2.やればできる子
アレスの叫びは試験会場をパニックに陥れた、最悪である。
「無理無理無理ぃ!! 馬鹿じゃねぇの!? 馬ッッッ鹿じゃねぇの!? あれ十種キメラだぞ!!」
複数の動物の要素を併せ持った魔獣の総称、それこそがキメラだ。
故に決まった姿はなく、特定の生態もない。
故に言えることは多くなく、というか説明できることが二つしかない。
一つは、複数の動物の特性を持ち合わせること。
そしてもう一つは、その種類が一つ増えるだけで、強さと厄介さが跳ね上がること。
十種となると最早個人でどうにかなるものではなく、発見したらすぐに討伐のために軍隊を編成し、派遣しなければならない。
もう、個人でどうこうすることを想定する存在ではないのだ。
そしてプロどころかアマチュアですらない、士官学校の生徒では手に負えない。
(加減ってもん知らねぇのか、あのクソジジイ!! 師匠を見て知ってたつもりだったけど、『五英傑』やっぱ頭おかしいわ!!)
頭の中で浮かんだ先から、思いつく限りの罵倒を並べてはエピスを罵る。
そんなことをしていながらも、アレスは周囲の状況へと気を配っていた。
故に彼は気づいてしまう、現れたキメラが、ずっとアレスを追いかけていることに。
というか、アレスしか見てない。
魔獣にとって人間の個体差など無価値である。
だというのに、アレスのことしか目に入らないとばかりに、こちらを凝視してくる。
……この露骨な一点狙いの心当たりは、ただ一つ。
「あんのクソジジイィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」
試験会場である運動場が騒然としているように、試験を見守っていた教官たちが詰めている控室も大騒ぎとなっていた。
試験の範囲を逸脱した、強力な魔獣が出現すれば、当然そうなるだろう。
教官たちが騒ぐ中、エピスは違う理由で騒いでいた。
「小僧ォ!! 逃げるな! 戦えい! そして死ねぃ!!」
「死ねではないわ戯けがあ!!」
「ぐぼぁ!?」
好き勝手言っているエピスを、ノンナが蹴り飛ばした。
アレスに集中していたエピスはもろに蹴りをくらい、受け身すら取れずに倒れ伏した。
しかしダメージなどはなかったのか、すぐに起き上がって、ノンナを睨みつける。
「何をする貴様ァ!!」
「やかましい! なんじゃ、あれは!? あのキメラ、アレスしか見えておらんぞ!」
ノンナがそう叫び、アレスとキメラの追いかけっこを指さす。
それに対してエピスは、
「……………………(歯茎を露出するほど口角を吊り上げた邪気な笑み)」
ブチン、と何かが切れた音がした。
「すぅ……はぁ……すぅぅぅううううう、はぁぁぁぁああああ……」
しかしノンナは激昂したりせず、深呼吸をして己を落ち着ける。
激情を鎮めてから、ドカっと椅子に深く座った。
返ってきた反応が思っていたものとは違い、エピスは意外そうな、というか不気味なものを見るかのような目で彼女を見る。
「ど、どうした? いつもの貴様なら、ここで斬りかかってくるくらいはするであろ
う?」
エピスの問いに、ノンナは鼻を鳴らす。
「この程度ならば問題ないからな。あやつが、誰の弟子だと思っている?」
☆
そのお弟子さんは、現在キメラから逃げに逃げていた。
かれこれ三分逃げているが、キメラの興味がアレスから外れない。
「しつけぇ! お前、幾らなんでもしつこすぎるぞ、おい!?」
文句を言っても、人間の言葉を解さないキメラ相手では意味がない。
わかってはいるが、言わないとやってられないのだ。
(あァ、どうすっかな畜生!)
正直な話、アレスにとって学園生活だの青春だのには興味はないのだ。
そもそも始まりはノンナの命令であり、入学費も己の貯金から支払われ、仕方なく試験を受けているという、不純極まりない身の上である。
そんなもののために、キメラのような強敵相手と戦うなど、割に合わないのだ。
ノンナには、ああ言われたが、今回は諦める。放り投げる。ぶん投げてやる。
そう決心した、矢先であった。
「……それじゃあ、こいつは私がもらう」
アレスのすぐ脇を、誰かが走り抜けた。
「あ?」
立ち止まり、振り返る。
視界に映るのはキメラと、キメラの前に立ち塞がる一人の少女。
腰まで伸ばされた絹糸のような白髪。
袖から伸びる手は華奢で処女雪のように白く、陶磁のように滑らかだ。
後ろ姿しか見えないが、荒事に関わる人間として見るには彼女の体躯は余りに細い。
「おいおい、無謀だぞ、あんた!」
少女の構えや立ち方、重心の置き方と移動などから、アレスは彼女が素人に毛が生えた程度の武術の腕前しかもっていないことを見抜いた。
魔法を得意としているならば話は別だが、魔法の展開おろか準備すらしていない。
それ故に、無謀とアレスは断じた。
「……うるさい。見るなら、黙って見てて」
少女の居住まいが、豹変した。
「は?」
武術の達人が歩き方を変えることによって実力を隠すそれとは違う、まるで、違う人間になったかのような豹変ぶり。
呆気にとられるアレスを置いて、少女はキメラへと肉薄し、キメラの前足を掴む。
「……ふっ」
呼気を吐き出し、腰を切りつつ右足を軸にして、左足で半孤を描くように擦ることで体の向きを反転させる。
それによって、少女の体はキメラの前足を相手に背負い投げをするような体勢となった。
すると、魔法のような光景がアレスの前に広がった。
「……うそ―ん」
少女が背負い投げで、キメラを投げ飛ばした。
ずぅん、と腹に響く音と地を揺るがす衝撃が辺りに広がり、砂煙が巻き起こる。
キメラの三メートルという巨体が地面に叩きつけられたのだから、当然だろう。
「って、いかんいかん。何を呆けてるんだ、俺は」
アレスは己を叱咤し、砂煙の中の状況を確かめるべく目を凝らす。
数秒で砂煙は晴れて、少女とキメラがどうなったか確かめることができるようになった。
砂煙の中で状況は動いておらず、少女は膝をついて、キメラの前脚を掴んだままの中腰のような体勢となっており、キメラはひっくり返っているものの……
「……ん、無傷」
声に呼応したかのように、キメラは前脚で少女の手を振り払い、すぐ様に起き上がる。
そして今度はアレスではなく、少女のことを真っすぐ睨みつけた。
強力な魔獣の視線を一身に受け止める少女は、静かに呟く。
「……思ったよりも頑丈」
当然だ。
このキメラを討伐するには、本来であれば軍隊の派遣を要する。
一度投げ飛ばされた程度で倒れる程、柔ではない。
そしてここからは、少女にとって厳しい戦いとなる。
先ほど彼女がキメラを簡単に投げ飛ばせたのは、キメラがアレスのみを見ており、少女のことが眼中になかったからに過ぎない。
ここからは不意打ちは通用せず、実力のみで勝負しなければならない。
先の投げ技から、少女の技量は並々ならぬものではあろうことはわかるが、何か奥の手でもない限り、彼女がキメラに勝つのは難しい。
(やっぱ、無謀だったぽいな。さて、どうすっかなぁ)
少女は自分の意志でキメラへと戦いを挑んだ。
彼女は間違いなく、己の意志で、無謀を選んだのだ。
その一点にかけては、アレスに責任はない。
だが考えてもみろ、あのキメラが出現する理由となったのは、誰だ?
それはアレスだ。
アレスがこの試験に参加しなければ、あのキメラは現れなかっただろう。
だが言ってしまえば、アレスの責任の所在は、たったそれだけ。
けれどほんの少しとはいえ自分が関わったことで、他人が傷ついたら、後味が悪いのだ。
だから。
「あー、もう! 俺がやってやるよクソが!」
事の発端であるアレスは、自暴自棄になって叫びつつキメラと戦うことを決意した。
☆
これまでアレスのこと見ていたノンナを除いた者は皆、驚愕に目を見開いた。
始終キメラに対して情けない叫びをあげながら逃げていた青年が、そんな事実などありませんでしたと言わんばかりの堂々とした足取りで、キメラへと歩みを進めている。
周囲の反応を意に返さぬまま、アレスはキメラと少女の間に割って入った。
「代われ。俺がやる」
アレスが端的に言うと、少女は反論した。
「……さっきまで逃げの一手のみだったくせに、どういう心境の変化」
初めて少女と相対して、アレスは彼女がちょっと変わっていることに気づいた。
この少女からは、全く感情の色も波も見えないのだ。
口調は驚く程平坦であり淡泊、表情筋は固定されているかの如く微動だにしない。
顔立ちが整っていることも相まって、不気味という印象すら受けてしまう。
けれどアレスは、その程度で動揺も臆したりもしない。
「あいつがここに送り込まれたのは、俺が原因みたいなもんだ。それで誰かが怪我をしたら、後味が悪い。その後の人生までかかってるとなったら、尚更だ」
「……勝てるの」
今のは、問いを投げかけられたのだろうか。
声に抑揚が感じられないため、ひどくわかりにくい。
とはいえ無視する訳にもいかず、問われたと思うことにして、アレスは端的に答えた。
「でなきゃここにいないさ」
そう言って、アレスは少女からキメラへと意識を向け、観察を始めた。
キメラの表情からは油断、驕り、侮り、愉悦の色が見て取れる。
大いに結構、どうか最期まで、そのままであってくれ。
「俺が楽できるからな」
言葉の意味がわかる訳ではないだろうに、アレスの挑発のような呟きに呼応したかのようにキメラが咆哮する。
耳をつんざき、頭を揺らし、腹の底が震える大音量。
そこに、身の毛がよだつような恐怖を駆り立てる威圧感も孕んでいるのだ。
気が弱いものであれば、卒倒しかねない。
「んなのいいから、手早く済ませようぜ」
だがアレスの自然体は崩れないまま。
ここでキメラは、己がアレスにとって、恐怖の対象ではなくなっていることを悟る。
生まれた己の種を捨て、力を手にした彼らにとって、侮られる事は許容できない。
故に上位者の地位を取り戻すべく、眼前の鳴虫を叩き潰さねばならない。
獲物を嬲る狩人から、頂に君臨する王者へとキメラの精神が変じた。
「…………っ」
キメラの変化を肌で感じ取ったのか、能面少女が息を呑む。
ここにきて彼女は、己が挑もうとしていた存在の強大さを認識したのだ。
己はまだ、眼前に立つ獣に挑むのは早かった、と。
「…………」
キメラは慢心を取り払い、戦意のみを胸中で満たす。
戦意を薪に、闘志を燃やし、臨戦態勢へと移行する。
その、一瞬だけ前のこと。
「そぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!」
アレスは剣をバットのように振りかぶり、フルスイングでキメラの前脚をぶっ叩いた。
キメラが戦闘態勢に移行する意識の隙間を縫い、アレスは接敵していたのだ。
なお、剣は鞘に収まっている。訳がわからない。
「……なにを」
少女は呆けたが、キメラの反応は違った。
意識の間隙を、突かれたのだ。
理性が吹き飛び、怒りが脳内に代入された。
これは、屈辱である。
非力にして矮小な存在に、恥辱の泥を塗られた。
これは、直ちに雪がなければならない汚点である。
キメラはアレスを叩き潰すべく、威圧するように大木のような前脚を大きく振り上げた。
アレスに恐怖を与えることで、溜飲を下すために。
あの剛腕が振り下ろされれば、羽虫が潰されるかのように、アレスは粉砕されるだろう。
だというのに。
「なぁんだ、これなら楽勝じゃん。捨てるまでもねぇ」
満面の笑みを浮かべて、信じられないことを言い出した。
言葉は分からずとも、感情は読み取れる。
とうとう堪忍袋の緒が切れたキメラが、アレスを叩き潰すべく剛腕を振り下ろした。
対するアレスは、
「すまん、この一撃は任せた!」
「……え」
信じられない事を口にして、少女の肩を掴み、彼女をキメラの剛腕の前へと押し出した。
アレスの奇行に少女は間の抜けた声をあげるが、キメラの剛腕は止まらない。
このままでは、死ぬ。
「……すぅ」
圧殺は勘弁願いたいため、少女は対処する。
空気を吸い込み、右足で踏み込むと同時に、キメラの肉球へと右の掌底を突き出した。
肉球と掌底が重なる、その刹那。
「……はっ」
発声と同時に右足を軸足とし、空いた左足で弧を描きながら右手首をひねる。
するとキメラの剛腕の軌道が、丁度少女の体だけ横にずれた。
行ったのは、拳法において化勁と呼ばれる、相手の力の流れを操作する技術だ。
拳法は本来、人類を想定して作られる。
それを本来の用途外であるライオン型の魔獣を相手に、それも三メートルという巨体を相手に行ったのだ。
感服すべき技量、手放しで称賛すべき神業である。
素晴らしい、少女はアレスの注文をこなして見せた。
「あんがとよ。十分な隙ができた」
キメラの前脚のすぐ横には、ナイフを手に持ったアレスが立っていた。
「よいしょ」
アレスは無造作に腕を振るって、手のナイフをキメラの前脚に突き刺した。
ナイフはキメラの前脚に深々と突き刺さり、刃が全て肉に埋まっている。
人間ならば大ケガだが、キメラにしてみれば蚊に刺されたようなものだ。
前脚を動かすのに支障はなく、キメラはアレスを振り払うべく、前脚に力を籠め、
「――――!?」
キメラはそこで気づく。
ナイフを突き刺された前脚が麻痺に支配され、動かないことに。
キメラの脳が処理できた情報は、そこまで。
「じゃあな」
アレスの剣という筆が、白刃というペンキを閃かせ、軌跡を描く。
始点はアレスの剣の鯉口、通過点はキメラの腕、そして終にキメラの首まで辿り着く。
刃は抵抗を感じさせぬ滑らかさで、キメラの前腕と首に滑り込み、駆け抜け、先程の軌跡を境に前腕と首を切断した。
アレス「本気出せば楽勝だし」
能面少女「なら最初からやれ」
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