試験の合格通知が届いた。
こうして、アレスは晴れてプレアデス士官学園への編入を果たしたのであった。
ノンナ「っしゃああああああああああああ!」
エピス「おのれぇえええええええええええ!」
アレス「合格勝ち取った本人より盛り上がんな」